161 / 202
160.過去が過去になる
しおりを挟む
「幸せ……」
間近で見る八月一日宮の目はあゆたを肯定するように瞬いた。
「それにあなたのお母様も幸せだったに決まってます」
あゆたは息を飲んだ。
驚きに固まるあゆたの背中を宥めるように八月一日宮は撫でた。
「あなたは花や木を愛情をもって育てるでしょう? 時間もかかるし、忍耐が必要なことはあなたが教えてくれたので知ってます。大変なことも多い。それでもあゆたさんは愛することはやめられない」
八月一日宮は優しく微笑みながらあゆたの顔を覗き込んでくる。
「人間の、赤ん坊を育てるのはもっと大変なはずです。あなたを授かって、お母さまもおばあさまも、愛情をもってあなたを育てられたんだ。ここに、こうやってあなたが生きていることが何よりの証拠です。赤ん坊のあなたがいて、お母さまは幸せだったに違いありません」
ずっと思っていた。
母は不幸ではなかったのだろうか。
あゆたを生んで、不幸ではなかったのだろうか。
あゆたは母の不幸の源ではなかったろうか。
ない交ぜになって繭のようにあゆたを絡めとっていた疑念が、するりとほどけいていった。
母は苦労した。やっと芸妓として独り立ちしそうだという時に、大旦那様に出会った。本能という引力に押し流され、結果的にあゆたを宿した。
しかし巡り合わせが悪かった。母は身分が違い過ぎる、ご家族に申し訳ないと、日陰者として囲われることを潔しとしなかった。妊娠を知らせずに、縁を切ってあゆたを生んだ。
母の死を耳に挟んでしまってやもたてもたまらずお弔いに来た日、大旦那様はあゆたを初めて見たという。
自分が亡くなる間際に連絡してきた祖母へ、大旦那様は白状したそうだ。
母にそっくりの男の子に、大旦那様は激しい嫉妬に悶えた。大旦那様は母を運命の番だと信じていた。母は、運命のひとは自分以外の誰かと子を生したのだと、そう思い込んでしまったのだという。
母の死とあゆたの存在に衝撃を受けた彼は、形ばかりのお悔やみを口にして逃げ帰った。
事実を確認する意気地がなかったのだと、彼は自身をそう断じた。そうやって離れ離れになって途切れるはずの縁が、再び結ばれたのは祖母のおかげだと感謝していたそうだ。
悔恨と未練、失くした恋へのノスタルジー。贖罪の意味もあっただろう。大旦那様のあゆたへ注がれる眼差しは、いつも温かさに満ちていた。
優しい黒い目はいつも遠くを見ていた。あゆたのむこうに、大旦那様は母を見つめていた。
間近で見る八月一日宮の目はあゆたを肯定するように瞬いた。
「それにあなたのお母様も幸せだったに決まってます」
あゆたは息を飲んだ。
驚きに固まるあゆたの背中を宥めるように八月一日宮は撫でた。
「あなたは花や木を愛情をもって育てるでしょう? 時間もかかるし、忍耐が必要なことはあなたが教えてくれたので知ってます。大変なことも多い。それでもあゆたさんは愛することはやめられない」
八月一日宮は優しく微笑みながらあゆたの顔を覗き込んでくる。
「人間の、赤ん坊を育てるのはもっと大変なはずです。あなたを授かって、お母さまもおばあさまも、愛情をもってあなたを育てられたんだ。ここに、こうやってあなたが生きていることが何よりの証拠です。赤ん坊のあなたがいて、お母さまは幸せだったに違いありません」
ずっと思っていた。
母は不幸ではなかったのだろうか。
あゆたを生んで、不幸ではなかったのだろうか。
あゆたは母の不幸の源ではなかったろうか。
ない交ぜになって繭のようにあゆたを絡めとっていた疑念が、するりとほどけいていった。
母は苦労した。やっと芸妓として独り立ちしそうだという時に、大旦那様に出会った。本能という引力に押し流され、結果的にあゆたを宿した。
しかし巡り合わせが悪かった。母は身分が違い過ぎる、ご家族に申し訳ないと、日陰者として囲われることを潔しとしなかった。妊娠を知らせずに、縁を切ってあゆたを生んだ。
母の死を耳に挟んでしまってやもたてもたまらずお弔いに来た日、大旦那様はあゆたを初めて見たという。
自分が亡くなる間際に連絡してきた祖母へ、大旦那様は白状したそうだ。
母にそっくりの男の子に、大旦那様は激しい嫉妬に悶えた。大旦那様は母を運命の番だと信じていた。母は、運命のひとは自分以外の誰かと子を生したのだと、そう思い込んでしまったのだという。
母の死とあゆたの存在に衝撃を受けた彼は、形ばかりのお悔やみを口にして逃げ帰った。
事実を確認する意気地がなかったのだと、彼は自身をそう断じた。そうやって離れ離れになって途切れるはずの縁が、再び結ばれたのは祖母のおかげだと感謝していたそうだ。
悔恨と未練、失くした恋へのノスタルジー。贖罪の意味もあっただろう。大旦那様のあゆたへ注がれる眼差しは、いつも温かさに満ちていた。
優しい黒い目はいつも遠くを見ていた。あゆたのむこうに、大旦那様は母を見つめていた。
14
あなたにおすすめの小説
【完結】愛されたかった僕の人生
Kanade
BL
✯オメガバース
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。
今日も《夫》は帰らない。
《夫》には僕以外の『番』がいる。
ねぇ、どうしてなの?
一目惚れだって言ったじゃない。
愛してるって言ってくれたじゃないか。
ねぇ、僕はもう要らないの…?
独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。
完結|好きから一番遠いはずだった
七角@書籍化進行中!
BL
大学生の石田陽は、石ころみたいな自分に自信がない。酒の力を借りて恋愛のきっかけをつかもうと意気込む。
しかしサークル歴代最高イケメン・星川叶斗が邪魔してくる。恋愛なんて簡単そうなこの後輩、ずるいし、好きじゃない。
なのにあれこれ世話を焼かれる。いや利用されてるだけだ。恋愛相手として最も遠い後輩に、勘違いしない。
…はずだった。
【完結】君を上手に振る方法
社菘
BL
「んー、じゃあ俺と付き合う?」
「………はいっ?」
ひょんなことから、入学して早々距離感バグな見知らぬ先輩にそう言われた。
スクールカーストの上位というより、もはや王座にいるような学園のアイドルは『告白を断る理由が面倒だから、付き合っている人がほしい』のだそう。
お互いに利害が一致していたので、付き合ってみたのだが――
「……だめだ。僕、先輩のことを本気で……」
偽物の恋人から始まった不思議な関係。
デートはしたことないのに、キスだけが上手くなる。
この関係って、一体なに?
「……宇佐美くん。俺のこと、上手に振ってね」
年下うさぎ顔純粋男子(高1)×精神的優位美人男子(高3)の甘酸っぱくじれったい、少しだけ切ない恋の話。
✧毎日2回更新中!ボーナスタイムに更新予定✧
✧お気に入り登録・各話♡・エール📣作者大歓喜します✧
〈完結〉【書籍化・取り下げ予定】「他に愛するひとがいる」と言った旦那様が溺愛してくるのですが、そういうのは不要です
ごろごろみかん。
恋愛
「私には、他に愛するひとがいます」
「では、契約結婚といたしましょう」
そうして今の夫と結婚したシドローネ。
夫は、シドローネより四つも年下の若き騎士だ。
彼には愛するひとがいる。
それを理解した上で政略結婚を結んだはずだったのだが、だんだん夫の様子が変わり始めて……?
この噛み痕は、無効。
ことわ子
BL
執着強めのαで高校一年生の茜トキ×αアレルギーのβで高校三年生の品野千秋
α、β、Ωの三つの性が存在する現代で、品野千秋(しなのちあき)は一番人口が多いとされる平凡なβで、これまた平凡な高校三年生として暮らしていた。
いや、正しくは"平凡に暮らしたい"高校生として、自らを『αアレルギー』と自称するほど日々αを憎みながら生活していた。
千秋がαアレルギーになったのは幼少期のトラウマが原因だった。その時から千秋はαに対し強い拒否反応を示すようになり、わざわざαのいない高校へ進学するなど、徹底してαを避け続けた。
そんなある日、千秋は体育の授業中に熱中症で倒れてしまう。保健室で目を覚ますと、そこには親友の向田翔(むこうだかける)ともう一人、初めて見る下級生の男がいた。
その男と、トラウマの原因となった人物の顔が重なり千秋は混乱するが、男は千秋の混乱をよそに急に距離を詰めてくる。
「やっと見つけた」
男は誰もが見惚れる顔でそう言った。
春風の香
梅川 ノン
BL
名門西園寺家の庶子として生まれた蒼は、病弱なオメガ。
母を早くに亡くし、父に顧みられない蒼は孤独だった。
そんな蒼に手を差し伸べたのが、北畠総合病院の医師北畠雪哉だった。
雪哉もオメガであり自力で医師になり、今は院長子息の夫になっていた。
自身の昔の姿を重ねて蒼を可愛がる雪哉は、自宅にも蒼を誘う。
雪哉の息子彰久は、蒼に一心に懐いた。蒼もそんな彰久を心から可愛がった。
3歳と15歳で出会う、受が12歳年上の歳の差オメガバースです。
オメガバースですが、独自の設定があります。ご了承ください。
番外編は二人の結婚直後と、4年後の甘い生活の二話です。それぞれ短いお話ですがお楽しみいただけると嬉しいです!
【運命】に捨てられ捨てたΩ
あまやどり
BL
「拓海さん、ごめんなさい」
秀也は白磁の肌を青く染め、瞼に陰影をつけている。
「お前が決めたことだろう、こっちはそれに従うさ」
秀也の安堵する声を聞きたくなく、逃げるように拓海は音を立ててカップを置いた。
【運命】に翻弄された両親を持ち、【運命】なんて言葉を信じなくなった医大生の拓海。大学で入学式が行われた日、「一目惚れしました」と眉目秀麗、頭脳明晰なインテリ眼鏡風な新入生、秀也に突然告白された。
なんと、彼は有名な大病院の院長の一人息子でαだった。
右往左往ありながらも番を前提に恋人となった二人。卒業後、二人の前に、秀也の幼馴染で元婚約者であるαの女が突然現れて……。
前から拓海を狙っていた先輩は傷ついた拓海を慰め、ここぞとばかりに自分と同居することを提案する。
※オメガバース独自解釈です。合わない人は危険です。
縦読みを推奨します。
【完結】恋した君は別の誰かが好きだから
花村 ネズリ
BL
本編は完結しました。後日、おまけ&アフターストーリー随筆予定。
青春BLカップ31位。
BETありがとうございました。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
俺が好きになった人は、別の誰かが好きだからーー。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
二つの視点から見た、片思い恋愛模様。
じれきゅん
ギャップ攻め
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる