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85.しのぶもぢずりだれゆえに
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裏木戸をくぐる。まだ時間は四時だった。自炊するあゆたに気を遣って、早めに解散になったのだ。
傾き始めた夕暮れに庭木が影を伸ばしている。庭石を踏んでも全く痛まない足は軽快で、あゆたは健康のありがたさを噛み締めていた。
離れの前の椿の茂みに白っぽい影が見えた。こんな時間にこんなところに来るのはひとりしかいない。
近付いていくうちに、案の定信夫だと見て取れた。とろりとした艶のある白いシャツの胸に赤いタイが締めてあって、今日も信夫は誰かのお茶会にでも招かれたのだろう。あゆたの足音に気づいたのか、花が咲いたように信夫が微笑んだ。
「おかえりなさい、あゆたさん。随分遅かったですね」
娘の夜遊びを見咎める親のような口調にあゆたは口をひん曲げる。
「信夫……、ただいま」
信夫は近づていくるあゆたを頭のてっぺんから爪先までじろじろとみやった。一頻りあゆたを眺めた後、やっと信夫は満足したように頷いた。
「ご無事でなにより。僕もさっき帰ったばかりなんです。今日は朝からお会いできなかったので、ご機嫌伺いにまいりました」
自分だって出かけていたのに、と反発しそうになってあゆたは押し黙った。
信夫の笑っている薄く緑色を帯びた双眸は不機嫌そうだった。八月一日宮はアルファだから気を付けろと忠告されていたのに、一緒に出掛けたのが気に食わないのだろう。
「ありがとう、服」
「いいえ、どうせ着ない服ですし。あゆたさんにはサイズがぴったりですね。差し上げますよ」
信夫の昔の服だ。あゆたは中学生の信夫と同じぐらいか、それよりも貧相だ。
「……嫌味かよ」
あゆたが拗ねて唇を尖らせると、今度こそ信夫はふっと空気を緩めた。どういう機微なのか、信夫の機嫌は直ったらしい。
アルファの威圧とまではいかないが、不機嫌な信夫は他を圧迫するような空気を出す。それであゆたが息苦しくなるのを察したのだろう。すぐにいつものにこやかな信夫に戻った。
「その服似合っていますけど、ね、やはり今度一緒に買いに来ましょう」
「別にいいよ。間に合っている」
「何言ってるんですか。制服か作業着しかないなんて」
それで事足りているし、不自由は感じない。
信夫は呆れたように鼻を鳴らした。
「あゆたさんは少し身綺麗にした方がいいですよ。あなたは服装ぐらいちゃんとしないと、ただでさえ舐められるのに」
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近付いていくうちに、案の定信夫だと見て取れた。とろりとした艶のある白いシャツの胸に赤いタイが締めてあって、今日も信夫は誰かのお茶会にでも招かれたのだろう。あゆたの足音に気づいたのか、花が咲いたように信夫が微笑んだ。
「おかえりなさい、あゆたさん。随分遅かったですね」
娘の夜遊びを見咎める親のような口調にあゆたは口をひん曲げる。
「信夫……、ただいま」
信夫は近づていくるあゆたを頭のてっぺんから爪先までじろじろとみやった。一頻りあゆたを眺めた後、やっと信夫は満足したように頷いた。
「ご無事でなにより。僕もさっき帰ったばかりなんです。今日は朝からお会いできなかったので、ご機嫌伺いにまいりました」
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信夫の笑っている薄く緑色を帯びた双眸は不機嫌そうだった。八月一日宮はアルファだから気を付けろと忠告されていたのに、一緒に出掛けたのが気に食わないのだろう。
「ありがとう、服」
「いいえ、どうせ着ない服ですし。あゆたさんにはサイズがぴったりですね。差し上げますよ」
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「……嫌味かよ」
あゆたが拗ねて唇を尖らせると、今度こそ信夫はふっと空気を緩めた。どういう機微なのか、信夫の機嫌は直ったらしい。
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