女化町の現代異類婚姻譚

東雲佑

文字の大きさ
1 / 36
プロローグ

猫は人差し指を無視できない

しおりを挟む
 猫は人差し指を無視できない。そう教えてくれたのもまた夕声 ゆうごえだった。

「いいか? 猫ってのはさ、こうやって人差し指を向けられると……」

 商店街の裏手にある駐車場で、彼女はたむろしていた猫たちを相手に僕にそれを実演して見せた。
 夕声は右の五指を丸めたあとで、人差し指だけをピンと立てて振った。それから彼女は砂利の地面にしゃがみ込んで、真っ直ぐに伸ばした指をゆっくりと猫の前へと持っていく。

 鼻面に指を突き付けられたサバシロ猫(魚の鯖みたいなカラーリングの猫を総じてサバシロと呼ぶのだということも、そういえば彼女から聞いたのだった)は、怪訝そうな顔で少しだけ後ずさりした。

「……なんか、警戒されてない?」
「いいや、ここまでは首尾良くいってる。本当に警戒されてたらもう逃げられてるよ」

 サバシロ猫はそのまましばし彼女の指を観察していた。まばたきもせずに凝視し、様々な角度からその匂いを嗅いだ。
 それから、おずおずとではあるけれど、指に顔を擦り付けてきた。顎のあたりを。

「よし、挨拶完了。こうなったらもう問題なく撫でさせてもらえるよ」

 猫のすりすりが指から手のひらの方にまで広がった後で、夕声はサバシロの頭を撫ではじめる。おでこのあたりから頭の裏あたりまでを、さすっ、さすっと。

 猫は逃げなかった。逃げずに、彼女に撫でられるに任せている。

「すごい」僕は思わず声をあげた。「どうなってるんだ。だって、野良猫だよ?」

 まさか超自然の神通力か?
 そう言った僕に対して、夕声は呆れたように「ばーか」と言った。

「そんなんじゃないよ。あたしはただきちんとこいつらの流儀で挨拶しただけだ」
「あいさつ?」

 そ、挨拶、と夕声。

「こうやって指を突き出されるのって、こいつらにとっては別の猫から鼻を突き出されるのと同じなんだよ。で、それってこいつら猫たちの挨拶だからさ。もしも無視した日には一触即発の喧嘩になっちまう」
「だから猫は人さし指を無視できない?」
「そ。だから猫は人さし指を無視できない」

 サバシロくんの(あるいはサバシロちゃんの。猫の雌雄を見分けることが僕にはできない。彼女と違って)頭を撫でながら夕声は言った。
 それから、夕声は不意に顔を上げた。僕の方を見る。
 とびきりの笑顔と出会った。得意げな色を少しも隠そうとしない、裏表のない笑顔に。
 その笑顔に、不覚にも僕は見惚れてしまう。いつものように。

「ん? どうした?」
「べ、別になんでもない」

 僕の内心を目敏く読み取ったらしい夕声が、勝ち誇ったような顔でこちらの顔を覗き込んでくる。
 その表情が可愛いやらムカつくやら、僕はなんとか誤魔化そうとする。

「え、ええと……いまのやつ、僕にもできるかな?」

 苦し紛れに口をついたのはそんな言葉だった。
 夕声は少しだけ考えた後で、人生はチャレンジだ、やってみろよ、と言った。それが年上に対する口の利き方かよとか、そんな文句はもう口にする気にもならなかった。

 結果から話すと、僕のチャレンジはスタートラインにつく前に終わった。
 軽トラの影にいた三毛猫をターゲットに定めて僕が二、三歩近づいたところで、駐車場の猫たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ出してしまった。

 僕が呆然と立ち尽くしていると、夕声が腹を抱えて笑い出す。
 大口を開けて、白い歯をむき出しにして、はしたなくも楽しそうに。

 悔しいけど、この笑顔も好きだった。



 これは、僕が茨城県龍ケ崎市で出会った一人の女の子のお話だ。
 彼女のチャーミングな部分はいくつもあげられる。無類の猫好きで、いまどきめずらしくご飯を美味しそうに食べて(インスタ映え? なんだそりゃ)、それにとにかく笑顔が素敵で。
 あと、これはそこまで重要ではないかもしれないけど。
 彼女は、純粋な人間ではなかった。

「やっぱり、あんたといると楽しいな。なあ、あんたもあたしといると楽しいだろ?」
「……まあ、うん」

 彼女は僕がこれまで出会った中で一番スペシャルで、そしてたぶん、一等賞に魅力的な女の子だった。
 ……たぶん、おそらく……いや、まちがいなく。

 でも、だからこそ厄介だった。

「だよなだよな。だったらさ――」

 なにしろ、彼女は。

「なぁハチ。やっぱり、あんたはあたしを嫁にするべきだよ」




 これは、僕といううだつの上がらない男が、スペシャルにチャーミングな彼女の魅力に抗おうと無駄な努力を重ねる物語であり。
 そして、茨城県龍ケ崎市の女化 おなばけ神社界隈を舞台とした、現代の異類婚姻譚である。


しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ちょっと大人な物語はこちらです

神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な短編物語集です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

煙草屋さんと小説家

男鹿七海
キャラ文芸
※プラトニックな関係のBL要素を含む日常ものです。 商店街の片隅にある小さな煙草屋を営む霧弥。日々の暮らしは静かで穏やかだが、幼馴染であり売れっ子作家の龍二が店を訪れるたびに、心の奥はざわめく。幼馴染としてでも、客としてでもない――その存在は、言葉にできないほど特別だ。 ある日、龍二の周囲に仕事仲間の女性が現れ、霧弥は初めて嫉妬を自覚する。自分の感情を否定しようとしても、触れた手の温もりや視線の距離が、心を正直にさせる。日常の中で少しずつ近づく二人の距離は、言葉ではなく、ささやかな仕草や沈黙に宿る。 そして夜――霧弥の小さな煙草屋で、龍二は初めて自分の想いを口にし、霧弥は返事として告白する。互いの手の温もりと目の奥の真剣さが、これまで言葉にできなかった気持ちを伝える瞬間。静かな日常の向こうに、確かな愛が芽吹く。 小さな煙草屋に灯る、柔らかく温かな恋の物語。

春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話

登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。

烏の王と宵の花嫁

水川サキ
キャラ文芸
吸血鬼の末裔として生まれた華族の娘、月夜は家族から虐げられ孤独に生きていた。 唯一の慰めは、年に一度届く〈からす〉からの手紙。 その送り主は太陽の化身と称される上級華族、縁樹だった。 ある日、姉の縁談相手を誤って傷つけた月夜は、父に遊郭へ売られそうになり屋敷を脱出するが、陽の下で倒れてしまう。 死を覚悟した瞬間〈からす〉の正体である縁樹が現れ、互いの思惑から契約結婚を結ぶことになる。 ※初出2024年7月

〈社会人百合〉アキとハル

みなはらつかさ
恋愛
 女の子拾いました――。  ある朝起きたら、隣にネイキッドな女の子が寝ていた!?  主人公・紅(くれない)アキは、どういったことかと問いただすと、酔っ払った勢いで、彼女・葵(あおい)ハルと一夜をともにしたらしい。  しかも、ハルは失踪中の大企業令嬢で……? 絵:Novel AI

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?

処理中です...