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42.わがこころなきためいきの
しおりを挟むあゆたはおにぎりを凝視した。
差し出されたおにぎりは食べかけだ。
八月一日宮と一緒にいると、戸惑ったり驚いたり感情が忙しい。信善に叱責される以外は、淡々と穏やかに過ぎる日々しかなかった。だからあゆたはほとんど呆然としてしまっていた。頭が働かなかった。
にこにことした八月一日宮は、何の戸惑いもなくおにぎりを差し出している。
八月一日宮に他意はない。気安い男同士ならこんなこと普通にあることなのだろう。
顧みると、信夫もおいしいからとあゆたに食べかけを食べさせることがあった。それと同じで八月一日宮に何か含みがあるわけでもないのだ。きっと彼にとっては取るに足らないことなのだろう。
あゆたが変に躊躇えば、妙な空気になる。あのいい匂いにふらふらと誘われるように、あゆたは顔を近づける。気付いた時にはおずおずと唇は開き、差し出されたおにぎりに噛みついていた。
「……おいしい……」
口の中に広がる甘じょっぱい味。鶏が炊き込んであるようで、唇に薄く油が纏うようなうまみがあった。べたべたする唇をあゆたはぺろりと舐めた。
「ね」
嬉しそうに八月一日宮は笑う。満足げに自分もがぶりと噛みつく。あゆたはおいしそうに頬張る唇を、自分が食べた所だ……などと眺めてしまった。
(こういうの、なんだっけ……)
於兎が貸してくれた少女漫画にあった表現。読んだ当時は何とも思わなかった。
間接キス。
あの唇に触れたわけではない。なのに、あの口に入っている同じ食べ物を分け合ったのだと思うと、妙に生々しい。あゆたはのろのろと目を逸らした。
八月一日宮が傍にいると、調子が狂う。
いつも草木が風にそよぐようにあゆたの情緒は起伏が少ない。
自分らしくない。
「先輩? これも食べます?」
いつのまにか目が八月一日宮を見つめていたらしい。八月一日宮は手に持っていた唐揚をあゆたに見せてくる。あゆたは首を振った。
「……いや」
「あ、これもおいしいですよ。これ近頃はまってて」
「……いただこう……」
「これもおすすめです」
八月一日宮はのべつ幕なしに自分の好きなものを勧めてくる。その三回に一回はあゆたに味見させようとした。
あまりに屈託ない笑顔で箸の先に摘まんだものを差し出される。ためらうのはあゆただけで、友達の少ないあゆたには経験がないが、やはり友達同士ならこういうふうに食べさせるのが当たり前なのだろう。八月一日宮は自然体だ。
ともすれば心が乱高下しそうになるのを無視するように、まるで意地になったかのようにあゆたは八月一日宮の手から食べた。
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