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103.本当の意味を知らなかった

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「そうです。そういうひどいことをあなたが実行しようとしたじゃないですか」

 八月一日宮の声は今まで聞いたことのないような冷たさを孕んでいた。
 蜂須賀の好意が彼の逆鱗に触れのだと、あゆたにも察せられた。

「故意にフェロモンを出すなんて、どういう結果になるか。知らないとは言わせない」

 蜂須賀の軽率さを責める八月一日宮は容赦なかった。

「二度と顔も見たくない。失礼します」
「……八月一日宮くん!」

 蜂須賀が悲鳴を上げた。

 ふっと威圧が緩んだ気がした。

 どっと背中に汗が出た。かたかたとまだ震えを止められない足を叱咤して、あゆたはよろよろと後退った。

「これだからオメガは……」

 八月一日宮は我慢ならないというふうに吐き捨てた。

 むき出しの嫌悪が匂い立った。

 あゆたは殴られたようなショックを受けた。

『これだからオメガは』

 八月一日宮がそう言った事実こそが胸を刺した。

 いつもあゆたに優しかった八月一日宮を、初めてあゆたは怖いと思った。

 梅渓に引き取られて、あゆたは様々な悪意をぶつけられてきた。いちいち泣いていては身が持たない。泣いても、平気な顔をしていても責められる。

 傷つきはするが、いなすことを憶えていくうちにあゆたは感覚を麻痺させていった。それにあゆたを責めるのはあゆたにとって他人であることが多い。

 大事な人、好きな人に嫌われていなければいいと、感情を鈍くさせるのに時間がかからなかった。
 
 だが八月一日宮は違う。
 
 こうなって初めて、あゆたは八月一日宮を自分の懐の深いところまで招き入れていたことに気づいた。
 
 切り捨てるような凍てついた、嫌悪するというよりは憎んでいるような口調だった。
 
 オメガが嫌いらしいというのは知っていた。しかしじかに耳にしてしまって、思ったよりも衝撃が大きかった。

(だめだ、ここにいたらだめだ)

 恐れと悲しさ、後ろめたさはない交ぜになってあゆたを揺さぶる。膝が笑いそうになりながら、あゆたはまた一歩後ろへ下がった。

(はやく、はやく)

 焦るあゆたを嘲うように、反対のドアが勢いよく開いた。

 おしまいだ。

 あゆたは目を見開いたまま、八月一日宮が廊下に出てきたのを凝視していた。

 顔を険しくさせた八月一日宮は、ふっとこちらに視線を投げた。立ち尽くすあゆたを捉えた途端、八月一日宮は呆気にとられたように動きを止めた。

「あゆたさん……?」


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