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佐藤、角娘とエンカウントする。

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 高校生活は思っていたよりもつまらない。屋上には行けないし、めっちゃ強い権力を持った生徒会もない。普通。この世は所詮ノンフィクションなんだと、そう気付いたのは、愚かにも三年生になってからだった。
 何もかも期待はずれ。いや、俺が期待しすぎていた。アニメや漫画、ライトノベルはフィクション。人を楽しませてくれる娯楽なのだから、現実なんてこんなもんだ。
 俺の隣に空席があるけど、これも昨日先生が「お前らとおんなじ目線で授業してみたいねん」とかなんとか言って俺の隣に座った。その時間は自習になったし、先生は普通に教科書の問題を解いていた。

「佐藤~! この前貸した本よぉ、そろそろ返してくんねぇかなぁ」

 この調子じゃ、異世界転生・転移なんてあるはずないな。
 試そうとは思ったこともないが。

「砂糖ー? サトーくーん? サトサト~? おーい」

 よくよく考えてみれば、あったとしても女神様が約70億の中から一人選ぶんだから宝くじを当てること以上に確率低いんじゃね?

「おいコラァ! 一番後ろの窓際席で風に当たりながら黄昏てんじゃねぇ! お前は主人公かっ!」

 椅子を逆に座って背もたれを腕置きにしていたクラスメイト。
 いま現在、俺にデコピンかましてくれたこの親友Aは、きっとギャルゲーでお馴染みのヒロインの情報をくれる頼りになる親友になれるだろう。主役級と言っても過言じゃない。

「主人公でありたかった」
「分かるよ。でもな、友人に貸した本を返さない人間が主人公になれると思うか?」
「そういうトゲのある奴の方がストーリー的に面白くなると思う」
「だから実践してると? たわけ。はよ返せや」

 親友Aは俺の頭をペシンと軽く小突いて言う。

「ごめんごめん。で、なんだっけ」
「『このすば』だよ『このすば』! 10周年だからな。初めから読み返してんの」
「あぁそっか。妹もハマっちゃってさ、いま齧り付いてるんだ」
「ふむぅ……同志が誕生したなら仕方ないな。妹ちゃん幾つだっけ」
「3歳だ」
「お前それ本当に齧ってないだろうな」
「大丈夫、毎日読み聞かせてるから」
「英才教育かよ」

 雑談的なボケとツッコミ。大笑いするでもなく、ホームルームが始まるまでの数分間を利用して、ただただ言葉で遊ぶ。なんてことない日常シーンだ。
 ガララ……と教室のドアが開き、どう見ても小学生にしか見えない先生が、ぽてぽてという可愛らしい効果音が付きそうな足取りで教壇に上がった。
 ……という俺の妄想でフィルターを掛けているが、実際は普通にノリのいいおじさん先生である。
 また「今朝うちの奥さんがなぁ」とか、嫁自慢を始めるんだろうなぁ。

 そうとばかり思っていた。
 しかしその日は、少しいつもと違ったのだ。

「今日は転校生を紹介する」

 おっちゃん先生は続けて「角沢すみさわさん、入ってきて」とドアの向こう側へ言った。

 また、ガララ……と教室のドアが開かれる。
 この時、俺はワクワクしていた。しょうもない事ばかりだった二年間。三年目にして、俺の高校生活は転校生襲来イベントという大盛り上がりを見せている。
 だがまだ油断は出来ない。男子はやめろ。いや、いい奴かもしれないが、ここは女子……美少女がいい。頼むから美少女転校生来てくれ! 男子高校生俺のタマシイがそう叫んでるんだ!

「「「……おおっ!」」」

 角沢すみさわさんという転校生が入ってくると、俺を含めた男子生徒が声を上げる。
 来た。SSR転校生だ。

「「「おぉ……?」」」

 だが、俺達は一斉に首を傾げた。
 違和感。確かに彼女は男子生徒諸君が声を上げるほどの美少女だった。だが……違和感。
 まず服装。うちの制服だ。太ももがむっちりしていて、スカート丈が少し短いような気がする。うむ、健康的で実によろしい。
 目付きは鋭めだが、その身長は小・中学生レベル。小動物的な愛くるしさがある。上着は大きめ。
 高校生ともなると成長期ドストライクだ。大きめサイズの制服を注文しがちだか、三年生で、しかも転校して、しかもここまで成長期が来てないのか既に終わってそうな子がこんなにオーバーサイズを選ぶか?

 ……いや、そんなことはどうだっていい。
 それは大した違和感ではないのだから。

 なんだあの、つの……だよな。角沢すみさわさんの頭……こめかみ辺りからぶっとい角が二本、対になるように生えている。
 あれは鬼……いやドラゴン……には見えないな。歪曲した極太の角。羊ような、悪魔の角に似ている。
 人間にあんなものが生えているのか? 生えているとして、なぜ生えている。もしかして着け角とか? いやなんで? 学校に角ってんなアホな。これは高度なボケなのか? テンコーセー・ジョークというやつなのか……? しょーもないツッコミしかしてこなかった俺にはハードルが高いぞ転校生。

「じゃあ自己紹介しようか」

 そんな俺達の混乱をさらに掻き乱すように、黒板にカッカッとチョークの当たる音が響く。

『角沢角子』

 背伸びして書いたからか、その文字は少し波打っていた。
 チョークが置かれ、冷えきったような無感情な顔がこちらに向く。

「すみさわ…………です。よろしく……します……」

 声、ちっちゃ。

「好物は、角煮です」

 見た目に反してなかなか渋いな。
 いや、待て。待ってくれ。
 角子って、ツノコなのか?カドコなのか?君の名前が全然聞き取れなかったよ。
 これを声に出さないなんてバカなのかと思うかもしれないが、おやじ先生が手際良く拍手を促し、席の案内をして授業の用意をし始めてしまったので、俺が頭で作っていた会話文は解けて消えた。

「……隣、よろしく」

 奇跡的に俺の隣の席が彼女だった。
 あのオヤジ、謀ったな。うわ、あれ「うぇーいサプラーイズ!」って言ってる時の顔だ。

「……どうかした? えっと、佐藤くん」
「コホン、いやなに……近くで見る君が予想外に可愛らしくてね……見とれていたんだ」

 わざとらしく咳払いをして、とりあえず容姿を褒めてみた。
 親友Aが笑いを堪えている。よしよし、これなら一気に距離を縮めることができ――

「……うわ」

 その日の夜、俺は枕を濡らした。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 初手で身内ネタをぶちかますという醜態を晒し、第一印象が最底辺まで落っこちた俺。
 繊細な男子生徒にとって『女子に嫌われたかもしれない』という最悪は心に深く傷を負う。おかげで今日は眠れなかった。

「おはよう佐藤。昨日は授業中もフリーズしてたけどもう平気か? めっちゃフラついてっけど」

 席に座ろうと椅子に手をかけると、親友Aが心配そうに声をかけてきた。

「おはよう……だいじょばない……おれはもうむりだ……」
「ひでぇ顔してんなぁ」

 目の焦点が合わず、口を閉じる気力もない溶けた俺の顔をぐりぐりと修正した親友A。

「佐藤が精神的負傷マインドダメージをくらうとはなぁ。そんなにショックだったのか?」
「バカお前、男はなァ、女に嫌われたらおしまいなんだよ!」
「まだ初日だろー? ここから挽回できるって。ほら、ラブコメの主人公だって最低イメージからどんどん良いとこ見せてってヒロインをオトすんだぜ」
「それはラブコメの話だ。リアルは違う。一度失った信用は取り戻せない……カフェオレはミルクとコーヒーに分けられないのと同じだ……くっ、俺は角沢さんを笑顔に出来なかった……!」
「考えすぎやろ。それ、悪い癖だぞ」
「人より曲がった性癖してるのは否定できない」
へきじゃねぇよくせだよ」

 ペシッとツッコミを入れられ、俺は少し調子が戻ってきた。
 そこへ女神様がチャンスを与えてくれたかのように、角沢さんが教室に入ってくる。

「来たぞ。まずは悪いイメージを払拭するんだ」
「お、おう。ありがとな親友A……!」
明石あかいしあずまや」

 親友Aこと東の助言を胸に、俺は角沢さんの着席と同時に謝ろうと息を吸った。

「佐藤くん、昨日はごめんね」
「ゴホッかっ、かへぇあっ!?」
「だ、大丈夫……!?」
「でぃゃ、だいじょば……いや大丈夫!」

 あ、ありのまま今起こったことを整理しよう。
 俺は謝ろうと息を吸った。だが気付いた時には角沢さんが謝っていた。
 一体、何が起きた……? なんで角沢さんが謝るんだ。

「あの、昨日……わたし緊張してて、せっかく緊張をほぐそうとしてくれてたのに、あんなこと言っちゃって……」
「あ、あぁいや、俺もいきなりごめん。大丈夫大丈夫、気にしてないよ」
「で、でも目にくまが……」
「これはゲームしすぎちゃってさ! いやぁ最近のゲームは面白すぎるのが難点だ!」
「そうなんだ……でもちゃんと寝ないとダメだよ? 成長期なんだし……あ、そうだ」

 何かを閃いたらしい角沢さんは、俺の腕を引っ張った。
 夜眠れなかった俺は抵抗力も皆無。体をちょっと押されただけでも倒れてしまいそうなほどフラフラだった。
 そう、倒れたのだ。角沢さんに。

「授業までもう少しあるし、ちょっとだけ寝てもいいよ」
「…………はっ」

 ――膝枕……だと……?
 角沢さんの小さな体、全身を預けると潰してしまいそうな彼女の体。その太ももに俺の頭が乗っている。
 困惑。理解が出来ない。いや、思考が吹き飛ばされる。寝不足と太ももの心地良さに思考回路が溶けてなくなる。

 が、寝るな俺。この状況を俯瞰してよく考えろ。

「ちょ、角沢さん!? 教室っ、みんな見てるから!」

 東も顎が外れるほど口を開けている。男子生徒が恨めしそうにこちらを睨み、女子生徒は何やら色めきだっている。
 この子は天然なのか。それともこれは……

「大丈夫、みんな邪魔しないから。おやすみ」

 純心天使、か…………



 目を覚ますと、おっさんの顔があった。

「ドゥワッ!? センセェ!?」
「やっと起きたか。夜更かしはいかんぞ佐藤。さ、授業始めるぞー」

 くすくすと笑い声が聞こえ、普通に授業が始まる。
 夢オチ、というやつだろうか。ふざけるな。

「なぁ、東」
「どうした佐藤」
「俺は……どうなったんだ?」
「……横を見てみな」
「横……? ハッ――」

 言われるがまま視線を逸らすと、顔を真っ赤にした角沢さんがちょこんと座っていた。

「お前が寝た後、女子がこっそり耳打ちしてな。次の瞬間ボカンよ。多分膝枕という価値の高さを教えられたんだろう……お前は約3分間、角沢さんの太ももを眠りの中で堪能した。俺が退かして、残りの10分はその机だ」
「そ、そうか……3分とはいえ、夢じゃなかったわけだな」
「ああ、全く羨ましい奴だぜ……」

 そんなことをコソコソ話していると、おっさん先生が教科書を開くように言いながら黒板に書き込み始める。

「っと、寝坊助に加えて授業中の私語まで言われたら格好がつかないなぁ。早く教科書出せよ」
「あぁ。ありがとな東」
「あとで膝枕の感想聞かせてくれよ」

 東に急かされさっさと授業の準備をしていると、隣からツンツンと腕をつつかれる。

「……さ、佐藤くん。わたし教科書忘れちゃって……」
「お、おお……じゃあ俺の見せるよ」
「机くっ付けるね」

 ラブコメの波動に屈するな。これくらい日常的だろう。

「あだっ!?」

 机をくっ付け、角沢さんが座ると角沢さんの角が頭に直撃する。
 脳が揺れた。これは痛い。タンスのかどに小指をぶつけるやつの頭バージョンだ。

「あ、ごめんね……! 角当たっちゃった……」
「だ、ダイジョブ」

 あれだけ大きな角、肩を並べても頭が俺の肩に来るほど小さな体でよく支えているものだ。
 それから俺は角の存在感が気になりすぎて授業の8割は頭に入ってこなかった。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「角沢さん、ずっと聞きたいことがあったんだけど」

 角沢さんが転校してきてからしばらく。クラスにも馴染み、俺も初めの悪印象が払拭されて(その代わりクラスメイトからは膝枕大好きマンと認識されてしまったが)なかなか仲良くやっている。
 そんな中で俺は遂にふっかける。ずっと聞きたかったことを。
 角沢さんはビクリと体を震わせ、じっと俺の言葉を待っていた。

「その、こんなこと初めに聞くべきだったんだけど……角沢さんの名前って、ツノコちゃんなのかカドコちゃんなのか分からくて! みんな揃って『角沢さん』って呼んでるし! ……あ、もしかしてスミコちゃんか!? 『角沢すみさわ角子すみこ』……うん、語呂がいい!」
「え、えっと……角子かくごです。角沢すみさわ角子かくご……家族からは『かくちゃん』って呼ばれてる」

 右斜め上すぎるだろ。いやしかし、動じないぞ。

「そっか、角子かくごちゃんか。うんうん。予想外だったけどいい名前だ。俺もかくちゃんって呼んでいい?」
「うん……というか、そんなこと……なの?」
「え?」

 俺自身はずっと気がかりだったことがスッキリして満足しているのだが。
 角子ちゃんはおずおずと手を上げて、その頭の角を指さした。

「こっちのことかと……」
「あ~。うん、確かに気になる。なんでそんなかっこいいの生えてるんだろうとは思ってたよ」
「か、かっこ……いや、じゃあ、どうして?」
「いやいやかくちゃん、よく考えてみてくれ。女の子に『それ生えてるの?』って聞けるほどの度胸が俺にあると思うか? センシティブだろ……女子に体のこと聞くのは……」
「あ、そ、そういう感じなんだ」

 ささっと角を隠すように手を広げた角子ちゃんは、少し、ホッとしたような顔をしていた。

「気にしてるのか? 角のこと」
「うん……生まれつきなんだけど、普通は生えてこないでしょ? だから、これが原因でいじめられて……それで転校してきたの」
「へぇ、とんだクソ野郎が居たもんだな。角の良さが分かっとらん。ぶちころがすか」
「ぶちこ……!? い、いや! もう大丈夫だから!」
「そうか? ならいいけど」

 慌てて俺を制した角子ちゃんは胸を撫で下ろす。

「でも、ありがとう」
「なんにもしてないけど」
「ううん。いっぱい貰っちゃった」
「まだ転校して一ヶ月も経ってないのに。溢れちゃうぞ」
「ふふっ、楽しみにしてるね」
「物好きめ。それなら、埋もれるほど楽しい思い出作ってやるからなぁ!」

「……うん!」

 溶けきったような、ゆるい笑顔だった。
 もう俺の高校生活はつまらなくない。

 隣の席の角子ちゃんは今日も明日も、この先ずっと、笑って俺の隣に居るのだから。


◆ ◇ ◇ ◇ ◆


 真っ白でつやつやのご飯に、たっぷりのタレをつけた角煮を乗せる。
 箸でちょんとつつけばふるりと揺れ、ほぐして、そのまま豪快にかっこむ。

「美味しい……!」
「かくちゃんホントに角煮好きなんだな」
「うちの角煮定食美味いやろぉ? じゃんじゃん食べてな!」
「うん!」

 学校近くの飯所。東の実家でもある定食屋で、俺はいっぱい食べる君に惚れた。
 やっぱり、みんなで笑い合える日常でなきゃ、俺は満足出来ないのだ。
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