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因果の反転
城内はすでに戦時の空気に包まれていた。
クリスティーヌは玉座から静かに立ち上がると、迷いなく命じた。
「王宮、そして貴族邸を解放し、民衆を受け入れなさい」
王宮、公爵邸のホール、貴族邸の大広間、舞踏会のサロンまでもが避難所として開放され、民衆が次々と押し寄せた。
泣き叫ぶ子ども、怯える老人、混乱する商人たち。
そのすべてが、恐怖に飲み込まれていた。
(マリアンナが討伐に成功すれば、また立場は逆転する……)
勝利が手から滑り落ちていく感覚があった。それでも、責務を果たさなければならない。胸の奥は、氷のように澄み切っていた。
大公軍とマリアンナは前線で魔獣と対峙している。そこでは、すでに火と煙が渦巻いていた。
大公軍は必死に陣形を保っていたが、魔獣は湧き出るように現れる。
その中心で、マリアンナが祈りを捧げていた。
「……光よ、導きたまえ……」
両手を胸の前で組み、聖女の祈りを紡ぐ。かつてなら、その祈りだけで魔獣は怯み、退いた。
だが、今日は違った。魔獣は一歩も退かない。むしろ祈りを嘲笑うように牙を剥いた。
「ど、どうして……?」
マリアンナの声が震える。
「聖女さま、もっと強く祈りを!」
「お願いします、マリアンナさま、お助けを!」
兵士たちが叫ぶ。
焦りに駆られ、マリアンナは胸に抱えていた聖典を開いた。ページ中央の抉られた空洞に、ひとつの石が収められている。
(……これさえあれば、魔獣は倒せるはずなのに……!)
震える指で石を持ち上げ、魔獣へ向けて掲げた。
「光よ……! 導きたまえ……!」
しかし、何も起きなかった。石は沈黙したまま、ただの黒ずんだ鉱物のようだった。
「え……? どうして……? どうして効かないの……?」
マリアンナの顔から血の気が引く。魔獣は一歩、また一歩と迫ってくる。
「聖女さま、どうして助けてくださらないのですか!」
「くそっ、押し返せ!」
兵士たちが必死に剣を振るうが、魔獣の勢いは止まらない。
マリアンナは石を握りしめたまま立ち尽くした。
「おかしい……魔石で魔獣が倒せるはずなのに……どうして……?」
兵士はその言葉を拾った。
「魔石……? 聖女の祈りの力ではなかったのですか……?」
***
王の間に届く戦況報告は、どれも芳しくなかった。
「魔獣、減りません! むしろ増えております!」
「聖女の祈りでも……抑えきれないのか……?」
そのときだった。
クリスティーヌの胸元で黒石のネックレスが、脈打つように妖しく光り始めた。
(……黒石?)
報告はさらに深刻さを増す。
「城壁が破られます!」
「魔獣、城門に迫っています!」
クリスティーヌは玉座を立ちあがった。
「馬を持て」
マントを翻し、馬に跨がる。
黒石の光を胸に抱えたまま、城門へと駆けた。騎士たちは驚きつつも、すぐに後を追った。
血は争えない。クリスティーヌも母と同じく、幼少期には馬を乗り回し、剣を振るっていた。
(ダン、私を導いて)
久しぶりの手綱も、すぐに体が思い出した。
***
前線は混乱していた。大公軍は必死に応戦しているが、魔獣は次々と湧き出る。
その中心で、マリアンナが呆然と立ち尽くしていた。
クリスティーヌは馬を降り、剣を抜いた。
黒石の光が剣身に反射し、淡い黒い輝きを帯びる。
魔獣が一体、クリスティーヌへ飛びかかった。
剣を振り下ろすと、魔獣は音もなく霧散した。
「……え?」
周囲の兵士が息を呑む。
「女王陛下が……倒した……!」
マリアンナの祈りでは揺るがなかった魔獣が、クリスティーヌの剣では容易く消滅した。
(やはり、これは魔石)
黒石は魔石に違いなかった。
クリスティーヌはネックレスの糸を断ち、数珠の部分の黒石を兵士らに託した。
「これは魔石よ。身に着けて魔獣を迎え撃つのです。大公軍にも届けて」
トップの黒石を糸に戻し、首に下げる。
再び魔獣へ駆け寄り、剣を振る。触れた瞬間、魔獣は空気に呑まれたように、消えていく。
黒石を手にした兵士らも魔獣を倒し、大公軍は勢いを取り戻した。
まもなくして、魔獣はすべて消滅した。
***
魔獣はあっという間に消えた。
その光景を、マリアンナは呆然と見つめていた。
震える手で聖典の石を見る。
灰色の石は、ただ冷たく沈黙している。
(違う……これ、違う……! 私の魔石とは微妙に形状が違う……! 誰かにすり替えられたんだわ)
胸の奥がざらつく。
視線は、晴れ晴れとした表情のクリスティーヌの胸元へ吸い寄せられた。
黒石のネックレス。
マリアンナの顔がぐにゃりと歪む。
「……クリスティーヌ……お前……私の魔石を……盗んだのね……」
その時、周囲の兵士たちが白い目を向けているのを感じた。
「魔石……?」
「聖女の祈りは通じなかった」
「なぜだ……?」
マリアンナの顔から血の気が引いた。
混乱する兵士たちの影に紛れようとした。
「どこへ行くつもりだ、マリアンナ」
背後から冷たい声が落ちた。
振り返ると、大公が剣を構えて立っていた。
「ひっ……!」
マリアンナは反射的に駆け出したが、泥と血で足元は滑りやすく、すぐに兵士たちに取り囲まれた。
「離して! 私は聖女よ! 私は……!」
「逃げないでいい。何も後ろめたいことがないのなら」
大公の静かな声が、マリアンナの心をさらに追い詰めた。
「将軍、お願い、話を聞いて……!」
「話なら、陛下に訊いてもらうんだな」
兵士たちはマリアンナの両腕を掴み、泥の上に押し伏せた。
「いやっ、放せっ! 放せっつってんだろ……!」
その前に、ほっそりとした影が立つ。うっすらと笑んだクリスティーヌだった。嘲笑のようでいて、どこか悲しげな微笑み。胸の黒石をそっと頬に寄せる。
(違う……あれは色も形も違う……)
マリアンナの持っていた魔石とは別物だった。
(ぢぎしょう。誰かに盗まれたんだ……そして、あいつは別の魔石を手に入れた……誰から……?)
***
魔獣討伐の報が王都に広がると、街は一瞬で沸き立った。
泣きながら抱き合う者、天を仰いで祈る者、ただ呆然と立ち尽くす者。
そのすべての視線が城門へ向けられている。
やがて、灰色のマントを翻しながら、クリスティーヌが馬上に姿を現した。
「女王陛下だ……!」
「陛下が魔獣を……!」
歓声が爆ぜるように広がり、王都は祝福の渦に包まれた。
兵士たちも誇らしげに胸を張り、民衆は涙を流しながら手を伸ばす。
だが、クリスティーヌは静かだった。
勝利の凱旋にふさわしい微笑みを浮かべながらも、その瞳の奥は冷たく澄んでいる。歓声の波の中で、彼女だけが深い孤独に沈んでいた。
馬を降りると、兵士の一人が黒石を差し出した。数珠の部分の黒石がハンカチに集められている。
「陛下……こちらを」
クリスティーヌは受け取りながら、静かに言った。
「……魔獣を倒したのは、この魔石よ。あなたたちも身に着けて戦ったでしょう? 魔石の力が魔獣を消した」
兵士は首を振った。
「いいえ。それでも陛下の勇気を称えます」
「魔獣と対峙する恐ろしさは……身をもって知りました」
兵士らは深く敬礼した。その仕草には、魔石ではなく女王への敬意が宿っていた。
***
豪奢な天井の下、クリスティーヌは静かに座していた。
マリアンナが兵士に両腕を掴まれ、引きずられるようにして玉座の前へ連れてこられる。
(完膚なきまでに断罪してやる。マリアンナにもうヒロインの力などない)
兵士が泥に汚れた聖典を差し出す。ページは開き、中央の空洞が露わになっている。
クリスティーヌはそれを一瞥し、静かに言った。
「あなたがここから石を取り出したのを見た兵士がいるわ。あなたは“祈り”ではなく、“魔石”を使って魔獣を消していたのね」
マリアンナの肩がびくりと震えた。
「ち、違う……! 私は……祈りで……!」
クリスティーヌは首を横に振る。
「あなたの祈りでは魔獣は退かなかった。それはあなたが魔石をなくしたから」
マリアンナは後ずさった。
「ち、違うの……、調子が悪かっただけ………!」
そのとき、兵士に引きずられるようにして、ジャックが連れてこられた。最初は抵抗していたが、兵士に肩を掴まれ、無理やり顔を上げさせられる。
「ジャック、あなたはマリアンナの幼馴染ですね。マリアンナについて知っていることをすべて話しなさい」
ジャックはそっぽを向けば、兵士が剣の柄で殴った。それでも口を開かなかったジャックは、マリアンナの次の一言に目を剥く。
「私、こんな人知らないわ……」
「知っているはずです」
「知らないわ」
ジャックは突然、わめき始めた。
「全部、マリーのためにやったのに。俺はマリーのためだけに」
「何をやったのです?」
「ビラを作ったのも、民衆を扇動したのも、ぜんぶマリーのためにやった。人殺しだって……」
マリアンナはそっぽを向いている。
クリスティーヌの眉がわずかに動いた。
「人を殺した?」
ジャックはマリアンナに向かって言う。
「ぜんぶマリーのためだ。マリー、覚えてるだろ? マリーの従姉だって俺が殺してやった。マリーが目障りって言うからだ。宿の客人だって。隣町の酒場の客も……」
「嘘よ、嘘! そんなの知らない……!」
ジャックは哀れな声を出した。
「俺はマリーのために全てを捧げた。全部マリーのためだった。なのに……」
クリスティーヌはジャックに聖典を見せた。
「これが誰のかわかりますか」
「マリーがいつも持ってるやつだ」
「この中に入っていたものを知っていますか」
「石っころだろ。ただの石にしか見えなかったから捨てたけど、怒られんのがいやで、あとで適当なのを拾って入れといたんだ」
マリアンナの目元がぴくりと痙攣し、顔全体が不自然にゆがんだ。その顔つきで、何が起きたのか一目瞭然だった。
「マリアンナ。あなたは魔石を持っていた。でも、ジャックによって入れ替えられたために今回は何もできなかった」
ジャックの顔が強張る。今頃、自分のしでかしたことの大きさに気づいたようだった。
クリスティーヌは告げる。
「人を殺したことも、民衆を欺いたことも、重篤な罪です」
マリアンナは崩れ落ちた。
「違う、違うの……! 私は聖女よ……私はヒロインなのよぉ……」
「マリアンナ。あなたは聖女でもヒロインでもない! ただの罪人だ。衛兵、罪人を牢へ」
兵士たちがマリアンナの両腕を掴む。マリアンナの顔が醜く歪む。
「てめえ、もしかして、てめえも転生者か?」
「連れていきなさい。――ヒロインの役目は、もう終わったわ」
「てめえ! このくそやろう! あたしはバッドエンドなんか迎えねえからな!」
マリアンナの口汚い罵りは石壁に虚しく反響し、やがて地下へと消えていった。
クリスティーヌはその背を見送ることなく、ただ静かに黒石へと手を添えた。
これでやっとヒロインはバッドエンドを迎えるが、その因果の反転として、悪役令嬢はハッピーエンドとなる。
(ふふ……、ハッピーエンド…………、ふふ……、これが……私の……ハッピーエンド………)
クリスティーヌは美麗な笑みを貼りつかせたままだった。
クリスティーヌは玉座から静かに立ち上がると、迷いなく命じた。
「王宮、そして貴族邸を解放し、民衆を受け入れなさい」
王宮、公爵邸のホール、貴族邸の大広間、舞踏会のサロンまでもが避難所として開放され、民衆が次々と押し寄せた。
泣き叫ぶ子ども、怯える老人、混乱する商人たち。
そのすべてが、恐怖に飲み込まれていた。
(マリアンナが討伐に成功すれば、また立場は逆転する……)
勝利が手から滑り落ちていく感覚があった。それでも、責務を果たさなければならない。胸の奥は、氷のように澄み切っていた。
大公軍とマリアンナは前線で魔獣と対峙している。そこでは、すでに火と煙が渦巻いていた。
大公軍は必死に陣形を保っていたが、魔獣は湧き出るように現れる。
その中心で、マリアンナが祈りを捧げていた。
「……光よ、導きたまえ……」
両手を胸の前で組み、聖女の祈りを紡ぐ。かつてなら、その祈りだけで魔獣は怯み、退いた。
だが、今日は違った。魔獣は一歩も退かない。むしろ祈りを嘲笑うように牙を剥いた。
「ど、どうして……?」
マリアンナの声が震える。
「聖女さま、もっと強く祈りを!」
「お願いします、マリアンナさま、お助けを!」
兵士たちが叫ぶ。
焦りに駆られ、マリアンナは胸に抱えていた聖典を開いた。ページ中央の抉られた空洞に、ひとつの石が収められている。
(……これさえあれば、魔獣は倒せるはずなのに……!)
震える指で石を持ち上げ、魔獣へ向けて掲げた。
「光よ……! 導きたまえ……!」
しかし、何も起きなかった。石は沈黙したまま、ただの黒ずんだ鉱物のようだった。
「え……? どうして……? どうして効かないの……?」
マリアンナの顔から血の気が引く。魔獣は一歩、また一歩と迫ってくる。
「聖女さま、どうして助けてくださらないのですか!」
「くそっ、押し返せ!」
兵士たちが必死に剣を振るうが、魔獣の勢いは止まらない。
マリアンナは石を握りしめたまま立ち尽くした。
「おかしい……魔石で魔獣が倒せるはずなのに……どうして……?」
兵士はその言葉を拾った。
「魔石……? 聖女の祈りの力ではなかったのですか……?」
***
王の間に届く戦況報告は、どれも芳しくなかった。
「魔獣、減りません! むしろ増えております!」
「聖女の祈りでも……抑えきれないのか……?」
そのときだった。
クリスティーヌの胸元で黒石のネックレスが、脈打つように妖しく光り始めた。
(……黒石?)
報告はさらに深刻さを増す。
「城壁が破られます!」
「魔獣、城門に迫っています!」
クリスティーヌは玉座を立ちあがった。
「馬を持て」
マントを翻し、馬に跨がる。
黒石の光を胸に抱えたまま、城門へと駆けた。騎士たちは驚きつつも、すぐに後を追った。
血は争えない。クリスティーヌも母と同じく、幼少期には馬を乗り回し、剣を振るっていた。
(ダン、私を導いて)
久しぶりの手綱も、すぐに体が思い出した。
***
前線は混乱していた。大公軍は必死に応戦しているが、魔獣は次々と湧き出る。
その中心で、マリアンナが呆然と立ち尽くしていた。
クリスティーヌは馬を降り、剣を抜いた。
黒石の光が剣身に反射し、淡い黒い輝きを帯びる。
魔獣が一体、クリスティーヌへ飛びかかった。
剣を振り下ろすと、魔獣は音もなく霧散した。
「……え?」
周囲の兵士が息を呑む。
「女王陛下が……倒した……!」
マリアンナの祈りでは揺るがなかった魔獣が、クリスティーヌの剣では容易く消滅した。
(やはり、これは魔石)
黒石は魔石に違いなかった。
クリスティーヌはネックレスの糸を断ち、数珠の部分の黒石を兵士らに託した。
「これは魔石よ。身に着けて魔獣を迎え撃つのです。大公軍にも届けて」
トップの黒石を糸に戻し、首に下げる。
再び魔獣へ駆け寄り、剣を振る。触れた瞬間、魔獣は空気に呑まれたように、消えていく。
黒石を手にした兵士らも魔獣を倒し、大公軍は勢いを取り戻した。
まもなくして、魔獣はすべて消滅した。
***
魔獣はあっという間に消えた。
その光景を、マリアンナは呆然と見つめていた。
震える手で聖典の石を見る。
灰色の石は、ただ冷たく沈黙している。
(違う……これ、違う……! 私の魔石とは微妙に形状が違う……! 誰かにすり替えられたんだわ)
胸の奥がざらつく。
視線は、晴れ晴れとした表情のクリスティーヌの胸元へ吸い寄せられた。
黒石のネックレス。
マリアンナの顔がぐにゃりと歪む。
「……クリスティーヌ……お前……私の魔石を……盗んだのね……」
その時、周囲の兵士たちが白い目を向けているのを感じた。
「魔石……?」
「聖女の祈りは通じなかった」
「なぜだ……?」
マリアンナの顔から血の気が引いた。
混乱する兵士たちの影に紛れようとした。
「どこへ行くつもりだ、マリアンナ」
背後から冷たい声が落ちた。
振り返ると、大公が剣を構えて立っていた。
「ひっ……!」
マリアンナは反射的に駆け出したが、泥と血で足元は滑りやすく、すぐに兵士たちに取り囲まれた。
「離して! 私は聖女よ! 私は……!」
「逃げないでいい。何も後ろめたいことがないのなら」
大公の静かな声が、マリアンナの心をさらに追い詰めた。
「将軍、お願い、話を聞いて……!」
「話なら、陛下に訊いてもらうんだな」
兵士たちはマリアンナの両腕を掴み、泥の上に押し伏せた。
「いやっ、放せっ! 放せっつってんだろ……!」
その前に、ほっそりとした影が立つ。うっすらと笑んだクリスティーヌだった。嘲笑のようでいて、どこか悲しげな微笑み。胸の黒石をそっと頬に寄せる。
(違う……あれは色も形も違う……)
マリアンナの持っていた魔石とは別物だった。
(ぢぎしょう。誰かに盗まれたんだ……そして、あいつは別の魔石を手に入れた……誰から……?)
***
魔獣討伐の報が王都に広がると、街は一瞬で沸き立った。
泣きながら抱き合う者、天を仰いで祈る者、ただ呆然と立ち尽くす者。
そのすべての視線が城門へ向けられている。
やがて、灰色のマントを翻しながら、クリスティーヌが馬上に姿を現した。
「女王陛下だ……!」
「陛下が魔獣を……!」
歓声が爆ぜるように広がり、王都は祝福の渦に包まれた。
兵士たちも誇らしげに胸を張り、民衆は涙を流しながら手を伸ばす。
だが、クリスティーヌは静かだった。
勝利の凱旋にふさわしい微笑みを浮かべながらも、その瞳の奥は冷たく澄んでいる。歓声の波の中で、彼女だけが深い孤独に沈んでいた。
馬を降りると、兵士の一人が黒石を差し出した。数珠の部分の黒石がハンカチに集められている。
「陛下……こちらを」
クリスティーヌは受け取りながら、静かに言った。
「……魔獣を倒したのは、この魔石よ。あなたたちも身に着けて戦ったでしょう? 魔石の力が魔獣を消した」
兵士は首を振った。
「いいえ。それでも陛下の勇気を称えます」
「魔獣と対峙する恐ろしさは……身をもって知りました」
兵士らは深く敬礼した。その仕草には、魔石ではなく女王への敬意が宿っていた。
***
豪奢な天井の下、クリスティーヌは静かに座していた。
マリアンナが兵士に両腕を掴まれ、引きずられるようにして玉座の前へ連れてこられる。
(完膚なきまでに断罪してやる。マリアンナにもうヒロインの力などない)
兵士が泥に汚れた聖典を差し出す。ページは開き、中央の空洞が露わになっている。
クリスティーヌはそれを一瞥し、静かに言った。
「あなたがここから石を取り出したのを見た兵士がいるわ。あなたは“祈り”ではなく、“魔石”を使って魔獣を消していたのね」
マリアンナの肩がびくりと震えた。
「ち、違う……! 私は……祈りで……!」
クリスティーヌは首を横に振る。
「あなたの祈りでは魔獣は退かなかった。それはあなたが魔石をなくしたから」
マリアンナは後ずさった。
「ち、違うの……、調子が悪かっただけ………!」
そのとき、兵士に引きずられるようにして、ジャックが連れてこられた。最初は抵抗していたが、兵士に肩を掴まれ、無理やり顔を上げさせられる。
「ジャック、あなたはマリアンナの幼馴染ですね。マリアンナについて知っていることをすべて話しなさい」
ジャックはそっぽを向けば、兵士が剣の柄で殴った。それでも口を開かなかったジャックは、マリアンナの次の一言に目を剥く。
「私、こんな人知らないわ……」
「知っているはずです」
「知らないわ」
ジャックは突然、わめき始めた。
「全部、マリーのためにやったのに。俺はマリーのためだけに」
「何をやったのです?」
「ビラを作ったのも、民衆を扇動したのも、ぜんぶマリーのためにやった。人殺しだって……」
マリアンナはそっぽを向いている。
クリスティーヌの眉がわずかに動いた。
「人を殺した?」
ジャックはマリアンナに向かって言う。
「ぜんぶマリーのためだ。マリー、覚えてるだろ? マリーの従姉だって俺が殺してやった。マリーが目障りって言うからだ。宿の客人だって。隣町の酒場の客も……」
「嘘よ、嘘! そんなの知らない……!」
ジャックは哀れな声を出した。
「俺はマリーのために全てを捧げた。全部マリーのためだった。なのに……」
クリスティーヌはジャックに聖典を見せた。
「これが誰のかわかりますか」
「マリーがいつも持ってるやつだ」
「この中に入っていたものを知っていますか」
「石っころだろ。ただの石にしか見えなかったから捨てたけど、怒られんのがいやで、あとで適当なのを拾って入れといたんだ」
マリアンナの目元がぴくりと痙攣し、顔全体が不自然にゆがんだ。その顔つきで、何が起きたのか一目瞭然だった。
「マリアンナ。あなたは魔石を持っていた。でも、ジャックによって入れ替えられたために今回は何もできなかった」
ジャックの顔が強張る。今頃、自分のしでかしたことの大きさに気づいたようだった。
クリスティーヌは告げる。
「人を殺したことも、民衆を欺いたことも、重篤な罪です」
マリアンナは崩れ落ちた。
「違う、違うの……! 私は聖女よ……私はヒロインなのよぉ……」
「マリアンナ。あなたは聖女でもヒロインでもない! ただの罪人だ。衛兵、罪人を牢へ」
兵士たちがマリアンナの両腕を掴む。マリアンナの顔が醜く歪む。
「てめえ、もしかして、てめえも転生者か?」
「連れていきなさい。――ヒロインの役目は、もう終わったわ」
「てめえ! このくそやろう! あたしはバッドエンドなんか迎えねえからな!」
マリアンナの口汚い罵りは石壁に虚しく反響し、やがて地下へと消えていった。
クリスティーヌはその背を見送ることなく、ただ静かに黒石へと手を添えた。
これでやっとヒロインはバッドエンドを迎えるが、その因果の反転として、悪役令嬢はハッピーエンドとなる。
(ふふ……、ハッピーエンド…………、ふふ……、これが……私の……ハッピーエンド………)
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