ハコニワールド

ぽこ 乃助

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Chapter4 怠惰の脚

第50話 四つ目のコア

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「瑠野さん、その脚!?」

 変化を遂げた瑠野の脚を見て彩香が叫んだ。

 驚愕の叫びと言うよりも歓喜の叫びに近い。

 瑠野の脚に発現した力が自分の腕の力と同質なものであることを彩香は理解していたのだ。自分の光る腕がマモンを殺す為に発現した力ならば、瑠野に発現したこの脚の力はベルフェゴールを殺す為に発現した力に違いない。

 彩香はゆっくりと瑠野に歩み寄っていく。迫り来るベルフェゴールを無視するかのように、ゆっくりと。

「ねえ彩香。なんかアタシの脚きもくなったんだけど、何これ? あ、そーいやあんたも腕すごいことになってたよね? どーいうこと?」

「詳しいことは彩香にも分かんない。だけど、これだけは分かるよ。あの悪魔を殺せるのはきっと瑠野さんだけなんだって」

「アタシ、だけ?」

「うん、そう。瑠野さんだけ。だから、瑠野さんが動いてくれないと、彩香たち全員殺されちゃう」

「……そっか。アンタも死んじゃうんだ」

「そうだね。死んじゃうね」

「……そっか」

 じっと、瑠野はベルフェゴールを見つめた。

 疾駆。

 とんでもない速さだ。

 よくあんなものから逃げようなんて気になったものだと、改めて馬鹿らしく思った。

 それもこれも全て後ろに立つ少女のせいだ。そう思いながら瑠野は彩香を見上げ一瞥した。
 
 一瞬だけだが、耐え切れず一瞬しか見れなかったが、彩香のあの眼差しは期待に満ちた目だった。信じている、とそう言いたげな目だった。
 
 何を信じているのだろうか。出会って間もない女の、だらけ怠けきった女のどこを信じられるのだろうか。
 
 動く気などない。

 動けば疲れるし、物事が良い方に向かない。

 なんの利点もありはしない。

 誰が死のうが関係ない、殺されるなら殺されればいい。自分が死ななければそれでいい、と瑠野は思った。
 
 だが。
 
 そこから先の思いは、自分のものでありながら瑠野には理解できなかった。

 なぜだろう。身体が勝手に動き出す。座っていたいのに、怠けていたいのに、身体が自然と立ち上がっていく。
 
 心が。心が動き、叫んでいる。
 
 誰が死んでも構わない。けれど、後ろにいる少女には死んでほしくない、と。

「瑠、瑠野さん……」

 彩香は涙を流していた。

 自分でも何故流れたのかは分からない。それでも、立ち上がり見つめてくる目の前の女性の姿を見ていると、自然に涙が溢れてきた。

「何泣いてんの? やっぱアンタ馬鹿なんだね」

「うっるさいな。あはは、でも、よかった」

「よくないよ。立ち上がってみたけど、どうやってあいつ殺せばいいの? あんな
速いの蹴飛ばしたりできないよ?」

「あ……、えーと……」

 ベルフェゴールの速さは既にチーターの最高速度すらも越えていた。

 常人の動体視力では視認するのがやっとだろう。そんな相手に攻撃を加えるなんてことは到底無理な話である。
 
 殺せる武器があっても――殺せる力がない。

 いわゆる宝の持ち腐れと言うやつだが、だったら、別の者が扱えば済む話なのである。

 当人が腐らすのなら、それを有効に使える者が使えばいい。幸いなことに、いるのだから。

 この場にいるのだから。

 常人の動体視力以上の、異常な動体視力を持った者がいるのだから。

「脚を上げていろ! 俺が合図をするからそのタイミングで地面を踏みしめろ!」

 そう言ったのは、怜奈におぶられた格好の黒時だった。

 どうにも格好の悪い姿だが今はそんなことどうでもいい。瑠野がしくじれば、全員殺されるのだ。

「あ、いや、ちょっと待って。やばいなんだか緊張してきた。外したら、だめだよね? あー、やばいやばい」

「瑠野さん!」

 巨大な重圧に押し潰されそうになっていた瑠野の身体を両手で回し、彩香はもう一度彼女と向き合った。

 二人の女の視線が交差する。

「彩香の目を見て」

「え? いや、あいつ見てないと、外しちゃったら……」

「大丈夫、黒時先輩が合図してくれるから、見てる必要なんてないよ」

「え、でも……、あいつのことそこまで信用できないんだけど」

「だったら彩香を信じて。それだったらできるでしょ?」

「あ、えーと、うん……」

 瑠野は頬を赤めながら小さく首肯する。

 彼女の今の胸中は無闇に詮索するべきではないのだろうが、まあ、いわゆる吊橋効果が作用している。

「あと、3秒!」

 黒時のカウントダウンが始まり、瑠野の緊張が吹き返す。身体が震え、肝心な脚も制御しきれていない。
 
 あと、2秒。
 
 呼吸が荒くなる。しくじれば死ぬ。全員死ぬ。死。死。死。死。死。死。死。死。
 
 あと、1秒。

 瑠野の身体が硬直する。

 もうだめだ。やはり動くべきではなかった。

 じっと座り続けて怠けているべきだった。こんな目にあうのなら、楽と楽しさを履き違えたまま堕落していたかった。
 
 ごめん、と。誰に謝ったのか、瑠野はそう心の中で呟いた。そして――残り、一歩。

 そんなタイミングで、瑠野は――優しく抱きしめられた。目の前の少女にぎゅっと、強く優しく抱きしめられた。

「今だ!」

 黒時の叫びと、大気を揺るがすほどの破壊音が響いた。

 金属が砕け散るような、そんな音。

 その音は、死の脅威から免れ、生を掴み取った証明ともなる音だった。
 
 つまり、悪魔ベルフェゴールは、怠惰の脚によって踏みつけられ、粉々に粉砕したのである。

「やった、瑠野さん! やった!」

 少女は抱きついたまま喜び飛び跳ねる。瑠野の身体も彩香に持ち上げられ、自然と一緒になって飛び跳ねた。

「あ、あのさ彩香」

「なに?」

「その、さん付けやめてくんない?」

「? じゃあ、瑠野って呼べばいい?」

「うん。そ、それでお願い……」

 またも頬を赤くする瑠野。

 そんな瑠野を、彩香はきょとんとした顔で見つめている。
 
 ともあれ、なんとか今回も黒時は生き残り悪魔を殺すことができた。これで残るは三体となったわけだが、黒時には腑に落ちぬことがあった。

 ベルフェゴールは確かに粉々になり死んだはずなのだが、いまだ奴のコアが出現していないのである。これまでの悪魔たちは死ねばその場にコアが出現していたのだが――だとすれば、導き出される答えは唯一つ。
 
 ベルフェゴールはまだ――死んでいない。

「逃げろ!」

 それは、黒時が叫んだと同時だった。辺りに散らばっていたベルフェゴールの破片が宙に舞い、無数の尖形となったのは。

 全ての尖頭が抱き合う二人の女性に向けられ、まるで殺意の塊が彼女達を睨みつけているようだった。

「きゃっ!」
 
 そしてこれもまた同時だった。彩香が突き飛ばされ、小さく悲鳴を上げながら尻餅をついたタイミングと同時だった。
 
 向けられていた殺意が全て消え去ったのである。
 
 突き飛ばされた彩香には見えていなかったかもしれないが、離れた場所から見ていた黒時と怜奈には何が起きたのか、しっかりと見えていた。
 
 後ろ回し蹴り。
 
 怠惰の脚によるそれが、宙に浮んでいたベルフェゴールを更に細かく粉砕してみせたのである。
 
 さすがのベルフェゴールも視認できないほどに細かく砕かれては生きていられなかったようで、先程は出現しなかったコアが現われ瑠野の中へと吸収されていった。

 これでようやく、四体目の悪魔を殺すことが出来たのだ。
 
 しかしながら、瑠野の身体能力は意外にも高く、だとしたら何故あんなにも走るのが遅かったり、ゆったりとした動きをしていたりしたのだろうか。

 怠けたいという一心がそうさせたのだろうか――。
 
 いや、どうやら違った。

 瑠野の身体能力はそもそもそれほど高くはなかった。

 では何故、後ろ回し蹴りなど、それも段位を持つ空手家のような鋭さで放つことができたのか。それはきっと、少年漫画でありがちな――

「大丈夫、彩香?」

「う、うん、ありがとう。てかすごいじゃん、瑠野! あんなことできたんだ!?」

「いや、なんか夢中で……。アンタのこと、誰にも触らせたくなかったから……」

「…………え?」
 
 彩香が瑠野に抱いた感情。

 それは友情と呼べるものだった。

 けれど、瑠野が彩香に抱いた感情。

 どうやらそれは友情とは別のものだったようで……。まあ、だからこそ瑠野は彩香を守ることができたのだが。

 少年漫画でありがちな【好きな人を守る時に出る限界を超えた力】的なもので。
 
 瑠野と彩香の関係がこの先どうなるのか、そんなことは黒時にとってどうでもいい話なわけで、それよりも人間と悪魔の関係、こちらの方が何よりも気になる。
 
 今、目の前で瑠野がベルフェゴールを殺したように、これまでもまるで一セットになっているかのように、人間が悪魔を殺してきた。
 
 彩香がマモンを。駄紋がベルゼブブを。そして、妬美がレヴィアタンを。
 
 それぞれの悪魔に対応した器が、悪魔を呼び、そして殺している。
 
 残る三体の悪魔。

 それらもきっと、残る三つの器によって呼ばれ、そして殺されるのだろう。

 対応した器の覚醒した力、それでしか悪魔は殺せない。しかしだとしたら、悪魔を殺せるのは器以外にはいないということになる。
 
 黒時は思った。
 
 だったら、自分はなんのために悪魔と闘っているのだろうか、と。

 悪魔を殺せる者は対応した器以外にいないというのなら、わざわざ闘わずともその者に任せてしまえば、簡単に済んでしまう話である。

 残る三人に全てを任せてしまえば、苦しむ必要もなく全てのコアを手に入れることが出来るはずだ。
 
 と、黒時がそう考えついた時。彩香の口から――

「黒時先輩、はやく栄ちゃん先輩を助けに行こう!」

 という言葉が飛び出した。

 だから、黒時は。一瞬の迷いもなく黒時は。

「嫌だ」

 と言った。

 言わなければ良かったのに、言ってしまった。
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