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似た建物が並ぶ住宅街の中のマンションの一室に、インターホンが鳴り響く。音に反応して、対抗しているわけではないのだろうが、内側からドタバタと音が鳴る。少し後、インターホンについてあるスピーカーから誰何の声が飛んできて、僕は素性と用件を伝えた。
またもドタバタと内側から音が鳴り、流れるように近づいて来た音は玄関の扉を開けて、姿を現した。四十代ぐらいの女性だった。
「すいませんが、娘は体調が悪いようでして」
「そうですか。病院を受診されましたか?」
「はい。ですが、精神的なものうだろう、ということらしくて」
「なるほど」
「あの娘、学校で何かあるんでしょうか? もしかして、いじめとか」
「それは……どうでしょうか。調べてみないと、分からないですね」
はっきりと、「娘さんはいじめられています」などと言えたらどれだけ楽なことだろう。学校としての体裁や、明石凜花の矜持を慮れば、軽はずみに事実を口に出すことは出来ないし、それに、長話になってしまっても困る。タイムリミットまでには、どうしても帰らなければいけない。
「こんなところではなんですし、よければ中へおあがり下さい」
「いえいえ、結構です。ありがとうございます。僕は、娘さんの状態を確認しに来ただけですので。精神的なものが理由で学校に来られない、ということですね。学校内に原因がないか、こちらで探ってみます」
「ありがとうございます。本人から話が聞ければいいのですが、どうも毎日部屋にこもりっぱなしで」
「そうですか。それは、心配ですね」
十九時十分。
「ええ、本当に。でも、こうして先生が来られてよかったです。学校側も娘のことを気にかけてくれていることが分かって嬉しく思います。そういえば先生は、一人暮しですか? よかったら、肉じゃが、持って帰ってください。ちょっと作り過ぎてしまって――」
十九時二十分。
「先生、ここまで足を運んでもらったんですから、あの子に一言何かいってあげて頂けないですか? 私たちが何か言っても「うん」とか「ああ」とか、そんな返事しかないんです」
一人でひたすらに話を続けたことで、随分と気が大きくなってしまったのか、明石凜花の母親は、遠慮というものを放り捨ててしまった。
「僕が何か言っても、変わらないと思いますが。むしろ、警戒されて返事も何もないと思いますよ」
「それでもいいんですよ。あの子に味方がたくさんいる、っていうことを伝えてあげてほしいんです」
味方かどうかのラインは、かなり微妙ではある。敵ではない、と言い切れはするけれど、じゃあ味方か、となると、それはそれで首を曲げるしかない。どこから味方としての線引きになるのかが重要なわけだけれど、もしも、彼女にまた元気に登校出来るにようになってほしい、と心底思うことが味方の条件であるのならば、僕は味方ではない。
不登校のままであっても、僕としてはそれはそれでいい。彼女が不登校のままであることで僕の給料が下がるわけでもないし、仕事が増えるわけでもない。今回はたまたま、というか押し付けられた結果が僕を選んだだけで、次回からは担任である数学教師に任せればいいだけだ。
「申し訳ないですが、そろそろ帰らなくてはいけなくて」
「お願いします。一言だけ、一言だけでいいですから」
「――ですが」
「お願いします! 娘の相手をして下さっている間に、肉じゃがの用意、しておきますから」
かくして僕は、一家庭の一人娘の部屋の前に立つこととなった。リビングにいた父親に軽く挨拶をしたがあまりにも気まずく、逃げるように階段を登って部屋の前にやって来た。
案内をしてくれた母親は、隣にいると耳が痛くなるぐらいの声量で娘の名を呼んで、僕が来ていることを説明した。娘である明石凜花は、一言だけ「うん」と返事をしただけで、その返事を聞き終えると母親は、後は任せた、という体で一階へと降りて行った。
時刻は、十九時四十分。
ため息をつきながら、スマホを右ポケットから取り出す。【菜乃葉】の待機画面を開いて、更にため息を漏らした。どうも、今夜は一緒に過ごせないようだ。
何が嬉しくて、【菜乃葉】の代わりに引きこもりの女子高生と一緒に過ごさなければいけないのだろう。一部の人間からすれば羨ましく思えるのかもしれないが、僕にはそういう癖はない。どちらかといえば、年上の方が好きだ。
どうでもいいことを考えて【菜乃葉】のことを一時忘れようとしたけれど、やはり無理そうなので、覚悟を決めて口を開くとする。適当に何か投げかけて、返事がなく、やはりどうにもなりませんでした、と母親に報告してささっと帰ろう。ライブ配信の後半には、間に合うはずだ。
【菜乃葉】のために、頑張ろう。意気込み、もう一度待機画面に視線を落とす。流れるコメント欄。同志たちは、【菜乃葉】の配信が始まるのを今か今かと待ち望み、その熱い想いが文字となり画面を流れている。
だからこそ、際立った。【菜乃葉】を想うコメント欄の中に、自分勝手と言えば聞こえの悪い、自身の現状を語るコメントが流れた。別の誰かがそのコメントに反応することはなかったが、僕の口は開き、呆気にとられる、とはまさにこのことかと実感した。
『部屋の前に教師がやって来てる。うざい』
世界の中の、どこか別の場所で起きていることかもしれない。世界はどこまでも広く、そんな世界に向けてこの配信は届けられ、世界中の誰もが簡単にコメントを送ることが出来る。
決めつけるには、まだ早い、か。ならばと、僕は、明石凜花に投げかける言葉を、適当な上辺だけの台詞から、自分都合の、これは紛れもなく自分勝手な言葉である。
「明石凜花。【菜乃葉】のライブ配信をリアタイしたいんだ。君なら、分かってくれるはずだ」
がた、っと部屋の中から大きな音が聞こえる。沈黙。そして、声が聞こえた。
「お母さんには、良い感じで伝えておきますから」
僕は軽く別れの挨拶を投げて、階下に足早に降りて行き、待ち構えていたように出くわした母親から、タッパーに詰められた肉じゃがを受け取り、明石家を出て行った。玄関の扉が閉まってから、父親にも挨拶をした方がよかったかと思ったが、まあ別に構わないか、と僕はチーターになったつもりで帰路に着いた。
またもドタバタと内側から音が鳴り、流れるように近づいて来た音は玄関の扉を開けて、姿を現した。四十代ぐらいの女性だった。
「すいませんが、娘は体調が悪いようでして」
「そうですか。病院を受診されましたか?」
「はい。ですが、精神的なものうだろう、ということらしくて」
「なるほど」
「あの娘、学校で何かあるんでしょうか? もしかして、いじめとか」
「それは……どうでしょうか。調べてみないと、分からないですね」
はっきりと、「娘さんはいじめられています」などと言えたらどれだけ楽なことだろう。学校としての体裁や、明石凜花の矜持を慮れば、軽はずみに事実を口に出すことは出来ないし、それに、長話になってしまっても困る。タイムリミットまでには、どうしても帰らなければいけない。
「こんなところではなんですし、よければ中へおあがり下さい」
「いえいえ、結構です。ありがとうございます。僕は、娘さんの状態を確認しに来ただけですので。精神的なものが理由で学校に来られない、ということですね。学校内に原因がないか、こちらで探ってみます」
「ありがとうございます。本人から話が聞ければいいのですが、どうも毎日部屋にこもりっぱなしで」
「そうですか。それは、心配ですね」
十九時十分。
「ええ、本当に。でも、こうして先生が来られてよかったです。学校側も娘のことを気にかけてくれていることが分かって嬉しく思います。そういえば先生は、一人暮しですか? よかったら、肉じゃが、持って帰ってください。ちょっと作り過ぎてしまって――」
十九時二十分。
「先生、ここまで足を運んでもらったんですから、あの子に一言何かいってあげて頂けないですか? 私たちが何か言っても「うん」とか「ああ」とか、そんな返事しかないんです」
一人でひたすらに話を続けたことで、随分と気が大きくなってしまったのか、明石凜花の母親は、遠慮というものを放り捨ててしまった。
「僕が何か言っても、変わらないと思いますが。むしろ、警戒されて返事も何もないと思いますよ」
「それでもいいんですよ。あの子に味方がたくさんいる、っていうことを伝えてあげてほしいんです」
味方かどうかのラインは、かなり微妙ではある。敵ではない、と言い切れはするけれど、じゃあ味方か、となると、それはそれで首を曲げるしかない。どこから味方としての線引きになるのかが重要なわけだけれど、もしも、彼女にまた元気に登校出来るにようになってほしい、と心底思うことが味方の条件であるのならば、僕は味方ではない。
不登校のままであっても、僕としてはそれはそれでいい。彼女が不登校のままであることで僕の給料が下がるわけでもないし、仕事が増えるわけでもない。今回はたまたま、というか押し付けられた結果が僕を選んだだけで、次回からは担任である数学教師に任せればいいだけだ。
「申し訳ないですが、そろそろ帰らなくてはいけなくて」
「お願いします。一言だけ、一言だけでいいですから」
「――ですが」
「お願いします! 娘の相手をして下さっている間に、肉じゃがの用意、しておきますから」
かくして僕は、一家庭の一人娘の部屋の前に立つこととなった。リビングにいた父親に軽く挨拶をしたがあまりにも気まずく、逃げるように階段を登って部屋の前にやって来た。
案内をしてくれた母親は、隣にいると耳が痛くなるぐらいの声量で娘の名を呼んで、僕が来ていることを説明した。娘である明石凜花は、一言だけ「うん」と返事をしただけで、その返事を聞き終えると母親は、後は任せた、という体で一階へと降りて行った。
時刻は、十九時四十分。
ため息をつきながら、スマホを右ポケットから取り出す。【菜乃葉】の待機画面を開いて、更にため息を漏らした。どうも、今夜は一緒に過ごせないようだ。
何が嬉しくて、【菜乃葉】の代わりに引きこもりの女子高生と一緒に過ごさなければいけないのだろう。一部の人間からすれば羨ましく思えるのかもしれないが、僕にはそういう癖はない。どちらかといえば、年上の方が好きだ。
どうでもいいことを考えて【菜乃葉】のことを一時忘れようとしたけれど、やはり無理そうなので、覚悟を決めて口を開くとする。適当に何か投げかけて、返事がなく、やはりどうにもなりませんでした、と母親に報告してささっと帰ろう。ライブ配信の後半には、間に合うはずだ。
【菜乃葉】のために、頑張ろう。意気込み、もう一度待機画面に視線を落とす。流れるコメント欄。同志たちは、【菜乃葉】の配信が始まるのを今か今かと待ち望み、その熱い想いが文字となり画面を流れている。
だからこそ、際立った。【菜乃葉】を想うコメント欄の中に、自分勝手と言えば聞こえの悪い、自身の現状を語るコメントが流れた。別の誰かがそのコメントに反応することはなかったが、僕の口は開き、呆気にとられる、とはまさにこのことかと実感した。
『部屋の前に教師がやって来てる。うざい』
世界の中の、どこか別の場所で起きていることかもしれない。世界はどこまでも広く、そんな世界に向けてこの配信は届けられ、世界中の誰もが簡単にコメントを送ることが出来る。
決めつけるには、まだ早い、か。ならばと、僕は、明石凜花に投げかける言葉を、適当な上辺だけの台詞から、自分都合の、これは紛れもなく自分勝手な言葉である。
「明石凜花。【菜乃葉】のライブ配信をリアタイしたいんだ。君なら、分かってくれるはずだ」
がた、っと部屋の中から大きな音が聞こえる。沈黙。そして、声が聞こえた。
「お母さんには、良い感じで伝えておきますから」
僕は軽く別れの挨拶を投げて、階下に足早に降りて行き、待ち構えていたように出くわした母親から、タッパーに詰められた肉じゃがを受け取り、明石家を出て行った。玄関の扉が閉まってから、父親にも挨拶をした方がよかったかと思ったが、まあ別に構わないか、と僕はチーターになったつもりで帰路に着いた。
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