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第二章
第七話 Bar Sugar Velvet
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◆◆◆
(伊吹side)
夜の帳が降りると、新宿二丁目の街は一気に目を覚ます。
ネオンは咲き誇る花のように鮮やかで、紫やピンク、青い光がビルの隙間を縫うように揺れていた。
狭い路地には、いくつものバーやスナックがひしめき合い、どこからか笑い声とシャンパングラスの音が聞こえてくる。
ドアが開くたびに、異国の音楽、香水と煙草とスパイスの匂いが入り混じった空気がふわりと流れ出し、人の気配と熱が街全体に滲んでいた。
道ゆく人もさまざまだ。
スーツ姿のサラリーマン、真っ赤なドレスの女装のママ、レースのトップスに革ジャンを羽織った青年たち。
あたしはキャッチやナンパを適当にあしらい、細い路地の奥に姿を消した。
表のにぎやかさが嘘のように、ここは静か。壁に並ぶ店のドアや看板はどれも年季が入っていて、少し古びた感じがかえって落ち着く。
人の声も音楽も、次第に遠ざかっていく。代わりに、夜の空気の冷たさと、自分の呼吸がはっきり感じられるようになった。
やがて、小さな紫色の灯りが見えてくる。
壁に埋め込まれた金色のプレートには、さりげなく《Sugar Velvet》の文字。
こぢんまりした木のドアは、落ち着いた色味の真鍮の取っ手がついていて、どこか懐かしい雰囲気がする。
あたしはそのドアに手をかけ、深呼吸をひとつ。
ゆっくりと扉を押すと、控えめな鈴の音が響いた。
Lo-fi Chill & Neo Soulの音楽と共に、ママの声があたしを出迎える。
「あらっ! やっと来た~! 今日は遅かったじゃない」
「ふふ、ちょっとね~」
「あらなに? ……もしかしてあんた!」
「そ。デートしてたの~♡」
「きゃぁ~!♡ ちょっと! 詳しく聞かせなさいよ!!」
店内にはいつも通り、馴染の客しかいなかった。あたしはみんなに挨拶をしてからカウンターに腰掛ける。
するとすぐさま、あたしの両隣を二人の常連客が陣取った。
「ふふ、そろそろだと思ってた。星がそう言っていたから」
右隣に腰掛けたのは、占い師のミラ。戸籍上は男の、その日によって性別が変わるタイプのXジェンダー。今日は女性の気分のようで、仕草がどこか艶めかしい。
「えーっ! 誰!? もうヤッた!? ヤッたの!? ねえ、伊吹!! てかいつあたしとヤッてくれんの!?」
左隣に腰掛けたのは、美容エステ系の社長、ジュン姐。美しいバストを持つトランス女性で、性に対してとてもオープン。
ママがあたしの前にそっとグラスを置く。
あたしはカクテルを一口飲んでから、ミラとジュン姐に返事をした。
「ミラ。あなたの占いも外れることがあるのね。さっきのは冗談よ。だから、その子とはシてませ~ん」
「星に嘘は通用しないわよ、伊吹」
「ヤッてないの!? じゃああたしに紹介してちょうだい!!」
詰め寄る二人を、ママが宥める。
「あんたたち、伊吹が困ってるわよ~? いじめるのはそのくらいにしてあげなさいったら」
「「はぁ~い」」
この店の中で、ママに逆らえる人はいない。
やっと静かにお酒を飲めるようになった。
……と思ったんだけど。
「で? その子とはどういう出会いかたをしたの~?」
「えっ、ママまで聞くのぉ!?」
「当然じゃなぁ~い♡ あんなウキウキした伊吹、はじめて見たんだもの♡ さ、早く教えなさいなっ」
「んも~……」
あたしはもじもじとグラスをいじりながら、しかたなく口を開く。
「……昔のあたしとそっくりな子に出会ったの」
「あらっ! 昔って……はじめてあたしと出会った頃くらい?」
「そ。臆病で、ダサくって、世界の全てを怖がってたときの、ね」
「あっはっは~! そうだったわねえ~! うじうじおじおじ、自分が何者なのか、なぁんにも分かってなかったわあ!」
……あんまり思い出してほしくないわね。
「あたし、ママと出会えたから生まれ変われたの。そういう出会いを、その子にもあげたかった」
「んまー! 伊吹あなた、泣けること言ってくれるじゃな~い!!」
ミラが無言でタロットカードをシャッフルしている。そしてあたしに向けてカードを広げた。
あたしはその中から一枚のカードを引き抜き、裏返してテーブルに置いた。
するとミラが、クスッと笑う。
「カップのエース。ほらね」
「これどういう意味なの?」
「言わない」
「ちょっと。占っといてそれはないんじゃない!?」
「鑑定料一万円」
「さすがにぼったくりじゃない!?」
ジュン姐が隣からひょっこり顔を出す。
「待って! ミラ、占ってくれるの!? 一万払うからあたしを占って!!」
「いいよ。今日は占いたい気分」
「きゃー! 嬉しい~!! あんた、もうちょっと予約枠増やしたら!? この前予約しようと思ったら半年待ちだったわよ!!」
「やだ。私のための時間も必要だから」
そう言って、ミラが〝カップのエース〟のカードを山札に戻そうとした。
「……ちょっと待って!」
「なに、伊吹」
「~~、分かった! 分かったわよ! 払えばいいんでしょ!?」
あたしが一万円札をテーブルに叩きつけると、ミラは満足そうな表情を浮かべた。
そして、あたしの手をそっと握る。
「その子を大切にしてあげて。それはあなた自身を大切にすることに繋がるから」
それだけ言って、ミラはジュン姐と一緒に席を移動した。
「え!? それだけ!? それだけで一万円!?」
信じられない。あたしとしたことが、占いでぼったくられるなんて。
……あたしは一体、ミラにどんな言葉を求めていたのかしら。
結局、ミラはその一万円でみんなにお酒をおごっていた。もちろん、あたしにもだけれど……未だに納得いかないわ。
(伊吹side)
夜の帳が降りると、新宿二丁目の街は一気に目を覚ます。
ネオンは咲き誇る花のように鮮やかで、紫やピンク、青い光がビルの隙間を縫うように揺れていた。
狭い路地には、いくつものバーやスナックがひしめき合い、どこからか笑い声とシャンパングラスの音が聞こえてくる。
ドアが開くたびに、異国の音楽、香水と煙草とスパイスの匂いが入り混じった空気がふわりと流れ出し、人の気配と熱が街全体に滲んでいた。
道ゆく人もさまざまだ。
スーツ姿のサラリーマン、真っ赤なドレスの女装のママ、レースのトップスに革ジャンを羽織った青年たち。
あたしはキャッチやナンパを適当にあしらい、細い路地の奥に姿を消した。
表のにぎやかさが嘘のように、ここは静か。壁に並ぶ店のドアや看板はどれも年季が入っていて、少し古びた感じがかえって落ち着く。
人の声も音楽も、次第に遠ざかっていく。代わりに、夜の空気の冷たさと、自分の呼吸がはっきり感じられるようになった。
やがて、小さな紫色の灯りが見えてくる。
壁に埋め込まれた金色のプレートには、さりげなく《Sugar Velvet》の文字。
こぢんまりした木のドアは、落ち着いた色味の真鍮の取っ手がついていて、どこか懐かしい雰囲気がする。
あたしはそのドアに手をかけ、深呼吸をひとつ。
ゆっくりと扉を押すと、控えめな鈴の音が響いた。
Lo-fi Chill & Neo Soulの音楽と共に、ママの声があたしを出迎える。
「あらっ! やっと来た~! 今日は遅かったじゃない」
「ふふ、ちょっとね~」
「あらなに? ……もしかしてあんた!」
「そ。デートしてたの~♡」
「きゃぁ~!♡ ちょっと! 詳しく聞かせなさいよ!!」
店内にはいつも通り、馴染の客しかいなかった。あたしはみんなに挨拶をしてからカウンターに腰掛ける。
するとすぐさま、あたしの両隣を二人の常連客が陣取った。
「ふふ、そろそろだと思ってた。星がそう言っていたから」
右隣に腰掛けたのは、占い師のミラ。戸籍上は男の、その日によって性別が変わるタイプのXジェンダー。今日は女性の気分のようで、仕草がどこか艶めかしい。
「えーっ! 誰!? もうヤッた!? ヤッたの!? ねえ、伊吹!! てかいつあたしとヤッてくれんの!?」
左隣に腰掛けたのは、美容エステ系の社長、ジュン姐。美しいバストを持つトランス女性で、性に対してとてもオープン。
ママがあたしの前にそっとグラスを置く。
あたしはカクテルを一口飲んでから、ミラとジュン姐に返事をした。
「ミラ。あなたの占いも外れることがあるのね。さっきのは冗談よ。だから、その子とはシてませ~ん」
「星に嘘は通用しないわよ、伊吹」
「ヤッてないの!? じゃああたしに紹介してちょうだい!!」
詰め寄る二人を、ママが宥める。
「あんたたち、伊吹が困ってるわよ~? いじめるのはそのくらいにしてあげなさいったら」
「「はぁ~い」」
この店の中で、ママに逆らえる人はいない。
やっと静かにお酒を飲めるようになった。
……と思ったんだけど。
「で? その子とはどういう出会いかたをしたの~?」
「えっ、ママまで聞くのぉ!?」
「当然じゃなぁ~い♡ あんなウキウキした伊吹、はじめて見たんだもの♡ さ、早く教えなさいなっ」
「んも~……」
あたしはもじもじとグラスをいじりながら、しかたなく口を開く。
「……昔のあたしとそっくりな子に出会ったの」
「あらっ! 昔って……はじめてあたしと出会った頃くらい?」
「そ。臆病で、ダサくって、世界の全てを怖がってたときの、ね」
「あっはっは~! そうだったわねえ~! うじうじおじおじ、自分が何者なのか、なぁんにも分かってなかったわあ!」
……あんまり思い出してほしくないわね。
「あたし、ママと出会えたから生まれ変われたの。そういう出会いを、その子にもあげたかった」
「んまー! 伊吹あなた、泣けること言ってくれるじゃな~い!!」
ミラが無言でタロットカードをシャッフルしている。そしてあたしに向けてカードを広げた。
あたしはその中から一枚のカードを引き抜き、裏返してテーブルに置いた。
するとミラが、クスッと笑う。
「カップのエース。ほらね」
「これどういう意味なの?」
「言わない」
「ちょっと。占っといてそれはないんじゃない!?」
「鑑定料一万円」
「さすがにぼったくりじゃない!?」
ジュン姐が隣からひょっこり顔を出す。
「待って! ミラ、占ってくれるの!? 一万払うからあたしを占って!!」
「いいよ。今日は占いたい気分」
「きゃー! 嬉しい~!! あんた、もうちょっと予約枠増やしたら!? この前予約しようと思ったら半年待ちだったわよ!!」
「やだ。私のための時間も必要だから」
そう言って、ミラが〝カップのエース〟のカードを山札に戻そうとした。
「……ちょっと待って!」
「なに、伊吹」
「~~、分かった! 分かったわよ! 払えばいいんでしょ!?」
あたしが一万円札をテーブルに叩きつけると、ミラは満足そうな表情を浮かべた。
そして、あたしの手をそっと握る。
「その子を大切にしてあげて。それはあなた自身を大切にすることに繋がるから」
それだけ言って、ミラはジュン姐と一緒に席を移動した。
「え!? それだけ!? それだけで一万円!?」
信じられない。あたしとしたことが、占いでぼったくられるなんて。
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