森の雫、リン

ぽぽ太

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第二章

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 ただひたすらに山道を歩く。もうすぐ、ナリ村を出てから二度目の夜に差し掛かろうとしていた。
 ナリ村の属するナジーシ国の北側とナゴタ国の南側はほぼ人の行き来が無いと言っていい。ナジーシとナゴタが貿易をするときは、普通東のカールバ国を経由していくことがほとんどだ。ナリ村側の国境には二つの大きな山が聳え、超えるのはなかなかに骨が折れる。
「……」
「……」
 タックとモナは黙って山道を歩く。道があるということは、ここを通る人もいるのだろうが、火族どころか、人ひとり会わない。
「宿が見えてきた」
 表情を変えずにモナが言う。しかし、その額にはうっすらと汗が滲んでいた。
「あそこで馬を借りる」
「はい」
 タックは馬に乗ったことがなかったが、できるだけ元気に返事をした。モナが何故タックの同行を許したのかが分からない以上、下手なことはできない。いつ帰れと言われてもおかしくないのだ。もちろん、タックとしては、帰れと言われて帰るつもりは全くない。それでも、今まで村の外に出たことがなかった身の上では、モナという存在はありがたく、やすやすと別れるわけにはいかない。何よりタックとモナの目的は同じだ。
 モナは宿の前まで来ると、迷いなく戸を叩いた。
「ごめんください」
 タックはなんとなくモナの影に隠れるようにして宿の入り口を伺う。
「はーい、いらっしゃい!」
 しかし、予想に反して、声は背後から聞こえた。
「やっほーー!久しぶりのお客さんだ」
 振り向くと、タックの胸の高さくらいの笑顔の少年。肌は健康的な色をしていて、光の加減によって灰色とも銀色とも取れる髪色と、とても相性がよく整っていた。
「驚いた?ねえ、驚いた?」
「まぁ……」
「僕、屋根の上にいたんだよ!そしたら南からお客さん!」
 テンションの高い子だ。四日近く歩き続けて疲労が溜まっているタックたちにはなかなかについていけない。
「ささ、入った入った!山菜をごちそうするよ!」
「ごちそう?」
 少年のちょっとした言葉じりを捉えたのはモナだ。
「もちろんお代はいらないよ?山菜はただで手に入るからね!」
 そう言って少年は足元に生えていた草を抜き取ってタックの前に掲げて見せた。
「ね?」
 満面の笑みだ。どういう理屈かは分からないが、どうやらこの少年は山菜料理を振る舞ってくれるらしい。その申し出は正直ありがたかった。モナの食糧をタックと二人で分けて食べているのでもうお腹はペコペコだ。
 モナも同意見だったらしく、少年に促されるままに宿に入っていった。タックも慌てて後に続く。

 宿は、木組みの建物だった。太い幹がたくさん使われた雰囲気のいい内装で、玄関を入ってすぐのところに、大きな机があり、その広さと物の配置から共用の場所であることがうかがえた。奥には部屋がいくつかあるようだが、人の気配がしないあたり、どうやら、タックたちの他に客はいないらしい。
 ただ、宿の年期は感じられる。椅子一つとっても、隠しきれない年月が、内面から渋みとなって表れていた。
「ごめんねー、ナリ村の人には不快だよね?」
 少年が申し訳なさそうに腰をかがめる。
「でもまぁこの宿作ったじいちゃんが風族だったから、許してね」
 おそらく、木でできていることを言いたいのだろう、だからタックは少年の勘違いを訂正しておくことにした。
「木は、ある程度の年齢になると自我を失うんだ。種類にもよるけど……」
 タックは部屋全体をざっと見渡す。
「ここは大丈夫、もうみんな天命を終えた木しかいない」
「死んでからも大事にされて、いいと思う」
 モナも少年を安心させるように柔らかい口調で言った。
「よかった~~!」
 少年は軽やかな足取りで調理場に入っていく。
「これからはナリ村のお客さんも増えるからね!よかったよかった万事解決!」
 調理場は共同スペースから見えるようになっていて、少年の手元こそ見えないが、くるくると変わる表情はよく見えた。
「どういうこと?」
  モナが何でもないふうに少年に尋ねた。今ナリ村の対ナゴタ感情は最悪と言っていい。この前の惨状を知っているモナやタックにとっては当然の疑問だった。
「だって、ナリ村はナゴタ国になったんでしょ?」
「まだ戦に負けたわけじゃない」
 タックが反射的に答える。まさか、たった数日で、こんなに情報が回っているとは思わなかった。そもそも、あれは、ナゴタの勝利ということになっているのか。
「戦?何それ」
「戦の話じゃないの?」
 てっきり戦の話をしているのだと思っていた。
「そういうんじゃなくて、王が外交で手に入れたって」
「それは本当?」
 珍しくモナの声に張りつめた音が乗る。
「あれ?お客さん知らないの?」
 少年は山菜を刻む手を止めた。モナたちの反応が予想外だったのか小首をかしげている。
「知らない……」
 道理で、ナジーシ国から指示も援軍も来ないはずだ。もし少年の話が本当だとしたら、タックたちが戦だと思っていたあれは、戦ではなく、内戦だったということになる。
「でも、どうして……」
 だとしても、分からないことだらけなのには違いなかった。なぜ、火族の彼らは攻めてきた。領地拡大が目的ではなかったのか。もし、少年の話が本当なら、ナゴタは自国の領土を焼き荒らしたことになる。
 グルタグに着けばもう少し何かが分かるかもしれないが、現状では、憶測しか生まれない。タックたちにできることと言えば、今はただ一日も早くグルタグに着けるように尽くすしかない。
「あ、お客さんの部屋は右側ね」
 少年は、朗らかに言う。
「あの部屋の硝子が一番澄んでいて星が見やすいんだ」
 そんな無邪気な彼を見ていて浮かんだ一つの疑問。
「この宿には君一人しかいないの?」
 年齢は定かではないが、おそらくタックより下であろうこの少年が、この宿を一人で切り盛りしているとは考えにくい。とはいえ、今のところ、彼とタックとモナ以外の人の気配を感じなかった。
「君じゃなくて、ラピラ!そう、僕の宿だよ!おじいちゃんから託されてんだ、へへへ」
 驚いた。山の中腹、あまり人が来ないところにある、なかなかに立派なこの宿を一人で営んでいるだなんて。今、山菜を炒めている彼、ラピラが急に大人びて見えてきた。
「昔はねー、すごかったんだって!大繁盛!大繁盛!」
 言葉を発するラピラの目はとても輝いていて、もしかしたら、おじいちゃんから毎日のように聞かされていた話なのかもしれなかった。
「大事な大事なラピラのお客さん、はいどうぞ!召し上がれ!」
 少し、立ち入ったことまで聞いてしまったかもしれないと思ったときは時すでに遅し。それでも、その何とも言えない気まずさは、ラピラが大机の上に載せた山菜料理がきれいに吹き飛ばした。ただでさえまともな食事は三日ぶりくらいなのにも関わらず、その料理からは湯気が立ち込めていたのだ。タックの口の端から、食欲が垣間見える。
「スパイスと混ぜて、炒めただけだけどね。ここじゃ、塩はなかなか手に入らなくって」
「いただきます!」
「いただきます」
 ラピラの話もそこそこに、タックたちは目の前の料理にかぶりついた。
 おいしい。とてもおいしい。普段食べている、果実や木の実のあまさとは全く異なり、ピリッとした、ほんのりとした痛みが舌に残るような感覚。最初は驚きの方が強かったが、不思議と、今では、もう一口を求めるおいしさへと変化していた。
「この先は、下り」
 食べながら、モナが話しかけてきた……というより、一方的に宣言してきた。
「え、でも、頂上はまだまだ……」
 今、ここは、山の中腹あたりだ。
「登頂が目的じゃない。」
「あ、はい」
 モナの言うとおりだ。わざわざ山の間の最短路ではなく、この山道を選んだのは、ナゴタの軍隊の宿営地を避けるためだ。その目的さえ達成していれば、グルタグに一日でも早く着くのが最優先事項だ。
 
 ラピラの作ってくれた料理を食べた後、タックたちは床に就いた。今日ばかしは寝ないと、体力がもたない。体力だけでなく、精神の方も疲弊している自覚がタックにはあった。
 目を閉じると、思い浮かぶのは彼女のこと。歩いているときは、意識的に避けていた思考が顔を覗かせる。
 不安だ。一言で表せばそういうことになるのだろう。グルタグに行ったってリンに会える保証なんてどこにもないのだ。もしかしたらもう……。
 そんなことを考えながら、タックはまどろみに身をゆだねた。

――バリンッ!
 
  だから仕方なかった。窓の硝子が大きな音を立てて割れたことに反応するのが少し遅れてしまったとしても……
「タック君!」
「うわっ!」
 モナの声が聞こえると同時に、タックに向って火の玉がものすごい速さで飛んできた。
 ほとんど反射だけ避けたタックは、それでも、頬に少し火傷を負った。
  部屋が燃えることもお構いなく、火の玉が続けて二発、三発と飛んできた。それをタックは床を転がって避ける。
「こいつ、ちょこまかと」
「ぐあっ」
 敵の数は、一、二、三人!この狭い部屋で五人が居合わせていることになる。
「くっ!」
 窓から攻めてきた敵に対して、この狭い部屋での戦闘は、明らかに逃げる側、受けて立つ側のタックたちからしたら不利すぎた。
 床を転がってさりげなく扉の方を目指したタックだったが、三歩ほど手前までたどり着いたタイミングで先に火族の男に塞がれてしまった。
「きゃあ!」
 モナはもう一人のさらりとした赤毛が肩まである男ともみ合いになっていた。弓という長距離戦を得意としていて、なおかつ女性のモナには絶望的な状況だ。
「モナさっ、ゲボっ!」
 部屋が、燃え始めた……!
「ええい、まどろっこしい!全部焼き尽くしてしまえ!」
「それは!」
 いけない!タックの命は仕方ない。覚悟はしてきたつもりだ。でも、この店は、ラピラのものだ。巻き込んではいけない。
「へいあ!」
 モナと揉み合っている以外の火族の男たちが一斉に火を放った。部屋の中は、真っ赤に染まる。
「うああああああああああああ」
 木でできている壁や家具はあっという間に真っ赤な炎に包まれ、それ自体が意思をもっているかのように、床を這った。
 熱い焼ける燃える火火火火炎炎炎炎――
 小さい窓から出ることができない煙が部屋に蔓延する。
 熱い。皮膚が叫び声をあげる。
 普段珍しくともない火が、自分の制御の効かないものになった瞬間に、急に別人かのような顔で猛威を振るう。
 紅が網膜に焼き付く。
 死ぬのか?
 何も
 してないのに
「ゲホッゲホッ」
 限りなく鮮明な既視感がタックを襲った。
 燃え盛る炎の中、両手で自分の肩を抱いてうずくまる
 なぜだ!恐怖?痛み?なんで!どうして!
――立て!立てよ!立ってくれよう!!
 あの時と違うのは、目と鼻の先にいる火族の男。
「死ねえええええええ」
 明確で鋭利な殺意を込めて、刃物をタックに向けて振り下ろす。

「お客さん!こっち!」
 その瞬間、ダンッと大きな音を立てて部屋の扉が音を立てて開いた。扉を塞いでいた男も、まさか、向こうから扉を開けられるとは思っていなかったらしく、勢いよく開いた扉に、押され、前につんのめっている。
 タックに振り下ろされたと思われた刃物は、しかし、タックではなく、タックのすぐ横の床に突き刺さっていた。
「ていっ!とうっ!」
 理由はすぐに分かった。ラピラがタックに襲いかかってきていた男に向けて手のひらを向け、吹き飛ばしていたのだ。
「お客さん、こっち!」
 風族故のラピラのその攻撃の威力は、とても強かったが、それでも、この部屋に蔓延する炎にはとうてい太刀打ちできやしないことは、一瞬で分かった。
 ラピラの風で倒れた男の髪に火が燃え移ったのが視界に入る。
「でも!モナさんが!」
「お客さん!!!」
 ラピラが動けないでいるタックの腕を掴んで引っ張った。
  タックは自分の中途半端で不明瞭な意志ゆえに力づくで抵抗することもできず、部屋から引っ張りだされてしまう。
「こっち!」
 気づいたら馬に乗っていた。
「ズーランはベテランだから心配ないよ!しっかりつかまっててね!」
「ラピラは!?」
「僕の大事なお客さん、もう一人いたからね!」
「なら!」
「行ってらっしゃい!!」
 タックの言葉を聞く気はないらしく、ラピラはズーランのお尻お思い切りよく叩いた。
「ご利用、ありがとうございました!」
「うわあああああああ」
 馬が猛スピードで山を下っていく。岩屋斜面凹凸も軽々と越えていくズーランはなるほど、たしかにベテランらしかった。
 ふと振り返って見えたのは、轟々と燃え盛る宿と、その前でタックに向けて手を振り、燃え盛る宿へと消えていく小さなラピラだった。表情までは、見えなかった。

俺、また、逃げたのか……?
大事な人を置いて、自分だけ……。
夏を忘れた秋風が、馬上にいるタックに容赦なく吹き付けていた。
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