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このあと坂をダッシュして会社に戻った

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 昔々、それこそ幼稚園ぐらいだったろうか。おむすびが転がる絵本を読んだような記憶がおぼろげながらある。もしかしたら歌だったかもしれない。おむすびころりん、すっとんとん。そんなフレーズぐらいしか覚えていないけれど。
 そんなあやふやにもほどがある幼少期の思い出と、まさか全く同じことをしでかしてしまうなど、三十分前の私には想像も出来なかっただろう。高台にある会社から一番近いコンビニ近く。黒褐色のアスファルトで舗装された坂道の一番上。目の先で、たった今コンビニの袋から零れた鮭おにぎりがおもちゃみたいに落ち跳ねた。
「ちょっ……!」
 とっさに手を伸ばすが、おにぎりは大自然の法則に則って坂道の上を真っ逆さまに転がり出す。加速するおにぎり。慌てて追いかける私。しかし落ちた角度が悪かったのかどんどん跳ねるように転がり加速していくおにぎり。地元でも有名な地獄坂の上でおにぎりと私の追いかけっこ。頭の中でおむすびころりんが高速詠唱された。
 小石か、あるいは何らかのでっぱりでもあったのか、不意に大きく跳ねるおにぎり。大きく半円を描いて空中を飛ぶ。もはやおにぎりにしか意識が向いていない私猛ダッシュ。
 そして気付いたら目の前にあった生垣に勢い余って突っ込んで、気付いたら見たことのない場所に迷い込んでいたのだった。ちなみにおにぎりは見失った。ちくしょう。急に思い出された疲労と空腹で切ない気分になってしまい、はあと意識して大きくため息を吐いた。
「……というか本当にここどこだ?」
 生垣に突っ込んだ先は、雑木林のようだった。広さから考えて、どこかの神社か公園の敷地内に突っ込んでしまったのか。立ち止まったまま首を巡らして周囲を見渡し、最後に入語呂振り返った瞬間思考が停止する。
「……、……は?」
 大きな木が立っていた。成人女性の平均以下の背丈しかない私よりも背が高く、私の胴よりも太い幹を持った立派な木。それが、私がたった今駆け抜けてきたはずの場所に生えていた。言葉を失くす。じわりじわり、背後の景色の異様さを頭が理解していく。目の前の大木の他にも周囲には同じような木があちらこちら、奥の方までたくさん生えていた。雑木林の奥深くまで進んで周囲を見回したなら、おそらくこんな景色だろう。黒のパンプスのヒールに腐葉土にじんわりめり込む。
 勢い余って突っ込んだとはいえ、こんな林の奥深くまでダッシュしてきた覚えはない。そもそも、坂道からまっすぐ走ったのだ。真後ろに木が生えている時点で、もはや何かがおかしい。
「もしもし」
「ヒッ!!!?」
 突然、後ろから、つまりさっきまで向いていた方向から声を掛けられた。木々の葉擦れしか聞こえなかった場所に降ってわいた第三者の声に足が反射的に逃げを打って、目の前の木の幹に縋りつく。
「もしもし」
 再度声が聞こえて、状況に追いつけない頭で、それでも背後を顧みる。両手は木にすがりついたままだ。ぎ、ぎ、と音がしそうなほどぎこちなく首を背後に向けていく。
 しかし、何もいない。いぶかしんで視線を彷徨わせ、ふと下を向いた。
「……えっ、ぬいぐるみ?」
 そこにあったのは、たぬきのぬいぐるみだった。幼稚園に通っている子どもぐらいの大きさの、デフォルメされた二頭身のたぬきのぬいぐるみ。それが何故か木々の間の腐葉土の上で二本の足で自立している。
「ぬいぐるみではありませぬ」
「ギャアアアアシャベッタァアアア!!?」
 林の静寂に私の悲鳴がこだました。
「ぬいぐるみではありませぬ」
「いやどうみてもぬいぐるみでしょ!? えっ何で喋るの!?」
「やかましいですね。棲み処に無断で立ち入った挙句叫ぶとは無礼にも程がありましょう」
「んっ、ん!? えっ、うん!?」
 つぶらな瞳でたぬきのぬいぐるみが淡々と言葉を紡ぐのに頭が回らない。すみか、棲み処? むだん……?
「えっ……ぬいぐるみさんのおうち?」
「ぬいぐるみではありませぬ。たぬきです」
「いやそれは見ればわかるけど」
 そういうことじゃない。混乱が追い付かずいっそ普通に会話が繋がって、頭の隅から混乱が広がっていく。しかしぬいぐるみは理解が得られたと判断したのか、小さく頭を上下にゆらしてから淡々と話して行く。
「本来であれば『ごはん』にするところですが、捧げものはあります。無礼と帳消しにしますゆえ礼はなしです。まったく、加護をよこしてやろうと思ったのに、これだから人間は」
「ん、ん……? ごめんね?」
「全くです。さっさとおかえりなさい」

 そうして、気づいたときには地獄の坂道の一番下にいた。目の前には坂道と同じ、黒褐色のアスファルト舗装の道路が真っ直ぐ続いている。呆然としていると手の中でかさりと音がして手の平に視線を落とす。
「え」
 コンビニの鮭おにぎりが、包装ビニールだけ残されていた。
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