星乃純は死んで消えたい

冷泉 伽夜

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三年目

落下点


 それは一見、栄転かと思うほどの配属だった。

「本日付で配属されました、熊沢くまさわです」

 多くのスタッフが席に着く会議室の中、ドアの横に立つ熊沢はぺこりと頭を下げる。その先、奥の席に座っているのは星乃恵だ。スタッフに渡された資料を手にし、テレビで見るとおりの快活な笑みを浮かべて会釈する。

「はい、よろしく」

 FMPきっての大物である星乃恵についたとあって熊沢は内心、安心したと同時にほくそえんでいた。社長に見放されたにもかかわらず、innocence giftイノセンスギフトを優に超える大御所についている。

 ここでうまく巻き返せば、自分の出世街道も修正できるに違いない。

「『ぜひパパのところへ』と、純くんが言ったそうですよ」

 熊沢のとなりで声をかける青寺あおでらは、熊沢の同期だ。

「それを社長が許可したみたいです」

「へえ……」

 熊沢はさらに安堵あんどした。あれほど邪険に扱っていたというのに、蜘蛛の糸をつかませるようなチャンスをくれたのだ。そういった気配りとかわいげが二世の劣等生にもあったのかと、なおさら気分がよかった。

 会議室で独特の、不穏な空気が広がっていくようすには気づきもしない。

「俺も、来てもらえて助かりました。星乃恵は、大物だから」

 星乃恵に携わるスタッフの数は、innocence giftイノセンスギフトとは比にならない。

 全国ツアーを行うほどのアーティストでもあり、テレビ・ラジオの冠番組も担うタレントだ。企画・プロデューサーを複数人つけ、スタイリスト、ヘアメイクは専属。

 マネージャーに関しては星乃恵一人に対し四人ついている。スケジュール管理、現場同行、他スタッフとの提携など、分担して行う仕事も膨大だ。

 会議室では来年度も始まる全国ツアーの打ち合わせから、現段階で決まっている冠番組のスケジュールに企画の確認を行う。まだ話を詰めなければならない部分はあるが、星乃恵の仕事が迫っており、切り上げざるを得なかった。

 そこからは熊沢の役割も怒涛どとうを極めた。

 青寺の指示のもと、移動時には大荷物を台車で運搬、特定の菓子や飲み物の準備、スタジオ入りした星乃恵が戻ってくるまでの着替えと楽屋の掃除、現場マネージャーから必要なものを聞いて届けに行く、時には買い足しに行くなど……それはもはや、社員一年目の仕事だった。

 ここでいう主任は、同期の青寺。星乃付きのマネージャーを統括し、ときには手の足りていないところに補助へ回る。星乃恵のすべてを把握して指示を出す立場だ。

「あとはもう、なにもしなくていいですよ」

 楽屋に入った青寺は、楽屋の掃除をもくもくとこなす熊沢に言い放った。

「いや、でも」

「僕には敬語で話してくださいね。一応、上司なんで」

 ニコッと笑う青寺に、熊沢が不快げににらみつける。しかしやはり立場を自覚しているため、反論はしない。

「言っとくけど、僕が意地悪でしてるんじゃないですから。これも、社長の指示なんで……」

 何かを思い出したようにころころと笑い、口元に手を当てる。

「ああ、こわいこわい。あんな温厚な社長にそんなこと言わせるなんて、ほんとなにしたんですか?」

 熊沢は顔をゆがませるだけで何も言わない。青寺は薄い笑みを浮かべ、短く息をつく。

「僕ね、純くんが赤ちゃんの頃からよく知ってるんですよ」

 熊沢の眉が、ピクリと動いた。

「レッスン生だった頃、星乃さんの付き人やってましてね。星乃さんが仕事中、現場についてきた純くんの面倒を見ることも多かったんです。今テレビに出てる若木さんや日野さんもそうだし……女優さんや芸人さんと遊ぶところをよく見てました」

 青寺は思い出すように上を見ながら、淡々と続ける。

「不思議なことに、純くんに気に入られた人は、大きい仕事が決まるんです。どんなに知名度が低い人でもね。タレントじゃなく職員さんでも次々出世していったり……」

「なんの話かと思えば、くだらない噂話でしょう。私もそういったたぐいの話は、以前からちょくちょく耳にしていましたけど」

「つまり、大事にされてたんですよ、純くん」

 青寺の語気が、わずかに強くなる。

「いろんな人に愛されていたし、その愛を純くんなりに返してくれていたんです」

 熊沢は顔にイラ立ちを見せながらも、冷静に返した。

「星乃純にウワサどおりの能力があるなら、メンバーにもスタッフにも愛されたでしょうし、innocence giftイノセンスギフトはとっくに天下を取っていたでしょうね?」

「ええ、ほんとにそのとおりだと思います。だから、社長は藁にもすがる思いで純くんをグループに入れたんでしょうね」

 熊沢の皮肉に平然と返す青寺。ぽかんとしていた熊沢だったが、その表情は嘲笑に変わる。

「ばかばかしい。社長がまさか、そんなウワサに傾倒なさるとでも? まだワンマンな会長がマシに思えますね。どうりでイノギフがいつまでたっても中途半端なわけだ」

「イノギフがいまいちなのは、星乃純がグループを見限っているからでしょうね」

 ギッとにらみつける熊沢に、青寺はからかうように続けた。

「決して熊沢の実力がどうこうという話ではないんですよ。だって、ほら、実際に、見限られたあなたはこんなところにまで落ちてるじゃないですか。出世も見込めない、一年目の雑用係に逆戻り」

「だとしたら、それは親の力が膨大だったということに他ならないでしょう。星乃純が、親の影響を笠に着て、わざわざこのような状況を作り上げることができたわけで」

「まあ、確かに。星乃さんが純くんをつれまわしていたことをコネだと言われれば、否定できない部分もあるんですが……」

 青寺の顔から、笑みが消えた。表情も、声も、神妙なものに変わる。

「でも、事実、純くんと一緒にいて救われたと考える人がいるんです。この、業界の中にはね」

 敵意をのせた目を、青寺はうっすらと細める。

「たとえ恵さんと純くんが許しても、僕は純くんを殴ったこと、許すつもりないですから」



          †



「あのタイプは結構しぶといぞ」

 なにもない、簡素なセット裏に案内された恵は、周りに気を遣うように電話していた。

「仕事はちゃんとまじめにやってるし。すぐ辞めるだろうって踏んでた青寺は、ちょっと残念そうだ」

 セットの表では、出演者が一人ずつ到着し、スタッフが名前を呼びあげている。

 耳に当てたスマホから、純の声が返ってきた。

「やめなかったとしても、来年度にまた、別の雑用先に飛ばされるだけだよ。星乃恵の一年間、巻き込んじゃってごめん」

「いや……」

 視線を泳がせながら、なんと続けようか考える。それもまた、純にはお見通しだ。

 最大限に言葉を選んで口を開いた。

「なんで、話してくれなかったんだ?」

 聞いておきながら、ほんとうはわかっている。

 親に心配をかけたくなかったことも。

 話せば恵がどうにかしようと動いたことも。

 その結果、なにかしらの問題につながっていたことも。

 そうなるのが嫌で、話さなかったことも。全部、わかっている。

 親を見透かす子ども相手に、親として、かける言葉が見つからない。

 純も、恵の問いには答えなかった。

「いつか俺が、この世界からいなくなったとき、旅行にでもつれてってよ。できれば、静かな場所がいいな」

 恵は、長期の休みを取ったことがない。ゴールデンウィークもシルバーウィ―クもないようなもの。夏休みは全国ツアーにFMPライブの真っただ中、年末年始は特番の収録に生放送の出演、年始めライブに出演することもある。

 子持ちとは思わせないスケジュールの中、身を粉にして働いてきた。それは妻である妃も似たようなものだ。

 だから、家族で旅行などしたことがない。

 純も騒がしいところが苦手で、人の多い観光地にわざわざ出かけたいと言い出すこともない。純がこの提案をすること自体、恵にとっては異常事態だ。それほどまでに追い詰められているのだと、恵は顔をしかめた。

「……そうだな。約束する」

 声が震えていることは、恵も自覚していた。当然、純の耳がそれを聞き逃すはずもない。

「大丈夫だよ。会長もいて、月子ちゃんもいて、なんとかやっていけてるから。まだ、がんばるつもり。パパも、がんばってね。……

 結局、星乃恵は多くの視聴者を楽しませるエンターティナーとして、励むことしかできない。純が望み、視えたとおりに。

 恵のもとに、ADがピンマイクをつけに来た。遅れて、収録に立ち会うマネジャーが近づいてくる。

「じゃあね」

 電話は、純のほうから切れた。収録直前であることを、最初から気づいていたのだ。

 恵はスマホを暗転し、マネージャーに渡す。

 無事にピンマイクをつけることができたADが、恵に移動するよう促し、それとは反対方向へ声を張り上げた。

「星乃さんスタンバイOKです!」

「では本番行きます! 5、4、……」

 オープニングの音楽が鳴り始める。ADの合図と同時に、カラフルなセットの中へ出ていった。
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