ハコニワールド

ぽこ 乃助

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Final Chapter 傲慢の人

最終話 傲慢の人

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「な、なんだぁ?」

「あれって、太陽?」
 
 気付けば漆黒の空は晴れ、上空には見事なまでの蒼穹が果てしなく広がっていた。

 眩しさに目を半分閉じながら、三人は空を見上げる。
 
 何時振りの太陽だろうか。どれほどの時が経ったのかは判然とはしないが、三人共、かなり長い時間闘っていたような気がしていた。そして、はっきりと分かった。全て終わったのだ、と。

「ちょっと先輩たち、見て!」 

 彩香は下方を指差しながら叫んだ。二人はその指先を追い、下方、地上を見つめる。そこには――

「人間が……、いる」

「彩香たち、戻ってきたんだ……」

 慣れ親しんだ光景だった。無数のビルが建ち並んでいる中を、幾人もの人間が慌しく動いている。これまでに何度も目にした、当たり前の光景だった。

「黒い人影は本当に、人間だったんですね」

「そうみたいだな」

 どうやら世界は本当に元に戻ったようだった。

 もとの世界を描く、という黒時の目的が叶ってしまったわけだが、まだすることはある。

 死んでしまった者たちを蘇らせることだ。新たな世界を描く権利があるのなら、死んだ者を蘇らせることなど容易いだろう。
 
 見えない床の上に立ち、黒時は待つことにした。恐らく、あの神を名乗っていた存在が現れるだろう、とそう思い待つことにした。

 だが――神は現れることはなかった。

「なんだ?」

 異変を感じた黒時は、再度上空を見上げた。変わらぬ晴天、青い空。

 しかし、そこまでの途中に変化があった。浮んでいたのである。七つの悪魔のコアが、円を描くようにして浮んでいたのである。

「黒時先輩、なにが起こるんです?」

「…………」

 ぱりん。

 やがて、一つのコアが音を立てて割れた。まるで意図的に割られたかのように、粉々になって宙に飛び散った。

「黒時先輩!」

 尋常ではない声だった。

 黒時は当惑しながらも首を回し、彩香を見る。そして、彼女の視線の先を追った。その視線の先は――地上。

「なんだ……、これ?」

 変わらぬ景色。ただ違っていたのは、地上の七分の一が赤く染まっていたことだけだった。
 
 ぱりん――七分の二。
 
 ぱりん――七分の三。
 
 ぱりん――七分の四。
 
 ぱりん――七分の五。
 
 地上の七分の五が、鮮やかな赤色に染まった。

「せ、先輩、人が、人が、死んでいく……、なんで? ねえ、なんで!?」

「分からない、なにが起きてるんだ? 俺はなにも望んじゃいないぞ」

「彩香たち、悪魔を全部殺したよ? なのに、なんで皆死んでいっちゃうの!?」

「どうなってる……」

 困惑する二人。

 コアが割れていく度、人間が死んでいく。その異様な状況をどうすることもできないでいた。
 
 そして――ぱりん。

「せ、先輩……」

「あ、彩香――!?」

 六個目のコアが割れたと同時に、地上の七分の六が赤く染まったと同時に、マモンのコアが砕け散ったと同時に、一人の少女の穴という穴から、真っ赤な血が噴き出した。

「なんだ!? なんなんだ!? なにが起きてる!? どうなってるんだ!?」

「せ、先輩……、彩香、死ぬの?」

 彩香の目からは涙の代わりに、血が流れる。おびただしいほどの赤い血。彼女の身体は怯えているのか激しく震えだし、それに呼応するように、血の噴出も激しさを増した。

「いやあぁぁぁ――! 死にたくない、死にたくない、死にたくない! 助けてよ、黒時先輩! 大丈夫って、言ったじゃん! 皆助ける、って! 助けてよぉぉぉ――!」

「彩香!」

 彼女を抱きしめようと、なにも出来ないのならばせめて抱きしめようと、そう思って黒時は走り出した。けれど、彼女の身体に手が触れる間際、彼女の身体は――ぱあん、と破裂した。

「……は、ははっ。なんだよ、どうなってるんだ……」

 身体中に浴びた彩香の血を抱きしめるかのように、黒時は両手で血を何度も何度も己の身体に塗り込ませた。

 自分がなにをしているのか、それはもう黒時にも分からない。けれど、彩香の存在を、血を、ずっと感じていたかった。

「俺は……、俺はこんなこと望んじゃいない。描いちゃいない……、なのに、なん
で。なんで、こんな――」

「俺が望んだんだよ、黒時」

 背後から聞こえたその声は、疑いようも無く彼の声だった。

 冗談を言い合い、窮地を共にし、【友】という存在を教えてくれた一人の少年。彼の――言葉だった。

「え、栄作……?」

 血まみれになった身体を振り向かせ、黒時は栄作と向き合う。栄作の顔は、これまで見たことないほどに歪んだ笑みを見せていた。

「なにを……、なにを言ってるんだ?」

「なにって、ははっ。分かってるだろうが、黒時。全てのコアを回収したんだ。新たな世界を描いてるんだよ」
 
 知っている。

 悪魔を殺し、コアを回収することで新たな世界を描くことができるのは、黒時も知っている。

 けれど、それは黒時だけが知っている事柄だったはずである。神に選ばれた黒時だけが知っていて、権利を持っていたはずだった。

「なんで栄作がそのことを……」

「はぁ――なあ、おい、黒時。いい加減さ、分かれって。お前は全部勘違いしてたの」

「勘違い?」

「そ。選ばれたのはお前じゃなくて、俺」

 一瞬、黒時の思考が停止する。

 矢継ぎ早に飛んでくる理解できぬ事実が、考えるという行為を放棄させようとしていた。

「思い出せよ黒時。あの時、神に出会った時、あそこにいたのはお前だけじゃなかったはずだ」

「…………まさか」

 黒時の脳裏に鮮明に思い出されていく。あの時の出来事。世界が変貌して、光る人影が自分の前に現れたあの出来事。神に選ばれた、あの出来事。

 しかし、それこそが黒時の最大の間違いであり、勘違いであった。神は、黒時の前に現れたのではなかったのである。

 黒時は、その者の隣にただ立っていただけ。神が現れたのは――

「俺の横にいた、黒い人影。あれが……、あれが選ばれた者、お前だったのか?」

「やっと分かったか」

 笑いながら栄作が言う。

 あの時のノイズ。あれは、栄作が神に向けて放っていた言葉だった。そして、神はそれに対して返答していたのだ。
 
 理解する黒時。
 
 しかし黒時には、まだ解せぬところがあった。

「待て、お前の言うことが正しいなら俺は神ではなく、お前に選ばれたということか?」

「ああ、そうだな。うん、俺が選んだ。対応する七つの器は全部、俺が選んだ」

「だとしたら、神が現れたあの時点では、俺はまだお前に選ばれてはいなかったはずだ。なのに何故、神の視点である【真の世界】に俺はいたんだ?」
 
 黒時が【真の世界】へと移った時、彼はまだ普通の一人の少年だった。一人の少年であり、一人の人間であったわけなのだから、神の視点を持っているわけがないのである。

「分からないのか? お前、実は馬鹿なのか? 簡単だろ、お前が普通じゃないからだ。ちょっとずれた人間、それがお前だ。お前はもともと人間とはずれた視点を持ってたんだよ。だから、一足先に神の視点を持つことができた。そんだけのことさ」
 
 栄作が面倒臭そうに説明する。黒時はその説明に、なんの反論もできなかった。

 黒時自身、既に気付いてしまっていた。自分が、七つの器の一つであったのだということに。
 
 思えば、向上した身体能力、これこそが発現した力だったのだ。残された傲慢の力、己を神に選ばれた存在だと思い込んでいた恐るべき傲慢さ、それによって発現された力だった。

「分かった、栄作。お前の言ってることは、真実なんだろう。だが、何故だ!? 何故、人間を殺していく!?」

 怒声を上げる黒時。

 これほどまでに怒りを露にする彼の姿は、誰も見たことがないだろう。ずっと隣にいた栄作も、見たことはないだろう。

「あのコアな。悪魔のコア。あれってさ、人間の命の塊みたいなもんなんだよな」

「……なんの話だ?」

「人間の本質を七つのカテゴリに分けて、それぞれの命を一つずつまとめたんだよ。まあ、あの悪魔の存在は、その命の塊を守る為の防護服みたいなもんだ」

「おい、栄作!」

「待ってろ、ちゃんと説明してやる。でな、つまりはさ、あの悪魔たちは世界にいる人間の集合体だったわけだ。新たな世界を描くことができる者から、世界を守るために集った勇者だったわけだ。てなるとさ、俺たちってなんだと思うよ? あいつらから見たら、俺たちって世界を滅ぼす者に見えてるんだろう? 勇者の敵ってことだろ? てことは、魔王じゃん!」
 
 にかっ、と屈託のない笑顔を浮かべる栄作。これまで何度も見てきたその表情は、信じられないほどに黒時の心を不快にさせた。
 
 そして。
 
 彼の放った次の言葉は、不快どころか、吐き気を催すほどに気持ち悪かった。

「魔王が勝ったんだぜ? なら、全員殺さなきゃ! 世界、壊さなきゃ!」

「…………」

 黒時はなにも言わなかった。いや、なにも言えなかった。変わり果てたような姿を見せる【友】に、かける言葉が見つからなかった。だがきっと、変わったのではないのだ。

 見栄坊栄作という人間は、初めからこうだった。こんな人間だった。黒時がただ、それを知らなかっただけだった。

 気付けば、黒時の頬には、涙が止まることなく流れ続けていた。

「まあ、でも、彩香と瑠野さん、あと怜奈先生、この三人は甦らせてあげようかな。可愛いし。俺の性奴隷にしてあげよう」

「…………」

「駄紋は、うーん、まあ、労力には使えそうだよな。扱いやすそうだし。あ、だったら草他先生の方が扱いやすか。よし、二人とも甦らせるか」

「…………」

「んで、黒時。お前は――」

 栄作は喋りながら黒時に近づき、右の手で頭をがっちりと掴んだ。

「いらない」

 ぼそっ、と栄作が黒時に耳打ちをする。

「忘れた、とは言わせねぇぞ」

 栄作の手に力が入り、黒時の頭がきしきしと音をたてる。忘れているわけがなかった。

 黒時は、あの時隣にいた人影を思い出したと同時に、自分のしでかしたこともはっきりと思い出していた。
 
 黒時はあの時、傲慢の力に目覚めた時、隣にいた黒い人影の頭を――握り潰していたのである。

「すげー痛かったぜ。マジで死んだからな。神もびっくりだったろうよ、選んだ人間がそっこーで死んでんだから。ほんと、何度でも復活出来るようにしてもらってて助かったぜ。でも、だからって許せねえよな? 自分を殺した奴のことを、許せるわけないよな?」
 
 黒時の顔を覗き込むようにして、栄作は叫びだす。

「なあ!? なあ!? 許せるわけねえよな!? なあ、黒時!」

「……そう、だな。すまなかった」

 顔を遠ざけ、呆れた顔を見せる栄作。

「いやいや、謝ってほしいわけじゃねえんだよ。うん。分かるだろ? なあ? 分かるよな?」

 世界とは、一体なんなのか。それは結局、考えたところで行き着く先は決まっている。

 世界は世界であって、それ以外の解釈などできようはずもないのだ。

 けれど、それは人間の視点にしか過ぎず、別の視点から見れば世界は、世界以外のものになり得るのだ。 

「栄作……」

「ああ? なんだよ?」

「最後に、一つだけ聞いていいか?」

「面倒だけど、まあ、いいだろ」

 別の視点から見た世界。それはきっと――

「【友】って……、なんだ?」

「さあ? 知らね」
 
 きっと――ただの箱庭だ。

 黒時は、視線を落として地上を眺める。真っ赤に染まった地上。自分が生きていた世界の基盤。

 けれどそれらは、ただの箱庭に過ぎなかった。おもちゃ箱に過ぎなかった。

 なにが真実で、なにが偽物で、そんなこと、いくら考えてみても答えは出ない。

 だが、黒時は信じることにした。【真の世界】で窮地を共にしてきた者たちの絆だけは、創られたものではないということを。
 
 ぱりん。
 
 小さななにかが砕ける音が聞こえた。とてもとても小さな音。終わりを告げるような、寂しい音。

「悪魔を殺すためとはいえ、お前と仲良くするのはほんとに…………、最悪の気分だったぜ」
 
 栄作の言葉。
 
 黒時は、彼の言葉を聞いて――笑った。

 満面の笑みで笑った。

 黒時は、人間の本当の本質に気付けたのだ。

 自分の中にもあった、本当の人間の本質に。
 
 最後に――聞こえた。

 一瞬だけ――聞こえた。

 聞こえて、そして――真っ暗になった。なにもかも――なくなった。

 黒時の心に届いたその最後の音は――

――ぐしゃ。 
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