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49.まっすぐに伸びる木
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「あ」
ふらりふらりと左右に揺れる麦わら帽子は、空気の抵抗を捕まえて、やがて滑るようにして地面に降りた。
「はい、おしまいです」
八月一日宮は枝を蹴り、すとんと着地する。
「……ほんと、……お前、なんなの?」
どっと汗が額に湧いた。脱力したようにあゆたはつぶやいた。呆れるあゆたに頓着することなく、八月一日宮は麦わら帽子を拾う。
「ね、すぐだったでしょう?」
まるでいたずらに成功した子供のように八月一日宮は笑っている。どこか誇らしげなそれをあゆたはじろりと睨み上げた。
ひっかかっていた葉が、八月一日宮の毛先をひらりと滑り落ちた。今更ながら、あゆたはあれが桂の木だったのだと気付いた。落ちてきた緑の葉は柔らかく曲線を描いている。
その緑葉は木漏れ日を浴びて、ちらちらと髪も光っている。桂の葉はハートの形に似ている。それが自分の膝にするりと落ちた。
黒い制服のズボンの上に緑色のハートがちょこんと載っている。目の奥に八月一日宮の髪の毛の金色が煌めいて残っている。
「先輩?」
黙っているあゆたを窺うように顔を覗き込んでくる。
あゆたはのろのろと顔を上げた。
まだ笑みの残った八月一日宮の頬は、秋の日差しに白い輪郭を持っている。まだ十六歳の若さが、無謀な行動とあゆたが心配しているなんてこれぽっちも思っていない無邪気さを併せ持っていていた。整った鼻梁と大きな唇。まるで今初めて八月一日宮の端正な面に気づいた人のようにあゆたは動けなくなっていた。
「先輩?」
八月一日宮の髪の毛が眩しくて、我に返ったあゆたは口の中でもぐもぐ言った。
「……頭に、ついてる。葉っぱ」
「え、本当? 取ってください」
八月一日宮は上目遣いで自分の頭の上を気にしてから、すぐに身を屈めた。まるで大きな獣が自分にだけ懐いて、そして頭を垂れているような、妙な高揚感があった。
あゆたはじっとしている八月一日宮に指先で触れた。染めているのか脱色しているのか、八月一日宮の髪の毛は意外なほど細く柔らかだった。花壇の世話と木登りのせいで髪は汗で薄く湿っていた。
「……取れた」
小さな葉はわざわざあゆたが取らなくとも、歩いているうちにでも風にさらわれただろう。それなのに。あゆたは隠すようにそっと手の中に葉を握った。
「はい、ありがとうございます」
にこりと笑うと、唇の隙間から真珠のように艶やかな歯が覗く。麦わら帽子を軽く叩いて埃を落とすと、八月一日宮はあゆたに被らせた。ふわりと薄甘い果実の匂いがした。
「ありがとう」
「ん? どういたしまして」
しかつめらしく頭を下げて、あゆたはぐっと眉根を寄せた。
「でも、もう二度と登らないでくれ。落ちたら大怪我するから」
先ほどの怖さが蘇って、あゆたは眦をきつくした。
造園の最中にベテランの職人が木から落ちたことがあった。幸い大きな怪我はなく打ち身だけだったが、その老職人が語るには、過去には頭を強打して脳に異常を来した事故もあったという。そういう事例を知っているので、安全についてはかなり慎重だった。帽子のつばを持ち上げ、あゆたは懇願するように説いた。
「庭師でも、木に登る時は気を遣う。ましてや素人のお前が……」
切々と訴えて、語尾が震えそうになった。堪らずあゆたはきゅっと唇を噛んだ。
ふらりふらりと左右に揺れる麦わら帽子は、空気の抵抗を捕まえて、やがて滑るようにして地面に降りた。
「はい、おしまいです」
八月一日宮は枝を蹴り、すとんと着地する。
「……ほんと、……お前、なんなの?」
どっと汗が額に湧いた。脱力したようにあゆたはつぶやいた。呆れるあゆたに頓着することなく、八月一日宮は麦わら帽子を拾う。
「ね、すぐだったでしょう?」
まるでいたずらに成功した子供のように八月一日宮は笑っている。どこか誇らしげなそれをあゆたはじろりと睨み上げた。
ひっかかっていた葉が、八月一日宮の毛先をひらりと滑り落ちた。今更ながら、あゆたはあれが桂の木だったのだと気付いた。落ちてきた緑の葉は柔らかく曲線を描いている。
その緑葉は木漏れ日を浴びて、ちらちらと髪も光っている。桂の葉はハートの形に似ている。それが自分の膝にするりと落ちた。
黒い制服のズボンの上に緑色のハートがちょこんと載っている。目の奥に八月一日宮の髪の毛の金色が煌めいて残っている。
「先輩?」
黙っているあゆたを窺うように顔を覗き込んでくる。
あゆたはのろのろと顔を上げた。
まだ笑みの残った八月一日宮の頬は、秋の日差しに白い輪郭を持っている。まだ十六歳の若さが、無謀な行動とあゆたが心配しているなんてこれぽっちも思っていない無邪気さを併せ持っていていた。整った鼻梁と大きな唇。まるで今初めて八月一日宮の端正な面に気づいた人のようにあゆたは動けなくなっていた。
「先輩?」
八月一日宮の髪の毛が眩しくて、我に返ったあゆたは口の中でもぐもぐ言った。
「……頭に、ついてる。葉っぱ」
「え、本当? 取ってください」
八月一日宮は上目遣いで自分の頭の上を気にしてから、すぐに身を屈めた。まるで大きな獣が自分にだけ懐いて、そして頭を垂れているような、妙な高揚感があった。
あゆたはじっとしている八月一日宮に指先で触れた。染めているのか脱色しているのか、八月一日宮の髪の毛は意外なほど細く柔らかだった。花壇の世話と木登りのせいで髪は汗で薄く湿っていた。
「……取れた」
小さな葉はわざわざあゆたが取らなくとも、歩いているうちにでも風にさらわれただろう。それなのに。あゆたは隠すようにそっと手の中に葉を握った。
「はい、ありがとうございます」
にこりと笑うと、唇の隙間から真珠のように艶やかな歯が覗く。麦わら帽子を軽く叩いて埃を落とすと、八月一日宮はあゆたに被らせた。ふわりと薄甘い果実の匂いがした。
「ありがとう」
「ん? どういたしまして」
しかつめらしく頭を下げて、あゆたはぐっと眉根を寄せた。
「でも、もう二度と登らないでくれ。落ちたら大怪我するから」
先ほどの怖さが蘇って、あゆたは眦をきつくした。
造園の最中にベテランの職人が木から落ちたことがあった。幸い大きな怪我はなく打ち身だけだったが、その老職人が語るには、過去には頭を強打して脳に異常を来した事故もあったという。そういう事例を知っているので、安全についてはかなり慎重だった。帽子のつばを持ち上げ、あゆたは懇願するように説いた。
「庭師でも、木に登る時は気を遣う。ましてや素人のお前が……」
切々と訴えて、語尾が震えそうになった。堪らずあゆたはきゅっと唇を噛んだ。
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