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3巻~友との繋がり~ 1章

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 §


 ――冬の朝はよく冷える。

 まだ外は薄暗く、ゆるりと太陽が起き始める時間。

 誰かが悴んだ手を擦り合わせ、「は~」、と温もりをはきかけた。

 折り畳まれたバスケットゴールが端に二対。
 壁に沿って置かれた数十台の暖房器具。
 ワックスがかけられた板張りの床は、所々が土に汚れている。

 控えめなざわめきが途絶えない屋内には、避難者用仮設テントが乱立していた。

 場所は、明海大学大体育館。
 現在五百人ほどが生活している明海大学内にて、百人あまりを収容している場所である。

 周りには、歩くのも覚束ない老齢の者から、よれよれのスーツを着たサラリーマン、気の弱そうな青年に、小学校高学年程の年齢まで、老若男女が見て取れる。

 皆痩せてはいるが、明暮食料不足の特区にしては随分とマシ。顔にも生気が宿っている。

 それだけで、ここでの暮らしが如何に安全か、安心かがよく分かる。

 彼等は自分の仕事が始まるその時間まで、再び目を閉じ、いつか帰れる日を夢に見るのだ。



 青年が一人、静かに廊下を歩いて行く。
 各教室で眠る仲間達を起こさないよう、配慮しながら。

 灰色のロングコートに茶色い革靴。装いからくる大人びた風体と、爽やかで端正な童顔が見事なほどに調和していた。

 一度横を通れば女性は振り返り、男は唾を吐く。そんな顔面偏差値上位者の彼は、階段を上り、屋上のドアに手を掛けた。

 錆びた音を上げるドアの向こう側で、一人の男が振り返る。

「どうした、見張り交代か?」

 ジャンパーにジーンズの青年が、持っていた金属バットを肩に乗せた。

「おはよう嶺二れいじ。目が覚めちゃってね、朝の空気を吸いに来たのさ」

 そう言って爽やかに笑う彼こそ、逃げ惑う民を纏め上げ、保護し、襲い来るモンスターを退け、この場所を作り上げたカリスマ。

 光明院 新こうみょういん あらたである。

 彼は塔の屋上から、大学内を見渡した。

 恋人に造ってもらった高さ六mの土壁が、敷地をぐるりと囲っている。

 内側には、北に体育館。東に男子塔、女子塔。

 男子塔には残りの一般市民と戦闘員が、女子塔にはプライベートを気にする女性が集まっている。

 南に連立して、幼児や乳児を連れた家族が避難している。
 やはりどれだけ優しい言葉を並べても、幼子が放つ騒音は人の心を削る。

 突然の悲劇に見舞われ、心が不安定な避難民なら尚更だ。
 彼等を別々に分けるのは、両者の為になると考えてのことだ。

 そして西にはグラウンド。今は鍛錬の場として使われている。

 今でこそ侵入してくるモンスターは減ったが、大学内の施設も全て無事とは言い難く、各所に戦いの痕跡が見て取れる。

 新はそんな傷痕を再度目に焼き付け、自らの守るべきものを再確認する。

 力を合わせて造り上げた安寧の地。
 若輩者の自分についてきてくれる仲間達。
 困った時に幾度となく助けてくれた友。
 今の自分には、守りたいものが沢山増えた。

 ……そしてそれを認識すると同時に、大切なものを脅かす敵も濃く浮かび上がる。

 新の目が、外壁の外に向けられた。


 コンクリートに覆われた地面には浅く水が張り、草花が所々に小さな丘を形成している。

 樹型のトレントの数は減り、キラキラと揺れる水面の下には、錆びた道路標識や折れたトレントの残骸が沈む。

 藻類型は流れに身を任せ、苔型は瓦礫を鮮やかな緑で彩る。

 透き通る水の中で、小魚が数匹、横断歩道を渡っていった。


 人の営みが息を途絶える中、緑は唄い、青は囁き、朝月夜に東雲しののめがたなびく。

 退廃的で、されど情緒的な、美しくも幻想的な世界。

 ……だがしかし、

 次の瞬間小魚は長い舌に絡めとられ、巨大な両生類の腹に収まった。


 美しさに安全は関与しない。どこまで行こうと、世界は強者の為にある。

 樹の上。水の中。丘の上で日向ぼっこ。
 水生に適応したモンスターの数々が、獲物を日夜狙っている。


 §
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