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25 ロデリックの葛藤③
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***
────水音が耳に届いてしまう。
マージェリーがバスタブで入浴している音が。
聴こうとしなくても耳が拾ってしまう音が、ロデリックの胸をさらにざわつかせた。
頭にその情景が浮かんでしまうのを、首を振って振り払った。
外の雨の音で紛れてほしいところだが、残念ながら先ほどから雨は強まる一方で、少しでも窓を開ければ風と雨水が吹き込んで、部屋が大変なことになってしまうだろう。
(やっていいなら、いっそ雨の中に頭を突っ込んで冷やしたいが)
自分はこんなにも煩悩に満ちた人間だっただろうか。
騎士団にいた十代の頃はいざ知らず、二十五の今はそれなりに理性的な人間だと思っていたのに。
侍女とマージェリーの会話もうっすらと聴こえてしまうので、それを耳にいれないように、ロデリックは部屋のなかを歩き回った。
よりによって彼女に対して、こんな欲を向けてしまうとは。
理性で押さえ込もうと思うほど、彼女のことが頭を離れない。
(……重症だ)
居間のソファに身体を投げ出した。
明日はマージェリーの顔をまともに見られるだろうか。
ソファに転がったままグルグル回る煩悩にじっと耐えていたら、ようやく彼女の入浴が終わったらしく、水音が絶えた。
身体を起こしソファに腰掛け待つ。
「殿下、お待たせいたしました。
お先にお風呂に入らせていただいて、ありがとうございます」
そそくさと浴室からマージェリーが出てきた。
湯に温められ頬が紅潮している。夜着の上にガウンを羽織っていた。
「大丈夫か。まだ髪が濡れているが」
「はい、これ以上殿下をお待たせしてはいけませんので」
「風邪を引いてはいけない。私はまだあとで良いから、化粧室で髪を乾かしてきなさい」
「ありがとうございます、失礼いたします」
化粧室に入っていくマージェリー。
……濡れ髪の風呂上がり、しかも夜着は刺激が強かった。
どうにか動揺を顔には出さずに済んだと思うが。
いままで様々な形で女性からのアプローチはあったが、どうせこちらの身分やら何やら目当てなのだろうと、どこか醒めた気持ちで受け止めていた。
こんな風に強く女性を意識して悶々とするのは初めてだ。
化粧室でマージェリーの支度が終わるのを待ってから浴室に入った。
服を脱いで湯に身を沈め、何度か深呼吸を繰り返す。
腹をくくれ。隠し通せ。自分のことばかり考えるな。
(そういえば、彼女は雷に怯えていたが……今はもう落ち着いているだろうか)
このホテルは防音のしっかりしたつくりではあるが、雷が落ちる音はそれでも漏れ聴こえていた。
***
予想どおり寝付けない。
天井をにらみ、ロデリックはためいきをつく。
さすがにマージェリーは眠れただろうか。
といって女性の寝室に足を踏み入れて確認するわけにもいかない。
紳士の矜持としては主寝室をマージェリーに使わせたいところだったが、彼女は固持し、使用人用の寝室で侍女とともに寝ることになった。
もう二人とも眠っていることだろう。
他の部屋に何か本でもあるだろうか。
本でも読めば、マージェリーから意識が離れて気持ち良く眠れるかもしれない。
そんなことを考えながら、ロデリックは寝室の扉を開いた。
開いたところは居間だったのだが。
「……えっ……殿下!?」
なぜかソファに座っていたマージェリーと目が合った。
「どっ……どうしたのだ。もう深夜だぞ?」
「あの、いえ、申し訳ございません」
「謝らなくていい。眠れないのか?」
「はい……その」
マージェリーは恥ずかしげに口ごもる。
「どうかしたのか?」
「気にしすぎで恥ずかしいのですけど、雷が建物に落ちて火事が起きてしまったりしないか……もしそんなことになったら、殿下とノーラを起こして避難しなければと……思ってしまったのです」
ノーラはいま寝室で眠っているであろう侍女の名だ。
「それで自分は眠らず起きていたと?」
マージェリーは頬を赤らめる。
「十年間、物置小屋で寝泊まりしていたので……いつも雷雨の夜になる度、この小屋に雷が落ちたら誰にも助けてもらえず焼け死んでしまうのではないかと恐かったのです。
すみません、もう大人なのに怯えすぎですよね……」
「いや、知識があるからこその恐怖だろう。
それにしても君はこんな時でも、人を心配しているのだな」
「そんな……違います」
赤い顔で首を横に振るマージェリー。
それがひどく愛おしくて、つい抱きしめたくなるのをロデリックはこらえた。
「殿下、私はそんな善人ではありません。
ただ、殿下に数えきれないほどお世話になっているので、殿下の御身はもちろん心配ですし、返せる機会があればご恩を返したいのです」
「それは善人の思考だと思うが……」
マージェリーは万一を考えて同室者を気遣い、心配している間、ロデリックは一人で自分の煩悩と闘っていたのだ。
むしろ恥ずかしいのはこちらである。
「いずれにせよ心配しなくても大丈夫だ。
このホテルには避雷針がある」
「避雷針?」
「最近開発されたものだ。金属の棒で稲妻を呼び込み、建物に被害を与えないように地面へと誘導する」
「そんなものがあるのですか」マージェリーは目を丸くした。
「ああ。効果はかなり認められてきたので、各地の建物に普及させようと考えている」
「良かったです……それでしたら私は無用な心配をしてしまいましたね」
「安心したか?」
「はい。ありがとうございます。安心いたしました」
安心したといって笑顔になる。
いつもはただ癒されるマージェリーの笑顔だが、今はギュッと胸を締め付けられた。
「殿下のお眠りの邪魔になってしまっては申し訳ございませんので、これで失礼いたしますね」
「! 待っ……」
立ち去ろうとするマージェリーの手を、ロデリックは反射的に掴んだ。
彼女が目を見開き、こちらを見つめる。
「……で、殿下?」
「ああ、いや……すまない、なんでもない」
もっと話していたい、彼女を離したくないと思ってしまって、気がついたら手が出ていた。
ロデリックは大きく呼吸をして、マージェリーの手を離した。
明日もあるのだ。寝不足ではいけない。
今回の外泊の目的は、マージェリーについてよく知ることだ。
好みだとか好きなものだとか、今まで知らなかったことを少しでも知って、彼女を幸せにすること。
それを忘れてはいけない。
「……マージェリー嬢。ありがとう、今日は楽しかった」
「え……いえ、私こそとても楽しかったです」
「明日も、な」
「ええ。明日もどうぞよろしくお願いいたします」
おやすみなさい、と頭を下げて寝室に戻っていくマージェリーの後ろ姿を見ながらロデリックは、ますます眠れない気がした。
***
────水音が耳に届いてしまう。
マージェリーがバスタブで入浴している音が。
聴こうとしなくても耳が拾ってしまう音が、ロデリックの胸をさらにざわつかせた。
頭にその情景が浮かんでしまうのを、首を振って振り払った。
外の雨の音で紛れてほしいところだが、残念ながら先ほどから雨は強まる一方で、少しでも窓を開ければ風と雨水が吹き込んで、部屋が大変なことになってしまうだろう。
(やっていいなら、いっそ雨の中に頭を突っ込んで冷やしたいが)
自分はこんなにも煩悩に満ちた人間だっただろうか。
騎士団にいた十代の頃はいざ知らず、二十五の今はそれなりに理性的な人間だと思っていたのに。
侍女とマージェリーの会話もうっすらと聴こえてしまうので、それを耳にいれないように、ロデリックは部屋のなかを歩き回った。
よりによって彼女に対して、こんな欲を向けてしまうとは。
理性で押さえ込もうと思うほど、彼女のことが頭を離れない。
(……重症だ)
居間のソファに身体を投げ出した。
明日はマージェリーの顔をまともに見られるだろうか。
ソファに転がったままグルグル回る煩悩にじっと耐えていたら、ようやく彼女の入浴が終わったらしく、水音が絶えた。
身体を起こしソファに腰掛け待つ。
「殿下、お待たせいたしました。
お先にお風呂に入らせていただいて、ありがとうございます」
そそくさと浴室からマージェリーが出てきた。
湯に温められ頬が紅潮している。夜着の上にガウンを羽織っていた。
「大丈夫か。まだ髪が濡れているが」
「はい、これ以上殿下をお待たせしてはいけませんので」
「風邪を引いてはいけない。私はまだあとで良いから、化粧室で髪を乾かしてきなさい」
「ありがとうございます、失礼いたします」
化粧室に入っていくマージェリー。
……濡れ髪の風呂上がり、しかも夜着は刺激が強かった。
どうにか動揺を顔には出さずに済んだと思うが。
いままで様々な形で女性からのアプローチはあったが、どうせこちらの身分やら何やら目当てなのだろうと、どこか醒めた気持ちで受け止めていた。
こんな風に強く女性を意識して悶々とするのは初めてだ。
化粧室でマージェリーの支度が終わるのを待ってから浴室に入った。
服を脱いで湯に身を沈め、何度か深呼吸を繰り返す。
腹をくくれ。隠し通せ。自分のことばかり考えるな。
(そういえば、彼女は雷に怯えていたが……今はもう落ち着いているだろうか)
このホテルは防音のしっかりしたつくりではあるが、雷が落ちる音はそれでも漏れ聴こえていた。
***
予想どおり寝付けない。
天井をにらみ、ロデリックはためいきをつく。
さすがにマージェリーは眠れただろうか。
といって女性の寝室に足を踏み入れて確認するわけにもいかない。
紳士の矜持としては主寝室をマージェリーに使わせたいところだったが、彼女は固持し、使用人用の寝室で侍女とともに寝ることになった。
もう二人とも眠っていることだろう。
他の部屋に何か本でもあるだろうか。
本でも読めば、マージェリーから意識が離れて気持ち良く眠れるかもしれない。
そんなことを考えながら、ロデリックは寝室の扉を開いた。
開いたところは居間だったのだが。
「……えっ……殿下!?」
なぜかソファに座っていたマージェリーと目が合った。
「どっ……どうしたのだ。もう深夜だぞ?」
「あの、いえ、申し訳ございません」
「謝らなくていい。眠れないのか?」
「はい……その」
マージェリーは恥ずかしげに口ごもる。
「どうかしたのか?」
「気にしすぎで恥ずかしいのですけど、雷が建物に落ちて火事が起きてしまったりしないか……もしそんなことになったら、殿下とノーラを起こして避難しなければと……思ってしまったのです」
ノーラはいま寝室で眠っているであろう侍女の名だ。
「それで自分は眠らず起きていたと?」
マージェリーは頬を赤らめる。
「十年間、物置小屋で寝泊まりしていたので……いつも雷雨の夜になる度、この小屋に雷が落ちたら誰にも助けてもらえず焼け死んでしまうのではないかと恐かったのです。
すみません、もう大人なのに怯えすぎですよね……」
「いや、知識があるからこその恐怖だろう。
それにしても君はこんな時でも、人を心配しているのだな」
「そんな……違います」
赤い顔で首を横に振るマージェリー。
それがひどく愛おしくて、つい抱きしめたくなるのをロデリックはこらえた。
「殿下、私はそんな善人ではありません。
ただ、殿下に数えきれないほどお世話になっているので、殿下の御身はもちろん心配ですし、返せる機会があればご恩を返したいのです」
「それは善人の思考だと思うが……」
マージェリーは万一を考えて同室者を気遣い、心配している間、ロデリックは一人で自分の煩悩と闘っていたのだ。
むしろ恥ずかしいのはこちらである。
「いずれにせよ心配しなくても大丈夫だ。
このホテルには避雷針がある」
「避雷針?」
「最近開発されたものだ。金属の棒で稲妻を呼び込み、建物に被害を与えないように地面へと誘導する」
「そんなものがあるのですか」マージェリーは目を丸くした。
「ああ。効果はかなり認められてきたので、各地の建物に普及させようと考えている」
「良かったです……それでしたら私は無用な心配をしてしまいましたね」
「安心したか?」
「はい。ありがとうございます。安心いたしました」
安心したといって笑顔になる。
いつもはただ癒されるマージェリーの笑顔だが、今はギュッと胸を締め付けられた。
「殿下のお眠りの邪魔になってしまっては申し訳ございませんので、これで失礼いたしますね」
「! 待っ……」
立ち去ろうとするマージェリーの手を、ロデリックは反射的に掴んだ。
彼女が目を見開き、こちらを見つめる。
「……で、殿下?」
「ああ、いや……すまない、なんでもない」
もっと話していたい、彼女を離したくないと思ってしまって、気がついたら手が出ていた。
ロデリックは大きく呼吸をして、マージェリーの手を離した。
明日もあるのだ。寝不足ではいけない。
今回の外泊の目的は、マージェリーについてよく知ることだ。
好みだとか好きなものだとか、今まで知らなかったことを少しでも知って、彼女を幸せにすること。
それを忘れてはいけない。
「……マージェリー嬢。ありがとう、今日は楽しかった」
「え……いえ、私こそとても楽しかったです」
「明日も、な」
「ええ。明日もどうぞよろしくお願いいたします」
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