宵月町のあやかし

koma

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一話

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 その後──駆けつけた職員たちの手により、犬神は管理局へ連れられていった。
 暁月の話によれば、犬神にはこれから、封印が施されるらしい。怨嗟が育ちすぎ、奉り魂を鎮めるのにも時間が必要だから、とのことだった。

「じゃあ、あの仔はまだ生きているんですか?」
「ええ。そう簡単には滅せません」

 ほっとして言った凛に、月明かりのなか、暁月がうなずく。
 応援の職員たちと話を終えた暁月がひとりになったのを見計らって、凛は彼に駆け寄っていた。
 見たところ、大きな怪我もないようで安堵する。結局自分は、なんの手助けも出来なかったけれど──。

 それにしても。

「随分暴れていましたね……」

 凛は、辺り見回して言った。

 犬神によって石畳の道は割れ、瓦礫だらけになっていた。足元に注意しつつ、凛は暁月を見上げる。

 彼も周囲を見回していた。けれどそれは、状況を確認しているというよりも、意識的にこちらを向かないようにしているように感じられた。
 先程からずっと、彼と目が合っていない。

「すみません。もっと穏便に解決しようと思っていたんですけど……結局、こんな方法しか取れませんでした」

 嫌な思いをさせてしまいましたね。
 言われて、凛は顔を横に振った。
 確かに暁月は銃を用い、犬神を気絶させた。怯え、震えていた犬神を。でもそれは、と凛は確信を持ちながら暁月を見上げ続ける。

「他に方法がなかったからですよね、だったら」
「でも」
「それより、暁月さんに怪我がなくてよかったです。あの仔も心配でしたけど、暁月さんにも何かあったらって、私、気が気じゃなかったんですから」
「…………」

 暁月がようやくこちらを向いた。
 しかしその顔は、わずかに眉を寄せられていて、困惑しているように見える。

 その、物言いたげな表情に、凛は首を傾げた。

「……何か?」
「……いえ……その」

 適切な言葉を探していたのか。暁月は数秒、迷うように躊躇い、口を開き、閉じ、を繰り返し──それから言った。

「────以前から思っていたんですけど。凛さんは少し、変わってらっしゃるなって」

 凛は目を瞬かせる。

「……私が?」
「ええ」

 灯籠は壊され、宵月町の灯りは今や、星と、救護に当たるあやかしたちの鬼火ばかりだった。だから、暁月の顔はぼんやりとしか判別出来ていない。でもその声音は穏やかで、同時に戸惑いを滲ませているようにも思えた。

「あやかしの子に、こんなに心配されたの初めてです……俺」
「……そう、何ですか?」
「ええ。──高谷さんやユキさんからみたいに、邪険にされるのは慣れてるんですけど。凛さんはいつも、笑顔で迎えてくれたでしょう? ……変わった子だなあってずっと思っていました」
「……それは」

 だって、暁月さんはお客さんだから。
 それが当たり前だと思っていたから。

 しかし凛が答える前に、暁月はゆっくりと微笑みを返してきた。

「あの仔のことは心配しないでくださいね。そもそも、犬神の呪詛自体が違法なんですから。必ず上に掛け合って、助けてみせます」
「…………はい」

 よろしくお願いします、と凛はそっと頭を下げる。
 
 事件は一段落した。けれど──色々なことがあったせいだろう──凛の胸はまだしばらく、落ちつきそうにはなかった。


 *


 管理局からの通達に、安佐見は激怒した。
 返さないとはどういう了見だと、自分を誰だと思っているのだと。弁護士を呼びつけ、当たり散らした。
 しかし、犬神を使役していた証拠を突きつけられれば、それ以上の反論は敵わなかった。

 通達に訪れた【若い管理局職員】は淡々と、それでいて冷徹に、安佐見を見据えていた。嫌な目つきをした男だった。

 突然の転落劇に安佐見は頭を抱える。

(どうしてこんなことに)

 とんとん拍子に進んでいたはず、なのに。

 ──安佐見が【その方法】を知ったのは、十代の最後の年だった。最初は半信半疑だった。大学受験に失敗し、それこそ【神頼み】をするほかなかったその時、ネットで見つけた【その方法】を試さずにはいられなかったのだ。
 それが外法だと──人の道から外れた劣悪な行為だと知りながら、仔犬を買い、〝ためした〟。

 するとどうだ。
 運は嘘みたいに彼に味方するようになった。しかし。犬神を失ったとたん、仕事も何もかも、また嘘のように立ち行かなくなった。妻は家を出てゆき、取引先はことごとく倒産。
 ああ。
 安佐見は理解した。
 あの日あの夜、地中の奥深くに埋めたはずのあいつが、長い時間をかけ、這いあがってきたのだと。あの夜からずっと──あの犬は自分を呪っていたのだ。

 幻聴。

 ザリ、ザリ──ザリ、ザリ──。
 土を掘る音がこだまする。

 通達を受けた時に暴れ回っていたせいだろう。治りかけていた傷が開き、じわりと鈍い痛みを孕んだ。これで終わりではないと、告げられたかのようだった。生きたままの地獄。それはこれから、はじまるのだ。


 *

 
「本当に……申し訳ありませんでした」

 数日後の早朝。
 開店前の『善』に、菓子折りを持った暁月と日織が凛に頭を下げにきた。

 日織は罰が悪そうに、小さく言葉を重ねてくる。 

「暁月さんにはきちんと犬神のことも調べるように言われていたんですが……まさか、今時そんな骨董品みたいなあやかしがいるわけないって。僕、ずっとあなたのことを怪しんでしまって」

 日織は日織なりに考えての行動だったのだろう。
 次の犠牲者が出ないうちに犯人を捕まえなくてはと、いていたらしい。それで、いるかどうかもわからない犬神を追うよりも、目先の可能性をつぶしていく方が効率的だと考えたらしかった。

「それに、疑ってないって言ってるのに暁月さん、この店ばっかり行くし。やっぱり、本当は怪しんでるのかなって……」

 日織の隣にいた暁月は、呆れたように息を吐いた。

「だからそれは、ここの食事が美味いからだって何度も言っただろ」
「はい……すみません」

 日織は小さな子供のように項垂れた。凛はそんなふたりを前に微笑む。

「もう良いですよ。事件も無事に解決しましたし、怪我人も増えなくて、よかったです」
「おいクソガキ。もう二度とこんな馬鹿な真似すんなよ」
「はい」
「次やったら本気で抗議に行くからな」

 高谷に強く睨まれ、日織はさらに萎縮した。

 暁月が、高谷に向き直る。 

「ユキさんのお店にも、改めて事情を説明に行こうと思います。……門前払いかもしれませんけど」
「おう、早めに行った方がいいぞ。門前払いだろうけど」
「……」

 やりとりを見守りながら凛は、受け取った菓子折りを眺めた。と、暁月が尋ねてくる。

「もしかして、洋菓子はお嫌いでしたか?」
「いえ! ただ、見たことない形のお菓子だなって」
「ああ、最近若い子の間で流行ってるらしいんです」

 ヒトの流行はすぐに移り変わる。
 高谷はちょっと前もこれと似たようなの流行ってなかったか、と訝しんでいた。そうでしたっけと首を傾げた暁月が日織に水を向ける。

 こんな会話がまた出来るようになって嬉しいと、凛はぼんやりと思った。

 ──犬神は、今も管理局で保護、もとい封印されているそうだった。その怨みを祓うために、暁月は毎日祈祷に向かっているのだという。

(……一日でも早く、あの仔が解放されますように)

 凛もそっと、犬神の安寧を願ってみる。暁月ほどの効力はないだろうけれど、祈らずにはいられなかった。
 
「それじゃ。俺たちはこれで」

 暁月と日織がもう一度謝罪をして、背を向ける。

 治安保全管理局の仕事は激務だ。暁月の担当区域も、宵月町には留まらない。犬神の事件が解決した今、暁月が宵月町を訪れる機会は格段に減るだろう。

「……」

 それを少し寂しく思いながら、凛は、小さくなる彼らを見送る。

 と、その途中。
 暁月が立ち止まって、こちらを振り返った。

「今日は、少し遅くなりますけど」

 黒い目と視線がかち合った。

「海老天定食で、お願いします」

 その意味がわかって、凛は満面の笑顔を浮かべていた。

「はい、お待ちしていますね……!」

 日が昇っていく。今日も、忙しい一日が始まりそうだった。

 
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