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◇5◇ 代役つとめることになりました

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「で? 時間を稼いでどうするんだ? 婚約をキープしながらもっと良い相手を探すというのか?」


 マクスウェル様が突っ込む。


「時間を稼いでいるうちに、良い方に転ぶ場合もございましょう?
 もし大公のお子の身に何かおありになって、やはりギアン様が大公家を継ぐということでしたら喜んで嫁ぎますわ」

「縁起でもないことを言うな!」

「あら、お兄様。貴族でしたら、そういう可能性は当然念頭に置いておくべきではなくて?」

「口にだして良いことと悪いことがある!」


 すみません、私もドン引きました。マクスウェル様が怒ってて安心した。


「それに、わかっているだろう? 婚約解消自体が、貴族にとっては相当な醜聞スキャンダルなんだ」


 マクスウェル様が畳みかける。


「貴族は名誉第一。醜聞で一家まるごと社交界から排除されてしまうことだってある。
 もっと条件のいい結婚相手なんて、探している場合じゃない。
 下手したら、2度と社交界に足を踏み入れることができなくなるぞ」

「…………そのあたりも考えておりますわ」

「自分の状況を先に考えろ。
 婚約者のギアン殿下と同じ王立学園に通いながら会おうとせず、さらに大公家からの催しの誘いも連続で断っている。全部仮病でだ。
 その結果、婚約者なのにまる2年も顔を合わせていない。社交界もそろそろ不審に思うだろう。
 今回の夜会は、もう、断ることはできないぞ」

「でしたら……」


 追い詰められたマレーナ様は、不意に私を見つめ「そうだわ」と呟いた。


「では、この、わたくしと間違えられたという平民女性でも連れていけばよろしいんですわ」

「…………は?」と、声を漏らしたのは私だ。

「女優だというなら、わたくしを演じてみせればよいでしょう?
 幸いにも顔が似ているのだから。わたくしの代わりに嫁いでくださってもよろしくてよ」


 何を言い出すんだ、この人は?


「マレーナ、正気か??」

「いやですわ、後半は冗談ですのに。
 お兄様が面倒くさいことをおっしゃるので、わたくし今日は疲れましたわ。部屋に下がらせていただいてよろしいかしら?」

「待ちなさい!マレーナ!!」


 マクスウェル様が制止されるのもかまわず、マレーナ様はドレスの裾をひるがえして歩き去ってしまった。


 …………マレーナ様、強烈。
 あれが貴族令嬢の普通、というわけではないよね? きっと。


 私が呆然とマレーナ様の消えた方向を見つめていると、ファゴット侯爵は諦めたような息をつく。


「……こうなっては仕方がない。
 リリスさん、夜会の間、替え玉をお願いできますまいか?」

「やめてください父上まで!」


 マクスウェル様が差し止めた。


「彼女は関係ないでしょう!
 何がなんでも、首に縄つけて引きずってでも本人に出席させないと!」

「し、しかし、マレーナをあの状態で出席させて、大丈夫だろうか?
 といって、出なければこのままではマレーナの名誉も傷ついてしまう。
 一晩、一晩だけ、あの夜会を乗り切れれば……」

「リリスさんは、女優といっても平民の女性ですよ!?
 マレーナとは会ったばかりですし、会場にはマレーナを知っている人もいます!!」


 心が揺れかけている侯爵を、マクスウェル様が一生懸命説得する。奥様はおろおろしながら、2人の顔を交互に見る。

 とりあえず、侯爵がマレーナ様に激甘なのはわかったとして。

 これは────私は何もするべきじゃないんだろうなぁ。

 でも、出していただいた紅茶とお菓子はとても美味しかった。

 一晩。一晩だけなら、何とかできそうに思う。


「あの」


 私は、服の肩をめくって見せた。


「私の、この肩と二の腕のやけどを隠せるドレスは、ご用意いただけるでしょうか?」


 侯爵夫妻はぎょっとした顔でご覧になる。
 マクスウェル様と侍女さんは痛ましそうな顔。


「芝居のために貴族のマナーもダンスも一通り覚えましたが、肩がこの通りで右腕がこの角度より上がりません。なにか足を捻ったなどの理由をつけてダンスを避けられるようにしていただけるとありがたいです。
 また、出席者の方の情報があればあるだけいただきたく」


 舞台の上とは当然演じ方が変わるが、台本のない芝居だって、お客との至近距離での芝居だってやったことはある。できないことはない、はずだ。


「話し方や仕草はマレーナ様を今まで観察した範囲である程度再現できますが、できればもう少し稽古を。その際、皆様にはどうかご協力をいただければ、と。それから」


 それから一番大事なこと。舞台といまの私に可能なパフォーマンスから見て、だいたい妥当と私が判断する値を示し、交渉する。


「ギャラは特別に、通常の2割の金額で提示させていただきます」


   ◇ ◇ ◇


 それからは時間との勝負だった。

 急遽お宿に人をやっていただき、引き払って荷物を回収。
 そして、侯爵夫妻の前で私のことを誉めちぎった侍女さん────シンシアさんが、侍女や使用人の皆さんに私を紹介してくれて、協力してくれることになった。みんな今回のことをひどく面白がっている。

 懸念のドレスは、マレーナ様が仕上がりを気に入らず一度も着ていなかったものを使うことにした。
 お針子さんが袖と肩布を足してくれて、やけどの跡はしっかり隠せるようになる。
 芝居の予算ではとても作れないような素晴らしい生地と仕立てのドレスに感嘆した。

 出席する方々の情報については、マクスウェル様にわかるだけ書き出してもらったのを端から頭に叩き込む。
 マレーナ様と個人的に親しい人がいないようで、それは助かった。

 また、肝心の婚約者とその姉君の大公様だけど、まる2年会っていないという。
 妃教育は、大公国から交代で派遣される教師から受けていた、と。

 そして、マレーナ様の仕草や話し方、思考パターンなどを、侍女さんたちの協力のもと稽古した。
 もともと貴族令嬢らしい言葉遣いや所作は役づくりのために本格的に習っていたので、それほど苦労はしなかった。


「“わたくしは、大公妃になるために生きてきたのですわ。それを大公家ときたら、長男ではなく姉君が跡継ぎになるなどと、わたくしにしてみれば裏切りですわ”」

「────ばっちりです!!
 素敵です!!
 むしろリリス様の方が侯爵令嬢らしいです」

「いやそれダメですからね!?
 マレーナ様と違うところを指摘してくださいね??」

「ええ、いつマレーナ様と入れ替わっていただいても誠心誠意お仕えします!!」

「じゃなくて!!」


 …………という、シンシアさんに対しての苦労はあったけど。


「─────リリス様!
 こちら、お嬢様からです!」


 また、稽古中、大きな箱にたくさんはいった紙の山をマレーナ様付きの侍女が運んできた。


「こちらは?」

「はい、お嬢様がいままでに婚約者のギアン様から受け取ったお手紙です。
 目を通しておくように、と」

「え! そんなプライベートなものを読んでいいんですか!? じゃ、じゃあ目を通しますね……」


 100通…いや、ざっと150通はある。まめに手紙をくれていたようだ。


「では、もし残っているならば、お返事の下書きなんかも拝見できますか?」

「あ、それは…………」と、マレーナ様の侍女は困った顔をする。

「実はマレーナ様…………ギアン様からのお手紙にほとんどお返事を返していなくて」

「……返していない?」

「ええ。最初のうちは、5回に1回ぐらいはお返事していたのですけど……ここ2年は本当にまったく」


 ……それは。
 婚約者にそれは、大丈夫なのか?


「あの、聞いても良いですか?」


 私はシンシアさんに問いかける。


「マレーナ様って、もしかして『ふさわしくない』とかじゃなくて、何か別の理由で婚約者を嫌っていらっしゃらないですか?」

「……かも、ですね」微妙に口を濁すように、シンシアさんは言う。

「旦那様や奥様、マクスウェル様は違いますが、ベネディクト王国の人間の中には、少数民族であるレイエス人を見下す人もいます。お友達あたりから、変なことを吹き込まれたのかもしれません」


 妃教育を受けてきたという彼女の完璧な所作と、それでいて婚約者に手紙を全然返さない態度。人物像が噛み合わない。

 少ない時間の間に、“マレーナ・ファゴット”役をそれなりに掴んだつもりではあるけど、何か、そこに奇妙な違和感があった。


   ◇ ◇ ◇
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