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追想:沙羅と依利

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 有名女優の子どもがいるらしい――

 私が入学した際は、この噂が学園内を駆け回っていた。

 私の通う私立高校は、才能のある人々たちを集め、個人の能力をさらに高みへと導く方針を取っている。
 故に各分野で有名な人々が、その卓越した指導を目当てに全国から集ってくるのだ。

 有名女優、双樹響花なみききょうか。素晴らしい演技により名声を物にしていた。しかし、彼女は人気絶頂の最中、結婚の報告とともに突然芸能界を去ってしまった。
 SNSはもちろん大炎上。マスコミはこぞって彼女を探した。しかし、誰にも見つけられなかった。

 彼女が引退した頃には、私は母親のお腹の中だったでしょうに。彼女の存在も知らなかった。
 だけど中学生の頃、たまたま目にした画面越しの彼女の演技が、脳に焼き付いて離れなかった。

 消えた伝説の女優、双樹響花。憧れの人の娘が、この学校にいる。噂話に振り回されるのはいけないと思ってもいても、デマだとはわかりきっていても……そう噂される子がどういう人なのか知りたかった。

 だから私はなることに決めた。人望のある学級委員長に。
……生徒会に入るのもありだとは考えたけど、どこか距離を置かれる気がしたから、親しみやすい委員長にしたのだ。

 噂の真相を知るためにも、人脈作りが必要だった。自分のクラス、他クラス、どのような人がいるのか。私は観察を得意としているため、悩む人には手を差し伸ばし、解決へと導いた。

 それが高校1年生のこと。私の評価は右肩上がりになっていた。だけど結局、噂の真相は分からなかった。

 2年生になった。人脈作りに成功したおかげか、推薦を受け、再びクラス委員長になれた。
 月日を重ねるうち、クラスメイトとは概ね親密になれたと思った。だけどある1人だけは、どこか壁があるような気がした。 

 その名を萌出沙羅もえでさら

 彼女と部活動が一緒だと言う友人によると、
「えーと、まず演技は敵う人はいないくらいすごい。話してみると感じのいい子だよ。確かにちょっと独特な雰囲気はある気がするけど……」
とのことだ。

 それ以来、何故か彼女のことが気になった。先ほどの友人や、彼女と同じ部活動に入っている人にどんな人なのかを聞き回った。
 ストーカー……ではないと思うわ。情報収集よ。

 面白いことに、みんなこう言った。
「嫉妬しちゃうくらい、すごい才能だ」って。

 とある先輩にも聞くと、苦虫を噛み潰したような表情でこう言う。

「あの子に出会わなかったら、私は自分の才能が無いのに気づけないで演劇を続けていたよ……」

 何者なのだ……萌出沙羅。彼女への興味は尽きることなかった。

 とある放課後、偶然にも私は彼女と教室で2人きりになることになった。運命の導きなのか。今まではそんなもの信じたことなかったけれど。

「あああああ! 何で推しが出ない! ピックアップだろうが!」

……忘れ物を取りに教室に入ると、そこにはスマホとにらめっこしながら奇声をあげている萌出沙羅がいた。

「萌出、さん……?」
「ちょっと待って今忙し……む、委員長さんか、何か用?」
「えっと……何をやっているのかしら?」
「ソシャゲ。ガチャで推しがなかなか出なくてね……委員長もやってみる?」

 そう、まさに運命的だ。ここから私の学校生活が塗り替えられたようなものなのだから。

「そうね……よくわからないけど、貴女のことは気になっていたし、やってみてもいいわね」
「……ああ、最近私のことを聞いてくる気色の悪い生徒がいるって、委員長のことだったんだね」
「う、気色悪いって……まあ、それはそれとして、委員長委員長って……貴女、私の名前わかる?」
「え、知ってるよ。生明依利っしょ? 1年の時から聖人君子の委員長で有名で、成績もトップクラスだったし」
「聖人君子って……そんな評価だったのね……」

 評価されるに値する行動は考えてしてきたが、少々気恥ずかしい。というか、褒められるのに慣れていない。

「おお、やっぱいい顔すんね」
「……? 何か言ったかしら?」
「いーや? あっ、アプリインストールしといたからねー。誕生日をパスワードにするなんて不用心ねー」
「え、いつの間に……!?」

 迂闊だった。というか何でこの子私の誕生日知っているの?
萌出沙羅という子は、私が想像していた以上に変な人であった。
昔教室で感じたよそよそしさは全くなくて、むしろフレンドリーで、人柄が180度変わっているような感覚……変な子だ。
 2人きりで話した初めての日は、そんな感想しか出てこなかった。 

「んじゃあね、委員長。明日少しでもいいから感想教えてよ」
「え、ええ。また明日」

 これが私と沙羅との出会い。今思うと本当に不思議ね。
 その後はというと、私は沙羅から勧められた(無理矢理インストールされた)ゲームをやって、ハマってしまったのだったが。
 そのことを報告したら、結構喜んでたわね。キャラクター、誰が好み? って聞かれて答えたら、「私の好みと真逆だね!」って言われたけど。

 彼女との距離は以前が嘘みたいに近くなった。……とはいうものの、沙羅が積極的に喋ってくるようになった? が正しいのか。
……本来の目的を忘れていたくらい、沙羅といる日々が楽しかったのかもね。

 忘れていたことは、当然目の前にやってきて、驚かされるものだとつくづく思う。
 ある日沙羅と2人で昼食をとっていた時のこと。

「委員長、今度公演やるんだー。観にくる?」
「ああ、そういえば、貴女が部活動しているの観たことなかったわね」
「そりゃ最近行ってないし。部活はつまんないんだよねー。はいこれ、チケットね。まあ、そんなに気になるなら私のこと見ててよ」 
「ありがと。楽しみにしているわ」
 
 部活動の練習がつまらないというのは聞いたことがなかった。
友人の話を聞く限り、概ね彼女への印象は良好に見えたのだが。
しかし部活動に参加してないのに、公演とはどういうことかしら。

「委員長は好きな役者さんとかいるの?」
「いるわ。私が生まれるより前に引退しちゃった女優さん。双樹響花って方なんだけど、知ってるかしら」

 私がその名前を出した途端、彼女の表情が変わったような気がした。喜び、怒り、悲しみとも言えない、どこか複雑な表情へと。

「沙羅……?」
「……あぁ、知ってるよ。私の知る限り、1番の女優だと思う。見る目あるね、依利」
「あ、ありがとう?」

 思わず感謝を述べてしまったのは、あまりにも沙羅が真剣だったから。何か彼女に気に触ることを言ってしまったのだろうか、そう思ったが、彼女はすぐにいつもの調子を取り戻した。


――そうしてやってきた公演。私はここで、どうして沙羅があのような表情をしていたのかを、身をもって知ることとなる。

 沙羅の所属する演劇部は強豪。才能あふれる人たちばかりで、毎日遅くまで練習に明け暮れていたのを知っている。沙羅は活動に参加していないと言っていた。では何故、主役という大役を担っている?
 その疑問は、彼女の演技によってあっけなくかき消されてしまった。
 優美で、洗練されていて、一目で目を奪われてしまうような、そんな……演技に。

「萌出沙羅は、双樹響花の娘である」

 沙羅はそんなことひとつも言っていない。でも、私の中で積み上げられてきた想いがそう伝えているかのようだった。
 そっくりなのだ。何度も何度もテレビに向かっては、その演技を観てきた。観衆全て釘付けにさせる、まるで魔術のような沙羅の壇上での一挙一動が、響花を思わせたのだった。



――公演終了後、私は沙羅と一緒に帰り道を歩いていた。


「ふふ、君なら気づいたんでしょう、依利」
「ええ。まさか噂が本当だなんて……ごめんなさい。私は軽率だったかしら……」
「そんなわけないよ。母親なんて別にどうでもいいし。ちっちゃい頃から双樹さんに次ぐ天才だ、なんて言われっぱなしだったけど、私は女優になるつもりなんてないから」
「え?」
「私にとって演技は……空っぽな自分を満たすためにやってるだけ、自己満足というか暇つぶし? ゲームと一緒」

 どこか苦しそうに笑った沙羅。彼女がどのように生きてきたかは知らない。だけどそこには確かに、彼女の葛藤があったのだと思う。
 同時に、相容れない、いや、勿体無い。と思った。持たざる者と持っている者。私に演技の才能は無いから、憧れには手が届かない。でも、

「はあ? 少なくとも沙羅、私は貴女が空っぽだとは思えないわね。だって、いつも楽しそうじゃないの」
「そうかな?」
「推しに関してはそうじゃない。いつも煩い声で喚き散らして」
「あはは……まあ、依利と話すのは楽しいね」

 本当に空っぽなのは、双樹響花に執着していた私ではない? なんて言わないけどね。 
 でもね、私が焦がれた才能の持ち主、萌出沙羅、これだけは言わせて欲しい。 

「もしも、もしも万が一……貴女が役者になりたいと思うときが来たら、私がマネジメントしてあげるわ」
「へえ、依利が。芸能マネージャーに興味あるの?」
「まあね。実は目指しているのよ」
「ふーん……」
「何よその反応……」

 残念。何故か沙羅はすっきりしない表情だ。マネージャーに対して思うことがあるだろうか。しかしこうも私の夢を興味なさげにされるとモヤモヤする。

「……依利、ありがとう。言われてみれば私、前より楽しい気がする。これからも一緒に遊んでよ」
 
 濁すように話題を変える沙羅。まったく、いつもペースを持っていかれる。少し悔しい。

「……うるさいのと奇行をほどほどにするなら」
「はは、素直じゃないね。依利も割と楽しいでしょ?」

 ニヤニヤしながらこづいてくる沙羅に少しイラッとする。……最近の学校生活が悪くないのは図星だから。 

「はいはい、楽しい楽しい」
「あーっ、適当に返事しないでよ」

 このとおり、それからも沙羅と遊んでいたのだけれど……


「……え?」
  
 まさか転生するなんては、思わないわよね。
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