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第七章 (1)

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 その日の午後二時過ぎ、ザニエルは予定どおり、成田空港に到着した。彼は税関を出たところで、天美の歓迎を待っていた。
 だが、一時間後の三時半になっても、天美は現れなかった。
〈あれ、おかしいなあ。あいつが俺との約束を破るはずはないし、日本の渋滞って、うわさどおり、かなりのものかなあ〉
 事情を知らない彼は、そう、のんびりしたことを思っていた。
 手持ちぶたさになったザニエルは、空港内を散歩し始めた。その途中、ニュース等を流す電光掲示板が目に入ったのだ。空港内の掲示板は、外国人にも利用してもらうように、英語の表記が主であった。
〈さてさて、これから、どうしたものか〉
 ザニエルは、その電光ニュースを読み始めた。日本の情勢を知っておく必要があったからだ。彼の見つめる中、次々と、様々なニュースが流れてきた。
  やがて、次のニュースが流れてきた。ザニエルは、同様に何気なく、そのニュースに目を通していたが、突然、その顔色が変わった。
「な、なんだって? 警官刺殺容疑の少女が射殺された! で、では、あいつは!」
  ザニエルは顔をこわばらせながら思わず叫んでいた。

 競羅は数弥と別れたあと、呆然としていた。
〈あ、あの子が殺されるなんて、そ、そんな、バカなことあるかよ。きっと、何かの間違いに決まっているよ〉
  競羅は夢遊病者のように、ふらふらと目的もなく、歩き始めていた。
 人の死、小学生のとき、一番、慕っていた兄を失うことになった彼女は、その死、つまり、二度と会えない別れ、というのが、身近な存在であるということは理解をしていた。
 確かに、その当時、九才であった彼女には、死というものが、どのようなものであるか、理解ができかねなかったが。父親が後妻にうつつをぬかしていた、あんな情況では、良識的な考えを持っていた兄が、唯一の頼りであった。(もう一人、大きく年の離れた姉もいたが、彼女の方は成人になっていたので、後妻が怖くて、家を出てしまっていたのだ)
 その頼りにしていた兄が、夫婦共々、外国で、突然、失踪をしてしまった。心に、ポッカリとあいた空白は、いかがなものであったであろうか。
  その後、後妻の陰謀により、彼女は、苦難な道を歩むことになった。後妻の実家のヤクザの家に、預けられるようになってからは、絵に描いたように不良化し、たいていの悪行をやりつくした。刃傷沙汰はしょっちゅう、クスリ類も含めてである。
 そのような行動を繰り返していれば、当然というか、彼女は、少年鑑別所、そして、少年院を経験することになった。
 そこで、新たな数人の仲間に知り合い、また、いく人かを失った。
  酔っぱらったあげく、ケンカで命を落とした少年、 
 若年からのタバコの吸いすぎで、突然、心臓が停止してしまった少女、
 借金取りに追われ、その金策のため、強盗事件をしたあげく事故死した少年、
 クスリによる禁断症状で、発作的に自殺をした少女、
 彼女は様々な死を見ていた。すべてが、突然の死である。前日まで、元気でいたはずの人間が、翌日にはいなくなっているのだ。
 彼女は、苦虫をつぶしたような顔をして考えていた。
〈まただよ、またまた起きてしまったよ。金輪際、起きないと思ったのだけどね〉
  競羅は、彼らの死を反面教師とし、無謀なケンカ、クスリ、タバコ類は一切、絶つことにした。また、兄の結婚相手の弟である警察庁の若き幹部にさとされ、そして、力になってもらい、ヤクザの家から籍を抜き、今日にいたっているのである。
(それでも、起きてしまったのだね。同じことが再び、何が悪かったのか?)
  競羅の自問自答は続いた。

 あれから、数時間は過ぎたであろうか、歩いているうちに、目の前に、東京タワーが見えてきた。彼女は、その後も、港の方に誘われるように歩いていった。
 ふと気がつくと、目の前に大きな建物があった。霞ヶ関ビルである。彼女は、いつのまにか、霞ヶ関に足を踏み入れていたのだ。
「ここは、確か」
 そう我に返った競羅は、思わずつぶやいた。
「いつのまにか、こんな場所に来てしまったよ」
〈霞ヶ関、そう言えば、警視庁の近くだね、そうだ、あの子の遺体、ここに収容されたと聞いてるよ。面会だけさせてもらおうかな。させてもらえないかも、しれないけどね〉
  そして、彼女は警視庁に向かった。
 正門をくぐり、玄関に近づくと、
「何か用ですか?」
 慌てて、玄関前で見張りをしていた警官が駆け寄ってきた。競羅の、その、ただならぬ目つきに不審を感じたからだ。
「先ほど、射殺された少女のことについて、聞きたいのだけどね」
「あなたは、どちら様ですか?」
 警官は競羅をにらんできた。
「だから、あの射殺された少女の、ちょいとした知り合いでね」
「では、文句を言いにきたのですか?」
「文句というよりも、ちょいと、会わせてもらいたいのだよ。本当に、知り合いの子かどうか、確かめないといけないからね」
 競羅の返答を聞き、警官は緊張した様子で、持っていた無線機のボタンを押した。そして、相手と二、三の受け答えを終えると、にこやかな顔をして返答をした。
「今、少し、お待ちください。担当者が降りてきますから」
 しばらく待っていると、一人の男が玄関前に現れた。
「おや、あんたは?」
 競羅は、その刑事を見て驚いた。
「なんだ、誰かと思ったら、赤雀か」
 向こうも同様に声を出した。
「ササ長さんか、いや、今は出世して、警部補になったのだったね。久しぶり」
「お前が、殺された少女の知り合いなのだって?」
 笹岡警部補は興味の目を浮かべながら尋ねてきた。
「色々、わけがあってね」
「しかし、今回の事件はやりきれないなあ。十五で警官を殺して射殺されるなんて。結局、あの事件は、逃げ出すための単独犯行だったんだなあ」
「よく言うね。殺したのは、あんたら少年課のくせに」
 競羅は鋭い目でにらんだ。
「そんなに怒るなよ。私ではなく、お上である恒川大将軍殿だから」
「おや、その言い方、あんたも奴のことを、よく、思っていないようだね」
 競羅は恒川警部のことを、奴呼ばわりしていた。
「そんなの当たり前じゃないか!」
 警部補は反射的に大声を上げたが、その場で、会話を続けるとまずいと判断したのか、
「ちょっと、こっちへ来てくれ」
 と言って、競羅を警視庁内の待合室の一つに案内した。
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