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一話
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また会う機会もあるかもしれない。
そうは思っていたけれど、その【また】が、こんなに早く来るとは思わなかった。
翌日。暁月は早速店を訪れた。昨日食べ損なったからと言って。
「美味しそうな匂いがするなって気になってたんですよ」
暁月が店に顔を出したのは、お昼のピークが過ぎた頃だった。今日は日織を連れておらず、暁月はひとり、席につくなり壁に貼られた品書きを見回した。
感嘆したように声をあげる。
「色々あるんですね」
「ええ。色んな方がいらっしゃるので……」
「それにしたっておふたりだけでこれはすごい数ですよ。ああ、あれにします。海老天定食」
「海老天ですね。かしこまりました」
凜は復唱して、オーダーを高谷へ通した。
暁月はおしぼりで手を拭きながら、まだ物珍しそうに店内を見回している。
そんなに高谷の料理が気になっていたのだろうか。
『善』は、駅から歩いて五分ほどの場所にある、立地恵まれた店だった。しかし似たような店は他にもいくつかある。高谷に言えば怒られるだろうけど、この店はメニューも店構えも普通どころか古臭いし、「隠れた名店」と呼ぶには知られ過ぎていた。だから凛としては「そう固執されるほどかしら」と首を傾げてしまうのだった。
(私みたいに鼻が効くってわけでもないだろうし……)
「凛!」
と、凜がそんなことを考えているうちに、高谷が定食を作り終える。凜は慌ててずっしりと重量のある御前を暁月のテーブルへ運んだ。
「お待たせしました。ご飯とお味噌汁はおかわりもできますから遠慮なくおっしゃってくださいね」
「それは良心的ですね、ありがとうございます」
暁月は頷くと、ほかほかの定食を見下ろして口元を綻ばせた。
「いただきます」
そうして背筋正しく両手を合わせたあと、箸に手を伸ばす。
「ごゆっくりどうぞ」
凛は言って、そばを離れた。
暁月のことは気になる。しかしだからといって、いつまでも見ているわけにはいかない。
他の客に呼ばれ、凛はそのテーブルへ向かった。オーダーを伝票にメモしながら、まだ暁月に改めてのお礼を言っていないことを思い出す。彼の食事が終わったら言わなくちゃ。そう決心して洗い物に取り掛かる。
そうして十数分後。暁月から会計に呼ばれた凜は、レジ越しに彼と向き合った。
紙幣を財布から抜き出しながら、暁月が言う。
「ご馳走さまでした。とても美味しかったです」
にこにこと笑う暁月に、凛も自然と笑顔を返していた。
「それはよかったです。お粗末さまでした」
千円札を受け取って、金額をレジに打ち込む。トレイから釣り銭を拾っている間に、暁月から内緒話をするみたいに声をかけられた。
「あれから、店は大丈夫でしたか?」
先を越された。思いつつ、凜は暁月を見上げて、頷く。
「はい。あの、昨日は本当にありがとうございました。とても助かりました」
釣り銭を渡して深々と頭を下げると、暁月のほっとしたような声が降ってきた。
「なら、よかったです」
顔を上げた凜に、暁月は柔らかく双眸を細めた。よく笑う人だなと思った。
「また何か困ったことがあったら、遠慮なく言ってくださいね。まあそんなの、ないほうがいいんですけど」
財布を胸の内ポケットにしまいながら、付け足すよう言われる。
「はい、ありがとうございます」
「いえ。それじゃ、また」
入店時同様、暁月は折り目正しく店を去っていった。
また、か。
凛は心の中でつぶやいて、食器を片付けようと暁月のいたテーブルに寄った。海老天定食は、海老の尻尾から漬物、味噌汁、白米の一粒に至るまで、全て綺麗に平らげられていた。どうやら口にあったらしい。
凛はホッとして、軽くなった膳を持ち上げる。
そうして「あれ?」と疑問を抱いた。そういえばなぜ暁月は、『善』の従業員が高谷と凜だけだと知っていたのだろう。
(話したかしら……?)
しかし一瞬感じたその疑念は、訪れた団体客の来店によって、あえなく霧散してしまったのだった。
それからだった。
暁月がしょっちゅう店を訪れるようになったのは。
時間は決まって昼のピークを過ぎた頃で、立て付けの悪い戸を開けて「こんにちは」と顔を覗かせてくる。時にはひとりで、時には部下の日織を伴って。
そうして気づいた頃には、すっかり常連客になっていた。品書きに目を通すこともなく、朝から今日はこれにすると決めてきました、みたいな顔で注文をしてくる。一番気に入っているのは、海老天定食のようだった。
今日は日織とふたり、日替わりの定食と決めていたらしい。
料理が出来上がるのを待つ間、凛は洗い物をしながら、見るともなく午後のワイドショーを眺める。
小さな画面の中。ヒトが物々しく語るのは少し前に上層区で起きた強盗未遂事件だった。怪我人も出た痛ましい事件に、凛も不安な気分になる。しかも、犯人はまだ捕まっていないらしい。
と、背後から高谷の大きな声がかかった。
「日替わり定食お待ち!」
「はい」
凜は濡れた手を拭き、出来立ての定食を両手に暁月たちの元へ急いだ。
「お待たせしました」
「あ、美味そ」
テーブルに置かれた定食を前に、日織がぽつりと呟く。
暁月と違い口数の少ない彼にしては珍しいことだった。煮魚が好きなのかもしれない。
日織は、今年入局したばかりの新人なのだそうだが、ひどく優秀で局内でも将来を有望視されているらしい。(これは暁月がひとりで来店した時に教えてくれた情報だった。)
「ごゆっくりどうぞ」
伝票をテーブルの端に置いて厨房に戻る。と、そこでは高谷がまた顔をしかめていた。
「……そんなに嫌なの?」
小声で尋ねれば、高谷は不機嫌を隠しもせず奥へと引っ込んでしまう。
「気を許すんじゃねえぞ」
「高谷さん……」
高谷の職員嫌いも困ったものだ。過去の衝突を考えると、仕方のないことなのかもしれないけれど……。
「すみません」
と、店の方から、暁月の朗らかな声が届く。
「ご飯のおかわり、いいですか?」
空になったお椀を掲げられて、凛は小走りに寄った。そっと両手で受け取る。
「大盛りでお願いします」
「はい」
凛は頷き、厨房に入った。そうしてほかほかのご飯を、気持ち多めによそう。
午後の職務もまた立て込んでいると、聞いていたから。
また会う機会もあるかもしれない。
そうは思っていたけれど、その【また】が、こんなに早く来るとは思わなかった。
翌日。暁月は早速店を訪れた。昨日食べ損なったからと言って。
「美味しそうな匂いがするなって気になってたんですよ」
暁月が店に顔を出したのは、お昼のピークが過ぎた頃だった。今日は日織を連れておらず、暁月はひとり、席につくなり壁に貼られた品書きを見回した。
感嘆したように声をあげる。
「色々あるんですね」
「ええ。色んな方がいらっしゃるので……」
「それにしたっておふたりだけでこれはすごい数ですよ。ああ、あれにします。海老天定食」
「海老天ですね。かしこまりました」
凜は復唱して、オーダーを高谷へ通した。
暁月はおしぼりで手を拭きながら、まだ物珍しそうに店内を見回している。
そんなに高谷の料理が気になっていたのだろうか。
『善』は、駅から歩いて五分ほどの場所にある、立地恵まれた店だった。しかし似たような店は他にもいくつかある。高谷に言えば怒られるだろうけど、この店はメニューも店構えも普通どころか古臭いし、「隠れた名店」と呼ぶには知られ過ぎていた。だから凛としては「そう固執されるほどかしら」と首を傾げてしまうのだった。
(私みたいに鼻が効くってわけでもないだろうし……)
「凛!」
と、凜がそんなことを考えているうちに、高谷が定食を作り終える。凜は慌ててずっしりと重量のある御前を暁月のテーブルへ運んだ。
「お待たせしました。ご飯とお味噌汁はおかわりもできますから遠慮なくおっしゃってくださいね」
「それは良心的ですね、ありがとうございます」
暁月は頷くと、ほかほかの定食を見下ろして口元を綻ばせた。
「いただきます」
そうして背筋正しく両手を合わせたあと、箸に手を伸ばす。
「ごゆっくりどうぞ」
凛は言って、そばを離れた。
暁月のことは気になる。しかしだからといって、いつまでも見ているわけにはいかない。
他の客に呼ばれ、凛はそのテーブルへ向かった。オーダーを伝票にメモしながら、まだ暁月に改めてのお礼を言っていないことを思い出す。彼の食事が終わったら言わなくちゃ。そう決心して洗い物に取り掛かる。
そうして十数分後。暁月から会計に呼ばれた凜は、レジ越しに彼と向き合った。
紙幣を財布から抜き出しながら、暁月が言う。
「ご馳走さまでした。とても美味しかったです」
にこにこと笑う暁月に、凛も自然と笑顔を返していた。
「それはよかったです。お粗末さまでした」
千円札を受け取って、金額をレジに打ち込む。トレイから釣り銭を拾っている間に、暁月から内緒話をするみたいに声をかけられた。
「あれから、店は大丈夫でしたか?」
先を越された。思いつつ、凜は暁月を見上げて、頷く。
「はい。あの、昨日は本当にありがとうございました。とても助かりました」
釣り銭を渡して深々と頭を下げると、暁月のほっとしたような声が降ってきた。
「なら、よかったです」
顔を上げた凜に、暁月は柔らかく双眸を細めた。よく笑う人だなと思った。
「また何か困ったことがあったら、遠慮なく言ってくださいね。まあそんなの、ないほうがいいんですけど」
財布を胸の内ポケットにしまいながら、付け足すよう言われる。
「はい、ありがとうございます」
「いえ。それじゃ、また」
入店時同様、暁月は折り目正しく店を去っていった。
また、か。
凛は心の中でつぶやいて、食器を片付けようと暁月のいたテーブルに寄った。海老天定食は、海老の尻尾から漬物、味噌汁、白米の一粒に至るまで、全て綺麗に平らげられていた。どうやら口にあったらしい。
凛はホッとして、軽くなった膳を持ち上げる。
そうして「あれ?」と疑問を抱いた。そういえばなぜ暁月は、『善』の従業員が高谷と凜だけだと知っていたのだろう。
(話したかしら……?)
しかし一瞬感じたその疑念は、訪れた団体客の来店によって、あえなく霧散してしまったのだった。
それからだった。
暁月がしょっちゅう店を訪れるようになったのは。
時間は決まって昼のピークを過ぎた頃で、立て付けの悪い戸を開けて「こんにちは」と顔を覗かせてくる。時にはひとりで、時には部下の日織を伴って。
そうして気づいた頃には、すっかり常連客になっていた。品書きに目を通すこともなく、朝から今日はこれにすると決めてきました、みたいな顔で注文をしてくる。一番気に入っているのは、海老天定食のようだった。
今日は日織とふたり、日替わりの定食と決めていたらしい。
料理が出来上がるのを待つ間、凛は洗い物をしながら、見るともなく午後のワイドショーを眺める。
小さな画面の中。ヒトが物々しく語るのは少し前に上層区で起きた強盗未遂事件だった。怪我人も出た痛ましい事件に、凛も不安な気分になる。しかも、犯人はまだ捕まっていないらしい。
と、背後から高谷の大きな声がかかった。
「日替わり定食お待ち!」
「はい」
凜は濡れた手を拭き、出来立ての定食を両手に暁月たちの元へ急いだ。
「お待たせしました」
「あ、美味そ」
テーブルに置かれた定食を前に、日織がぽつりと呟く。
暁月と違い口数の少ない彼にしては珍しいことだった。煮魚が好きなのかもしれない。
日織は、今年入局したばかりの新人なのだそうだが、ひどく優秀で局内でも将来を有望視されているらしい。(これは暁月がひとりで来店した時に教えてくれた情報だった。)
「ごゆっくりどうぞ」
伝票をテーブルの端に置いて厨房に戻る。と、そこでは高谷がまた顔をしかめていた。
「……そんなに嫌なの?」
小声で尋ねれば、高谷は不機嫌を隠しもせず奥へと引っ込んでしまう。
「気を許すんじゃねえぞ」
「高谷さん……」
高谷の職員嫌いも困ったものだ。過去の衝突を考えると、仕方のないことなのかもしれないけれど……。
「すみません」
と、店の方から、暁月の朗らかな声が届く。
「ご飯のおかわり、いいですか?」
空になったお椀を掲げられて、凛は小走りに寄った。そっと両手で受け取る。
「大盛りでお願いします」
「はい」
凛は頷き、厨房に入った。そうしてほかほかのご飯を、気持ち多めによそう。
午後の職務もまた立て込んでいると、聞いていたから。
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