女化町の現代異類婚姻譚

東雲佑

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第一章 きつね火

2.今と昔の境界線

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 バスはだいたい十五分ほどで終点に至った。
 最終の長山バス停で下車したのは僕だけだった。他の乗客はみんな降りた後で、車内には運転手さんを除けばもう僕しか残っていなかった。

 降りるときに、またのご利用をお待ちしています、と運転手さんが笑って声をかけてくれる。
 僕も笑顔を返して、今後ともよろしくお願いします、と言う。
 運転手さんが敬礼するように頭の横で手刀を一振りして、回送となったバスは走り出す。

 そのようにして、僕はようやく目指すべき土地に辿り着いた。
 僕はバスを降りたのである。

 僕はバスを降りて……そこで、まずはひとしきり絶句した。

 目の前に広がる光景は、異様というか、率直に言ってものすごく『ヘンテコ』だった。
 何度もしつこくて恐縮なのだけれど、僕はニュータウン北竜台行きのバスに乗り、終点の長山バス停で下車した。
 つまりニュータウンを通過してここまで来たのだ。
 だからバス停から後ろを振り返れば、そこには秩序だった快適さとクリーンなイメージに満ちた、近代的な住宅街が広がっている。すぐ目の前にはオートロックのマンションだってある。

 しかし、体の向きを百八十度反転させて、道の先を見れば。

 バス停の数メートル先からは、近代的どころかひどく昔めいた風景が広がっていた。
 目に見えない特定のラインを境に住宅の密集が唐突に途切れて、そこから先は急に人家がまばらになっている。
 そしてそのまばらな人家のそれぞれがみな、ニュータウンの真新しい家々とは異なる、築年数の経過したひと昔かふた昔前の建物なのだ。
 道の右手にはカーブする道路に沿って雑木林が長く伸びていて、これもまたかなり鬱蒼としている。ニュータウン側にはあり得ない、原生的な自然。

「なんだこれ……」

 ようやく言葉を取り戻して、そう呟く。
 都市開発の手がそれ以上及んでいないとか、これはそんなチャチなものじゃない。
『昔』が意図的に残されているのだ。平成の始め頃とか、あるいは昭和とか、そういう頃の時代が。

 ある地点を、はっきりとそのポイントを境界に、そこから先にだけ。

 まるで結界だ、と僕は思う。
 目の当たりにした新天地のヘンテコさに、バス停に立ち尽くした僕はただただ感嘆の吐息をつく。

 ……と、新天地。
 そうだった。あんまり驚いたものだから忘れかけてたけど、僕は観光目的でこの場所に来たんじゃない。引っ越してきたのだった。

『終点のバス停から見える一番それっぽい家がお前の新居だ』

 叔父のガイドに従って、僕はバス停からぐるりと周囲を見渡す。手がかりもなしで、とにかく『一番それっぽい家』とやらを探してみる。
 すると、すぐにそれは見つかった。
 一番それっぽいというか、一番ヘンテコな家。

 もう十分唖然としたつもりだったのに、その建物を見た瞬間、僕は追加で愕然としてしまう。

 ニュータウンが終わるライン――便宜的に『今と昔の境界線』と呼ぶことにする――にまたがるようにして建てられたその家は、半分が直線的な機能美を重視した現代住宅で、しかしてもう半分が古民家然とした木造家屋という、叔父の人物像そのままの『ヘンテコ』な家だった。
 言っておくけど母屋と離れで趣が異なるとかそういう話ではない。

 二つの異なる建築様式、二つの異なる時代が、一個の建物の中で歪に癒着して結合しているのだ。

 案の定、そのヘンテコな家が叔父宅だった。広い前庭を横切って二面性の顕著 けんちょなこの家の現代建築側(これからは『今側、昔側』と区別しようと僕は決めた)にまわってみると、家の前のポストには叔父夫婦の名字プレートが下げられていた。
 ひとまず目的地に到着した安堵を胸に玄関に向かい……そこでまた僕は唖然とする。
 玄関のドアに、家の鍵がガムテープで貼り付けられていた。どうやらこれで入れということらしい。

「な、なんて無茶な真似を……」

 無用心というレベルを通り越してもはや治安に対する挑戦だ。
 いったいこの鍵はいつからこうしてここに貼り付けられてたのか……恐ろしくなるから考えるのはやめた。

 とにかく、鍵を使って家に入る。幸いにも不審者侵入の形跡はどこにもなかった。
 さらに幸いなことに、外観は奇妙極まりなかった叔父宅も、内部は至って常識的な造りをしていた。
 基本は『今側』の見た目に沿ったおしゃれな内装で、東側の一部が『昔側』の外観に準じている。その部分にも生活に支障の出るような古さは全然ないし、断熱もしっかりしていそうだ。

 ただしひとつだけ、『今側』と同じように『昔側』にも立派な玄関があることだけがちょっと普通でなかった。
 玄関が二つある家って、なんだそれ。

「……まぁ、お客さんは通りからよく見える『今側』から訪ねて来るはずだから、『昔側』は少し大きな勝手口とでも考えておこう」

 そう独りごちて(やれやれ、さっきから僕は一人言ばかりだ。一人暮らしをはじめると一人言が増えるっていうのは本当なのかもしれない)結論としてしまう。

 まだまだ今日中にやらなければならないことはたくさんあるのだ。

 僕はまずはじめに叔父に電話をかけ、到着の挨拶とあらためてのお礼を伝えた(ガムテープで貼り付けられた鍵についても文句を言ったが、案の定というべきかガハハと笑って流された)。
 それから、事前に送っておいた荷物のダンボールを探して最低限の荷解きをする。
 忘れないうちにガスと水道のチェックもした。

 そのあとで、隣近所に引っ越しの挨拶をしに行く。
 最初にインターホンを押した二軒は留守だったけど、三軒目ではエプロン姿の若い奥さんが応対してくれた。
 僕は挨拶の品(定番のフェイスタオルだ)を渡して、今後ともよろしくお願いしますと頭を下げた。

 今日これまでに出会ってきた人たちと同じように、この若奥さんもやっぱりとても感じのいい人だった。一人で越してきた僕を心配して、いろいろ励ましてくれた。

 僕らはすっかり打ち解けて、そのまま少しのあいだ話し込む。
 その雑談の中で、ここら辺の奇妙な風景というか、あの統一された時代の不統一感とでも呼ぶべき土地区画整理について話題に出して尋ねてみた。

「ああ、はじめて見ると少し驚くでしょう?」

 若奥さんはそう言って笑い、そして続けた。

「ほら、なんといっても、ここはもうオナバケが目と鼻の先ですから」



   ※



 夕食はデリバリーのピザを頼んだ。自炊をするにも材料はなにもなかったし、それに引っ越しの日くらいは店屋物でも許されるだろう。
 四種類の味が一枚で楽しめる人気のピザは、だいたい三十分ほどで到着するとのことだった。

 テレビの時計表示は七時十六分を示している。
 ピザを待つ間、僕は観るともなしにバラエティ番組を見ながら、さっきお隣さんが言った言葉の意味を考えていた。

『なんといっても、ここはもうオナバケが目と鼻の先ですから』

 結局、それがどういう意味なのかは聞きそびれてしまった。あの後すぐに電話が鳴って奥さんが家の中に引っ込んでしまったからだ。
 謎めいた固有名詞だけを残して。

 やれやれ、またか。
 こうも頻出すると嫌でも気になってしまう。
 バスに続いて、ここでもまたオナバケ。

 謎めいたオナバケの、僕はその尻尾すら掴めずにいる。
 会話の文脈からして地名であることは確かなのだけど、逆に言えばそれしかわかっていない。
 どんな漢字を当てるのか、そもそも本当に日本語に由来する地名なのか、それすらも定かでない。

「やれやれ」

 僕はもう一度村上春樹的なため息をついてみた。やれやれ。

 でも、まあいい。バスの運転手さんやお隣の若奥さんの言葉から推察するに、今日から僕の暮らすこの町(ここは竜ヶ崎ニュータウンの北竜台エリア、さらに詳細にはその端っこに位置する長山という地区らしい)は、謎のオナバケにだいぶ近いらしい。
 それに、と僕は思う。
 それに事の成り行きから言って、もうすぐ謎のオナバケは僕の前に現れるはずだ。これだけ立て続けにさらには思わせぶりに話題が出来 しゅったいしているのは、つまりそういうことだ。
 そして、僕はその謎めいた土地と、あるいはその場所に深く関係する人物と縁を得て、なんらかの事件に巻き込まれて行くことになる。ああ、きっとそうに違いない。

「……ライトノベルならね」

 僕は自分の考えを笑い飛ばす。やれやれ。
 と、僕が三度目のため息をついたところでインターフォンが鳴った。お待ちかねのピザが届いたのだ。
 僕は財布を手に『今側』の玄関へと急ぐ。
 注文内容と配達商品に相違がないことを確認し、配達員 ピザボーイのお兄さんに代金を渡す。
 毎度ありがとうございますと元気に挨拶してくれた背中を見送って、熱々のピザを手に家の中に戻る。

 玄関を閉めようとした時、ピンポーンと、チャイムが……玄関のチャイムが鳴った。

 インターフォンのブザーとは違う音だった。
 それに、音がした場所も違う。

 玄関チャイムは、屋内を横断する長い廊下を歩き詰めた反対側、こことは違うもうひとつの玄関で鳴ったのだ。
 『昔側』の玄関から。

 もう一度チャイムが鳴った。まるで「さっさと出ろ!」と催促するように。
 とにかく、急いで上がり かまちを上がって、「はいはい! 今出ます!」と叫びながら廊下を小走りに走る。ピザを手に持ったまま。

 そうして三度目のチャイムが鳴るのとほぼ同時に、僕が『昔側』の玄関を開けると。

 引き戸の向こうには、女子高生がいた。

 もう一度言う。そこには、玄関先には女子高生が立っていたのだ。
 制服のスカートに学校名の入ったジャージの上を合わせた出で立ちの。
 竜ヶ崎第一高校。

「おっす」

 女子高生が言った。

「……お、おっす?」

 僕も返した。なぜか若干疑問形で。
 それから。
 それから、完全に面食らっている僕には構わず、女子高生はいとも直入に自己紹介らしきものを口にした。

「あたし、オナバケの栗林夕声 ゆうごえ

 やれやれ、まるでライトノベルだな、と僕は思った。
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