首のない死体は生者を招く

新藤悟

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第拾壱節(その1)

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-拾壱-



 功祐と別れた識也はアパートに戻るとすぐに情報の整理に掛かった。
 カーテンを締め切った暗い部屋の中で机の上のスタンドライトとパソコンを起動し、パソコンに繋いだヘッドホンを耳に当てる。
 音楽ソフトを立ち上げ、バッハの無伴奏チェロ組曲を音量最大にしてリピート再生する。周囲からの雑音をそれによって完全に遮断し、眼鏡を掛けた。眼鏡の度は弱く、普段は掛けずとも困らないが何かに集中したい時に行う、識也にとってある種儀式の様なものだ。
 まず識也は立ち上げた表計算ソフトに、功祐から得た情報を入力していく。名前は「少女A」だのと特徴が分かる程度に適当に。性別、体格などは、細かくセル毎に分けて整理する。死亡者については遺体、現場の状況など思いつく項目を、記憶の中の写真を確認しながら埋めていく。被害者の共通性の有無を確認するためだ。
 功祐からの情報を一通り入力を終えると、識也は今後の被害者――つまりは伊藤しずると都月未来――の情報を付け加えていく。未来については凡そ識也も知っているが、しずるについては遠目で確認しただけなので、体格などについては大雑把に、居住地は空欄で、そして殺害場所はネット上の地図サービスの画像をコピーしてマッピングしていく。
 出来上がった簡易データベースを簡単に眺めると、識也は立ち上がってコーヒーメーカーからカップに朝淹れたコーヒーを注ぐ。淹れてから時間が経っているため渋く苦いが、頭を働かせるこの状況にはちょうどいい。湯気の立ち上る液面を軽く吹いて冷ましながら、椅子の背もたれに体を預けてコーヒーを胃に流し込んだ。
 そのまま画面を睨みつけながら考えこむ。コーヒーカップだけを口に付けた状態で、右手のマウスを使って時折データを並べ替えたりしながら識也は思考の海に沈んでいった。




 数時間後、識也は溜息と共に頭を抱えた。
 結論から言って、識也には何か手がかりに繋がるものは見出すことはできなかった。
 写真やデータとにらめっこし、必死に頭を働かせた。その結果分かった事と言えば被害者に女性が多い事と、行方不明の女性は十代後半から二十代前半で、その内の幾人かは事件以前から度々家出などの非行が見られた事くらいという、見てすぐに分かる程度のものに過ぎなかった。唯一、貰ったデータの中で最も古い四年前の行方不明の少女だけが例から外れて品行方正な生徒だったようだが、それらの情報から新たな何かを見出すことができない。

(そもそもこの人たち全員が一連の事件と関係あるとは限らないからな……)

 自分は名探偵などではない、と功祐には謙遜して言ったが全く以てその通りだ。小説の中の彼らみたいに都合よく何かを閃く事など無く、功祐には悪いがこのままもらった情報を見続けても時間の無駄に終わりそうな気しかしない。

「……」

 眼鏡を外し目元を揉み解す。立ち上がってもう何杯目か分からないコーヒーをカップに注ぎ、椅子に座りなおす。溜息を吐きながら無機質な天井を眺めると、椅子がキィと鳴いた。
 少なくとも、ノイズの混じった情報から真実を見抜く聡明さも勘の鋭さも自分には無い。たまに浮かんだ仮説もすぐに自らによって全て否定された。誰かの手を借りたくてもそんな相手など居ないし、また、事件の起きていない今の段階で警察に動いてもらう訳にもいかない。

(未来……)

 脳裏に未来の死に顔が浮かぶ。識也の拳が自然と握り込まれた。
 この先の事を知っているのは自分だけだ。思い描く未来の姿を手に入れるためにも、自分一人で何とかしなければならない。だから、ここで簡単に諦める訳にはいかないのだ。

「この先を……知っている?」

 知らず眉間に皺が寄っていた識也だったが、思考の中で過った言葉が引っかかった。

「そうか……伊藤 しずると未来の二人の事件は起こるんじゃないか」

 確かにこの世界では二人の身に何かは起こっていない。だが間違いなく、この先に二人は殺される。それも――恐らくは犯人は同じ。

「……アプローチを変えるか」

 過去の情報ではなく将来の情報から得られるものは何か。功祐から貰ったものはどれが今回の事件に関わっているか分からないが、二人に関して識也が知っていることは全て、ノイズの混じっていない事実だ。識也は背もたれから体を起こし、机に肘を突いて口元を覆った。
 まず伊藤 しずると都筑 未来の二人に共通するもの。それは女性であるということ。そして識也と同じ高校の生徒であるということだ。であれば、犯人は学校関係者、或いは学校の近くに住んでいて、彼女ら二人を知っている可能性が高い。

「……そういえば、学校の近くに不審者が居るって良太が言ってたな」

 良太だけでなく担任教師もHRでそう伝えていた。性別については明言していなかったが、残念なことに現代日本においては不審者イコール男性という構図が成り立つ。例え女性が少々妙な行動をしていても、変わった女性と見られるだけで学校で警戒される程の不審人物とみなされる可能性は低い。
 その不審者が男性であるとして、現時点での犯人第一候補。何処の誰かは知らないが、学校の近くを張り込みでもしておけばその彼が何者かは分かるか? いや、下手に警戒すると予想外の行動をとり始めることも考えられる。
 確かに識也はこの先の出来事を知っているが、細かな出来事は変わりうる。全てが確定事項では無いのだ。ハッキリと犯人が分かっていない状況でそうするのは少々リスクが高そうに思えた。

「……」

 しばし思考を巡らせ、識也は冷めたコーヒーに口をつけた。そしてまた少々思考の方向性を変えて二人のある共通点に焦点を当てる。
 それはすなわち――遺体の状態だ。

「二人共首を斬り落とされていたよな……だが、どうしてそんな事をする必要がある?」

 識也の脳内には明確に正確に二人の遺体の映像が再生されていた。棺に入った未来の寝顔が鮮明に思い出され、識也は下唇を強く噛み締め深い皺が眉間に刻まれる。
 昂ぶる感情を飲み下し、気持ちを落ち着けて冷静に記憶の中の遺体を観察する。双方ともに鋭利な刃物で首が切断され、未来に至っては葬式の時点でも結局は体の方は見つかっていなかった。しずるの遺体を見る限りでは、頭部は暴行の跡があってかなり粗雑に扱われている反面、吊るされた肉体の方は傷も少なく丁寧に扱われている印象がある。

「体の方が必要だった? だが何に使う?」

 しずるの遺体は首を斬り落とされた上に逆さに吊られていた。それはかなり手間だ。そんな手間を掛けるのは何かしらのそうしなければならない理由が存在するはず。
 理由として識也が真っ先に思いついたのは臓器だ。非正規なルートで人間の臓器が売買されるといった噂は昔から枚挙に暇がない。肉体的に成熟して、しかも若く健康な臓器は必要としている人間からすれば魅力的だろう。その点、女子高生というのは理想的かもしれない。だがそうするとわざわざ首を斬り落とす必要はない。無駄な作業だ。

「体が必要じゃなくて頭が邪魔だったのか? 持ち運びの問題?」

 それにしても頭部は、全身から考えれば大したサイズではないし絶対に斬り落とさなければならない理由としては弱い。
 しばし考えるが識也はまたしても行き詰った。功祐に貰った情報を並べている時よりも先に進んだ感はあるし、幾つか正解そうな理由は思いつくが依然として自分の中でいまいちしっくりとこない。

「合理的な理由だけを追求しすぎなのか?」

 ただ単に不要な部分を落としたというだけかもしれないし、犯人の気まぐれかもしれない。首を落とすことに意味はない。その可能性も否定できない。
 犯人が体の部分だけを持ち去った理由はまだ不明だが、頭部に関しては深く考える必要はないのかもしれない。そう思いながら識也はベッドに寝転び、溜息を吐いた。

「しかし……犯人も全く分かっちゃいない。アレだけの綺麗な顔を残していくなんて」

 馬鹿にしたように鼻を鳴らす。識也にしてみれば死体の頭部こそが最も価値がある場所だ。使わないからといって放置していくなど愚の骨頂。自分であれば使わないにしろ持ち帰ってじっくりと芸術品のように――

「――待てよ?」

 ベッドから唐突に体を起こし、頭の隅を過った引っかかりに意識を集中する。
 どうして自分はさっきから死体から意味ばかりを見出そうとしている? 一般的な価値のみを論じている?
 立ち上がって台所へ移動。換気扇を回してタバコに火を点ける。煙が立ち上り、換気扇の奥へと吸い込まれていく。
 自分は世間に溶け込もうとするあまりに、思考までそちらに寄せすぎていないだろうか? どうして金銭的価値や物質的意味にばかり解を追い求める必要があろうか。物の価値とは必ずしもそればかりではないというのに。

「もし――」

 もしも犯人の思考が一般的なそれとはかけ離れていたら。もしも犯人の価値観が普通とは違いすぎていたら。
 もしも犯人が――死体そのものに精神的な価値を見出しているとすれば。

「……」

 灰が流しに落ち、ジュッと小さく音を奏でた。

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