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第二章 むじな
5.スケベ
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民俗学者の佐々木喜善が採集した話に、こんなものがある。
明治43年の夏、岩手県土淵村の尋常小学校(小学校の昔の呼び方だ)の運動場で一年生の児童数名が遊んでいると、見知らぬ一人の子供が遊びに参加してきた。
子供たちは仲良く遊んだが、この謎の子供は一年生の児童にしか見えなかった。「ここにいる」と指さし教えられても、上級生や大人たちはついぞその姿を捉えられなかった。
また、怪談研究家である熊沢隆道の著書では、次のような怪談が紹介されている。
平成十年台の新潟県の小学校に、大人には認識することのできない子供が現れた。児童らは当たり前のようにその子供を受け入れている様子だったが、先の話と同様、やはり大人は姿を見ることができなかった。
この見えない子供は一時期のあいだは毎日のように現れたが、やがてぷっつりと話題にのぼらなくなったという(熊沢はこの怪談に特に大きな関心を持ち、取材のために問題の小学校まで足を運んでいる)。
さて、これらとそっくり同じような現象が、水沼教諭が勤める龍ケ崎市立北竜台小学校でも起きているらしい。
児童にだけ認識される、実体のない謎の子供。
「まるで座敷童だ」
思わずそんな感想を漏らした。子供にしか見えない子供の姿をした妖怪といえば、なんといっても座敷童だろう。基本的には家に棲み着く存在だけど、時折は学校などの子供の集まる場所にも現れたという。
さっき名前を挙げた佐々木喜善も、一つ目の岩手の話を『遠野のザシキワラシ』としてあの柳田國男に紹介している。
「椎葉さんたら、本当にこういうのがお好きなんですね」
「あ、いえ、ちょっと職業柄というか……」
「オタクだよオタク。ここまで行くとなんかちょっと気持ち悪いよな」
やかましい。
「でも、座敷童とはちょっと違うかしらね」
「そうなんですか?」
「ええ。だって座敷童っていうのは、幸福を呼び込む善い妖怪でしょう?」
水沼さんは北竜台小学校のざしきわらし(仮称)について話しはじめる。
四月に新学年がはじまったあたりから、校内における児童の非行件数が目に見えて増加している。
教職員が事情を問いただすと、子供たちは口を揃えて「知らない子がやった」と証言する。
しかしもちろん、そんな子供は影も形も見当たらない。
「架空の存在に罪をなすりつけようとするなんて嘆かわしいって、ダーリンも最初はそう憤ってたんです。だけど、あんまりにもみんなして同じことを言うでしょう? それにダーリンが言うには、子供たちからはウソをついてる感じが全然しないんだとか」
しかし生徒たちがウソをついているのでないとしたら、校内に部外者が侵入している可能性がある。
それがたとえ子供であれ、児童の安全を預かる学校に侵入者はまずい。
「そんなわけで、今学校では防犯カメラの導入も検討しているそうですよ。ね? 正体がなんであれ、座敷童ではないでしょう?」
どちらかというと天邪鬼とかかしらね、と水沼さん。
「……」
僕はといえば、なにかが引っかかったような、すっきりしない気分に陥っていた。
見れば、夕声もそれは同じらしかった。彼女もえらく微妙な表情になっている。
そうだ。僕たちはこの話を、どこかで聞いたことがあるんじゃないか?
「ねぇ静さん。子供たちの非行って、どんなん?」
ややあってから、夕声がそう訊いた。
「そうねぇ。非行の内容自体は大したものじゃないのよ。お友達をぶって泣かせたり、先生を狙って黒板消しをもくもくさせたり……深刻なものでもせいぜいこのくらい」
あ、それから、と水沼さんは思い出したように言った。
「それから、トイレで飴の袋が見つかることが増えたとか」
その瞬間、僕と夕声は揃って「あっ!」と声をあげた。
※
「そっか。お前らが通ってる学校って、そういやホクショーだったな」
夕声がそう言うと、三人の小学生は順番に「なかよくー」「かしこくー」「たくましくー」と返した。
なんだそれ? と首をかしげる僕に「ホクショーの校訓だよ」と夕声が解説する。聞けば彼女も北竜台小学校の卒業生なのだそうだ。
水沼さんから話を聞いた日の夜だった。
我が家には夕声と、それから子ダヌキトリオの松・竹・梅が集まっていた。
「それじゃ君たち、水沼先生って知ってる?」
僕が聞くと、子ダヌキたちはやっぱり声を合わせて「知ってるー」「ねっけつー」「ぽじてぃぶー」と答える。
やれやれ、世間のなんと狭いことか。
「おい。そんなことより」
「ああ、うん」
夕声に促されて、子ダヌキたちに来てもらった本題を思い出した。
「君たちが前に言ってたことって、ほんとだったんだね」
「まえ?」「はて?」「なんぞ?」
三人揃ってこてんと首を傾げる。
「ほら、入学したばっかの頃にお前ら言ってただろ。なんか学校に乱暴者の悪い奴がいるとかって」
三人分の「あー」が綺麗に重なった。思い出してくれたようだ。
「ごめんね。最初に君たちから話を聞いた時、きちんと取り合わなくて」
四月の後半のことだから、もう三週間も前になる。
神社の社務所ではじめてこの話を聞いたとき、僕も夕声も話を掘り下げて聞こうとはしなかった。
語られた悪事のスケールが小学生サイズだったこともあるし、学校に通い始めたばかりの子供が空想にとらわれるというケースも……。
いや、いまさら理由を並べたところで言い訳にしかならない。
「……ごめん! すまない! ……申し訳ない!」
もう一度、三人に向かって頭を下げる。心から謝罪する。
そんな僕の態度に、子ダヌキのトリオも、それに夕声も、ひどく驚いた顔をしていた。
「い、いいよー」「ゆるしたよー」「というか気にしてなかったよー」
大人の僕に神妙な調子で謝罪されて、子供たちが慌ててとりなしてくる。
三週間前、僕は三人の訴えを真面目に聞かなかった。
だけど、水沼さんの話を聞いたいまとなってはもう、捨て置くわけにはいかない。
「もう一度、詳しく話を聞かせてもらっていいかい?」
三人の目をまっすぐに見ながら、そう切り出した。
僕のシリアスさが伝わったのか、子ダヌキたちもまた真剣な調子で『ホクショーの天邪鬼』について語り出す。
とはいえ彼らの証言にあるのは、やっぱり小学生サイズの悪事とささやかすぎるその被害ばかりなのだけれど。
「悪事っていうより、ほとんどイタズラだな」
「うん。だけど、悪意を持った奴がいるのは確かみたいだ」
たとえその悪意が小学生サイズだったとしても、それでも悪意は悪意だ。
「君たちはそいつが何者なのか、全然わからないのかい?」
一縷の望みをかけて質問してみたものの、返ってきた答えはやっぱり三人声を合わせての「わかんなーい」だった。
「たしかお前らさ、『そいつはタヌキと人間と両方の敵だー』みたいなこと言ってたよな? てことは、そいつも化生ってことか?」
「んー、たぶん?」「おそらく?」「めいびー?」
「なんだよ、それさえはっきりしないのかよ」
夕声が「やれやれ」と口にする。
おい、それはひょっとして僕の真似か?
「まぁ、下手人があたしらの御同類だってなら、そんなに心配することもないんじゃないか? やってること無茶苦茶しょぼいし、大それたことはできないだろ」
「確かにその手の類が犯人ならそうかもしれないけど、本当に怖いのは犯人が人間だったときだよ。生徒以外の子供が紛れ込んでたくらいの話ならいいけど、もしも変質者が侵入してるとかだとしたら……考えるだけでゾッとする」
というか、考えるだけで頭にくる。
絶対安全なはずの学校に侵入して子供たちの安寧を脅かす不埒者……そんなのがいるなら、ちょっと許せないぞ。
……と。
「ん? みんな、どしたの?」
そこで、僕は全員の視線が自分に集中していることに気がついた。
子供たちと夕声は、きょとんとした顔で僕を見ていた。
「なぁ、ハチ。あんた、どうしてそんなにマジになってるんだ?」
ややあってから、代表するように夕声が言った。
僕には質問の意図するところがわからなかったのだけれど、見れば子ダヌキたちは揃ってうんうんと肯いている。
「さっきからあんた、すごく真剣に心配したり怒ったりしてるだろ。前にこいつらの話を聞き流してたことについても、びっくりするほどマジに謝ってたし」
「うん」
「いや、それは全然悪いことじゃないというか、むしろありがたいことだと思うんだけどさ。でも不思議なんだよ。どうしてあんたがそこまでって」
夕声が言い、子ダヌキたちがやっぱり揃って首を縦に振る。
「なんでって……」
僕は少しだけ困惑しながら言った。質問の解像度はあがったけれど、それでもみんなの疑問の在処は僕には不明だった。
いったい、みんななにを言っているんだ?
「そんなの、僕が大人で君たちが子供だからに決まってるだろ」
子ダヌキたちと、それから夕声を順番に見て、言った。
「だって、身内同然の子供が通ってる小学校に、変質者が出没してるかもしれないんだよ? そんな問題を笑って放置できる大人がどこにいるっていうんだ?」
そんなの当たり前だ、と僕は言い切る。
本当に、なんでそんなことをわざわざ聞くんだ?
僕が答えたあと、少しの間、夕声も子ダヌキたちもぽかんとして僕を見ていた。
ややあってから、子ダヌキの一人が動いた。
いつも他の二人の後をくっついている印象のある最年少にして紅一点の梅が、僕に歩み寄ってひしっと抱きついてきたのだ。
「ハチにいちゃん、すき」
「え?」
梅の突然の行動に戸惑っていると、
「おれも、あんちゃん好き」
「ぼくも」
残る松と竹も、口々に僕への好意を表明した。
「は? みんな、なんで急に」
狼狽える僕とその僕にまとわりつく子ダヌキたちを、夕声は黙って見つめていた。
彼女はひどく嬉しそうな表情を浮かべていた。
※
それから数時間後、僕と夕声は神社へと夜道を歩いていた。
寝落ちした子ダヌキたちを抱えて。
「おもい……」
あの後、どういうわけか子ダヌキたちは僕から離れようとしなかった。
夕声が「そろそろお暇するぞ」と声をかけても、まだあんちゃんと遊ぶ、ハチにいちゃんと一緒にいると言い張って聞かず、結局こうして電池が切れるまで我が家に居座り続けた。
「気持ちよさそうに寝ちゃって……タヌキが夜行性だって話はウソだったのか」
「こいつらは生まれた時から人の中で生きてるからな。人間が板についてるんだよ」
そう返事をした彼女の声は、なんだかやけに弾んでいた。
今夜はずっと、夕声はえらく機嫌がいいのだ。
彼女が質問して僕がそれに答えた、あのときから。
「僕、なにかおかしなこと言ったかな?」
隣を歩く夕声に、意を決して聞いた。
彼女の機嫌がいいのも、それに子ダヌキたちの突然の好感度アップも、そこに原因があるのは明白だった。
僕が問いかけると、夕声は小さく声を出して笑った。やっぱり嬉しそうに。
「言ったよ。でもあんたにはそれがわからないんだろ?」
「うん、さっぱりわからない」
そう答えると、夕声はさっきよりもさらに楽しそうに笑った。
「そこなんだよ、こいつらが嬉しかったのは。あんたは当たり前のようにこいつらを『身内の子供』って言ってくれたし、『だから僕が君たちを大事に思うのも当たり前だ』って、そう言ってくれたんだ」
「いや、だってそんなのは――」
「そんなのは当たり前、なんだろ? うん、あんたにとってはそうなんだろうさ。だからあんたには『自分はいい奴です』って鼻にかけたところが全然ないんだ。でもそれって、すごいことだと思うぞ? 人間だとか化生だとか関係なくさ」
あんたは『当たり前のいい奴』なんだ。そう言って夕声は肩肘で僕をつつく。
僕はといえば思いっきり照れて、たぶん真っ赤になっている。こう見えて僕はすぐに赤くなるタイプだ。
「それから、もう一つ」
「なに?」
「あんたはこいつらを、まるっきり人間の子供とおんなじに扱ってくれてるんだって、それがわかったから。こいつらのタヌキの姿まで見てるあんたがさ。……そんなの、嬉しいに決まってるよ」
なんだかしみじみと言って、それから夕声は続けた。
「あたし、こいつらがうらやましいな」
「うらやましい?」
うん、と言って、夕声は続けた。
「なぁハチ。もしもあたしがキツネの本性をさらしても、あんたはあたしを受け入れてくれるか?」
軽口の延長のような口調。だけど、軽口に見せかけたその問いかけには真剣な期待と不安がない交ぜになっていると、僕にはそう感じられた。
だから、僕も真剣に考えて、それから言った。
「わかんないな。だって、僕はまだ君のキツネの姿を見てないもん。ということで、そろそろ一度見せてくんない?」
イエスともノーとも答えず、僕はそう言った。
それが正しい返事だったのかどうかはわからない。
夕声は少しだけきょとんとした顔をしたあとで、今度はにんまりと笑みを広げて、次のように言った。
「スケベ」
明治43年の夏、岩手県土淵村の尋常小学校(小学校の昔の呼び方だ)の運動場で一年生の児童数名が遊んでいると、見知らぬ一人の子供が遊びに参加してきた。
子供たちは仲良く遊んだが、この謎の子供は一年生の児童にしか見えなかった。「ここにいる」と指さし教えられても、上級生や大人たちはついぞその姿を捉えられなかった。
また、怪談研究家である熊沢隆道の著書では、次のような怪談が紹介されている。
平成十年台の新潟県の小学校に、大人には認識することのできない子供が現れた。児童らは当たり前のようにその子供を受け入れている様子だったが、先の話と同様、やはり大人は姿を見ることができなかった。
この見えない子供は一時期のあいだは毎日のように現れたが、やがてぷっつりと話題にのぼらなくなったという(熊沢はこの怪談に特に大きな関心を持ち、取材のために問題の小学校まで足を運んでいる)。
さて、これらとそっくり同じような現象が、水沼教諭が勤める龍ケ崎市立北竜台小学校でも起きているらしい。
児童にだけ認識される、実体のない謎の子供。
「まるで座敷童だ」
思わずそんな感想を漏らした。子供にしか見えない子供の姿をした妖怪といえば、なんといっても座敷童だろう。基本的には家に棲み着く存在だけど、時折は学校などの子供の集まる場所にも現れたという。
さっき名前を挙げた佐々木喜善も、一つ目の岩手の話を『遠野のザシキワラシ』としてあの柳田國男に紹介している。
「椎葉さんたら、本当にこういうのがお好きなんですね」
「あ、いえ、ちょっと職業柄というか……」
「オタクだよオタク。ここまで行くとなんかちょっと気持ち悪いよな」
やかましい。
「でも、座敷童とはちょっと違うかしらね」
「そうなんですか?」
「ええ。だって座敷童っていうのは、幸福を呼び込む善い妖怪でしょう?」
水沼さんは北竜台小学校のざしきわらし(仮称)について話しはじめる。
四月に新学年がはじまったあたりから、校内における児童の非行件数が目に見えて増加している。
教職員が事情を問いただすと、子供たちは口を揃えて「知らない子がやった」と証言する。
しかしもちろん、そんな子供は影も形も見当たらない。
「架空の存在に罪をなすりつけようとするなんて嘆かわしいって、ダーリンも最初はそう憤ってたんです。だけど、あんまりにもみんなして同じことを言うでしょう? それにダーリンが言うには、子供たちからはウソをついてる感じが全然しないんだとか」
しかし生徒たちがウソをついているのでないとしたら、校内に部外者が侵入している可能性がある。
それがたとえ子供であれ、児童の安全を預かる学校に侵入者はまずい。
「そんなわけで、今学校では防犯カメラの導入も検討しているそうですよ。ね? 正体がなんであれ、座敷童ではないでしょう?」
どちらかというと天邪鬼とかかしらね、と水沼さん。
「……」
僕はといえば、なにかが引っかかったような、すっきりしない気分に陥っていた。
見れば、夕声もそれは同じらしかった。彼女もえらく微妙な表情になっている。
そうだ。僕たちはこの話を、どこかで聞いたことがあるんじゃないか?
「ねぇ静さん。子供たちの非行って、どんなん?」
ややあってから、夕声がそう訊いた。
「そうねぇ。非行の内容自体は大したものじゃないのよ。お友達をぶって泣かせたり、先生を狙って黒板消しをもくもくさせたり……深刻なものでもせいぜいこのくらい」
あ、それから、と水沼さんは思い出したように言った。
「それから、トイレで飴の袋が見つかることが増えたとか」
その瞬間、僕と夕声は揃って「あっ!」と声をあげた。
※
「そっか。お前らが通ってる学校って、そういやホクショーだったな」
夕声がそう言うと、三人の小学生は順番に「なかよくー」「かしこくー」「たくましくー」と返した。
なんだそれ? と首をかしげる僕に「ホクショーの校訓だよ」と夕声が解説する。聞けば彼女も北竜台小学校の卒業生なのだそうだ。
水沼さんから話を聞いた日の夜だった。
我が家には夕声と、それから子ダヌキトリオの松・竹・梅が集まっていた。
「それじゃ君たち、水沼先生って知ってる?」
僕が聞くと、子ダヌキたちはやっぱり声を合わせて「知ってるー」「ねっけつー」「ぽじてぃぶー」と答える。
やれやれ、世間のなんと狭いことか。
「おい。そんなことより」
「ああ、うん」
夕声に促されて、子ダヌキたちに来てもらった本題を思い出した。
「君たちが前に言ってたことって、ほんとだったんだね」
「まえ?」「はて?」「なんぞ?」
三人揃ってこてんと首を傾げる。
「ほら、入学したばっかの頃にお前ら言ってただろ。なんか学校に乱暴者の悪い奴がいるとかって」
三人分の「あー」が綺麗に重なった。思い出してくれたようだ。
「ごめんね。最初に君たちから話を聞いた時、きちんと取り合わなくて」
四月の後半のことだから、もう三週間も前になる。
神社の社務所ではじめてこの話を聞いたとき、僕も夕声も話を掘り下げて聞こうとはしなかった。
語られた悪事のスケールが小学生サイズだったこともあるし、学校に通い始めたばかりの子供が空想にとらわれるというケースも……。
いや、いまさら理由を並べたところで言い訳にしかならない。
「……ごめん! すまない! ……申し訳ない!」
もう一度、三人に向かって頭を下げる。心から謝罪する。
そんな僕の態度に、子ダヌキのトリオも、それに夕声も、ひどく驚いた顔をしていた。
「い、いいよー」「ゆるしたよー」「というか気にしてなかったよー」
大人の僕に神妙な調子で謝罪されて、子供たちが慌ててとりなしてくる。
三週間前、僕は三人の訴えを真面目に聞かなかった。
だけど、水沼さんの話を聞いたいまとなってはもう、捨て置くわけにはいかない。
「もう一度、詳しく話を聞かせてもらっていいかい?」
三人の目をまっすぐに見ながら、そう切り出した。
僕のシリアスさが伝わったのか、子ダヌキたちもまた真剣な調子で『ホクショーの天邪鬼』について語り出す。
とはいえ彼らの証言にあるのは、やっぱり小学生サイズの悪事とささやかすぎるその被害ばかりなのだけれど。
「悪事っていうより、ほとんどイタズラだな」
「うん。だけど、悪意を持った奴がいるのは確かみたいだ」
たとえその悪意が小学生サイズだったとしても、それでも悪意は悪意だ。
「君たちはそいつが何者なのか、全然わからないのかい?」
一縷の望みをかけて質問してみたものの、返ってきた答えはやっぱり三人声を合わせての「わかんなーい」だった。
「たしかお前らさ、『そいつはタヌキと人間と両方の敵だー』みたいなこと言ってたよな? てことは、そいつも化生ってことか?」
「んー、たぶん?」「おそらく?」「めいびー?」
「なんだよ、それさえはっきりしないのかよ」
夕声が「やれやれ」と口にする。
おい、それはひょっとして僕の真似か?
「まぁ、下手人があたしらの御同類だってなら、そんなに心配することもないんじゃないか? やってること無茶苦茶しょぼいし、大それたことはできないだろ」
「確かにその手の類が犯人ならそうかもしれないけど、本当に怖いのは犯人が人間だったときだよ。生徒以外の子供が紛れ込んでたくらいの話ならいいけど、もしも変質者が侵入してるとかだとしたら……考えるだけでゾッとする」
というか、考えるだけで頭にくる。
絶対安全なはずの学校に侵入して子供たちの安寧を脅かす不埒者……そんなのがいるなら、ちょっと許せないぞ。
……と。
「ん? みんな、どしたの?」
そこで、僕は全員の視線が自分に集中していることに気がついた。
子供たちと夕声は、きょとんとした顔で僕を見ていた。
「なぁ、ハチ。あんた、どうしてそんなにマジになってるんだ?」
ややあってから、代表するように夕声が言った。
僕には質問の意図するところがわからなかったのだけれど、見れば子ダヌキたちは揃ってうんうんと肯いている。
「さっきからあんた、すごく真剣に心配したり怒ったりしてるだろ。前にこいつらの話を聞き流してたことについても、びっくりするほどマジに謝ってたし」
「うん」
「いや、それは全然悪いことじゃないというか、むしろありがたいことだと思うんだけどさ。でも不思議なんだよ。どうしてあんたがそこまでって」
夕声が言い、子ダヌキたちがやっぱり揃って首を縦に振る。
「なんでって……」
僕は少しだけ困惑しながら言った。質問の解像度はあがったけれど、それでもみんなの疑問の在処は僕には不明だった。
いったい、みんななにを言っているんだ?
「そんなの、僕が大人で君たちが子供だからに決まってるだろ」
子ダヌキたちと、それから夕声を順番に見て、言った。
「だって、身内同然の子供が通ってる小学校に、変質者が出没してるかもしれないんだよ? そんな問題を笑って放置できる大人がどこにいるっていうんだ?」
そんなの当たり前だ、と僕は言い切る。
本当に、なんでそんなことをわざわざ聞くんだ?
僕が答えたあと、少しの間、夕声も子ダヌキたちもぽかんとして僕を見ていた。
ややあってから、子ダヌキの一人が動いた。
いつも他の二人の後をくっついている印象のある最年少にして紅一点の梅が、僕に歩み寄ってひしっと抱きついてきたのだ。
「ハチにいちゃん、すき」
「え?」
梅の突然の行動に戸惑っていると、
「おれも、あんちゃん好き」
「ぼくも」
残る松と竹も、口々に僕への好意を表明した。
「は? みんな、なんで急に」
狼狽える僕とその僕にまとわりつく子ダヌキたちを、夕声は黙って見つめていた。
彼女はひどく嬉しそうな表情を浮かべていた。
※
それから数時間後、僕と夕声は神社へと夜道を歩いていた。
寝落ちした子ダヌキたちを抱えて。
「おもい……」
あの後、どういうわけか子ダヌキたちは僕から離れようとしなかった。
夕声が「そろそろお暇するぞ」と声をかけても、まだあんちゃんと遊ぶ、ハチにいちゃんと一緒にいると言い張って聞かず、結局こうして電池が切れるまで我が家に居座り続けた。
「気持ちよさそうに寝ちゃって……タヌキが夜行性だって話はウソだったのか」
「こいつらは生まれた時から人の中で生きてるからな。人間が板についてるんだよ」
そう返事をした彼女の声は、なんだかやけに弾んでいた。
今夜はずっと、夕声はえらく機嫌がいいのだ。
彼女が質問して僕がそれに答えた、あのときから。
「僕、なにかおかしなこと言ったかな?」
隣を歩く夕声に、意を決して聞いた。
彼女の機嫌がいいのも、それに子ダヌキたちの突然の好感度アップも、そこに原因があるのは明白だった。
僕が問いかけると、夕声は小さく声を出して笑った。やっぱり嬉しそうに。
「言ったよ。でもあんたにはそれがわからないんだろ?」
「うん、さっぱりわからない」
そう答えると、夕声はさっきよりもさらに楽しそうに笑った。
「そこなんだよ、こいつらが嬉しかったのは。あんたは当たり前のようにこいつらを『身内の子供』って言ってくれたし、『だから僕が君たちを大事に思うのも当たり前だ』って、そう言ってくれたんだ」
「いや、だってそんなのは――」
「そんなのは当たり前、なんだろ? うん、あんたにとってはそうなんだろうさ。だからあんたには『自分はいい奴です』って鼻にかけたところが全然ないんだ。でもそれって、すごいことだと思うぞ? 人間だとか化生だとか関係なくさ」
あんたは『当たり前のいい奴』なんだ。そう言って夕声は肩肘で僕をつつく。
僕はといえば思いっきり照れて、たぶん真っ赤になっている。こう見えて僕はすぐに赤くなるタイプだ。
「それから、もう一つ」
「なに?」
「あんたはこいつらを、まるっきり人間の子供とおんなじに扱ってくれてるんだって、それがわかったから。こいつらのタヌキの姿まで見てるあんたがさ。……そんなの、嬉しいに決まってるよ」
なんだかしみじみと言って、それから夕声は続けた。
「あたし、こいつらがうらやましいな」
「うらやましい?」
うん、と言って、夕声は続けた。
「なぁハチ。もしもあたしがキツネの本性をさらしても、あんたはあたしを受け入れてくれるか?」
軽口の延長のような口調。だけど、軽口に見せかけたその問いかけには真剣な期待と不安がない交ぜになっていると、僕にはそう感じられた。
だから、僕も真剣に考えて、それから言った。
「わかんないな。だって、僕はまだ君のキツネの姿を見てないもん。ということで、そろそろ一度見せてくんない?」
イエスともノーとも答えず、僕はそう言った。
それが正しい返事だったのかどうかはわからない。
夕声は少しだけきょとんとした顔をしたあとで、今度はにんまりと笑みを広げて、次のように言った。
「スケベ」
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しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
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