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3章 合流
25話
しおりを挟む――東条はハンモックに横になり、枝葉から差し込む光を見つめる。
布団を被っていてもやはり外は冷える、中の人工的な温かさが恋しい。
「……なぁ、そろそろ戻ろうぜ?」
どっかりと腰を下ろすマイホームに語り掛けるも、悲しきかな伝わらない。それどころか周りの木に根を絡ませ、我が物としようとしている節まである。これでは動くのもままならない。
「……はぁ、」
溜息を吐く東条の耳が、何かが自分に近づく音を拾った。
「どないしたん?溜息なんてついて。幸せが逃げてまうで?」
「えっと、黄戸菊さん?どうしたんですか?」
木の間から現れる彼女に目を丸くする。その手には配給されたのであろうフランクフルトが握られていた。
「一緒に食べよう思てなぁ。東条はんのも持ってきたで?」
「え?いやいや、俺はあるんで大丈夫ですってっ。他の人に分けてあげて下さい」
リュックからお菓子類を取り出して見せる。只でさえ少ないと言っていたのだ、持っている者が貰うのは悪い。
自分は食料があるからと断っておいたはずなのだが。
「そんなん言うても、持ってきてもうたし。……追い返されたって聞かはったら、きっと葵獅はん怒り狂うてこの林ごと焼き払うてまうやろなぁ」
「どんな脅しですか……」
東条は物騒なことを言う彼女に根負けし、漆黒の上に乗りゆっくりと下りていく。
スカートの中を隠す女子とはこういう気分なのだろうか、などと下らない事を考えている内に地面についた。
「ほぇーそないな事もできるんやぁ」
「色々便利な能力ですよ」
「羨ましいわぁ。はい」
「有難うございます」
根元に腰掛けようとすると、紗命がハンモックを指さす。
「……下りてきてもろうたとこ悪いんやけど、上で食べへん?」
「いいですけど、景色もクソもないですよ?」
「構わへん構わへん、おおきになぁ」
紗命が用意された円の上に丁寧に座ると、東条は縁に手をかけた。何とも不格好に彼をぶら下げたまま、漆黒は浮上していく。
「なんか、ごめんなぁ」
「構わへん構わへん」
「ふふっ」
二人してハンモックに移り、バランスを取って座る。
「ほんまや、葉っぱしか見えへん」
(……いやかわいっ)
クスクスと笑う彼女に見惚れてしまい、隠すようにフランクフルトを齧る。口の中で弾ける肉汁、久々の肉の味は確かに美味かった。
「東条はんはこの力、なんや思う?」
足をぶらつかせる紗命が、宙に停止する漆黒を見る。
「そうですね……、これを使っている時は、魔力を必要としないんです。あ、魔力っていうのは「分かる分かる。続けて?」
「はい。それで、佐藤さんのを見て思ったんです、やっぱりこれはアニメとか漫画に出てくる固有スキルに似た物ではないかと。要するに個々人の特別な能力ですね」
「ふむふむ」
「現実と虚構の区別がついていない、と言われるとそれまでなんですが、」
オタク文化に精通していない人に設定云々を伝えるのは、これほどまでに大変でこっ恥ずかしいものなのかと東条は感じる。
しかし紗命は真面目に返した。
「いやいや、こないな状況や。おつむの固い人間から死んでいくんよ。
うちもネットの中で仰山みたで?ゴブリンやら、オークやら、切っても切れへんほど似てるし、あながち関係あらへんとも言い切れへん思うで?」
ここまで柔軟な人はそうはいない。これもこの世界になったからだろうか。
彼は世界がオタク色に染まっている事実に嬉しくなった。
「それじゃあオタク知識バンバン出していきますけど、いいですね?」
「ドンとこいっ」
気兼ねなく話せる彼女との会話は、東条にとっても楽しい時間であった。
――「……魔素が、自然に漂うてる魔法の元で、魔力が、干渉を受け物体に内包された魔素の集合体。それを使った共通技能が魔法で、個人で能力が違う特殊技能がスキルで、あと、クッコロ?」
「そうクッコロ、一番大事」
東条は何でも吸収する彼女に、際限なく知識を詰め込んだ。
知らなくていい事まで知っていることに、彼女が気付くことはない。
「でもねー、スキルって呼び方が俺的にしっくりこないんすよ。技能っていうか……『扱う』っていうより、『動かす』が近いんです」
手に入れた自分だから分かる。身体の一部が増えたような、それ以上に、自分自身がもう一つあるような感覚。
言い表そうとしてもできないそれに匙を投げ、天を仰いだ。
「……せやったら、『cell』なんてどや?細胞からとったんやけど、それっぽいやん?」
彼女の言葉に目を見開き、ガバリと起き上がる。
「それですやん!」
「ふふっ、ですやんなぁ」
ピッタリの名称に、詰まっていた排水溝が勢いよく流れだす。万物の名称をこの少女に名付けさせればいいとさえ思ってしまう。
「いや~スッキリしたでホンマ。バリおおきに」
「なにおっしゃっとくれやす」
互いの考察も一段落し、紗命が東条の横顔を見る。
「うちばっかり質問してもうたけど、なんか聞きたいことある?」
「ん?そーだなぁ、」
少し考え、東条は気になっていた事を口にする。野暮な気もするが、一応、と。
「じゃあ、凜さんでしたっけ?あの方の能力、教えてくれます?」
東条の質問に、紗命がビクリと狼狽えた。
「……驚いたわぁ、気付いとったん?」
「いやまぁ、普通の人とは違うものを感じたんで。黄戸菊さんも感じません?俺とかあの三人を見てて、」
「うーん、うちは何も。それが魔力ってやつでっしゃろか?」
「えぇ、たぶん。
気配とか、覇気とか、そんな風に感じるんですよ。筒香さんと佐藤さんはモンスター沢山殺したらしいですし、肉体の成長と一緒に感覚も鋭くなってると思いますよ」
成程と思いながらも、紗命は少なからず後ろめたさを感じる。
「……かんにんなぁ。秘密にしとったのは事実やさかい」
「いえ。別に能力……魔法でもcellでも、秘密にするのは自己防衛の基本です。ただ近くにいるとなるとやっぱり怖いんですよ。……洗脳系統の能力なら尚更、」
紗命は思う。自分達と距離を取っていた彼の真意が少し分かった。彼を遠ざけていたのは他でもない、自分達だったと、呆れ、己を恥じた。
斯く言う彼は、ただ人と関わるのが面倒なだけなのだが、その点が無きにしも非ずなので今はいい。
隠す必要はないと判断した紗命は、凜が見たモノを詳しく説明した。
――「東条はん的に言うたら、こら魔素が見えるってことなんかな?」
「えぇ。紗命さんの考察も概ね合ってる気がします」
「ほな、東条はんが真っ黒やった理由は?」
「そりゃぁ、俺が腹黒い極悪人てなだけですよ」
良い笑顔でサムズアップする彼を、紗命はぱちくりと見つめる。
「ふふっ、怖いわぁ。一人で来るのは危なかったやろか?」
「そうですよ?幼気いたいけな少女が半裸の男の隣に座るなんて事案です。俺はまだ捕まりたくありません」
漆黒の上に紗命を乗せ、来たときと同じ様に下りていく。
「ではこれでお開きにしましょう。三人とも心配してますよ?あの真っ黒、うちの紗命に何を!ってね」
「もう、いけずやなぁ」
頬を膨らます彼女の、あまりの可愛さから目を逸らす。
「今日は外に出ぇへんの?」
「えぇ、秘密の特訓があるんで」
「なにそれ?心躍る響きやなぁ」
ずいずい来る彼女をひらりひらりと躱す。
「秘密だから秘密の特訓なんです」
「む~。まぁええや、楽しかったさかいまた来るなぁ」
「美女ならいつでも歓迎です」
「ふふっ。……そろそろタメ口で話しとぉくれやす。東条はんとはもっと仲良ぉなりとぉす」
上目遣いの彼女に、策略と分かっていても見入ってしまう。これはダメだ。逆沼だ。
「おけ。俺もそっちの方が話しやすい」
「ふふっ、ほな」
気分上々で去って行く彼女の背中を、連弾する鼓動と共に見送る。
「…………ありゃ犯罪だろ」
悪魔めいた美貌に溜息すら漏れる。
人の視線が無くなったのを確認して、纏っている掛布団を剥いだ。
「ふぅ、……そんじゃ、やりますか」
地面に座り、木の幹に体重を預ける。魔力を意識し、身体全体に循環させ始めた。
あの時の狼がやっていたように。
先ずは、焦らず、ゆっくりと……。
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