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Chapter4 怠惰の脚
第43話 諍い
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「さてと。じゃあ、アタシはご飯が来るまで寝てるねえ」
再びベッドに横になる瑠野。
寝るのを抑制しようとして慌てて駄紋が声をあげる。
「あ、危ないよ。いつ悪魔が出てくるか分からないのに……」
「確かに。子豚ちゃんの言うとおりかもね」
駄紋の意見に彩香が同意する。しかし、それでもなお瑠野は体勢を変えることな
く、横になったままだった。
「ちょっと瑠野さん、聞いてます? いざっていう時に危険だから起きてて下さい。さっきまで寝てたみたいだし、睡眠不足ってわけでもないでしょ?」
仕方なく、といった感じで瑠野は同じ動きを繰り返すかのように身体を起こし、ベッドの上に胡坐をかいて座った。
半分だけしか目が開いていないその姿を見ると、身体は既に睡眠を摂る体勢になっていたようだった。
気持ち悪いぐらいに何でも喰らいつく子豚、そして隙さえあればすぐにだらけ寝ようとする娼婦然の女。
その中に残された自分。
彩香は走り去っていった栄作の顔を思い出した。普段ならば側にいてほしくない人間ではあるのだけれど、今だけは隣にいてほしいと強く思う。
まあ、黒時の方がいいのは当たり前のこととして、しかし、黒時が戻って来てくれるにはまだまだ時間がかかる。彼を望むわけにはいかなかった。
だから、つまり、彩香の今の胸中は、栄作のことを思い浮かべながら、さっさと帰って来いということだった。栄作もつい今しがた出て行ったのだが、彩香にとってそんなことは関係ないのである。
「ねえ、えっと、子豚ちゃん、だっけ?」
「あ、望印蜀駄紋っていいます」
「あっそ。ねえ、子豚ちゃん。のど渇いた。なんか飲み物持ってきて」
瑠野の言葉に駄紋は特別憤りを覚えることはなく従おうとしたのだが、別に憤りを覚えている者がいた。
第三者の立場ではあるのだが、彼女もこれまであらゆる男を手駒のように扱ってきた女である。目の前で手駒を取られるような真似をされ、プライドに触れてしまったのだ。
けれど、そんなプライド、捨て去ってしまってもよかったのかもしれない。
だって、結果的に危惧していた状況になってしまったのだから――。
「いい加減にしろっての。出会ったばっかりであんたのことなんてまったく知らないけど、でも、怠けすぎ! 見ててイライラする! なんなの、自分で少しは動けないの?」
本当の怒りの焦点は、手駒を取られかけたところにあるのだが、それを言ってしまえばなんだか負け犬の遠吠えのような気がして、少し焦点をずらして彩香は言った。
まあ、怠けている瑠野の姿に何も感じていなかったわけでもないので、嘘を言っていることにはならないだろう。
「なんなの急に怒鳴って。情緒不安定? それとも欲求不満?」
「違うっての。彩香の言ったこと理解できなかった? ごめんね、そこまで馬鹿だとは思わなくて。あ、でも、おっさんに股開くぐらいしか脳ないし、分からなくても仕方ないよね」
「……喧嘩売ってんの?」
「事実言ってるだけでしょ?」
つい先刻、この場にいたくないと思っていたのは彩香だったわけだけれど、今そう思っているのは、やはり駄紋である。
すぐさま部屋の扉を開けて逃げ出したい。
なんなら誰か頭を殴って気絶させてくれ、とすら思う。女という種がまさかここまで恐ろしいなんて、駄紋は知らなかった。年端も行かぬ少年ゆえ、知らなかった。
目の前で対立している女性二人に比べれば、まだ路地で襲ってきたあの暴漢の方がましだ、と駄紋はがたがたと震えながら思った。
「ああ、めんど。鬱陶しいからさ、出てってくんない? クソガキ」
「あんたが出て行けばいいでしょ、売春婦さん?」
両者とも初めはそれほどでもなかったが、互いに言い合っている内に二人の怒り
のボルテージはふつふつと上昇していた。
彩香にいたっては、正直殴りかかりたいほどである。いや、彩香だけではないかもしれない。
ただ姿からはそう感じることが出来ないだけで、瑠野も彩香を殴りたいと思っているのかもしれない。現に殴り合いの喧嘩に発展するような言葉を発してもいたのだ。
しかしながら、どういった心持ちなのだろうか。
身体が軽く震えてしまうほどに怒りを感じているというのに、未だベッドの上でだらけたままの体勢だというのは。
一切動く気がない。そう見える。
そう見えて――事実そうだった。
「早く出ていきなよ。何ぼーっと突っ立ってんのさ。ほら、馬鹿な犬みたいにきゃんきゃん吠えながら出て行きなって」
「だから、あんたが出て行けばいいじゃん」
「やだ、めんどい。動きたくない」
「はあ!? 意味わかんない、だったら彩香もめんどくさいから動かない」
「真似しないでくれる?」
「別に真似じゃないけど? 真似されるほど立派な人間じゃないでしょ?」
「あー、うっざ。超うざい超うざい超うざい」
もう嫌だ。
駄紋は心からそう思った。
誰か帰ってきてくれ、とそう強く祈った。祈ったところで帰ってきてはくれない。泣きそうだ。なんなら、泣いてしまおうか?
自分が声をあげて泣けば、もしかしたら二人とも興ざめして喧嘩をやめてくれるかもしれない。
駄紋は少し考える。いや、やっぱり駄目だ、そう判断した。泣いたところで、うるさい、と怒鳴られてそれで終わりだろう。
ああ、いっそ悪魔が現れてくれたらいいのに。
そんな駄紋の願いが起因となったわけではないだろうけれど、駄紋の願いは叶うことになった。
ぬるっ、と。
ベッドの下から現れた黒いヘドロ状の物体。目もなく鼻もなく口もなく、ただただ黒くどろどろとした物体。
その物体は、どこから発したのか――
『ウ、ウゴキタクナイ、、ソレ、、ヨクワカル。ダ、ダ、カラ、オマエラ、、ミンナ、コ、、コ、コロシテヤル』
と言った。
再びベッドに横になる瑠野。
寝るのを抑制しようとして慌てて駄紋が声をあげる。
「あ、危ないよ。いつ悪魔が出てくるか分からないのに……」
「確かに。子豚ちゃんの言うとおりかもね」
駄紋の意見に彩香が同意する。しかし、それでもなお瑠野は体勢を変えることな
く、横になったままだった。
「ちょっと瑠野さん、聞いてます? いざっていう時に危険だから起きてて下さい。さっきまで寝てたみたいだし、睡眠不足ってわけでもないでしょ?」
仕方なく、といった感じで瑠野は同じ動きを繰り返すかのように身体を起こし、ベッドの上に胡坐をかいて座った。
半分だけしか目が開いていないその姿を見ると、身体は既に睡眠を摂る体勢になっていたようだった。
気持ち悪いぐらいに何でも喰らいつく子豚、そして隙さえあればすぐにだらけ寝ようとする娼婦然の女。
その中に残された自分。
彩香は走り去っていった栄作の顔を思い出した。普段ならば側にいてほしくない人間ではあるのだけれど、今だけは隣にいてほしいと強く思う。
まあ、黒時の方がいいのは当たり前のこととして、しかし、黒時が戻って来てくれるにはまだまだ時間がかかる。彼を望むわけにはいかなかった。
だから、つまり、彩香の今の胸中は、栄作のことを思い浮かべながら、さっさと帰って来いということだった。栄作もつい今しがた出て行ったのだが、彩香にとってそんなことは関係ないのである。
「ねえ、えっと、子豚ちゃん、だっけ?」
「あ、望印蜀駄紋っていいます」
「あっそ。ねえ、子豚ちゃん。のど渇いた。なんか飲み物持ってきて」
瑠野の言葉に駄紋は特別憤りを覚えることはなく従おうとしたのだが、別に憤りを覚えている者がいた。
第三者の立場ではあるのだが、彼女もこれまであらゆる男を手駒のように扱ってきた女である。目の前で手駒を取られるような真似をされ、プライドに触れてしまったのだ。
けれど、そんなプライド、捨て去ってしまってもよかったのかもしれない。
だって、結果的に危惧していた状況になってしまったのだから――。
「いい加減にしろっての。出会ったばっかりであんたのことなんてまったく知らないけど、でも、怠けすぎ! 見ててイライラする! なんなの、自分で少しは動けないの?」
本当の怒りの焦点は、手駒を取られかけたところにあるのだが、それを言ってしまえばなんだか負け犬の遠吠えのような気がして、少し焦点をずらして彩香は言った。
まあ、怠けている瑠野の姿に何も感じていなかったわけでもないので、嘘を言っていることにはならないだろう。
「なんなの急に怒鳴って。情緒不安定? それとも欲求不満?」
「違うっての。彩香の言ったこと理解できなかった? ごめんね、そこまで馬鹿だとは思わなくて。あ、でも、おっさんに股開くぐらいしか脳ないし、分からなくても仕方ないよね」
「……喧嘩売ってんの?」
「事実言ってるだけでしょ?」
つい先刻、この場にいたくないと思っていたのは彩香だったわけだけれど、今そう思っているのは、やはり駄紋である。
すぐさま部屋の扉を開けて逃げ出したい。
なんなら誰か頭を殴って気絶させてくれ、とすら思う。女という種がまさかここまで恐ろしいなんて、駄紋は知らなかった。年端も行かぬ少年ゆえ、知らなかった。
目の前で対立している女性二人に比べれば、まだ路地で襲ってきたあの暴漢の方がましだ、と駄紋はがたがたと震えながら思った。
「ああ、めんど。鬱陶しいからさ、出てってくんない? クソガキ」
「あんたが出て行けばいいでしょ、売春婦さん?」
両者とも初めはそれほどでもなかったが、互いに言い合っている内に二人の怒り
のボルテージはふつふつと上昇していた。
彩香にいたっては、正直殴りかかりたいほどである。いや、彩香だけではないかもしれない。
ただ姿からはそう感じることが出来ないだけで、瑠野も彩香を殴りたいと思っているのかもしれない。現に殴り合いの喧嘩に発展するような言葉を発してもいたのだ。
しかしながら、どういった心持ちなのだろうか。
身体が軽く震えてしまうほどに怒りを感じているというのに、未だベッドの上でだらけたままの体勢だというのは。
一切動く気がない。そう見える。
そう見えて――事実そうだった。
「早く出ていきなよ。何ぼーっと突っ立ってんのさ。ほら、馬鹿な犬みたいにきゃんきゃん吠えながら出て行きなって」
「だから、あんたが出て行けばいいじゃん」
「やだ、めんどい。動きたくない」
「はあ!? 意味わかんない、だったら彩香もめんどくさいから動かない」
「真似しないでくれる?」
「別に真似じゃないけど? 真似されるほど立派な人間じゃないでしょ?」
「あー、うっざ。超うざい超うざい超うざい」
もう嫌だ。
駄紋は心からそう思った。
誰か帰ってきてくれ、とそう強く祈った。祈ったところで帰ってきてはくれない。泣きそうだ。なんなら、泣いてしまおうか?
自分が声をあげて泣けば、もしかしたら二人とも興ざめして喧嘩をやめてくれるかもしれない。
駄紋は少し考える。いや、やっぱり駄目だ、そう判断した。泣いたところで、うるさい、と怒鳴られてそれで終わりだろう。
ああ、いっそ悪魔が現れてくれたらいいのに。
そんな駄紋の願いが起因となったわけではないだろうけれど、駄紋の願いは叶うことになった。
ぬるっ、と。
ベッドの下から現れた黒いヘドロ状の物体。目もなく鼻もなく口もなく、ただただ黒くどろどろとした物体。
その物体は、どこから発したのか――
『ウ、ウゴキタクナイ、、ソレ、、ヨクワカル。ダ、ダ、カラ、オマエラ、、ミンナ、コ、、コ、コロシテヤル』
と言った。
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