推しの悪役令息が嫌々結婚させられる田舎貴族の冴えない中年モブに転生してしまったので、せめて無害な紳士になろうと思います。

槿 資紀

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第一話

 過労でひっくり返って目が覚めたら、いかにも中世ロマネスクな世界観の中で目覚めてしまったんだが、ここから入れる保険ってあると思うだろうか?

 過労でひっくり返ったという文言からもお察しだろうが、俺はとあるゲーム会社のしがないSEをやっていた三十五歳限界社畜だ。エラーに次ぐエラーに襲われた深夜二時ごろ、何本目かもわからないエナドリをキメた瞬間、急に力が入らなくなって、ヤバいと思ってデスクから立ち上がったら、当然のようにバランスを崩して、そのまま……というわけである。

 後頭部に衝撃を感じた背筋の凍るような感覚を最後に意識が飛び、ふたたび目を開けたら、心当たりはないのに見覚えのある、いかにもロマネスクな調度品で溢れた執務室の景色が広がっていたのだ。

 フルダイブ型のゲームってこんな感じなのかな、なんて思いながら、自分の手をグッパーグッパー動かしてみる。ラグなどはない。どうやら現実のようだ。

 イレギュラーな状況にも関わらず、俺はどこか冷静だった。何せ、まるで当たり前のように、今の俺のステータス情報が脳内にインプットされていたからだ。

 俺は頭を抱えた。正直こんな生活いつ死んでもおかしくないし、いっそどうでもいいとすら思っていたから、おそらくSEとしての自分の記憶が前世のものだろうと受け入れるのに否やはなかった。つまり俺はブラックに摺りつぶされて間抜けに死に晒したのだ。それに関しては、まあ仕方のないことだと諦めもつく。

 しかし、現代社会の記憶を持ったまま、所謂異世界転生をするなんて、そんなのは想定の守備範囲外だ。赤子からのリスタートじゃなかっただけまだ温情と言えるだろうが、それにしても、死んだら即時ファンタジー世界に転生するとか言う、フロムも腰を抜かすだろう現代人にとってのヘルモードに突入するのなら事前に告知してくれ。そうしたらもっと命を惜しんだだろうから。

 さて、他人事のようだが、脳内データベースに則り、今の俺の自己紹介といこう。今の俺の名前はロドニー。ロドニー・ロロアだ。ヘンリエル大陸西部に位置する騎馬と農耕で発展した内陸国エカークの、交易拠点として機能しているとある辺境の領主で、年齢は三十五歳。年齢同様、前世の俺と同じく、どこか冴えない雰囲気を纏った、可もなく不可もない田舎貴族といったところだ。

 特筆すべきはこの世界の特異なところだろう。まず、この世界において、性別という概念は存在しない。前世の俺が生きていた現代社会で言う男性の身体的特徴を持った人間しかいないのだ。どういうご都合だよ、と言いたくもなるが、しかしこのご都合の理由についても心当たりが余りあるほどあった。

 何せ、この国や大陸、そして、ロドニー・ロロアという男の存在は、前世の俺が勤めていたゲーム会社が下請けとして開発に関わっていたBLアダルトノベルゲームに登場する名称そのままなのだ。

 何を隠そう、前世の俺はどこに出しても恥ずかしい腐男子オタクだった。姉が大手のBL同人絵描きだったのが運の尽きで、大学時代にアシスタントとしてこき使われ、その影響で俺までそっちの世界の住人になってしまったのである。

 自分の勤める会社も関わっているということで、ささやかな息抜きとして、例のBLゲームもしっかりプレイしているし、推しと呼べる存在もあった。

 好きだったゲームの世界に転生できてよかったじゃないか、なんてことを思うのは一旦待って欲しい。この話はここからが本題であり、問題なのだ。

 肝心の、ロドニー・ロロアという人物について。正直、この人物は、例のBLゲームにおいて端役もいいところのキャラクターだ。

 言ってしまえば、名前しか出てこない。立ち絵すら用意されていない、いわゆる攻略後のモノローグで補足的に登場する、キャラクターというよりも舞台装置と呼んだ方がいいくらいの立ち位置にある存在だった。

 その役割といえば……ゲームの主人公のライバルとしてその前に立ちはだかり、最後には攻略対象である王太子の怒りを買った悪役令息に下る天罰。

 高貴なる生まれにプライドを持つ悪辣な美男子に用意された、あからさまに身分も年齢も釣り合わない相手に後妻として嫁がされる、などという退廃的な末路……その、身分も年齢も釣り合わない相手というのが、俺こと、ロドニー・ロロアなのである。

 もっと言えば、俺のゲーム内の推しと言うのも、その悪役令息こと、ロサリンド侯爵家次男シリル・ヴェリーテなのであった。

 どうして推しなのか、と言われると、性癖だったとしか言いようがない。そもそも、俺は悪の華として美しく咲き誇り、最後には盛大に散る美男美女が好きだった。

 そして、シリルという悪役は、誰よりも才能に恵まれていながら、生まれた順番だけで家督を継げず、王妃の座を手に入れることしか立身出世の道がないことに、凄絶なまでのコンプレックスを抱いていた。ゆえにこそ王太子の婚約者の座を手に入れることに必死で、その姿勢を王太子自身に厭われてしまったという造形にたまらなく惹かれるところがあった。

 俺はどうしようもない腐男子オタクだが、エロには若干の抵抗があり、例のゲームにおいて悪役だったシリルには、主人公に用意されていたようなめくるめく年齢指定スチルが存在しなかったのも大きかっただろう。

 しかしまあ、欲を言えば、あれほど悪役として主人公の恋愛模様を盛り上げたシリルにだって、少しくらい報われるエンドがあったっていいじゃないか、と思ったのも事実だ。

 愛を知らず、妄執に囚われた彼に、真実の愛を教え、その冷え切った心を救う誰かが現れたっていいだろうに……そんな欲求に囚われ、夜も眠れない日があったくらいだ。

 そんな、おそらく全国でも五本の指に入るくらいにはシリルという悪役を愛していただろう俺に与えられた転生先が、おそらく最もシリルのプライドを傷つけるだろう男という。

 どうすればいいって言うのだろう。そもそもゲームの舞台は俺の治める領地から遠く離れた首都リーヴの名門学園、確かにロドニーの母校ではあるが、それにしても卒業したのは二十年近くも前の話だ。

 そもそも、田舎貴族とは言え領地経営は片手間で出来るほど生半可なことではない。交易地であることもあり、街中には多国籍のキャラバンが滞在していて、ゆえに治安維持の点では気が抜けない。商人の中に人攫いが紛れ込んで、領民を商品になどされては大問題なのだ。

 そんな状況下では、どう背伸びしても、学園内部に介入するなんて暇はない。それくらい有能であれば、そもそも冴えない田舎貴族なんて形容はされないだろう。

 何より、王太子や名門貴族の子息たちの婚姻に関わることに、ロドニー如きが口出しなどしてもみろ、首都から出禁を食らうだけならまだいい方だ。

 つまり、シリルが田舎貴族の後妻として嫁がされる未来を変えることは、俺には出来ないわけだ。したがって俺が推しから蛇蝎の如く嫌われ、屈辱の象徴として扱われることはもう既定路線なのである。

 いやまあ、今のところ、全てがそうと決まったわけではないのだが。何せゲームシナリオを知る限界社畜腐男子である俺がロドニーに転生しているというイレギュラーが存在するのだから、もしかしたら他にも同様のイレギュラーもしくはバグが発生し、シリルが王太子の婚約者になって俺はただのバツイチ中年領主として人知れず生きていくだけという顛末を辿るかもしれない。

 いかなる可能性も無視できないのが辛いところだ。変えられることがあるとすれば。

 ゲーム中において、ロドニーというキャラクターは、シリルが嫁ぐ時点で四十代前半のだらしない中年で、大した功績も上げないが、性欲だけは人一倍達者だと言われていた。

 そんな男のもとに後妻として嫁いだ以上、親子ほど年の離れた夫との閨事は避けられず、シリルは自身の人生を儚んだとまで明記されていたのをよく覚えている。

 その情報を踏まえ、三十五歳時点でのロドニーの分析といこう。

 十八の時に結婚した同い年の妻は流行病で三十の時に亡くなった。以降、領地の勢力拡大や政策拡充への意欲を失い、若かりし頃の精彩を欠くように。剣術と乗馬が趣味だったがそれもご無沙汰になり、四年の月日でだらしない中年体型が形成されつつある。

 体を動かさなくなったせいか、その分発散できない鬱憤を性欲に向けており、領地と首都に何人か馴染みの高級娼夫がいる。

 しかし、曲がりなりにもゲーム内のキャラといったところ、ありきたりなモブ顔といえど、目鼻立ちは整っており、肌艶も悪くはない。正直この顔で前世を生きることが出来たなら、ついぞ童貞のまま生涯を終えることは無かっただろうと確信するくらいの素材だ。

 ……少なくとも、今から生活習慣を整えて、身なりにも気を遣い、娼館通いをやめれば、幾分かマシにはなるのでは。

 そもそも俺は、腐男子とは言え性的嗜好はノーマル、性愛対象も女性だ。異性という概念自体存在しないこの世界において、俺が誰かに性的欲求を抱くことは無いと見ていいだろう。

 つまり、いくらか頑張って見た目さえどうにかして、その上でシリルとは慎ましい距離感を保っていれば、嫌われこそすれ、彼が人生に絶望することはないのではないか。

 彼が嫁いでくるまでにはあと五年以上猶予がある。ついでに努力目標として、シリルが何不自由なく生活を送れるよう、資金力を増強するのもアリだ。

 曲がりなりにも貴族、他と比べたらチンケだが、首都にもささやかな別邸がある。田舎暮らしを厭うようであれば、円満別居に持ち込むという案も考慮に値するだろう。

 父ほど歳の離れた夫というならば、事実、彼の父のように、シリルを慈しめばいい。そうすれば、この居たたまれなさもいくらか軽くなってくれるような気がするのだ。

 そうと決まれば、まずは行動だ。俺は思い立ち、早速、娼夫との関係を清算しようと、万年筆を手に取ったのだった。
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