18 / 105
学園編
閑話 それぞれの思い
しおりを挟む
side.メトル
レイジスとの密会から部屋に戻ってくしゃりと髪をかき上げる。
思ったよりもレイジスがまともでよかった。噂に聞いていたままだったら、とも思ったがそれはそれである意味いい結果だっただろう。
テラスで見た時もそうだったが、見た目はまぁイラストそのままだったからさして動揺もせずいられたがその中身が予想よりもはるかに幼いことに動揺した。密会も断られること覚悟で行ったがまさかあっさりと会ってくれるとは思わなかったが。
それもそうか。レイジスはこのゲームをプレイしたことがないと言っていたのだから。会ったのも情報が欲しいからだろう。
それは俺も同様なので嫌な気分にはならない。俺も『レイジス』に関する情報が欲しかったのだから。
(それにしても…)
ドアを開けた瞬間、うさぎの耳を付けたフードを被った愛らしい人形が目の前にいたらビビるだろ。
それにイラストとは違い、きょとんとしている表情は歳よりも幼く庇護欲を掻きたてた。
(ぬいぐるみを抱いてたらもっと可愛いんだろうな)
うさぎ耳だったから、うさぎのぬいぐるみを抱いてほわほわと笑うレイジス。スチルにはない笑みを浮かべている画が俺の目の前に広がる。ってなにやってんだ。
ぱっぱっとそれを手で空中を払うと、ほわほわとしているレイジスを思い出す。
『この世界に来たら精神が幼くなった…気がするんだ…』
そう瞳を伏せて話すレイジスの言葉に思い当たることはある。そして病弱になったとも言っていた。
転生したキャラが前世に引っ張られることはあるはずだ。そういったものを俺も読んだことがある。だが『逆』はどうなのだろうか。
元々のキャラに転生者が引っ張られる。
ない、とも言えないが少ないことは確かだ。だがレイジスには『前世の記憶がない』。
ならばその可能性はゼロではない。
開発以外の人間が知る由もないレイジスの設定は細かく、もちろん過去についても設定されている。
その中に10歳ほどまでは『病弱』だと書かれていた。だからフリードリヒが毎日見舞いに行き、ぬいぐるみや花などをプレゼントしていた。幼いレイジスが両親や使用人たち以外の人で、知っているのはフリードリヒだけ。後にアルシュ、ノア、リーシャと出会うが。
だがプレイしたこともない人間がそれを知ることは不可能に近い。
(レイジスに転生したのが開発の人間…?)
いや。そんな偶然は自分だけだろう。
偶然は重なりすぎると必然に変わる。
なら。
いや。やめておこう。これ以上は考えても無駄だ。
それに。
開発の人間しかしらない、レイジスが隣国カマルリアへと嫁いでいった後日談。
あれがゲームのままならば大変マズイ。まずいどころの騒ぎではない。
しかしそれをうっかりと開発の人間がSNSで呟き炎上した。あの時ほど人間を強く恨んだことはない。だがその人間も今はいない。
それを回避するにはレイジスとの共闘がカギになる。これはゲームと同じだ。
“裏ルート”はレイジスがカギになる。
彼の行く末で攻略者も、この国も大きく左右される。
それ程までに重要な役割を持っているのだ。知らないのは本人だけだが。
だからこそ『プレイをしていない人間』が選ばれたのだろう。それを知っていてかつ面白半分でこの“裏ルート”以外へと突入すればどうなるか。
想像するだけで寒気がする。
この国が煙と瓦礫。そして――。
いや。これ以上は考えないようにしよう。ふる、と頭を振って想像を振り払う。
「フリードリヒ。頼む。何があってもレイジスの手を離さないでくれよ」
それは願いであり、祈り。
前世でもほとんど神頼みをすることのなかった俺がつい神様にまで頼るくらいのもの。
闇夜に浮かぶ銀の月に祈りをささげる俺はきっと『それ』から見て滑稽に映るのだろう。
■■■
side.ソルゾ
「レイジス・ユアソーンの家庭教師を頼まれてはくれないか」
そう言われたのは一ヶ月ほど前。フリードリヒ・ヴァル・ウィンシュタンからの頼みだった。
それを受けた時は「正気ですか?」と問うてしまうくらいには動揺していた。
なんせあのレイジスだ。フリードリヒ殿下の婚約者だが、極度の人間嫌いで姿を見ただけで物を投げる、魔法を放つという危険極まりないことをしでかす。知性のない魔物と言っても過言ではない。
そんな理性もない人間という形をしただけの『物』に知性を与えろとおっしゃった時には本気で見限ろうとさえした。
だが暗くいつも絶望を背負っていたフリードリヒ殿下がある日を境に明るく、希望に満ちた表情へと変わった。それがあのレイジスがまたもや豹変したためと聞いた時には、眉を寄せてしまった。
約六年。フリードリヒ殿下を苦しませ続けたレイジスが私には許せなかった。
レイジスがああなったのは自分のせいだと責め続け、周りからも冷たく失望された視線をただ一人受け続けた。
そんなレイジスがまたもや豹変した。それだけで信じられなかった。
だがフリードリヒ殿下の変わりようがそれが本当だと知らしめた。だからそれを引き受けた。
私の目で見なければ信じられなかったからだ。
宮廷魔導士団、副団長の私に声をかけられたのも恐らくレイジスに魔術を教えるためだろう。だが、それにしては不可解なことだと眉を寄せた。
彼は『魔法』が使えるのではなかったのか?
それなのに私に声がかかるとはどういうことなのか。
ついに精神を病んでしまわれたのかとさえ思ったが、あの日。そう、レイジス・ユアソーンに会った時全てがひっくり返った。
「氷魔法か」
氷魔法を封じた魔石。白く、ひんやりと冷気が溢れているそれを見つめていると、ひょいっとそれを奪われた。
「なんだ? さすがの宮廷魔導士さんも若者に先を越されて悔しいのか?」
ん?とにやにやしながら私を見るのはハーミット・ブレイブ。騎士団の副団長なんぞをしている。
川で凶暴と名高いアンギーユを「食べる」と言い出したレイジスに瞳を丸くしたのはつい最近。貴族の彼が平民と一緒になって「勿体ない!」だの「美味しいものを食べるのに身分など関係ない!」と力説したことに瞳を丸くしたのは私だけではないだろう。
平民からたたき上げで騎士団副団長まで上り詰めたハーミットも言葉を失っていた。
まさかあんなことを言う貴族がいるとは思わなかったからだ。私もハーミットも元平民。その為、貴族からは嫌がらせを受けることが多かった。その度に苦言を告げたのがフリードリヒ殿下だった。
だからこそ私の持てる知識や技術を殿下に教えることを厭わなかった。そんな私が殿下以外にそうしたいと思わせてくれるレイジスがいや、レイジス様が本当に変わったのだと実感した。
「ああ。そうだな」
魔石から属性が漏れ出すことなどほとんどない。そう、殆ど。だがその封じられた魔法が強くあればあるほどたまにこうして属性が漏れることがある。
つまりレイジス様の魔法は強く、それでいて完璧なのだ。
宮廷魔導士でも氷魔法を完璧に扱える魔導士は少ない。しかもそれを会得するまでに数年、下手をすれば数十年努力に努力を重ねた結果なのだ。それをたった数時間で会得したレイジス様を同じ魔導士であるリーシャが尊敬のまなざしで見ていた。たぶん私も傍から見ればそうなっていただろう。
なんせ氷魔法など初めて見たのだから。しかも学園の魔石はいわゆるクズ石と呼ばれるもの。初心者用のものだが、この石は少しでも封じ込める魔法の力加減を間違えれば割れてしまう脆さなのだ。それなのにレイジス様は崩れる寸前まで魔法を注いだ。これができる宮廷魔導士は何人いるだろうか。
更に提案された魔法。氷魔法の応用だが笑いながら初めてでもやってのけるその魔力の高さと制御の緻密さに脱帽した。
私はこの子の足元にも及ばない。
そう実力を見せつけられた。
だが悔しさよりも、どこまで成長するかの方が楽しみになった。三種複合魔法をあそこまで完璧に使いこなす魔術師はこの国にはいないだろう。
だからこそ隠すことにしたのだ。そんなことを報告してしまったら何かと理由を付けて実験と称し使い倒されてしまう。
それにレイジス様自身、記憶が曖昧だということもあり素直に何でも言うことを聞いてしまう傾向があった。だからこそ殿下やアルシュ、ノア、リーシャが側にいる。
それをレイジス様は理解していないようでニコニコとされているが。
「けどもう悔しいという感情も湧かないよ」
「ふぅー…ん」
ここまで実力差があるのだから悔しいなどという感情よりも尊敬の感情の方が強い。
リーシャが言っていた光の浄化魔法のこともそうだ。あれも聖職者が何十年と祈りをささげようやく会得できるというもの。それをレイジス様がやってのけたのを見て試したらできたというのだから私は唖然とするしかなかった。
…まぁ私もあの夜こっそりと「お清め!」と叫んで手を叩いたら、できてしまったのだけれども。
くるくると氷の魔石を摘まみ角度を変えながら見ているハーミットが「そういえば」と言葉を続ける。
「あのレイジス・ユアソーンは本人なのか?」
「もう一人いらっしゃれば違うと言えるな」
アンギーユ騒動で意図せず引き合わせてしまったが、レイジス様が思いの外社交的だったためかすんなりと仲良くなっていたと思ったが…。普通はそうなるよな。
あのレイジス様があんなにも大人しく、穏やかだと知ってしまった今では。
「…なぁ」
「なんだ?」
「これ、使えるのか?」
「使えるぞ。それも大して制御はいらない程に」
私の説明にハーミットは「へぇ」と口元を大きくゆがめる。魔法が得意でないこの男は魔石を使うことがほとんどだ。だからこそ、この魔石のすごさに気付いているのだろう。
「なら、いっちょ試してぇもんだ」
「そうそう機会があるとは…っとリーシャ?」
話し込んでいる所にリーシャがこちらに向かって走ってくる。それに瞬きをすると、氷の魔石を試す機会が早々に訪れたことに私は苦笑いを浮かべた。
■■■
side.フリードリヒ
「『大好き』か」
くうくうと眠るレイジスの頬に唇を落としてブレス・オブ・スプリング色の髪をさらりと払う。
先日テラスで昼食をとっていた時に現れた男子生徒。その生徒がレイジスと密室で二人きりで話をしているという報告が入った瞬間、目の前が真っ赤に染まった。
アルシュの言葉も聞かず、部屋を飛び出しレイジスの部屋へと急げばグレープフルーツ・グリーンの瞳からはらはらと涙がこぼれ落ちていた。それにカッとなりつい大声で相手に噛み付けば、レイジスがそいつを―メトルをかばった。
なぜ、どうしてという感情が湧きあがったが「ごめんなさい」という言葉が込められた瞳に見つめられれば何も言えなくなった。
だがメトルの「レイジスが大事ならば、絶対に手を離さないでくださいね」という言葉がやけに引っかかった。
そんなことは分かっている。あいつに言われなくてもそうする。
もちもちとしている頬を撫でてやれば「んむぅ」とむずがるように口が動く。ささくれだった気持ちがそれだけで穏やかになる。
それについ頬を緩めればあの頃のレイジスが戻ってきたのだという高揚が抑えきれない。
レイジスの『大好き』は『愛してる』の代わりだと知っているのは私だけ。
そう、私だけなのだ。
アルシュもノアもリーシャも知らない。
私だけしか知らないのだ。
子供の頃のあの告白を覚えてくれていた。それだけで身体が震える。
たまらずレイジスを抱き締めその頭に口付ける。ああ、口付けても口付けても足りない!
お互い高ぶったものの処理をしないのは、レイジスの知識がまだそこまでないからだ。約六年間の知識を詰め込むだけで精一杯で、そちらの知識まで教える時間がなかった。
それでも卒業までの知識をソルゾがそれとなく教えたから、知識としてはもう問題はない。それに魔法に関してもテストなどと言うものを受けなくても卒業はできる。二種複合魔法を使えるというだけで卒業しているのと同位なのだから。
そちらの知識がないために身体に触れるたびに助けを求めるのだ。だからこそゆっくりと教えることにしたのだが…。やはりレイジスを前にすると自制が効かない。今日はキスだけで済んだが次はどうなるか…。
それに高ぶったものは私の浄化魔法で『なかったこと』にした。
そう、レイジスの首筋と項につけたキスマークと噛み痕以外は。
私の婚約者に手を出すということはそれだけで命を取られてもおかしくはない。だが本当にメトルはレイジスに手は出していなかったようだ。
手を出していたらピアスの色が変わるのだから。
左のピアスが付いていない耳朶にも軽く噛み付き跡を残す。これは直ぐに消えてしまうだろう。ただの自己満足だ。
素直に大人しく穏やかになったレイジスは、その色香が辺りに撒かれていることを理解しているのだろうか。いや、していないからあんな変なものに捕まるのだ。
ああ、やはり私が側にいなければ。
本当なら誰にも見られることなくこの部屋に閉じ込めておきたい。だがそれではレイジスの為にはならない。
本や知識だけでは得られないことをさせなければならない。だが誰にも見せたくない。
そんな矛盾を抱えながら、眠るレイジスを抱きしめる。
可愛い可愛い、私のレイジス。
私だけの、レイジス。
どうか。どうか。
私の腕から消えないでおくれ。
レイジスとの密会から部屋に戻ってくしゃりと髪をかき上げる。
思ったよりもレイジスがまともでよかった。噂に聞いていたままだったら、とも思ったがそれはそれである意味いい結果だっただろう。
テラスで見た時もそうだったが、見た目はまぁイラストそのままだったからさして動揺もせずいられたがその中身が予想よりもはるかに幼いことに動揺した。密会も断られること覚悟で行ったがまさかあっさりと会ってくれるとは思わなかったが。
それもそうか。レイジスはこのゲームをプレイしたことがないと言っていたのだから。会ったのも情報が欲しいからだろう。
それは俺も同様なので嫌な気分にはならない。俺も『レイジス』に関する情報が欲しかったのだから。
(それにしても…)
ドアを開けた瞬間、うさぎの耳を付けたフードを被った愛らしい人形が目の前にいたらビビるだろ。
それにイラストとは違い、きょとんとしている表情は歳よりも幼く庇護欲を掻きたてた。
(ぬいぐるみを抱いてたらもっと可愛いんだろうな)
うさぎ耳だったから、うさぎのぬいぐるみを抱いてほわほわと笑うレイジス。スチルにはない笑みを浮かべている画が俺の目の前に広がる。ってなにやってんだ。
ぱっぱっとそれを手で空中を払うと、ほわほわとしているレイジスを思い出す。
『この世界に来たら精神が幼くなった…気がするんだ…』
そう瞳を伏せて話すレイジスの言葉に思い当たることはある。そして病弱になったとも言っていた。
転生したキャラが前世に引っ張られることはあるはずだ。そういったものを俺も読んだことがある。だが『逆』はどうなのだろうか。
元々のキャラに転生者が引っ張られる。
ない、とも言えないが少ないことは確かだ。だがレイジスには『前世の記憶がない』。
ならばその可能性はゼロではない。
開発以外の人間が知る由もないレイジスの設定は細かく、もちろん過去についても設定されている。
その中に10歳ほどまでは『病弱』だと書かれていた。だからフリードリヒが毎日見舞いに行き、ぬいぐるみや花などをプレゼントしていた。幼いレイジスが両親や使用人たち以外の人で、知っているのはフリードリヒだけ。後にアルシュ、ノア、リーシャと出会うが。
だがプレイしたこともない人間がそれを知ることは不可能に近い。
(レイジスに転生したのが開発の人間…?)
いや。そんな偶然は自分だけだろう。
偶然は重なりすぎると必然に変わる。
なら。
いや。やめておこう。これ以上は考えても無駄だ。
それに。
開発の人間しかしらない、レイジスが隣国カマルリアへと嫁いでいった後日談。
あれがゲームのままならば大変マズイ。まずいどころの騒ぎではない。
しかしそれをうっかりと開発の人間がSNSで呟き炎上した。あの時ほど人間を強く恨んだことはない。だがその人間も今はいない。
それを回避するにはレイジスとの共闘がカギになる。これはゲームと同じだ。
“裏ルート”はレイジスがカギになる。
彼の行く末で攻略者も、この国も大きく左右される。
それ程までに重要な役割を持っているのだ。知らないのは本人だけだが。
だからこそ『プレイをしていない人間』が選ばれたのだろう。それを知っていてかつ面白半分でこの“裏ルート”以外へと突入すればどうなるか。
想像するだけで寒気がする。
この国が煙と瓦礫。そして――。
いや。これ以上は考えないようにしよう。ふる、と頭を振って想像を振り払う。
「フリードリヒ。頼む。何があってもレイジスの手を離さないでくれよ」
それは願いであり、祈り。
前世でもほとんど神頼みをすることのなかった俺がつい神様にまで頼るくらいのもの。
闇夜に浮かぶ銀の月に祈りをささげる俺はきっと『それ』から見て滑稽に映るのだろう。
■■■
side.ソルゾ
「レイジス・ユアソーンの家庭教師を頼まれてはくれないか」
そう言われたのは一ヶ月ほど前。フリードリヒ・ヴァル・ウィンシュタンからの頼みだった。
それを受けた時は「正気ですか?」と問うてしまうくらいには動揺していた。
なんせあのレイジスだ。フリードリヒ殿下の婚約者だが、極度の人間嫌いで姿を見ただけで物を投げる、魔法を放つという危険極まりないことをしでかす。知性のない魔物と言っても過言ではない。
そんな理性もない人間という形をしただけの『物』に知性を与えろとおっしゃった時には本気で見限ろうとさえした。
だが暗くいつも絶望を背負っていたフリードリヒ殿下がある日を境に明るく、希望に満ちた表情へと変わった。それがあのレイジスがまたもや豹変したためと聞いた時には、眉を寄せてしまった。
約六年。フリードリヒ殿下を苦しませ続けたレイジスが私には許せなかった。
レイジスがああなったのは自分のせいだと責め続け、周りからも冷たく失望された視線をただ一人受け続けた。
そんなレイジスがまたもや豹変した。それだけで信じられなかった。
だがフリードリヒ殿下の変わりようがそれが本当だと知らしめた。だからそれを引き受けた。
私の目で見なければ信じられなかったからだ。
宮廷魔導士団、副団長の私に声をかけられたのも恐らくレイジスに魔術を教えるためだろう。だが、それにしては不可解なことだと眉を寄せた。
彼は『魔法』が使えるのではなかったのか?
それなのに私に声がかかるとはどういうことなのか。
ついに精神を病んでしまわれたのかとさえ思ったが、あの日。そう、レイジス・ユアソーンに会った時全てがひっくり返った。
「氷魔法か」
氷魔法を封じた魔石。白く、ひんやりと冷気が溢れているそれを見つめていると、ひょいっとそれを奪われた。
「なんだ? さすがの宮廷魔導士さんも若者に先を越されて悔しいのか?」
ん?とにやにやしながら私を見るのはハーミット・ブレイブ。騎士団の副団長なんぞをしている。
川で凶暴と名高いアンギーユを「食べる」と言い出したレイジスに瞳を丸くしたのはつい最近。貴族の彼が平民と一緒になって「勿体ない!」だの「美味しいものを食べるのに身分など関係ない!」と力説したことに瞳を丸くしたのは私だけではないだろう。
平民からたたき上げで騎士団副団長まで上り詰めたハーミットも言葉を失っていた。
まさかあんなことを言う貴族がいるとは思わなかったからだ。私もハーミットも元平民。その為、貴族からは嫌がらせを受けることが多かった。その度に苦言を告げたのがフリードリヒ殿下だった。
だからこそ私の持てる知識や技術を殿下に教えることを厭わなかった。そんな私が殿下以外にそうしたいと思わせてくれるレイジスがいや、レイジス様が本当に変わったのだと実感した。
「ああ。そうだな」
魔石から属性が漏れ出すことなどほとんどない。そう、殆ど。だがその封じられた魔法が強くあればあるほどたまにこうして属性が漏れることがある。
つまりレイジス様の魔法は強く、それでいて完璧なのだ。
宮廷魔導士でも氷魔法を完璧に扱える魔導士は少ない。しかもそれを会得するまでに数年、下手をすれば数十年努力に努力を重ねた結果なのだ。それをたった数時間で会得したレイジス様を同じ魔導士であるリーシャが尊敬のまなざしで見ていた。たぶん私も傍から見ればそうなっていただろう。
なんせ氷魔法など初めて見たのだから。しかも学園の魔石はいわゆるクズ石と呼ばれるもの。初心者用のものだが、この石は少しでも封じ込める魔法の力加減を間違えれば割れてしまう脆さなのだ。それなのにレイジス様は崩れる寸前まで魔法を注いだ。これができる宮廷魔導士は何人いるだろうか。
更に提案された魔法。氷魔法の応用だが笑いながら初めてでもやってのけるその魔力の高さと制御の緻密さに脱帽した。
私はこの子の足元にも及ばない。
そう実力を見せつけられた。
だが悔しさよりも、どこまで成長するかの方が楽しみになった。三種複合魔法をあそこまで完璧に使いこなす魔術師はこの国にはいないだろう。
だからこそ隠すことにしたのだ。そんなことを報告してしまったら何かと理由を付けて実験と称し使い倒されてしまう。
それにレイジス様自身、記憶が曖昧だということもあり素直に何でも言うことを聞いてしまう傾向があった。だからこそ殿下やアルシュ、ノア、リーシャが側にいる。
それをレイジス様は理解していないようでニコニコとされているが。
「けどもう悔しいという感情も湧かないよ」
「ふぅー…ん」
ここまで実力差があるのだから悔しいなどという感情よりも尊敬の感情の方が強い。
リーシャが言っていた光の浄化魔法のこともそうだ。あれも聖職者が何十年と祈りをささげようやく会得できるというもの。それをレイジス様がやってのけたのを見て試したらできたというのだから私は唖然とするしかなかった。
…まぁ私もあの夜こっそりと「お清め!」と叫んで手を叩いたら、できてしまったのだけれども。
くるくると氷の魔石を摘まみ角度を変えながら見ているハーミットが「そういえば」と言葉を続ける。
「あのレイジス・ユアソーンは本人なのか?」
「もう一人いらっしゃれば違うと言えるな」
アンギーユ騒動で意図せず引き合わせてしまったが、レイジス様が思いの外社交的だったためかすんなりと仲良くなっていたと思ったが…。普通はそうなるよな。
あのレイジス様があんなにも大人しく、穏やかだと知ってしまった今では。
「…なぁ」
「なんだ?」
「これ、使えるのか?」
「使えるぞ。それも大して制御はいらない程に」
私の説明にハーミットは「へぇ」と口元を大きくゆがめる。魔法が得意でないこの男は魔石を使うことがほとんどだ。だからこそ、この魔石のすごさに気付いているのだろう。
「なら、いっちょ試してぇもんだ」
「そうそう機会があるとは…っとリーシャ?」
話し込んでいる所にリーシャがこちらに向かって走ってくる。それに瞬きをすると、氷の魔石を試す機会が早々に訪れたことに私は苦笑いを浮かべた。
■■■
side.フリードリヒ
「『大好き』か」
くうくうと眠るレイジスの頬に唇を落としてブレス・オブ・スプリング色の髪をさらりと払う。
先日テラスで昼食をとっていた時に現れた男子生徒。その生徒がレイジスと密室で二人きりで話をしているという報告が入った瞬間、目の前が真っ赤に染まった。
アルシュの言葉も聞かず、部屋を飛び出しレイジスの部屋へと急げばグレープフルーツ・グリーンの瞳からはらはらと涙がこぼれ落ちていた。それにカッとなりつい大声で相手に噛み付けば、レイジスがそいつを―メトルをかばった。
なぜ、どうしてという感情が湧きあがったが「ごめんなさい」という言葉が込められた瞳に見つめられれば何も言えなくなった。
だがメトルの「レイジスが大事ならば、絶対に手を離さないでくださいね」という言葉がやけに引っかかった。
そんなことは分かっている。あいつに言われなくてもそうする。
もちもちとしている頬を撫でてやれば「んむぅ」とむずがるように口が動く。ささくれだった気持ちがそれだけで穏やかになる。
それについ頬を緩めればあの頃のレイジスが戻ってきたのだという高揚が抑えきれない。
レイジスの『大好き』は『愛してる』の代わりだと知っているのは私だけ。
そう、私だけなのだ。
アルシュもノアもリーシャも知らない。
私だけしか知らないのだ。
子供の頃のあの告白を覚えてくれていた。それだけで身体が震える。
たまらずレイジスを抱き締めその頭に口付ける。ああ、口付けても口付けても足りない!
お互い高ぶったものの処理をしないのは、レイジスの知識がまだそこまでないからだ。約六年間の知識を詰め込むだけで精一杯で、そちらの知識まで教える時間がなかった。
それでも卒業までの知識をソルゾがそれとなく教えたから、知識としてはもう問題はない。それに魔法に関してもテストなどと言うものを受けなくても卒業はできる。二種複合魔法を使えるというだけで卒業しているのと同位なのだから。
そちらの知識がないために身体に触れるたびに助けを求めるのだ。だからこそゆっくりと教えることにしたのだが…。やはりレイジスを前にすると自制が効かない。今日はキスだけで済んだが次はどうなるか…。
それに高ぶったものは私の浄化魔法で『なかったこと』にした。
そう、レイジスの首筋と項につけたキスマークと噛み痕以外は。
私の婚約者に手を出すということはそれだけで命を取られてもおかしくはない。だが本当にメトルはレイジスに手は出していなかったようだ。
手を出していたらピアスの色が変わるのだから。
左のピアスが付いていない耳朶にも軽く噛み付き跡を残す。これは直ぐに消えてしまうだろう。ただの自己満足だ。
素直に大人しく穏やかになったレイジスは、その色香が辺りに撒かれていることを理解しているのだろうか。いや、していないからあんな変なものに捕まるのだ。
ああ、やはり私が側にいなければ。
本当なら誰にも見られることなくこの部屋に閉じ込めておきたい。だがそれではレイジスの為にはならない。
本や知識だけでは得られないことをさせなければならない。だが誰にも見せたくない。
そんな矛盾を抱えながら、眠るレイジスを抱きしめる。
可愛い可愛い、私のレイジス。
私だけの、レイジス。
どうか。どうか。
私の腕から消えないでおくれ。
422
あなたにおすすめの小説
悪役令息を改めたら皆の様子がおかしいです?
* ゆるゆ
BL
王太子から伴侶(予定)契約を破棄された瞬間、前世の記憶がよみがえって、悪役令息だと気づいたよ! しかし気づいたのが終了した後な件について。
悪役令息で断罪なんて絶対だめだ! 泣いちゃう!
せっかく前世を思い出したんだから、これからは心を入れ替えて、真面目にがんばっていこう! と思ったんだけど……あれ? 皆やさしい? 主人公はあっちだよー?
ユィリと皆の動画をつくりました!
インスタ @yuruyu0 絵も皆の小話もあがります。
Youtube @BL小説動画 アカウントがなくても、どなたでもご覧になれます。動画を作ったときに更新!
プロフのWebサイトから、両方に飛べるので、もしよかったら!
名前が * ゆるゆ になりましたー!
中身はいっしょなので(笑)これからもどうぞよろしくお願い致しますー!
ご感想欄 、うれしくてすぐ承認を押してしまい(笑)ネタバレ 配慮できないので、ご覧になる時は、お気をつけください!
結婚初夜に相手が舌打ちして寝室出て行こうとした
紫
BL
十数年間続いた王国と帝国の戦争の終結と和平の形として、元敵国の皇帝と結婚することになったカイル。
実家にはもう帰ってくるなと言われるし、結婚相手は心底嫌そうに舌打ちしてくるし、マジ最悪ってところから始まる話。
オメガバースでオメガの立場が低い世界
こんなあらすじとタイトルですが、主人公が可哀そうって感じは全然ないです
強くたくましくメンタルがオリハルコンな主人公です
主人公は耐える我慢する許す許容するということがあんまり出来ない人間です
倫理観もちょっと薄いです
というか、他人の事を自分と同じ人間だと思ってない部分があります
※この主人公は受けです
【完結】悪役令息の伴侶(予定)に転生しました
* ゆるゆ
BL
攻略対象しか見えてない悪役令息の伴侶(予定)なんか、こっちからお断りだ! って思ったのに……! 前世の記憶がよみがえり、反省しました。
BLゲームの世界で、推しに逢うために頑張りはじめた、名前も顔も身長もないモブの快進撃が始まる──! といいな!(笑)
本編完結しました!
おまけのお話を時々更新しています。
きーちゃんと皆の動画をつくりました!
もしよかったら、お話と一緒に楽しんでくださったら、とてもうれしいです。
インスタ @yuruyu0 絵もあがります
Youtube @BL小説動画
プロフのwebサイトから両方に飛べるので、もしよかったら!
本編以降のお話、恋愛ルートも、おまけのお話の更新も、アルファポリスさまだけですー!
名前が * ゆるゆ になりましたー!
中身はいっしょなので(笑)これからもどうぞよろしくお願い致しますー!
やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。
毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。
そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。
彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。
「これでやっと安心して退場できる」
これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。
目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。
「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」
その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。
「あなた……Ωになっていますよ」
「へ?」
そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て――
オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。
〈完結〉【書籍化・取り下げ予定】「他に愛するひとがいる」と言った旦那様が溺愛してくるのですが、そういうのは不要です
ごろごろみかん。
恋愛
「私には、他に愛するひとがいます」
「では、契約結婚といたしましょう」
そうして今の夫と結婚したシドローネ。
夫は、シドローネより四つも年下の若き騎士だ。
彼には愛するひとがいる。
それを理解した上で政略結婚を結んだはずだったのだが、だんだん夫の様子が変わり始めて……?
悪役令息の兄って需要ありますか?
焦げたせんべい
BL
今をときめく悪役による逆転劇、ザマァやらエトセトラ。
その悪役に歳の離れた兄がいても、気が強くなければ豆電球すら光らない。
これは物語の終盤にチラッと出てくる、折衷案を出す兄の話である。
妹を救うためにヒロインを口説いたら、王子に求愛されました。
藤原遊
BL
乙女ゲームの悪役令息に転生したアラン。
妹リリィが「悪役令嬢として断罪される」未来を変えるため、
彼は決意する――ヒロインを先に口説けば、妹は破滅しない、と。
だがその“奇行”を見ていた王太子シリウスが、
なぜかアラン本人に興味を持ち始める。
「君は、なぜそこまで必死なんだ?」
「妹のためです!」
……噛み合わないはずの会話が、少しずつ心を動かしていく。
妹は完璧令嬢、でも内心は隠れ腐女子。
ヒロインは巻き込まれて腐女子覚醒。
そして王子と悪役令息は、誰も知らない“仮面の恋”へ――。
断罪回避から始まる勘違い転生BL×宮廷ラブストーリー。
誰も不幸にならない、偽りと真実のハッピーエンド。
なぜ処刑予定の悪役子息の俺が溺愛されている?
詩河とんぼ
BL
前世では過労死し、バース性があるBLゲームに転生した俺は、なる方が珍しいバットエンド以外は全て処刑されるというの世界の悪役子息・カイラントになっていた。処刑されるのはもちろん嫌だし、知識を付けてそれなりのところで働くか婿入りできたらいいな……と思っていたのだが、攻略対象者で王太子のアルスタから猛アプローチを受ける。……どうしてこうなった?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる