金色の恋と愛とが降ってくる

鳩かなこ

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135.すり抜ける幸せでも、背骨になって支えている

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 あゆたはぐっと奥歯を噛んだ。

 花瓶には色鮮やかなケイトウの花束が活けてあった。

(全然、気付かなかった……)

 草花を愛するあゆたなら、いつもだったらすぐに目に入っただろう。それだけ窮していたということだ。どれだけ視界が閉ざされていたのか。

 オレンジヤやピンク、赤。派手なのは八月一日宮と同じだ。刈り上げた首筋のすっきりとした後ろ姿。金色の髪がきらきら揺れてあゆたを振り返る笑顔。万華鏡のように色んな色を纏って八月一日宮との記憶が溢れた。
あゆたは頬を震えさせた。まるで暗い海にぽつんと灯った漁火のようだった。

『あなたが夢中になって話しているの、好きですよ』

 ケイトウの鮮やかさは、あの日の八月一日宮の笑顔を思い出させた。早口になるあゆたをせせら笑うことなく、八月一日宮は楽しそうに言ってくれた。楽しいお出かけ。庭を歩いた午後。おいしいお蕎麦の湯気のむこうにいたひと。

(八月一日宮……)

 そうだ。

 暗いばかりの日々ではなかった。
 
 初恋は実らないのが定石でも、八月一日宮が誰かと恋をしても、八月一日宮と一緒に過ごした時間は消えない。あゆたを尊敬していると言ってくれた事実も。
 
 幸せは指の間をすり抜けていく。自分一人で歩いて行かなければならない。

 しかしその一人きりの道を支えてくれる、確かなものは永遠に胸に残り続ける。
 
 涙が出そうになった。

 そんなことも思い出せなかったなんて。
 
 あゆたは両手で顔をごしごしこすった。ぱんと音が出るほど両手で頬を叩いた。

「がんばれ、がんばれ……」

 あゆたは自分に暗示をかけるように小さく言った。

 生きるのが辛い。生きていても邪魔にされるだけ。
 
 でもたった一人、八月一日宮は先輩としてのあゆたを好きだと、尊敬していると言ってくれたのだ。その一言が背骨になってあゆたの背筋をしゃんと伸ばしてくれた。

 華奢で非力なオメガが多いなか、肉体労働をしてきたあゆたは比較的上背もあるし力も強い。

 死に物狂いで抵抗すれば、この場はやり過ごせるかもしれない。こちらも無傷では済まないだろうが、何かしないで諾々と流されるままに押し通されるのも嫌だ。

 顔を潰された信善は怒り狂うだろう。後から折檻されるに違いない。

 怖い。肉体的暴力も恐ろしいが、心を殺されるのも怖かった。

 これで駄目だったら、もうどうしようもない。

 抵抗してすべてをやり尽くして、それでも駄目だったのだと諦める為の反抗かもしれない。
 
 怖い。
 
 震えながら、あゆたはふらふらと立ち上がった。
 
 ちろりと見やった壁掛け時計。ずっと自失していたので、信善の言っていた時間まで、既に十五分もなかった。

 スツールを持ち上げる。軽い。あゆたはスツールの脚をぎゅっと握りしめた。

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