ケヌリオス

シュタイン

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邂逅編

第一話 それは雪の降る夜でした

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 12月、雪の降る日。風は寒さを際立たせ、今日も人々の肌を刺激する。
 歩く人々はコートをあるいはマフラーを纏いながら道々を通り過ぎて行く。
 寒空の下、今日も僕はバイト先のカフェに向かう。自転車で走る中、寒さに少し苛立ちを覚えるが、仕方ないと割り切る気持ちもある。
 すれ違う人達の中にはカップルも多く、ここにクラスメイトの山川でもいればきっと中指立てていることだろう。なにせ普段から「陰キャ滅すべし」とか言っているのだから。
 しかし今日はやけに冷える。そういえば朝のニュースで今年一番の寒波とかなんとかやっていたな。
 雪の降り積もる様相はイルミネーションに彩られた街路樹と相まってとても神秘的だ。
 今日は急遽バイト先の先輩が体調を崩したので代わりにシフトに入ったのだ。
 まあ帰宅部で家で暇していたので何か問題があるということもない。街の綺麗な光景を眺められたのだから得した気分でさえある。
 幸いにして明日はシフトも入っていないし学校も休みだから昼までぐっすりと寝てやる。
 どうせ何か小言を言う親兄弟もいないのだから。
 我ながらマイナス思考が酷いなと思う。元々ネガティヴだからすぐに悪い考えが頭をよぎる。あーだめだなこんなことじゃ。自転車を漕ぎながらため息を漏らす。
 ため息をすると幸せが逃げるというが、もうこれ以上不幸になることもないと思うので遠慮なくどんどんため息をつく。
 そうこう思考を巡らせているとバイト先のカフェに着いた。ちなみにカフェの名前はカフェ・ド・ショコラという。ショコラ要素がないのに、だ。
 





 ようやく終わったー。今日はクレーマーが多くていつもの3倍は疲れた気がする。
 勤務時間が普段の僕のシフトより短かったのが唯一の救いだった。
 スマホがコーヒーに落ちたから弁償しろだの、パスタを食べてたら髪の毛が入ったからタダにしろだの、めちゃくちゃな客が多くて本当に困ったものだ。
 僕の心の中ではブラックリスト入り決定だ。
 うちの店長が優しく励ましてくれたおかげで少し気は楽になった。僕がこのカフェを選んだのも店長の人柄に依るところが大きい。
 客として来ていた頃から妙齢の店長の物腰柔らかな対応に憧れに近いものを持っていた。
 時給が特別高いわけではないが、それでも生活できているので文句なんて出てきようがない。
 時間も9時を過ぎ一層寒さが増す中自転車を押しながら歩いて帰る。流石に今日は疲れたのでゆっくり帰ることにした。
 雪は来た頃よりも更に降り、歩道の脇には誰が作ったのか小さな雪だるまが出来ていた。
 この辺りは小学生が多く通学しているから子供たちが作ったのだろうか。
 どうでもいい推測をしながら歩を進める。
 この時間になると居酒屋や飲食店が賑わいを見せる。歩いていると美味しそうな匂いがしたり、オープンテラスの店などでは料理が見えて空腹を余計に誘う。向こうに見えるのはカルボナーラか、よし今日の晩ご飯はパスタにしよう。
 作ったことがないので料理サイトを見ながら作ってみるか。
 僕の中で小さな決意がみなぎった。
「すいません、助けてください!」
 僕の思考を遮るように背後から言葉が発せられる。
 僕に言ったとは思えなかったので一応周りをきょろきょろと見回すが話しかけた相手と目があった。
「あの、あなたです。」
 今度は目を見て言われてしまった。どうやら僕らしい。
 話しかけてきたのは20代ほどの女性のようだ。
 綺麗に化粧をしているが、服にはところどころ汚れが目立つ。何かから逃げてきたのだろうか。
 とりあえず
「どうしましたか?」
 状況がわからないので聞いてみる。
「あっちで猫ちゃんが高いところから降りられなくなってしまったんです。」
 へ?猫?じゃあこの汚れは猫を助けようとしてついた汚れなのだろうか。
 というか猫が降りられなくなったぐらいでこんな切羽詰まった雰囲気を出せるのだろうか。
 余程の猫好きなのだろうか?そんな考えを無視するように、
「とにかく来てください!」
 手を強引に引っ張られ路地裏に連れて行かれる。
 後に僕はこの人を知らんふりすれば良かったと後悔することになる。



「一体どこまで行くんですか?」
 走りながら少し息を切らして聞く。路地裏に入ってから5分は走っただろうか。曲がり角をいくつも曲がった。
 もはや悪い組織の拠点でもありそうな場所でさえある。
「もう少しです。もう少しで・・・・」
 うわごとのようにさっきからそう呟いている。ずっともう少し、もう少し、と。そんなに猫が大事なのだろうか。
 ならしっかりと助けなければならないな。改めてそう思っていると
「ごめんなさい。」
 急に彼女は止まり、反転して走り去っていく。すぐさま追いかけようとすると、
「待てよ。」
 その声に反射的に止まり振り向いてしまった。今思うとそんな声に耳を傾けずに、彼女のようにきた道を戻って走り去ってしまえばよかった。
 声の後に頬に熱さを感じた。
 頬を拭ってみると手についていたのは・・・・・血だ。
「おいおい。何呆けてやがる?」
 声の主を凝視するとただ一つこう思った。異形だ、と。
 腕は関節など無いようににうねり、手は刃物のように尖っていた。右手には血がついている。
 おそらく僕の頬を切ったのはあれだ。
 刃物のついた触手の化け物。
 表現するならそんなとこだろう。腕以外は普通の人間であるという点がよりその異形さを物語っている。
 逃げなければ。ただ一つそう思った。
 僕の中の生存本能が警鐘を鳴らしている。あれは危険だ、殺される、と。
 気づいた時には走っていた。ひたすら脱兎の如く。
 ただがむしゃらに走っていたため元来た道とは違う道を通っていた。
 だからなのか見覚えのない景色に辿り着いた。そこは、かつて工場のあった場所であった。幸いにも機械が残っていたため隠れるにはもってこいだった。
 大型の機械の影に身を隠し、ここでやり過ごす。
「おーい、どこ行きやがった!」
 異形の怪物は声を荒げて工場跡地の入り口に立つ。そして、近くの機械を豆腐のように切り裂く。
 あんなもので僕の頬は斬られたのか。
 改めて恐怖を覚えた。額から汗が止まらない。背筋はドライアイスのように冷えているというのに。
 怖い恐い怕い。
 今すぐ走り去ってしまいたいのに逃げ場がない。考え無しに走った自分を責めてやりたい。
 工場の入り口からヤツは迫ってくるため逃げようがない。
「ふぅー。」
 静かに息を吐いて冷静になる。
 アイツの触手の長さは大体3メートル前後。工場はそんなに広くない。一辺30メートルくらいだろうか。
 隙をついて回り込もうにも走られてしまえばすぐにでも追いつかれるし触手の射程圏内に入ってしまう。
 ここにあるのはペンチやらモンキーレンチやらだ。よし。
「カランコロン」
「あ?」
 今だ。
 ペンチを投げその反対側を走る。
 単純な作戦だ。物を投げて意識を逸らしその反対側を走る、ただそれだけ。もはやこれはギャンブルのようなものだ。相手が引っかかってくれるかどうか。その確率は低いが、打てる手がないのも事実。
 予想に反し相手は引っかかってくれたため入り口に向かって真っ直ぐ走る。あとは僕の足の速さが相手の足の速さを上回っていることを祈るのみ。
 入り口から逃げられたらあとはどうとでもなる。曲がり角の多い路地裏ならどこに行ったか迷うはずだ。
 走るんだただ真っ直ぐに。
 瞬間地面が顔に近くなる。
「え?」
 何をされたかはわかる。
 おかしい。まだ距離はあったはず。
「俺の射程を見誤ったな!やろうと思えば10メートルまで伸ばせんだよ!」
 マジかよ。
 クソ。やられた。
 だったら最初に申告しとけよ。
 最悪な夜はまだ始まったばかり。
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