MADE IN BLUE

桜井凪

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呪い

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その日僕は、一輪の花を活けた。

活けたと言うのは大袈裟かもしれない。

自分の部屋にあるものの中で、恐らく一番綺麗だと思うガラスのコップに水を張り少し背の高いピンク色の花を差しただけだ。
花はガーベラと言うのだと花屋の店主が教えてくれた。
この花をあの人は好きだったというのに、僕は名前を知ろうともしなかったのだ。


あの人がいなくなった日に買ったその花は、一週間ほどして一枚の花びらを落とした。


落ちた花びらは少し皺が寄っていて、老いて寿命を全うしたように思える。
コップの中の花はまだ元気に見えるのに。

僕は毎日甲斐甲斐しく花の水を換えた。

あの人が家にいた時には皿のひとつも洗ったことがないくせに、一人になってみれば花の世話も出来た。


それから花は、一週間から数週間に一枚というペースで花びらを落とすようになった。

花との同居にも慣れ、その存在がまるで空気のように自然に部屋に溶け込んでいる。
当たり前の存在として花の水を換えることをうっかり忘れそうになっている日に、花は花びらを落とす。

落ちた花びらが涙の形に見えて、僕はたまに泣いた。


普段、花を置いている寝室の窓はあまり日が当たらない。

(少し光合成でもさせてみるか。)

切り花にも光合成は有効なのか僕にはわからなかったけれど花の差されたコップを手に取り、キッチンに向かう。
シンクの目の前にある窓を開けて、コップをそこに置いた。


「お兄さん、魔法使いって本当?」


花を見ながら洗い物をしていると声がした。

視線を横にずらすと、あまり感情の読めないぎょろりとした目がこちらを見ていた。
近所の子どもだろうか、子どもというには背が高い。中学生くらいだろうか。


「君、不法侵入では」


「まぁまぁ。お兄さん、魔法使いなの?」


大きな瞳の中には、特に好奇心などの色は見えずただ事実の確認をしているような雰囲気だ。


「魔法使いなんかじゃないよ」


「そうなの。あぁ、喉が乾いた」


わざとらしく言って、僕と目を合わせる。


「コーヒー飲めるかい」


不法侵入の子どもを家に上げるというのは、倫理的にどうなんだろう。
そう思いながらも、勝手口のドアを開けて招き入れた。


ミルクも砂糖も要らないと言われ、ブラックのコーヒーを出した。
ふぅふぅ冷ます姿は子どもらしい。
ずず、と小さな音を立てて一口飲むとその子は「あの花、怖いね」と言った。


「そうかな、ピンクで可愛いだろう」


「ううん、怖い。見張ってるみたい」


不思議なことを言うものだ。
そもそも人に「魔法使い?」なんて聞くような子どもだ。
少し不気味さを感じながらも、子どもの夢見に口を出すのも気が引ける。
まぁいいか、と聞き流すことにした。


「また来てもいい?」とその子は最後に言った。
「次は玄関から入っておいで」と僕は返した。


それから僕たちは毎日のように日中、数時間だけ一緒に過ごすようになった。


その子が玄関のチャイムを鳴らし、僕が鍵を開けて出迎える。
当たり前のようにその子が前を歩いてキッチンに行き、当たり前のように一緒にコーヒーを飲んだ。
その後は同じ部屋にいても各々好きに過ごす。
その子は部屋を勝手に行き来して、どこからか見つけてきた本を読んだりした。


「そろそろ日が暮れるよ」


もう、二人で過ごすようになって随分な日が過ぎた。
日が傾く前には「そろそろ帰らなきゃ」と勝手に出ていくのに、その日その子はずっとそこにいた。


「うん、もう少しなんだ。
今日はここで寝る」


「いいのかい?親御さんに連絡とか」


そう言うと、嘲るようにふっと笑う。


「大丈夫だよ、もう」


腹が減ったので夕食を取り、夜が更けたので順番に風呂に入った。
朝までゲームしようと言うので「オセロか将棋しかないんだ」と言うと、「オセロのことだよ」と言われた。
眠くなったら眠れるように居間に布団を二組敷いた。


布団と布団の間にオセロのボードを置いて、開け放した窓の向こうから聞こえる木の葉が擦れる音を聞きながらオセロの石を交互に指していく。


黒が白に挟まれて白く。
白が黒に挟まれて黒く。


徐々に盤面に広がっていく黒と白の石。
人間関係みたいだ。
少しずつ広がって、少しずつ染まって、少しずつ、少しずつ。
黒や白のハッキリとした境目もなく、じわりじわりとその人を知っていく。


そんなことを考えながら石を置いた。


もう何回目かの勝負の途中で、その子は言った。


「だめだ、疲れた。もう眠い」


「寝ようか」


僕がそう言うより早く、その子は布団にくるまっていた。

オセロを片付け、部屋の電気を消してから僕も布団に入る。


「ひとりぼっちで寂しくないの?」


もう寝たと思っていたけれど、その子は小さな声で呟いた。


「寂しくないよ。花があるし、最近では君が来てくれる」


「明日からは来ないよ」


「えっ、どうして」


「夜は魔法が強くなる。
そろそろ大丈夫かと思ったけど時期尚早だったみたいだ。
君の魔法には勝てなかった」


何を話しているのかわからない。


「君のひとりぼっちの魔法は、執着も情念も強すぎてもう呪いみたいだ。
ここに一人でいたって、誰も帰ってこない。
花もとっくに枯れてる。
それでも君のひとりぼっちの呪いは解けない」


やめてくれ、それ以上言うな。


「君の心はひとりぼっちだ。
ずっとひとりぼっちだった。
一緒にいると言っても信じない。
信じないのに、誰かのところへ行かせたくないって執着はするんだ。
わがままで自己中心的で、すぐ癇癪を起こす。
子どもだなぁ」


黙れ。


僕は憎悪を持って手を伸ばした。
けれど、あと少しで届くはずの手がピクリとも動かない。


「君のことが大好きだったよ」


僕の代わりにその子が手を伸ばした。
子どもをあやすように頭を撫でてくれる。
その手は、あの日消えたあの人の手だった。
あぁ、ここにいたのか。会いに来てくれたのか。


「花は誰の代わりにもならない。
枯れない花なんて美しくない。
頑張ったんだけど、もう無理だな。
君の呪いは解けなかったよ。
外の世界は君を置いて、君を忘れて今もめまぐるしく回っているんだ。
花は枯れて朽ちて次の花を咲かせる」


真剣な声色がそこまで話して、ふっと笑った。

蕾が開くような華やかな笑いだ。
僕はもう限界だった。唇が震えて、涙がとめどなく流れた。


「早くひとりぼっちの呪いを解いて。
新しい花で、弔ってくれよ」


僕たちは手を繋いで眠りについた。


翌朝目覚めると、僕の隣には誰も使った形跡のないまっさらな布団が敷かれていた。
水でも飲もうとキッチンへ行くと、窓辺に置いていたはずのピンクのガーベラは茶色に変色し、ぐしゃぐしゃに萎れていた。
干上がった水の中で花の茎は腐っている。


身支度を整えようと風呂場に行き、ボサボサの髪を洗って伸びっぱなしの髭をあたった。
箪笥の中から真っ白で清潔なワイシャツとグレーのスラックスを取り出して着替えた。


自らの意思でドアを開ける。

街の中を歩くのは花を買った日以来だ。
ガーベラを教えてくれた店主の店で、今度は花束を買った。
色とりどりのガーベラの周りに白いかすみ草が舞う。


その花束をぎゅっと抱えて僕は、何度も前を通り過ぎたことのある交番に入った。
すぅ、と一呼吸して僕は呪いを解くための言葉を発する。





「僕は同居人を殺しました」



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君が残した愛ひとつ
孤独が色を深くして
君が消えない
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