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Chapter3 嫉妬の目
第33話 六人目
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「それにしても、灰ヶ原君も村々先生はこの世界にいると思っていてくれてたんだね。何だか嬉しいよ」
「まあ、なんとなくだけど」
実際には【なんとなく】ではなく考察した結果だが。いちいち妬美に言う必要はあるまいと思い、黒時は適当に返事を返した。
「本当に、彼女はこの世界にいたんだなあ……」
「…………」
黒時の場合は、先述した通り考察した上でこの世界に村々怜奈がいると思っているのだが、妬美の場合はそうではない。彼はただの願望だけで彼女がこの世界にいると信じきっているのである。
ビジネススーツを着た亜麻色の髪の女など数え切れないほどいるだろうに、それでも瑠野が見た女は村々怜奈であると、妬美は確信しているのだ。
正直、黒時はこの男を馬鹿なのでは、と思い始めていた。
他の連中も会話の中で村々怜奈を想起したが、それはしただけで、彼女であるかどうかは判然とはしていない様子だった。
一人の女がこの世界にいる、ということだけを皆確信していたのだ。黒時にはその事が分かっていた。
あまりにも普通な考えを抱いていた皆のことを分かっていた。だからこそ、隣で歩くこの男が馬鹿に見えて仕方ないのである。
「あ! 待って灰ヶ原君。彼女はラブホ街にいるんだったよね? やっぱり教師として生徒をそんなところに連れて行くわけには……」
「悪魔が出た時、俺がいなくても大丈夫なのか?」
「……そ、そうだね。僕一人じゃ、簡単に殺されちゃうね……」
妬美は教師という立場でありながら、年長者という立場でありながら、黒時に対して強い態度を取ることが出来なくなっていた。妬美草他という男は、自分よりも上であると感じてしまう相手には何もできないのである。
人間らしいといえば人間らしいが、それで片付けてしまえるほど簡単な問題ではなかった。この後起こる出来事を考慮すると、むしろ大問題だと言うべきだっただろう。
「着いたよ。この先の通りから通称、ラブホ街と呼ばれる場所だ」
ラブホ街。
街とは言うけれど、ただカラフルな光を放つホテルが多く建てられているだけの区画である。
街というにはいささか大仰のような気もする。まあ、性で賑わう区画であると考えれば、やはり高校生の黒時にはよろしくない場所のようではある。
「着いたのはいいけど、どこを探せばいいのかな……」
闇雲に探したところで運よく見つかる可能性は低い。
彼女も動いてる可能性もあるわけで、そうだとしたらそもそもまだここに滞在していることも怪しくなってくる。
愚策だったか、と黒時が珍しくしかめっ面を見せた。
少しばかり焦っていたのかもしれない。この世界の全貌が見えてきて、心が逸っていたのかもしれない。
本来の自分を取り戻す為、一度大きく深呼吸をしてみる。その様を、横の男性教師が不思議そうな目で見つめてくる。
というよりも、縋ったような目で見ている。大きく深呼吸するという動作が、村々怜奈を探すための行動なのだと、そう思っているようだ。
やはりこの男は馬鹿だ、と黒時は吸い込んだ空気を吐き出しながら思った。むしろ空気と一緒に言葉として吐き出してしまいたいぐらいだった。まあ、面倒になりそうなのでしないが。
「ん?」
深呼吸を終えた黒時の目に奇妙な建物が映り込んだ。
その建物は他の立派で派手な建造物とは違い、妙に古臭く傷んでいる。
まるで、廃屋だ。
場に馴染まない建物に、黒時は歩み寄って行く。黒時の動きに気付いた妬美も、後を追いかけて行く。
建物の前で立ち止まり見上げると、大きな看板が飾られていて、そこには【大人のおもちゃ屋】と書いてあった。
「は、灰ヶ原君、興味があるのは分かるけど、やっぱり教師としてはおすすめできないかなあ、なんて……」
視線を黒時から逸らしながら妬美は言った。黒時の機嫌を損ねてしまうことを危惧しているようだ。
だが、妬美は安心して構わない。黒時は妬美の言葉に一切耳を傾けていないのだから。
ともあれ、黒時がこの建物に近づいたのは、妬美が言ったように興味があるからではなく、なんとなく気になったから――それだけである。それだけ、だったのだが。
どうやら黒時は、身体能力の向上と共に運気も向上させていたようだった。
捜索していた人物――村々怜奈。
彼女が、目の前の【大人のおもちゃ屋】から意気揚々と出てきたのである。
「え……? どうして灰ヶ原と妬美先生が?」
建物から出てきた怜奈は二人の存在に気付き、目を丸くして二人を見つめた。二人も同様に目を丸くして怜奈を見つめる。互いに想定外の出会いだった。
しかし、これで。
「会えて良かった、村々先生」
六人目の力を得た。六つ目の器を手に入れた。
「村々先生をこの辺りで見たという方がいましてね。それで、僕と灰ヶ原君が探しに来たんですよ」
怜奈は持っていた袋を咄嗟に後ろに回し、話し出す。
「そうだったんですか。私以外に人がいるとは思っていなかったので、とても安心
しました。妬美先生たちは世界の異変について何かご存知なのですか?」
「知っている、というほどではないですが、お話できることはあると思います。僕たちは今、国際ホテルを拠点としていますので、まずそちらに向かいましょう。着いたらゆっくりとお話しますよ」
妬美の提案に怜奈はしぶい顔を見せた。横目で黒時を一瞥して口を開く。
「すみません。私、少し疲れていて。どこかで休ませてもらえないですか?」
「どこかって……」
妬みは辺りを見回す。
目に映る建物は全て、色とりどりに発光するラブホテル。確かに休息を取るには十分な施設ではあるが、そこは妬美も男である。いらぬ想像をしてしまう。
「だめですか?」
上目遣いで怜奈は言う。
「え? あ、いや、だめなんてことは……。むしろ、よろしくお願いしたかなあ、なんて……、はは」
顔を真っ赤にしながら妬美は照れ笑いをする。
「で、でも村々先生。灰ヶ原君もいますし、やはり教育的に問題が……」
「灰ヶ原は別に気にしないよな?」
怜奈にそう尋ねられて、黒時は返答に困った。
年頃の男の子には刺激が強すぎる場所だからとかではなく単純に、早く戻りたい、と思っていたからである。
怜奈への問いを肯定してしまえばこのまま滞在してしまう流れだ。黒時はそれをどうしても回避したかった。
しかしどうやら、村々怜奈という人物は女でありながら、妬美よりも遥かに押しの強い人物だったようで――
「おや? 灰ヶ原、君、顔色が悪いな。疲れてるんじゃないのか?」
「え? 俺か? いや、俺は別に――」
「これはいかんな、一刻も早く休息を取らねば。よし、行くぞ灰ヶ原、私が連れて行ってやる」
「え、ちょっ――」
怜奈は右手で強引に黒時の左手を取り、引っ張っていく。向かう先は、近くにある青色や紫色の光を漆黒の空に向けて放つラブホテルだ。
嫌がる黒時と、笑顔の怜奈。
その構図はまるで、情事を行うために無理矢理相手を連れ込んでいるかのようである。男女が逆のような気もするが、現代の男女間の力関係を考えればむしろ自然のような気もする。
「さあ、ゆっくりと休むとしよう」
想いを寄せている女性が、他の男とラブホテルに向かっていくその姿を、妬美は後ろでじっと見ていた。
ほんの少しづつ、わずかな距離ではあるが二人の後を追いかけてはいるのだが、どこか気持ちここにあらずといった感じである。
悪魔と出会った時以上の絶望を、感じていると言っても過言ではなさそうだ。
それにしても、いくら怜奈と黒時が向かっている先がラブホテルだからといって、こんな状況で何かが起きるはずもない。怜奈の言うとおり、本当に休息を取ってそれで終わるはずである。
妬美もそれは分かっていた。といよりも、そう自分に言い聞かせていた。
彼の視界の中に映っているそれが、どうも不安をよぎらせてくるのだ。
一人の女教師と、一人の男子生徒。
何もない、何も起こらない。
けれど、怜奈の背に回された左手が持っているあの袋が、その信憑性を破壊していく。
「灰ヶ原、先生と一緒にしっかり休もうな」
後ろにいるために妬美の視界にしか入ってこないその袋。
怜奈の持っているその袋には――【大人のおもちゃ屋】と書かれていた。
「まあ、なんとなくだけど」
実際には【なんとなく】ではなく考察した結果だが。いちいち妬美に言う必要はあるまいと思い、黒時は適当に返事を返した。
「本当に、彼女はこの世界にいたんだなあ……」
「…………」
黒時の場合は、先述した通り考察した上でこの世界に村々怜奈がいると思っているのだが、妬美の場合はそうではない。彼はただの願望だけで彼女がこの世界にいると信じきっているのである。
ビジネススーツを着た亜麻色の髪の女など数え切れないほどいるだろうに、それでも瑠野が見た女は村々怜奈であると、妬美は確信しているのだ。
正直、黒時はこの男を馬鹿なのでは、と思い始めていた。
他の連中も会話の中で村々怜奈を想起したが、それはしただけで、彼女であるかどうかは判然とはしていない様子だった。
一人の女がこの世界にいる、ということだけを皆確信していたのだ。黒時にはその事が分かっていた。
あまりにも普通な考えを抱いていた皆のことを分かっていた。だからこそ、隣で歩くこの男が馬鹿に見えて仕方ないのである。
「あ! 待って灰ヶ原君。彼女はラブホ街にいるんだったよね? やっぱり教師として生徒をそんなところに連れて行くわけには……」
「悪魔が出た時、俺がいなくても大丈夫なのか?」
「……そ、そうだね。僕一人じゃ、簡単に殺されちゃうね……」
妬美は教師という立場でありながら、年長者という立場でありながら、黒時に対して強い態度を取ることが出来なくなっていた。妬美草他という男は、自分よりも上であると感じてしまう相手には何もできないのである。
人間らしいといえば人間らしいが、それで片付けてしまえるほど簡単な問題ではなかった。この後起こる出来事を考慮すると、むしろ大問題だと言うべきだっただろう。
「着いたよ。この先の通りから通称、ラブホ街と呼ばれる場所だ」
ラブホ街。
街とは言うけれど、ただカラフルな光を放つホテルが多く建てられているだけの区画である。
街というにはいささか大仰のような気もする。まあ、性で賑わう区画であると考えれば、やはり高校生の黒時にはよろしくない場所のようではある。
「着いたのはいいけど、どこを探せばいいのかな……」
闇雲に探したところで運よく見つかる可能性は低い。
彼女も動いてる可能性もあるわけで、そうだとしたらそもそもまだここに滞在していることも怪しくなってくる。
愚策だったか、と黒時が珍しくしかめっ面を見せた。
少しばかり焦っていたのかもしれない。この世界の全貌が見えてきて、心が逸っていたのかもしれない。
本来の自分を取り戻す為、一度大きく深呼吸をしてみる。その様を、横の男性教師が不思議そうな目で見つめてくる。
というよりも、縋ったような目で見ている。大きく深呼吸するという動作が、村々怜奈を探すための行動なのだと、そう思っているようだ。
やはりこの男は馬鹿だ、と黒時は吸い込んだ空気を吐き出しながら思った。むしろ空気と一緒に言葉として吐き出してしまいたいぐらいだった。まあ、面倒になりそうなのでしないが。
「ん?」
深呼吸を終えた黒時の目に奇妙な建物が映り込んだ。
その建物は他の立派で派手な建造物とは違い、妙に古臭く傷んでいる。
まるで、廃屋だ。
場に馴染まない建物に、黒時は歩み寄って行く。黒時の動きに気付いた妬美も、後を追いかけて行く。
建物の前で立ち止まり見上げると、大きな看板が飾られていて、そこには【大人のおもちゃ屋】と書いてあった。
「は、灰ヶ原君、興味があるのは分かるけど、やっぱり教師としてはおすすめできないかなあ、なんて……」
視線を黒時から逸らしながら妬美は言った。黒時の機嫌を損ねてしまうことを危惧しているようだ。
だが、妬美は安心して構わない。黒時は妬美の言葉に一切耳を傾けていないのだから。
ともあれ、黒時がこの建物に近づいたのは、妬美が言ったように興味があるからではなく、なんとなく気になったから――それだけである。それだけ、だったのだが。
どうやら黒時は、身体能力の向上と共に運気も向上させていたようだった。
捜索していた人物――村々怜奈。
彼女が、目の前の【大人のおもちゃ屋】から意気揚々と出てきたのである。
「え……? どうして灰ヶ原と妬美先生が?」
建物から出てきた怜奈は二人の存在に気付き、目を丸くして二人を見つめた。二人も同様に目を丸くして怜奈を見つめる。互いに想定外の出会いだった。
しかし、これで。
「会えて良かった、村々先生」
六人目の力を得た。六つ目の器を手に入れた。
「村々先生をこの辺りで見たという方がいましてね。それで、僕と灰ヶ原君が探しに来たんですよ」
怜奈は持っていた袋を咄嗟に後ろに回し、話し出す。
「そうだったんですか。私以外に人がいるとは思っていなかったので、とても安心
しました。妬美先生たちは世界の異変について何かご存知なのですか?」
「知っている、というほどではないですが、お話できることはあると思います。僕たちは今、国際ホテルを拠点としていますので、まずそちらに向かいましょう。着いたらゆっくりとお話しますよ」
妬美の提案に怜奈はしぶい顔を見せた。横目で黒時を一瞥して口を開く。
「すみません。私、少し疲れていて。どこかで休ませてもらえないですか?」
「どこかって……」
妬みは辺りを見回す。
目に映る建物は全て、色とりどりに発光するラブホテル。確かに休息を取るには十分な施設ではあるが、そこは妬美も男である。いらぬ想像をしてしまう。
「だめですか?」
上目遣いで怜奈は言う。
「え? あ、いや、だめなんてことは……。むしろ、よろしくお願いしたかなあ、なんて……、はは」
顔を真っ赤にしながら妬美は照れ笑いをする。
「で、でも村々先生。灰ヶ原君もいますし、やはり教育的に問題が……」
「灰ヶ原は別に気にしないよな?」
怜奈にそう尋ねられて、黒時は返答に困った。
年頃の男の子には刺激が強すぎる場所だからとかではなく単純に、早く戻りたい、と思っていたからである。
怜奈への問いを肯定してしまえばこのまま滞在してしまう流れだ。黒時はそれをどうしても回避したかった。
しかしどうやら、村々怜奈という人物は女でありながら、妬美よりも遥かに押しの強い人物だったようで――
「おや? 灰ヶ原、君、顔色が悪いな。疲れてるんじゃないのか?」
「え? 俺か? いや、俺は別に――」
「これはいかんな、一刻も早く休息を取らねば。よし、行くぞ灰ヶ原、私が連れて行ってやる」
「え、ちょっ――」
怜奈は右手で強引に黒時の左手を取り、引っ張っていく。向かう先は、近くにある青色や紫色の光を漆黒の空に向けて放つラブホテルだ。
嫌がる黒時と、笑顔の怜奈。
その構図はまるで、情事を行うために無理矢理相手を連れ込んでいるかのようである。男女が逆のような気もするが、現代の男女間の力関係を考えればむしろ自然のような気もする。
「さあ、ゆっくりと休むとしよう」
想いを寄せている女性が、他の男とラブホテルに向かっていくその姿を、妬美は後ろでじっと見ていた。
ほんの少しづつ、わずかな距離ではあるが二人の後を追いかけてはいるのだが、どこか気持ちここにあらずといった感じである。
悪魔と出会った時以上の絶望を、感じていると言っても過言ではなさそうだ。
それにしても、いくら怜奈と黒時が向かっている先がラブホテルだからといって、こんな状況で何かが起きるはずもない。怜奈の言うとおり、本当に休息を取ってそれで終わるはずである。
妬美もそれは分かっていた。といよりも、そう自分に言い聞かせていた。
彼の視界の中に映っているそれが、どうも不安をよぎらせてくるのだ。
一人の女教師と、一人の男子生徒。
何もない、何も起こらない。
けれど、怜奈の背に回された左手が持っているあの袋が、その信憑性を破壊していく。
「灰ヶ原、先生と一緒にしっかり休もうな」
後ろにいるために妬美の視界にしか入ってこないその袋。
怜奈の持っているその袋には――【大人のおもちゃ屋】と書かれていた。
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