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紅茶はなみなみと注がれている

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「これがアッサム、これがダージリン、これがオレンジペコ、これが……」
 彼女はそういいながら、彫られた蔦飾りが美しい戸棚の中から、同じ形の角の丸い四角い紅茶缶を次々と出して行く。どれも似通ったデザインをしていて、おそらく同じ会社から売り出されている同一シリーズの紅茶缶なのだろう。紅茶に造詣がない身としては、色違いの同じ缶だなという感想しか浮かんでこない。すでに告げられた紅茶の名前すらあやふやで、パッケージに印刷された筆記体の英字は読むことすらできない。
「さっぱりわからん」
 内心の怯みを悟られないように、あっさりとした語調を意識して彼女の説明に相槌を打つ。彼女は気にした風もなく、一揃いの金縁が美しいカップとソーサーを取り出しながら、一つ一つの紅茶の説明をしてくれた。香りがいいもの、癖が強いもの、果実のような香りがするもの……。
 こういう、彼女にとってはごく当たり前のことに気後れを感じることを、果たして彼女は知っているのだろうか。こちとら、あいにく飲み物一つに手間暇をかけるような家に生まれてはいないのだ。年中飲んでいるのは水出しのお茶、牛乳、あるいはせいぜいインスタントコーヒーだ。それも、お湯を注いだら一瞬でできるもの。
 そういえば昔、我が家で彼女に水出し麦茶を飲ませたことがある。香りなんてなくて、安くて沢山飲めることだけが取り柄の、ほとんど茶色い水道水といっていいものだ。それを安っぽいプラスチックのコップになみなみ注いで彼女に渡した。私にとってはそれが当たり前だったからそうしたけど、彼女はどう思っていただろう。香ばしく美味しい麦茶を家で飲んでいた彼女は、それをどんな気持ちで、飲んでいたのだろうか。

 お嬢様と貧乏人。そんな真逆のカテゴリーに存在する彼女と私が友達になれたのは、ほとんど偶然だ。たまたま地元が同じで、たまたま小学校が同じで、そこでたまたま友達になって、それが今日に続いている。
 昔は良かった、という言葉は使いたくない。でも、否定もしがたかった。出会った頃は彼女のことしか考えていなくて、彼女がどんな暮らしをしているのか、私がどんな暮らしをしているのか、意識することはほとんどなかったから。
 友達になった頃は、私は彼女よりもゲームが得意で、他の兄弟と共用だと買ってもらったファミリー用ゲームでいつも彼女に勝っていた。声高に自慢して回るようなことはしなかったけど、それでも気分は良かった。
 そんなのは、足が早い子がモテるのと同じことである。一時の栄光に浸っていられたのはほんの瞬きの間だった。彼女は私などより、家も、お金も、立場も、普段飲むもの一つとってすら、私が敵うはずのないものばかり持っていた。
 狭い長屋の畳の上に布団の端と端が折り重なるぐらいぎゅうぎゅうに布団を敷き詰めてたくさんの兄弟と一緒に寝ている私。広い自室の綺麗なシーツの敷かれたベッドの上で一人悠々と眠る彼女。
 セール品の野菜と少しの肉で作られた野菜炒めの大皿、ワカメの味噌汁とご飯を、兄弟と肩をぶつけながら食べる私。小分けにされたいくつもの小鉢と焼き物、工芸品のようなお茶碗にご飯をよそって、黒塗りのお椀のお吸い物とワンセットにしてゆっくり食べる彼女。
 じわじわ、何気ない生活の中で垣間見える格差に、純粋な友情が穢されていくようで本当に嫌だった。でも、心に溜まる澱を無視することも、私にはできない。

 結局その場のノリで選んだ、もう名前すらわからない赤色の紅茶を一口すする。彼女がきちんとお湯を沸かして、茶葉を蒸らし、繊細なカップに丁寧に注いだ紅茶。芳香を辺りに漂わせるような、そういうお高く淹れられるお茶が、彼女の用意してくれる飲み物の常だった。
「ありがとう……おいしいね」
 飲んだことのない味がした。それ以外に私に言えることはなかった。
 どれだけ心に澱が溜まろうとも、人としての格まで下げたくはない。これが意地で、矜持だった。
 だから私は蓋をする。私の暗い淀みを、彼女に理不尽にぶつけることのないように。
 だけど、限界はあるのだろう。ふと、そんな予感があった。
 赤い水面。紅茶はなみなみと注がれていた。
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