ハコニワールド

ぽこ 乃助

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Chapter1 強欲の腕

第14話 強欲の覚醒

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 『フハハハハ。中々に面白かったぞ、人間。さて、ここからどう足掻く?』
 
 マモンの右手の中で黒時はもがいた。
 しかし、一向にそこから脱出できる気がしない。みしみしと、自分の身体が軋む音が聞こえる。
 
 灰ヶ原黒時という人間は、普通の人とは少しずれている。だが、だからといって何も感じないわけではない。むしろ、死への恐怖は人一倍あると言ってもいいだろう。

 地上にいる三人は気付いてないだろうが、文字通りに命を握られているこの状況、黒時は焦燥感に駆られていた。
 もがいても脱出できず、マモンの気分次第で一瞬の内に命を失なう。まずい、どころの話ではない。

 最早、勝敗は決したと言える状況だ。
 
 しかし、黒時は諦めるわけにはいかなかった。

 そこには当然ただ死にたくないという思いもあるだろうが、それよりも今の自分にはやるべきことがある、という思いの方が強かった。
 
 それは――世界を変えること。
 
 新たな世界を託された黒時には義務があり、そしてそれは本人が一番よく理解していたのだ。 

「うおあぁぁぁぁ!」
 
 黒時は軋む全身に力を込めた。両方の腕を伸ばすようにし自分を覆う脅威を押しのけていく。

『む? おお!』 

 ゆっくり。ゆっくり。ゆっくり、と。

 握られていたマモンの右手が、ゆっくりと開いていく。小さな光が、大きな闇を弾いていくかのように。
 
 ゆっくり。ゆっくり。ゆっくり、と。
 
 開いていたはずだった。地上の三人にもそう見えた。けれど、それはほんの一時だけで、その時が過ぎると、今度はゆっくりと閉じられていった。光を闇が覆う。

 ゆっくりと。

『残念だったな、人間。凄まじい力だが、まだ足りぬ。その程度では我には対抗できぬよ。しかし、やはりお主は面白い。ふむ。面倒なので全て壊してしまおうかと思っていたが、お主だけは我が手中へと戻すことにしよう』

「別に戻してほしくはないし、そもそも俺はお前の物じゃないよ」

 既にもとの絶望的な状況へと戻ってしまった黒時は、悪魔の右手の中で今度は言葉で対抗する。無駄な足掻きではあるが、それでも何もせず諦めるよりかは遥かによい。

『何を言っている。我が欲した物は全て我の物だ』

「我儘な悪魔だな」

『フハハ。幼稚な言葉であるな、我儘とは。我が欲す物は我の物、それは即ち世の理だ。命が生まれ、命が死ぬ。それと同様に自然なことなのだ』

「…………」

 正直、黒時にはマモンが何を言っているのか分からなかった。どこかこじらせてしまった自己中心者にしか見えなかった。
 
 マモンと言葉を交わしても、どうやら意味はなさそうである。若干うなだれながら黒時は視線を地面へと移した。
 
 校庭の隅で身体を震わせている青ざめた顔の男が二人。

 自分の命の最後を悟っているのだろうか。まあ、黒時にとってはどうでもいいことである。黒時は視線を横に移す。

 そして――思った。

 視界に映る一人の少女。

 俯き震えている一人の少女。

 彼女なら、マモンの言っている意味が理解できたかもしれない。いや、むしろマモンと同調できるのではないか、とそう思った。
 
 黒時は落としていた視線を漆黒の天に向け、最早為す術は無いのかと、嘆きそうになる。

 なったが、嘆かない。その必要は無いのだ。むしろ、笑ってやる。高らかに笑ってやる。
 
 人間の本質。

 黒時はそれが大好きだ。好きで好きでたまらない。だからこそ、その本質が現れている者には敏感なのである。 
 
 笑った。

 つい、笑みが零れてしまった。だって、彼女は既に――

「あはははははは! 最高! もう最高! 悪魔さん、本当最高だよ!」

 眠る本質の全てを発現させていたのだから。

『何がおかしい、少女よ? 我を愚弄する気か?』

 マモンは、突如笑い出した彩香に意識を向ける。口から噴き出る黒い煙がこれまで以上に激しく噴き出した。

「別に? 馬鹿にしてるつもりはないけど――でも……おかしくって」
 
 彩香は涙がでるほどに笑っている。その様子を隅にいる二人は怪訝な表情で見つめていた。

「我が欲す物は我の物? それが世の理? ばっかじゃないの。あははは!」

 マモンの右手に力が入る。苛立ちからなのかどうかは判然とはしないが、心がざわついていることは明白だ。身体が潰されていく感覚を感じながら、やはり彩香ならばマモンと対等に渡り合えると、黒時は確信していた。

『では、お主は違うと申すか?』

「そりゃそうでしょ。だって――」

 悪魔よりも人間的で人間よりも悪魔的。

 それこそが本物。心奪われる、美しい本物。
 
 地上にいる一人の本物の人間を見ながら、黒時は恍惚の表情を浮かべていた。

「この世の全ては彩香の物なんだから」
 
 マモンは、展開させていた翼を大きく羽ばたかせた。飛ぶためではない。攻撃のためである。
 
 巨大な翼の羽ばたきによって、周囲の風が激しく揺らぎだす。無造作に動き、かき回され、次第に収束していく。そして、収束された風は一つの竜巻を創り上げた。

 生まれた竜巻は、破片となった校舎を巻き上げ上空へと放り出していく。周辺の木々が、家屋が、その竜巻に吸い込まれ、その姿は次々に漆黒の天へと舞い上がっていく。
 
 徐々に竜巻は移動をはじめ、地上の三人へと目掛け進み始めた。

『愚かな人間よ。いらぬ、お主はいらぬ。その身を塵とかし、消え失せるがいい!』

 校庭であった場所の砂も舞い上がり、辺りは砂塵に包まれた。
 
 栄作と妬美はうろたえ、校門へと向かって走り逃げていく。しかし、未だ彩香は動かない。恐怖に足がすくんでいるわけではない。自らの意思でその場から離れていない。

「はあ、ほんっとにうっざぁ。まあ、どうでもいいけど。とにかく、黒時先輩は彩香の物だから返してもらえる?」

『何を言うか! この者の所有者は我だ。たわけたことをぬかすな! お主はおとなしく死んでおればよい』
 
 時にして数秒。

 それほどで彩香の身体は竜巻に襲われることになるだろう。

 だというのに。

 まったく何を考えているのか。

 自分の命を顧みないだなんて、それではまるで何かに魅せられているかのようではないか。あの少年がそうであったように――。
 
 黒時には分かっていた。自分がルシファーに魅せられていたように、彼女もきっとマモンに魅せられている。分かっていたのだ。
 
 悪魔よりも人間的で人間よりも悪魔的。

 二つは相反することなく一つの存在へと集約される。自分と似た存在。自分と同じ存在。二つで一つ。その一つこそが本物の――人間なのだ。

「彩香! 腕を伸ばせ!」 

 黒時の叫びに呼応するように、彩香は己の右腕をマモンに向け伸ばした。

 伸ばした右腕は光を伴い、全てをその手中に収めるべく巨大化していく。巨大化した光の腕は道中の竜巻を掻き消し、マモン目掛けて突き進んでいった。
 
 この世の全てを掴む腕——強欲の腕。
 
 溢れた強欲は形となって、存在を――全てを掴み取る。

「わわ! な、なにこれ!?」

『むう! お主が器だったか。よもや覚醒するとは……。よかろう、貴様の欲と我の欲。どちらがより強欲か、決着をつけるとしよう!』
 
 マモンは黒時を持たぬ左の腕を、迫り来る光の腕目掛けて伸ばした。二つの腕が衝突し、爆発音に似た轟音が響き渡る。眩い光を飛び散らせながら、己の持つ強欲が腕となってぶつかりあう。

「彩香! 本物のお前に全てを委ねろ!」

「ほ、本物の私って――。ど、どういうことですか、先輩!?」
 
 徐々に彩香の光の腕が押し込まれていき、このままではマモンの強欲が彩香を潰してしまうことは明らかだった。
 
 校門の近くで蹲っている二人は小さな声で応援しているのみで役に立ちそうにもない。マモンの意識は彩香の方に向いているにもかかわらず、黒時を握る右手の力は一向に緩む気配をみせない。
 
 唯一の頼みの綱は、悪魔の圧力を直接的に受け、大量の汗を流しながら今にも潰されそうになっている少女だけとなっていた。
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