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1章 地下、食堂にて
5 夜に鳴く腹の虫は
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頭が重い。瞳の裏側に鈍い痛みを覚えたヴァシュタルテは分厚い書類をめくる手を休め、顔を上げた。壁に掛けられた時計は就業時間をとっくに通り越している。ヴァシュタルテにとっては夜中を過ぎて働くことなど苦でもないが、そんな彼が「少しは休息時間を設けようか」、と思うほどの時間帯であった。部屋の主である彼はがらんとした部屋を見渡し、軽く口をすぼめて息を吐いた。すると、まるで部屋の灯りが吐息に操られたように次々と消えていく。
まだ帰宅の選択肢を取ることはできない。彼が片付けなければならない業務は残り三分の一といえど、机の上に山積みにされている。それでも雪崩が起きず、どの書類も規則正しく整えられたうえで積み重なっているところに、彼の仕事ぶりが出ていた。さて、夕飯を腹に収めるのを忘れていたのを思い出した彼は、馴染みの食堂を目指すために部屋を後にした。だが、廊下を数歩進んで思い当たる。そうだ――普段使用している食堂は、営業時間外だと。
ヴァシュタルテが務めている執務宮は、いくつもの食堂が存在している。全体の総数の詳細については、宮の管理担当者も把握しているか怪しいところだ。
この宮で主な種族が活動している時間帯は、日の出から日が落ちてしばらくするまで。彼の利用している食堂の営業時間は、その時間帯に準じていた。普段であれば、遅くまで業務が長引くことが分かり次第、食堂が閉じる前に滑り込む。そしてその場で軽食を取るか、執務室で摘まむためにパン等をテイクアウトするのが専らであった。
失念していた。廊下で足を止め、ヴァシュタルテはつまらないことで悩む羽目になったことに、いら立ちを覚えた。複数食堂があるのであれば、別の食堂に赴く選択を取ればよい――という簡単な問題でもないのだ。
この執務宮の食堂は「身分」や「職位」によって、利用する食堂が分かれている。主に三つの理由からだ。
ひとつ。平民や新人が、上司や爵位を持ちと肩を並べて食事をするのは、心休まらないだろうという配慮。
ふたつ。身分の高い者の中には、少々気難しく、排他的なものが多い。彼らに特別待遇を示す配慮。
そして、魔族の中でも希少種族に分類される者の中には、一般的に流通する食物や調理方法が受け付けない者がいるため、である。
そのため、細かな分類分けのもと、ありとあらゆる場所に食堂や喫茶が配置されていた。なにせ、魔族は食に関してはうるさい。生命活動と魔法使用に密接に関係しているのだ。
ヴァシュタルテもそのうちの一人であり、宮の中でも一等に位置する食堂しか利用したことのない彼は、この時間帯まで開かれている別の食事処等、認識したことはなかった。しかし、一度空腹を意識してしまうと誤魔化すことはできない。朝日が昇るまでに片付けなければならない案件は今も部屋で彼を待っている。
ヴァシュタルテは懐に手を突っ込むと、紐で巻かれた一枚の羊皮紙を取り出した。何も書かれていない、日に焼けてパリパリと音を立てる羊皮紙をひろげると、中央を突いた。すると、真ん中からじわじわとインクの染みが広がり、やがてその染みは文字と写真、現在地と方向を示す矢印、小さな地図へと変化した。
「東塔一階――鐘楼亭。ランクによる制限、一切なし」
持ち主の望む目的地を伝えてくれる地図。空腹の彼が求めている食堂は、現在ただひとつだけ開いているようだ。示された場所を確認すると、再び羊皮紙を懐に押し込み、歩き出した。
(制限なしとなると、利用するのは主に低級職員ばかりだろう。味の程度も知れているな……)
廊下を突き当たりまで進んでいくと、地上へ向かう昇降機の扉が並んでいる。運のいいことに丁度、乗り籠の到着を告げる小さな鐘の音が、チン、と鳴り響いた。
まだ帰宅の選択肢を取ることはできない。彼が片付けなければならない業務は残り三分の一といえど、机の上に山積みにされている。それでも雪崩が起きず、どの書類も規則正しく整えられたうえで積み重なっているところに、彼の仕事ぶりが出ていた。さて、夕飯を腹に収めるのを忘れていたのを思い出した彼は、馴染みの食堂を目指すために部屋を後にした。だが、廊下を数歩進んで思い当たる。そうだ――普段使用している食堂は、営業時間外だと。
ヴァシュタルテが務めている執務宮は、いくつもの食堂が存在している。全体の総数の詳細については、宮の管理担当者も把握しているか怪しいところだ。
この宮で主な種族が活動している時間帯は、日の出から日が落ちてしばらくするまで。彼の利用している食堂の営業時間は、その時間帯に準じていた。普段であれば、遅くまで業務が長引くことが分かり次第、食堂が閉じる前に滑り込む。そしてその場で軽食を取るか、執務室で摘まむためにパン等をテイクアウトするのが専らであった。
失念していた。廊下で足を止め、ヴァシュタルテはつまらないことで悩む羽目になったことに、いら立ちを覚えた。複数食堂があるのであれば、別の食堂に赴く選択を取ればよい――という簡単な問題でもないのだ。
この執務宮の食堂は「身分」や「職位」によって、利用する食堂が分かれている。主に三つの理由からだ。
ひとつ。平民や新人が、上司や爵位を持ちと肩を並べて食事をするのは、心休まらないだろうという配慮。
ふたつ。身分の高い者の中には、少々気難しく、排他的なものが多い。彼らに特別待遇を示す配慮。
そして、魔族の中でも希少種族に分類される者の中には、一般的に流通する食物や調理方法が受け付けない者がいるため、である。
そのため、細かな分類分けのもと、ありとあらゆる場所に食堂や喫茶が配置されていた。なにせ、魔族は食に関してはうるさい。生命活動と魔法使用に密接に関係しているのだ。
ヴァシュタルテもそのうちの一人であり、宮の中でも一等に位置する食堂しか利用したことのない彼は、この時間帯まで開かれている別の食事処等、認識したことはなかった。しかし、一度空腹を意識してしまうと誤魔化すことはできない。朝日が昇るまでに片付けなければならない案件は今も部屋で彼を待っている。
ヴァシュタルテは懐に手を突っ込むと、紐で巻かれた一枚の羊皮紙を取り出した。何も書かれていない、日に焼けてパリパリと音を立てる羊皮紙をひろげると、中央を突いた。すると、真ん中からじわじわとインクの染みが広がり、やがてその染みは文字と写真、現在地と方向を示す矢印、小さな地図へと変化した。
「東塔一階――鐘楼亭。ランクによる制限、一切なし」
持ち主の望む目的地を伝えてくれる地図。空腹の彼が求めている食堂は、現在ただひとつだけ開いているようだ。示された場所を確認すると、再び羊皮紙を懐に押し込み、歩き出した。
(制限なしとなると、利用するのは主に低級職員ばかりだろう。味の程度も知れているな……)
廊下を突き当たりまで進んでいくと、地上へ向かう昇降機の扉が並んでいる。運のいいことに丁度、乗り籠の到着を告げる小さな鐘の音が、チン、と鳴り響いた。
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