キャタピラー効果

お茶の間ぽんこ

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キャタピラー効果

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 人生は往々にして「あのときこうしていれば」などと世界を夢想することが多い。
 かくいう私もタイムマシンに乗って世界へと跳躍できないかと夢想するわけだが、その原因となるのは水たまりでもがく芋虫だった。
 私の想い人であるサークルの後輩女子・丸川さんと似非アベックとして夏祭りを闊歩する権利を獲得した。私は彼女に格好良いところを披露すべく、サークルの同期に縁日の定番である射的や金魚すくいなどのコツ、またそれらを練習するために他の地域で催している縁日の情報などを徹底的に訊き込み万全の準備を整えた。
そして「紳士たる者、待ち合わせ時間より早めに来るべし」という信条の下、十分前に到着するはずだった。
 しかし、私の足を止めたのは先に述べた芋虫である。
 雨上がりで湿気が肌を覆う夕暮れ、待ち合わせ場所の中央広場の時計台前に向かうために屋台通りを進んでいくと、行き交う人々が道の真ん中を避けていくのに気を取られた。注意深く観察してみるとそこには大きな水たまりができており、水中で芋虫が必死にもがいていた。
 私は何だかその芋虫の命を救いたくなって如何にすべきかを思索した。しかし芋虫を手で摘まみだすのは生理的拒否反応と体裁的な彼是によって有り得なかった。
 そこでインテリジェンスな私は棒的な何かによって芋虫を掬い上げて救出する画期的なアイディアを発案して周りにないかを探したところ、ありきたりな全長二十センチメートルの木の棒を発見したのでそれを使った。
 芋虫は動きが鈍くなっていたが最後の力を振り絞って差し出された木の棒によじ登ってきた。
私は通り過ぎる人々の目を気にしながら迷惑をかけないように、丁寧に、少しばかり離れた水気が比較的少なそうな木にくっつけてやった。
 芋虫は私のことなんて構わず木を牛歩的に這い上っていった。私の目を気にせず上る様子はあたかも自力で生き延びることができたと主張しているかのようにも見えた。
 私は紳士的な振舞いをしたにもかかわらず芋虫に感謝されないどころか周りからは変人扱いを受けていることに気づき、心の中でやれやれと呟きながら腕時計に目を向けると、待ち合わせ時間まであと一分となっていた。
 大慌てで中央広場まで走った。ただでさえ湿気が身体を侵食しているのに、更に体外に熱気ある水分が覆い被さってきて汗と湿気が融合している心地がした。
 中央広場はやはり人で溢れかえっていた。時計台前などと指定しておかなければ合流するのは困難であろう。私は時計台の前で待つ人の中から丸川さんの姿を探した。
 丸川さんは背の高い男と親し気に話していた。その男は白シャツの上に袖がない黒のニットとスラックスというコーデで更に腹立たしいのは洒落たネックレスを首からぶら下げていた。しかし、足元を見ると下駄を履いており、髪も浮浪者のようにくしゃくしゃな長い髪を生やしていて清潔感の比重を間違えているような男だ。きっと道端ですれ違った人間から追いはぎして手に入れた服なのであろう。でなければこんな意味の分からない見てくれになる訳がない。
「アイさん、この人は待ち合わせの相手ですか?」
 その男は一丁前に丸川さんのことを名前で呼んだ。
「そうですー。サークルの先輩ですー」丸川さんが言った。
「あなたは一体、丸川さんとどういう関係で?」私は自己紹介を丸川さんの言葉で済ましたことにして問い詰めた。
「ああ、失礼。胡散草喜一うさくさきいちです。私は祭りが好きなのでちょいと立ち寄ったのですが、アイさんの可憐な容姿に魅了されましてついお声をかけて話が盛り上がってしまいまして」
「先輩、この人凄いんですよー。来月に打ち上げられる宇宙船のメンバーとして日本人で唯一選ばれているぐらいのお方だそうですー」丸川さんは独特の口調でウサクサの凄さを語った。
「いやあ、そんな凄いだなんて、嬉しい限りです」ウサクサは頭を掻いた。
「そうなんですね。とても御高名な方であるのに知らず失礼しました。ですが、そうなるとウサクサさんも宇宙飛行に向けての準備でご多忙でしょう。そちらの準備の方を優先されては?」
 私は紳士らしい言い方でウサクサを追い払おうとした。
 ウサクサはやれやれと呟いて言った。
「私ぐらいのエリートになれば準備なんて不要なのです。ところで、どうですアイさん。これから二人で祭りを回るっていうのは?」
 私はウサクサの思いもよらない発言に唖然としたが丸川さんは目を輝かせた。
「ぜひぜひー。あ、でも先輩も含めて三人で行きましょうー」
 丸川さんはやんわりと二人で回ることを断って私を入れた三人で回ることを提案した。
「アイさんがそう仰るのでしたら、そうしましょうか」ウサクサは納得した。
 私も納得していないが納得したことにした。


 というわけで、あの芋虫を救っていなければウサクサが現れる前に丸川さんと合流して二人きりの濃厚な時間を満喫できたはずなのだ。時の神クロノスよ、私を過去へと連れて行ってはくれないか。
 聡明な読者は既にお気づきかもしれないが、ウサクサは胡散臭い。宇宙飛行士だという肩書は間違いなく嘘だ。しかし、純粋無垢が服を着たような人を信じやすい丸川さんは本当だと疑っていないであろう。こうなれば完璧超人だと嘯くウサクサの粗を探して丸川さんの評価を下げるしかない。
 私は射的勝負をウサクサに提案した。表向きは丸川さんが欲しがっているクマのぬいぐるみ(大きなものを想像するだろうがキーホルダー程度である)を取ってあげるとして、私がウサクサより優れているところを魅せようと画策した。
 ウサクサは「ええ、いいですよ。こう見えても『射的のウサクサ』と呼ばれているのです」と訳の分からない肩書を加えて快諾した。
 私はこの日のために徹底的に射的を練習してきた。この男は十中八九適当なことしか発言していないのでこれは言ってしまえば出来レースなのだ。
 順番は私から先に撃つことになったので(撃てる回数は一回である)、まず私は装填するコルク玉を丁寧に吟味した。実はこの作業はとても重要で、玉の形が整っていなければ空気抵抗が云々で遠くまで飛ばない恐れがあるのだ。出されたコルク玉の中で最も優れているものを一個選んで鉄砲に詰めた。
 脇をしっかりと締めて鉄砲を構え、そして撃った。
 軌道も正確で何ら問題ないはずだった。現にぬいぐるみに命中したのだ。しかし、ぬいぐるみの右側が奥に動きはしたが、後一発撃てば確実に落ちる状態にとどまってしまった。
「残念でしたね。大丈夫です、私が取りますので」
 ウサクサはそう言って玉を杜撰に選び、杜撰に装填して、杜撰に発射した。
 彼の撃った玉はぬいぐるみの右側を更に押し出して容易くぬいぐるみを落とした。
「わーウサクサさん凄いですー」
 丸川さんは手をパチパチ叩いてウサクサを賛美した。
 私はウサクサに塩を送って彼の評価を上げる助力をしてしまった。
 名誉挽回をするためにそれからもウサクサに勝負を挑んだ。しかし、その全てが悉く私にとって悪い結果に終わってしまい、金魚すくいをすれば私の背後を通り過ぎた人が持っていたバッグに背中が当たってその反動でポイの紙を水に濡らして破ってしまい、型抜きをすれば後がない緊張感によって手が震えて思いきりヒビを入れてしまった。そのおかげでウサクサは金魚を一匹しか釣れていなかったり型抜きでは汚く出来上がっていたものの私よりは優れているので相対的に丸川さんの評価が上がっていった。
「ウサクサさん器用なんですねー」
「とんでもない。まあ、彼と比べたら、器用と言っても良いかもしれませんね」
 ウサクサは私を横目に丸川さんと楽しそうに話していた。
 私は完全に不貞腐れて何も言葉を発しなかった。今日は最悪の日だ。
 あろうことか、私たちが今立ち止まっているのは芋虫を救った、あの水たまりの近くだった。
 私は何だか居た堪れなくなって別れを告げて帰ることにした。
「あの」
 私が声を発しようとした瞬間、ボトッとウサクサの頭に何かが落ちてきた。
「雨かな」
 ウサクサはボサボサ頭をさすってその正体を探った。
 髪をいじって出てきたのは芋虫だった。
「ぬおわあああああああああ」
 ウサクサは変な悲鳴を上げてつまずき水たまりにダイブした。
 彼がずぶ濡れになるのは当たり前だが、周りにいた人々にまで泥水が飛び散った。
「おい、てめぇ。よくも俺の新調した服を汚してくれたな」
 近くにいた強面の巨漢がどすの利いた声でウサクサを睨みつけた。巨漢の着ていた服は見事に泥模様で彩られていた。
「皆さんあそこを! あれは宇宙船が発射されたんだ!」
 ウサクサは空を指さして周りの人々の視線を逸らした。その隙に下駄を履いているとは思えない驚異的な速さで一目散に逃亡した。
「待ちやがれ!」巨漢はウサクサの後を追った。
 私と丸川さんを含め、人々はウサクサが起こした揉めごとに呆気にとられていたが彼らの姿が消えると何事もなかったかのように歩みを進めた。
「…何だか台風みたいな人でしたね」丸川さんは呟いた。
「そうだね。本当に謎に包まれた奴だった」
 奇しくも丸川さんと二人きりになれたわけだが、私の気分は晴れなかった。
「今日はもう、帰ろうか」
 私はここで切り上げることを提案した。
 しかし、丸川さんはとても残念そうな顔をして言った。
「えー、せっかく先輩と二人きりになれたのに。これからが本番じゃないですかー」
「え?」
「私、実は縁日で良いところ見せるために練習していたのを知っていたんです。先輩が他の人と話しているのを盗み聞きしてしまいました」丸川さんは淡々と言った。
 なんと、私が水面下で動いていると思っていた準備が丸川さんに筒抜けだったのだ。
 私は恥ずかしく感じて耳が熱くなった。
「それは…恥ずかしいな」
「でも、先輩は私のために頑張ってくれる方なんだなーって嬉しくなりました。だからもう一度周り直しましょう。射的も金魚すくいも型抜きも全部。そうすればクマさんのぬいぐるみもお揃いになるし良いこと尽くめじゃないですかー」
 丸川さんは私の手を引いて来た道へと導いた。
 こうして私たちは今日行ってきたことを二人きりでやり直したのであった。


 もし、芋虫に時間を取られていなければ、ウサクサに遭遇することはなかったかもしれない。
 今回は芋虫を助けてしまったことであの男に遭遇してしまった。しかし、私が助けたその芋虫によってあの男を追い払うことができ、予定通り丸川さんと二人きりの時間を過ごすことができた。
人生の進路というのは、過程がどうであれ着地すべき未来の一点は決まっているのではないか。目的駅まで行くのに各停に乗るか急行に乗るかの違いだろう。もちろん急行に乗るに越したことないが、たまには各停にゆらりゆらりと揺られて車窓から見える景色や乗客を眺めてみるのも吝かではない。
 芋虫のように鈍足に進もうが、向かう先は同じなのだから。
 私は今日の事象をキャタピラー効果と呼ぶことにした。
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