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4話 欲

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「……彼は無口だね。あまり自分のことを喋りたくないのかな?」
ダミアンはそれからしばらくして、ローランに食事を持ってきて部屋に戻ってきた。
出された料理──干し肉とスープをベッドの上で食べながら、ローランはダミアンに訊ねた。
先程自分の傍らにいた、シリルという男のことについてだ。
自分を助けたのは、間違いなく彼である。
なんとしても礼はしたいし、彼の素性も知りたいところだったけれど、それを申し出る前に自分の前からいなくなってしまった。
ローランはそれが気がかりで仕方ないのだ。
気がかりで仕方ないローランとは対照的に、しかしダミアンは事も無げに答えた。
「はい、なんせ今のご主人様に記憶はございませんので。当然のことです」
ローランは食事の手を止めてダミアンを見つめた。
「記憶が?」
「はい。シリル様が目を覚ましたのは数か月前。それまではこの塔の最上階で眠られておいででした。目覚めた当初シリル様は、何故こんなところで眠っていたのか……その理由どころか、ご自身の名前すら覚えていらっしゃいませんでした」
ハキハキと答えるダミアン。
それを聞きながら、ローランは考え込んだ。
彼は窓の外に目をやった。
ダミアンはここを『塔』と言った。
そして先程一瞬だけ見た部屋の外には、螺旋階段が誂えられている。
朧気ながら、ローランはこの塔の外観を想像してみる。
煉瓦の積み上げられた、高い高い塔の姿を。
『禁忌の森』にこんなものがあることなど、いや、そもそも人が住んでいることなどローランは一度も聞いたことがない。
「ねぇ、もっと彼のことやこの場所のことを聞かせてくれないかな? 君は彼の従者なのだろう? 何故こんな場所にこんなものが建てられて、彼はここにいるんだい?」
「勿論お教え致しましょう……と申し上げたいところですが……些か煩わしい事情がありまして」
ここでカーバンクルは少ししょんぼりとし始めた。
「事情?」
「えぇ、実はワタクシも記憶が曖昧でして。シリル様と自分の名前と、シリル様が目覚めるのを待っていたこと。覚えていることはこのくらいなのです」
「ふぅん……」
ローランはあまり納得できなかったけれど、彼がそう言うのならばそれを受け入れる他にはない。
「そこで……一つ提案があるのですが」
そんなローランに、ダミアンは頭を下げた。
「ここにいらっしゃるのも何かの縁、どうかシリル様の記憶を戻す、手伝いをしていただけませんか? シリル様もきっと記憶のないことに大層苦悩されていることでしょう。少しでもいいです。お力添え願いませんか?」
ダミアンは真摯にローランに訴えている。
しかしそれを受けるローランの答えは、考えるまでもなかった。
「そんなの、お安いご用だよ。むしろ、僕の方こそ……怪我が治るまででいいんだ。ここにいさせてくれないかな? 多分、この怪我では森を抜けられないだろうから」
利害の一致した二人は、握手を交わした。


(と、言ってもねぇ……)
ローランはベッドの上で考えあぐねるばかりだった。
体はあちこち痛いし、右足も折れてしまっているから無理に動けば、また転んでしまうだろうか。
そうしたら余計に怪我が悪化してしまうだろうか。
(でも寝てばかりだと、いざ怪我が治った時に体が動かないっていうし!)
と、自分に対する言い訳を思い付いたのは、その日の夕方頃だった。
ローランは再び自分の剣を杖の代わりに、部屋の外へと出ることにした。
螺旋階段に、ローランは再び対面することとなる。
下に降りれば、恐らく出口に繋がるのだろう。
ローランはとりあえず、上の階を目指した。
一歩一歩、階段を上るローラン。
最上階につく頃には、彼の額には汗が滲んでいた。
ローランはそっと、螺旋階段の先、最上階の扉を開けた。
扉の向こうは、小さな礼拝堂だった。
配置や装飾は、ロージアの城に誂えられたものと似ていたけれど、やはり真っ白な大理石で建てられた聖都の方とは違って、クリーム色の漆喰が塗られた壁に囲まれていた。
並べられた長椅子に座れるのは、せいぜい十人にも満たないだろう。
そんな小さな、なんということのない礼拝堂の中において、しかし一つだけ異質なものがあった。
礼拝堂の祭壇の中央。
女神像の前には、硝子でできた棺が鎮座していた。
棺が夕日を浴びて朱く燃え上がるように光っている。
その前に立ち、それを見下ろしているのはシリルだった。
シリルは傍らにたったローランを、ちらりと見ると再び棺に視線を戻した。
「……私が目を覚ましたのは、この棺の中だった」
シリルはおもむろに口を開いた。
「ただただ、呆然とする他になかった。それよりも以前、自分がどこで何をして、どう生きていたか、まるで思い出せない。そんな時、ちょうどあのカーバンクルが私の元にやってきた」
「君に仕えている、と聞いたけど。彼のことも思い出せない?」
ローランに訊ねられて、シリルは無言で頷いた。
「その……腕のことも?」
ローランはそんなシリルの腕を指差して、恐る恐る切り出した。
シリルは自分の右腕を一瞬だけ見下ろし、反対の腕でその手首を掴んだ。
記憶はなくとも、その腕の異変は異常なことであるということには、察しがついている様子。
そんな彼は、苦々しげに呟いた。
「いっそのこと、これが自分の正体を知る、一番の手がかりなのかもしれない。怪物だと追いやられたのか、迫害されたのか……」
「そんなわけない!」
シリルは鋭く切り込まれた、叫びのような声に息を飲んだ。
それはその声を発した当人──ローランも同じだった。
自分発した声に、自分自身でたじろいでいたのだ。
「あぁ、ごめんね、つい……まぁ、確かに君の言うことも一理あるね。ただ……僕はそう思えないんだ」
ローランは、礼拝堂を見渡した。
そして、夕日が流れ込む窓の外も。
「だって、こんな綺麗な棺に眠らされてさ、この塔だって、多分君のために拵えられたものでしょう? こんなにも素敵なものが与えられている君が、追いやられたり迫害されてたりなんて、考えられないかなーって思ったんだ」
シリルはそれを聞いて、何か考える素振りをした。
「ゆっくり思い出していけばいいよ。助けてくれたお礼もかねて、僕も手伝えることはなんだってするからさ」
シリルを見上げて微笑むローラン。
その笑顔を見たシリルは、たじろぎながら彼から目を反らした。
どうやらそのように微笑まれることに、彼は慣れていないらしい。

二人がそうして話している内に、やがて日が暮れた。
(……?)
ローランは嫌な気配に、礼拝堂に誂えられた小窓から、外の方を見下ろした。
鬱蒼と茂る森の木葉が、窓を覗いたローランの上で靡いている。
その木々が靡く音を聴きながら、ローランは目を細めて感覚を研ぎ澄ました。
「瘴気の気配が、濃くなってきてる……」
確かに瘴気は夜に濃くなるという知識は、ローランも持っていた。
しかし聖都ロージアでは、ヴィスが襲いに来た時など余程のことが起こらない限り、瘴気そのものの存在は極めて少ない。
なるほど、瘴気に満ちた森の中ではこんなにもその変化が分かるのかと、ローランは少しばかり感心も覚えていた。
その時だった。
ふと、自分の背後からうめき声が聞こえて、ローランは振り返った。
「……っ、!」
シリルが、その場にうずくまるようにしてしゃがみ込んでいた。
「だ、大丈夫!? ねぇどうしたの?」
ローランはシリルに駆け寄ると、その肩を掴んだ。
シリルの息は、浅く妙に熱っぽくもあった。
崩れ落ちそうなシリルの体を、ローランは支えようと腕を回した。
けれど、シリルはその腕を弾く。
「寄らないで……っ、これ以上は……!」
シリルは息も絶え絶えに、言葉を吐き出す。
「夜になると、体の中の瘴気が……っ、ぐっぅ……抑えられなくなる……!」
ローランの顔から、すっと血の気が引いていく。
瘴気に犯され、ヴィスと化していく人間の姿は、何度も見てきた。
何度見ても、その一つ一つは、ローランの脳裏にしっかりと焼き付いている。
「しっかりして! 今までずっと、正気でいられたじゃないか! 君なら耐えられるはずだから……!」
ローランは構わず、シリルの肩を抱き止めた。
そして自分の右の掌を、彼の変異した右の掌に重ねた。
自分の言葉に、根拠などどこにもない。
同じ言葉をかけて、それでもどうにもならずヴィスとなり屠られてきた者の姿しか、ローランは知らない。
それでも何か方法がないか、その度に彼は考えを巡らせるのだった。
考えを巡らせ続けるローラン。
(…………?)
そんな時、ローランは気がついた。
シリルの、浅く、そしてどこか熱っぽい呼吸の意味を。
彼の白い肌は、呼吸と同じように熱っぽく、上気すらもしている。
「……少し、いいかな」
ローランはうずくまるシリルの顔を覗き見ようとした。
「これって……」
仰向けになったシリルは、そんなローランから目を反らす。
ローランが見据えたシリルの瞳は、僅かに濡れて揺れている。
彼が抱く感情の意味を、ローランはすぐに気づくことができた。
同じ、男だったから。
「ねぇ。急にそんな風になるのは、瘴気のせい……ヴィスになってしまったせい……ってことでいいのかな?」
長い銀色の髪が、流れる汗によって上気した頬や額に張りついていた。
その髪の隙間から、こみ上げるものをこらえ続けるシリルの、苦悶交じりの表情が見える。
ローランのその視線から逃れようと、シリルは更に俯いてしまった。
「確かに瘴気にあてられてヴィスになると、欲望に忠実になるらしいけど……こんな形の欲望を発露させる人は初めて見たな」
ローランはそう呟いて、苦笑を浮かべた。
彼は初めて目にする事象を前に緊張を覚えつつも、しかしそんな事象に対しての探求心も膨らんでいた。
ローランの脳裏に思い浮かぶのは、ロージアでヴィスを退治し続ける日々のこと。
その日々の中で、断たせざるを得なかった命のこと。
自分の手で守れなかった命のこと。
もしも自分の手で、何か一つでも守ることができるなら。
守る、なんて大それたことは言わない。
ただ目の前にいる誰かの苦しみを、和らげることができるなら……。
「ごめんね、シリル。今の僕にはこんな方法しか思いつかないや」
言うや否や、ローランはうずくまるシリルを床へ押し倒した。
突然のことに、熱に浮かされているシリルはただされるがままだった。
シリルが自分の身に起きたことを理解するよりも先に、ローランは彼の衣服に手をかけた。
そしてローランは、シリルの纏っていたジャケットのボタンを一つ一つを少しずつ外していった。
その下のシャツも同様に。
「……! な、何を……」
シリルは体を硬直させ、そんな彼の手首を反射的に左手で掴んだ。
けれどローランはそれに構うことなく、ついにシリルのシャツのボタンを全て外してしまった。
空気に肌が曝されることとなったシリル。
そんな彼は、まるで腹を空かせた肉食獣から身を隠そうとする小動物のように、身を強ばらせた。
屈強な男のそのような様に、ローランは無意識に生唾を飲んだ。
そして半ば衝動的に、彼の唇に口づけを落とす。
ローランの薄桃色の唇は、優しく撫でるようにシリルの唇に触れた。
シリルの体が、ぴくりと反応するのがローランにも伝わる。
シリルに覆い被さるような体勢となったローラン。
上着越しに、相手の体温が自ずと伝わってくる。
もっとその体温に触れたいという欲望が、彼の中に沸々と沸き上がってきた。
ローランはその欲望に、忠実に従った。
彼は自分の着ていたシャツを脱ぐと、もう一度シリルに覆い被さるように横たわった。
今度は直接、彼の体温に触れられた。
その感触に触れたローランは、もう一度彼の体に唇を落とした。
今度はその太い首筋に。
唇でシリルの皮膚を優しく挟み込むと、毛繕いするように愛撫を行う。
何度も何度も、ローランの唇はシリルのそこを往復していく。
「っ……ん、ふぅ……!」
己の内から沸き上がる熱欲、そしてローランから与えられる温もり。
シリルが自分の疼きが抑えられなくなっていくのは、もはや自然の道理でもあろう。
彼は無意識の内に、腰を上げて揺すり始めていた。
ローランの腿に、シリルの欲望で膨らんだものが充てられることとなる。
ローランはそれに気がついて、その場所を見下ろした。
シリルのズボン越しに、確かな質量が見て取れる。
まるで自分にすがり、どうにかして欲しいと訴えに来ているようだった。
「もう少し、丁寧にしてあげたかったけど……かえって辛い思いをさせてしまっていたかな……?」
ローランは自分の存在を主張するシリルを、指先でズボン越しにひと撫でした。
ぴくんと、シリルの体が跳ねた。
そんな彼のズボンを寛げさせれば、遂にシリルの全てがローランの眼前へと曝される。
彼の裸を、ローランはしばし眺めた。
シリルの分厚い胸板、美しく彫り込まれた腹直筋に腹斜筋。
そしてそこに掘られた、薔薇の聖痕。
それらがほの暗い礼拝堂の中で、顕にさせられている。
瘴気に充てられていた右腕と右足は、それぞれ肩口と腿の付け根から先がヴィスのものと化している。
その獣のような腕も脚も、逞しい体に似つかわしい太い筋肉が毛皮越しに見てとれることができた。
そして最後に露にさせられた、シリルの剛直した欲望の、その奥にある秘めた花が咲く場所。
逞しい体とは裏腹に、身に積もる快楽にいじらしく振るえていた。
ローランは息を飲みながら、今度は自分の履いていたものを脱ぎ捨てた。
シリルの痴態は、ローランの熱棒をそそり立たせるには充分なものだったようだ。
静謐な礼拝堂の中で、己の欲望をさらけ出す二人。
当然、酷い背徳であることは理解している。
それでも二人は、それを今さら制することはできなかった。
ローランはシリルの秘部へと指を伸ばす。
シリルの指が触れた途端、その門が緊張に固く締まる。
ローランはそんなシリルを宥めるように、秘所にやわやわと指を這わせた。
その指は次第に、ローランの内に侵入しようと真っ直ぐに伸びていく。
そしてそこをよく解そうと、指を抽送させ広げる。
みっちりと肉で塞がれたそこが、徐々に柔らかくなっていくのがローランにも伝わった。
「あっ、あぁっ……」
一際甘い嬌声が、シリルの口から漏れた。
ローランの指が、ほとんど飲み込まれてしまった瞬間のことだった。
ローランの指先が、シリルの最も善くなる場所に触れたからだ。
それを心得たローランは、今度は指先でその場所を蠕動させる。
「あぅっ、そこ……ぅうっ、あぁっ……」
シリルの噛み殺し切れなかった低い喘ぎが、礼拝堂の中に溢れて響いていく。
自分に埋まるローランの指を、シリルは逃がさないとばかりに締め上げる。
しかしローランは、しばらくそうした後に、指を抜いてしまった。
代わりに充てがわれた、ローランの昂り。
その先端がシリルの秘められた門に触れると、それだけで彼の体は快楽にうち震えた。
ローランはそれを認めると、体重をかけてそこに自身を侵入させた。
「ぅぐぅっ……ぅあっ……ぅうっ……」
指よりも重たい質量は、より一層深い快楽の底へと彼を導く。
「ん……っ、大丈夫? 辛くはない?」
返事の代わりに、ローランの蕩けた吐息が礼拝堂に響く。
シリルの肉壁はすっかりローランを飲み込んで、もっと奥へと導こうと、それを懸命に締め上げていく。
もっと堪能したい欲求に、腰を上げて前後に揺する。
そんな彼の長い銀の髪を、ローランは手で梳くように撫でた。
そしてシリルに合わせるように、ローランも腰を揺らし出した。
自分の行いで、少しでも楽になってほしい。
その願いを込めて。
「ふぁ……ゃん、んっ……」
「シリルっ……、っ……んんんっ!」
一点を突く度、シリルの後孔は歓喜に震えるように、すぼめられる。
ローランもまたそれに呼応するように、より深く、自分のものをそこへ沈みこませていった。
絡みつくシリルを、より感じられるように。
やがて二人の静かな営みに、終わりがやってきた。
「あっ、あぁっ……がっ──」
「んっ……ぅんっ……!」
その時、シリルは頭の中で強い閃光が走るのを感じながら、背を仰け反らせた。
同時に、彼の剛直から欲望の白濁が迸った。
そしてシリルの中に沈んでいた、ローランのものも。
互いに快楽を貪り、微かな疲労を覚えた二人の、荒い呼吸のみが礼拝堂へと残った。
シリルはしばらく自分の全身にくまなく流れた愉悦に、体を痙攣させていた。
陶酔に溺れきった彼は、ただただその余韻に浸ることしか、今のシリルにはできなかった。
そんなシリルを、ローランは呼吸を整えながら見つめた。
ゆっくり彼の中に入れていた自身を引き抜けば、その肉壁はそれを求めて切なげにすぼまる。
「収まったみたいだね、よかった。これで少しは楽になるといいんだけど」
ローランはぐったりと横たわるシリルの様子を見て、安堵の笑みを疲れた顔に浮かべる。
シリルはぼんやり、彼の言葉を聞いた。
そう言われてみれば、自身を燃やし尽くそうとしていた劣欲の炎は、いくらか収まっているようにシリルは感じられた。
シリルは目を閉じて、礼拝堂の冷たい床に身を委ねさせた。
ひんやりとした床は、今の火照った体にはちょうどよかった。
夜が耽る森に、風が吹き抜けるのを聴きながら、彼は心地よい微睡みの中へと落ちていくのだった。
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