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4.ゆれるのは癒しの色
しおりを挟む黒猫ルーナの後ろを歩いてハーブガーデンにあるラベンダー丘に立つと、そよそよやわらかな風がラベンダーを揺らしながら甘くてうっとりするような香りを運んでくる。
「ルーナにはなんでもお見通しね」
「にゃあ」
見習い魔女として師匠に弟子入りしてから、失敗したり落ち込んでいると必ずルーナが近くにいてくれる。世話の焼ける妹みたいに思っているのかもしれない。
「今日は安眠薬を作る予定だったから沢山摘まなくちゃ……!」
「にゃお」
魔女の猫はハーブや薬草の耐性がありラベンダーの香りを嗅いでも中毒にならない。むしろ見習い魔女は師匠の魔女の猫から、いいハーブや薬草の見分け方を教わるところから薬師の魔女としての最初の一歩がはじまるくらいなのだ。
面倒見のいいルーナお姉ちゃんについて行くと安眠薬を作るのにぴったりなラベンダーが咲いている。
「ルーナ、ありがとう」
「にゃあ」
剪定ハサミでラベンダーをしゃきん、と切っていく。
ラベンダーは、不眠や頭痛に効果が高い。さらに心を落ち着けてストレスを和らげ、感情のバランスをとってくれる。
ハサミをいれるたびに立ちのぼる癒しの香りは、私の不安でゆらぐ気持ちをほぐしていくのが分かった。
「あっ! ちょっと採りすぎたかも……」
籠からこぼれ落ちそうなラベンダーに苦笑いを落とす。
「にゃん!」
急にルーナが薬草園の方向に向かって走りはじめ、見えなくなるぎりぎりにこちらを振り返るとルーナのアメジスト色の瞳にじっと見つめられる。
ラベンダーの花言葉のように、あなたを待っています、と神秘的な瞳が言っているような気がして慌ててラベンダーの籠を抱えた。
香りを揺らしながら追うけれど、身軽なルーナと違ってラベンダーの花穂が弾んで前が見にくい。視界いっぱいに広がる紫色のすきまから小さな黒色を見失わないように懸命に走っても途中で見失ってしまった。
「ルーナ、どこにいるの?」
ルーナの好きなレモングラスやイタリアンライグラスの茂みに声をかけても葉擦れのさらさらした音がするだけで返事がない。
ハーブガーデンを抜けて薬草園にたどり着いてもルーナを見つけられなくて、ひと足先に魔法塔に戻ってしまったのかもしれないと思って立ち止まる。
ルーナを探すのに夢中になって気づいたら白色のプルンバーゴの垣根の近くまできていた。
「っ! ルーナ……!」
ルーナの黒い鍵しっぽが見えて思わず大きな声をあげた。
鍵しっぽのある猫は大昔から幸運をひっかけてくれる縁起のいい猫と言われていて、ルーナがいなければフィリップ様と出逢う幸運は訪れなかったから本当にルーナは幸運を招く猫なのだと思う。
「ジャスミン、おはよう。ルーナならこっちに来ているな」
穏やかな声が頭の上から響いてくる。
その低い声が聞こえるだけで心臓が鷲掴みされたみたいにきゅん、と跳ねてしまう。昨日、カフェテリアでフィリップ様のことを耳にしたばかりなのに、咄嗟に思ったことは猫っ毛がふわふわ跳ねていて変だったらどうしよう、ということだった。
「にゃあん」
甘えるような声に、はっとして慌てて切り株の上に飛び乗った。ラベンダー色の世界にスカーレットの瞳が見えて胸がどきどきと早鐘を打ち始める。
「今日は随分たくさん摘んだんだな、お疲れさま」
やわらかな声と優しく細められる瞳に見つめられると心臓は素直にフィリップ様に会えたことを喜んで、きゅう、と甘く締めつける。
「お、おはようございます! ルーナがいなくなってしまって……フィリップ様のところにいてよかった」
ルーナはフィリップ様の腕の中で喉を鳴らして、すっかり甘えてくつろいでいた。
「にゃあん」
「ルーナは最近、騎士塔に来ることもあるんだ」
「えっ……?」
びっくりしてルーナに視線をうつすと気まずいのか鍵しっぽをぱたんぱたんと揺らして、フィリップ様の胸に額を擦り付けて顔を見せないようにしている。そんなルーナに思わず口を尖らせてしまうと噴き出す声が聞こえた。
「くくっ……ジャスミンとルーナは仲がいいんだな」
「えっ、あっ……その……」
揶揄う言葉に顔が熱くなる。
子どもっぽいと思われてしまっただろうか窺うと赤い瞳に見つめられていた。真剣な表情に変わったフィリップ様が口をひらく。
「実はこれから西の森に魔の物を討伐にいくことになった」
「えっ? 今からですか?」
西の森は、魔の物がたびたび現れる。魔の物を退治することは騎士様の立派な仕事だけど、フィリップ様と話せるようになってから直接討伐へ向かうことはなかったので驚いてしまう。副騎士団長のフィリップ様自ら向かうということは、とても大変な魔の物が現れたということだ。
気づいたら身体がふるり、と震えていた。
「心配することはない。すぐに討伐を終わらせて戻ってくるつもりだ」
フィリップ様が安心させるようにそう言い終えると、私をまっすぐ射抜いたので今度は心臓が大きく震えた。
「ジャスミン、戻ってきたら魔女のお祝いに食事に誘いたい――クリスマスまでには絶対に戻ってくる」
昨日のカフェテリアの会話で頭がいっぱいになっていて、お祝いをしてくださるというフィリップ様の言葉をすっかり忘れてしまっていた。
「…………へ?」
ぽかん、と口をひらいた私を見て、フィリップ様の親指があごをゆっくりなぞる。
「にゃ!」
ルーナがフィリップ様の親指にやわらかな猫パンチを繰り出して遊びはじめてしまい、思わず笑ってしまうとフィリップ様も眉を下げて困ったように微笑んだ。
フィリップ様の言葉は、本当ならとても嬉しいことなはずなのに胸の奥がずきずきと痛む。
ふわりと舞うラベンダーの香りを大きく吸い込んでフィリップ様を見つめる。
「あの、フィリップ様にはずっとお付き合いされている幼馴染の方がいて、クリスマスにプロポーズをする予定だと聞いたのですが……」
フィリップ様の目が見開かれ、みるみる顔が険しくなっていく。首をひねった後に、ゆっくりこちらを見つめて口をひらいた。
「それは誰のことだ?」
「…………え?」
私のまぬけな声はラベンダーの香りと一緒に空に溶けていった――。
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