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ファントムさんとは

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「どうして進まないんだ?」

騒動のはるか後方でヒモネス中佐が不思議に思っていると、前方から1人の隊員がやって来て報告する。

「数台の荷車が坂道を転げ落ちて騒動になってます」

「それで停滞してるのか。 帝国軍が背後から迫っているというのに」

ヒモネスは騒動を解決すべく、避難民の間を縫うようにして前方に向かった。

◇◆◇

4人の荷車コミュ症は被害者の家族に詰め寄られ、苛烈な口撃を黙って耐え忍んでいたが、そのうちの1人がたまりかねて変な方向にキレた。

「もういい。 こんな坂道のぼっても仕方ない」

彼の発言の意味をおぼろげにでも理解したのは、その場にいた者の1/5ほど。 理解できなかった1人が彼に食ってかかる。

「そんなことあるもんかい! 先へ進まなきゃ帝国軍がやって来て殺されちまうんだぞ? こうして止まってる時間だって惜しいんだ」

コミュ症の彼は男に説明する。

「隣町に避難して、それからどうなる? 帝国軍10万に対してクーララ軍は2万。 あっという間に首都を落とされ、クーララ王国は滅亡だ。 その後はどうなる? クーララ人の男は死ぬまでこき使われ、女は帝国男の慰み者にされる。 今ここで殺される方がマシさ」

コミュ症が苦手とするのは、社交辞令や世間話のようにコミュニケーションそれ自体を目的とする空疎な会話なので、言いたいことがある場合のほうがむしろスムーズに言葉が出てくる。

そして彼の主張は間違いではない。 ザルス共和国からの援軍が来ないなら、概ね彼が言った通りの未来がクーララ王国の住民を待ち受けている。

避難民たちは饒舌なコミュ症に言い返せなかった。 誰もがおぼろげに予想している未来図だからだ。

その場が重苦しい雰囲気に包まれ、やがて誰かが言った。

「やっぱり... クーララの命運は尽きていたのか」

すると別の誰かも同意する。

「私もうすうす気付いてた」

「...避難しても無駄ってこと?」

避難民たちが無気力に沈みかけたとき、1人の若者が提案した。

「どうせ死ぬならさ、帝国の奴らに一矢報いてやろうぜ」

◇◆◇

荷車事故の現場に到着したヒモネス中佐は大声で叫ぶ。

「あなたがたは何をやってるんです?  早く進んでください。 今この同じ道を、帝国軍が我々の倍以上の速度で迫ってきてるんだ」

しかし避難民たちは動き出さない。 それもそのはず、彼らは避難を続行するかどうかで揉めていた。 ヒモネス中佐は事情を聞き出し、避難民が3つの派閥に分かれていることを知った。 避難派・特攻派・自殺派の3つである。

最大の派閥は避難派で、彼らの主張は当初の予定通り避難するというものだ。

「結局それがいちばん妥当だと思うの。 クーララが占領されても、帝国はクーララ人を皆殺しにしないでしょう」

その次に人数が多いのは自殺派で、彼らの主張は次のようなものだ。

「これから先、我々クーララ人は生きるほどに損をするだろう。 自殺がいちばん得なんだ。 早ければ早いほど得だ」

最も人数が少ないが最も声が大きいのは特攻派だ。

「どうせ死ぬならさ、帝国の奴らに一矢報いてやろうぜ。 みんなで力を合わせて天災級の魔法を一発かますんだ」

◇◆◇

各派閥の主張を聞き終えたヒモネス中佐は、じれったそうに言う。

「あなたがたは前提を間違えている。 今回の戦はクーララが勝ちます」

しかし特攻派のリーダーは中佐の言葉を信じない。

「クーララが勝つってのが信じられないし、あんたが勝利を確信してるのもおかしい。 何故そんな嘘をつく? 嘘でオレたちを避難させても、クーララは帝国に占領されて死ぬより辛い目に遭うだけなんだ」

自殺派のリーダーもヒモネス中佐の言葉に懐疑的である。

「帝国軍が10万に対しクーララ軍は2万。 ザルスから1万の援軍が送られてくると聞いたが、それでもクーララ側が絶望的に不利。 仮に今回の戦をしのげても、次回はさらに不利な戦となるだろう。 早いうちに死ぬのがベストだ」

避難派のリーダーはヒモネス中佐の言葉を全面的に信頼している様子だ。

「ヒモネス様はその場しのぎの嘘をつく人じゃありません。 私はヒモネス様を信じます。 きっと私たちの知らないことを知ってるんだわ」

◇◆◇

派閥リーダー3人の返事を辛抱強く聞き終え、ヒモネス中佐は説得を続ける。

「まず、帝国軍の兵力は10万じゃなく6万です。 それから...」

中佐は言いよどんだ。 これから彼が口にするのは首都の友人から入手した最新情報。 軍事機密であり一般人に明かすことは禁じられている。 しかし、避難民たちを動かすにはこの情報を伝えるしかない。

「ザルス共和国は派遣される援軍は1万の兵ではありません。 ファントムさんです」

そして中佐は、特攻派リーダーに向かって言う。

「私が勝利を確信しているのも、それが理由だ」

しかし、特攻派リーダーも他の避難民たちもヒモネス中佐の言葉を理解できなかった。 ファントムさん? 何それ? 人の名前? 何かのジョークなのか? しかし今は冗談を言うような状況ではないし、中佐の表情もいたって真剣である。

ヒモネス中佐の意図を捉えあぐねた特攻派リーダーは半笑いで中佐に尋ねる。

「ファントムさんだって? 誰それ? あんたの友達かい?」

特攻派リーダーの疑問ももっともだ。 クーララでは「ファントムさん」という呼称は知られていない。 ヒモネス中佐は急いで説明する。

「ファントムさんとは守護霊様のことだよ。 守護霊様のことをザルスじゃファントムさんと呼ぶんだ」

◇◆◇

ヒモネス中佐の言葉に大人たちは歓喜を爆発させた。

「なんと! 守護霊様が復活していたのかっ!」 「復ッ活ッ、守護霊様ッ復活ッッ!」「もう安心だ」「ドやれやれだぜ」「帝国軍に目にモノを見せてくれるわ守護霊様が」

絶望に黒く染まっていた彼らの顔が明るくなり、どんよりとしていた目に鋭気が戻る。 守護霊様が助けに来てくれる、そう聞かされただけで彼らの心に確かな希望が生まれたのだ。

しかし若者は大人たちの喜びようを理解できない。 若者たちが生まれたのは守護霊様が去った後だった。 特攻派の若者がヒモネス中佐に疑問を投げかける。

「隊長さんよう、守護霊様ってそんなにすげえのか? いい年した大人がこんな... こんな風になるほどに」

「私もよくは知らない。 私が物心ついたとき先代の守護霊様は既にいなかったからな。 だが首脳部は勝利を確信している。 それに、この人たちの喜びようが何よりの証拠だろう」

ひとしきり喜び終えた男性がヒモネス中佐に声を掛ける。

「隊長、帝国軍が後ろから迫って来てるんだろう? 急いで避難しようぜ!」
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