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第一章:現実はいつも荒波の中
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事前に決められていた班に分かれると、私たちは植樹をしてから夕食の準備を始めることになった。植樹は一人一本ずつ30cmほどに育った木を植えることになっていた。これを植えるためには土に触れなければいけない。砂の部分なら触れられるかもしれないけれど、土を掘ってその中に植えるだなんて……。
全身に鳥肌が立つのを感じた。
どうしよう……。とりあえず何もしないわけにもいかず、みんなが穴を掘っている横に並ぶと借りた小さなシャベルを手に取った。直接触るわけじゃない。だから大丈夫……。そう自分に言い聞かせると、私はそっとシャベルを土に突き刺した。ざくっという音がやけに大きく聞こえる。
気持ち悪い。
やっぱりできないと言おうか……。そう思い立ち上がろうとしたとき、誰かが私のそばに座った。
「海里……」
海里は私に返事をすることなく、小さな穴を掘り、その中に私が植える予定だった木を入れた。上から土を被せ、手早く小さな木の棒で支柱を作る。こうすると、風が吹いても折れにくいのだそうだ。
「あ……」
ありがとう、そう言いたかったのに……私が言い終わる前に、海里は立ち上がって他の男子のところへと行ってしまった。
「私って、最悪……」
結局、海里にお礼を伝えることができないまま、私は集合の笛の音がなるまでその場から動けずにいた。
ピーッと言う笛の音が聞こえて、私は他のみんなと同じように指導員さんの元へと向かう。私が集合場所に着いたときにはもう海里は並んでいて、でもこちらを見ることは一度もなかった。
その態度になぜかイラついて、私も海里から視線をそらした。
夕食はキャンプの定番であるカレーを班ごとに作ることになっていた。私と海里は同じ班で、他に別の学校の男の子と女の子が一人ずついた。
男子たちが薪を割り、女子が野菜を切る。初めて会ったメンバーだったけれど、まあそこはなんとかノルマをこなしていく。
……ときどき、海里が心配そうに私を見ていることに気付いていたけれど、そんな視線を無視して私は野菜を切り続けた。
「おーい、これも洗ってくれー」
「っ……」
ニコニコと笑いながら同じ班の男子が持ってきたのは、泥まみれになったスイカだった。
「何これー!?」
「川で冷やしてたのを持って帰ってきてたんだけど、途中で沼みたいなところに落としちゃってさー」
悪びれなく笑う男子に、同じ班の女子が「最悪だよね」と言って私に笑いかける。でも、私は目の前の泥まみれになったスイカに、悪寒が走るのを感じた。
あれは、まるであのときの私みたい――。
「貸して」
「お、おう?」
「女子が持つには重いだろ。俺が洗うよ。ってか、川で冷やしてたならもう一回戻って洗ってから帰って来いよ」
「いやー戻るより、こっちに帰ってくる方が早いかなと思ってさ」
男子からスイカを受け取ると、海里が水道水で綺麗にしていく。そこにはもう泥まみれになったスイカはなかった。
「……大丈夫か?」
「だい、じょうぶ……」
まだ少し震えている私に、海里は小さな声で尋ねた。必死に頷くけれど、そんな私に海里は「向こうで休んでろ」と言って他の子たちと仲良さそうに話し始めた。
私は少し離れたところにあるベンチに座るとその様子をボーっと見つめる。やっぱり私なんて来る必要なかったんじゃないだろうか。いくらおばさんから頼まれたって言っても、海里が本気で頼めばきっとおばさんだって渋々ではあるけれど了承しただろう。――たとえ子どもの頃、身体が弱くて入退院を繰り返していたとしても、今の海里は健康そのものだ。……でも、やっぱり少し不安なんだろう。だって、私の記憶の中の海里は、細くて小さくて、熱が出ただけで入院してしまう、そんな男の子だった。こんなに細くて壊れてしまわないのかと、何度も思った。私でさえそう思うんだから、お母さんである海里のおばさんからしたらずっとずっと不安なままだと、そう思う。
「やっぱり、謝らなきゃ」
海里のおばさんがどれだけ心配していたかも、そんなおばさんを鬱陶しく思いながらもどれだけ海里がおばさんのことを大事にしているかも知っているのに、あんな言い方しちゃって……。
いっそ、身体が弱くて死んじゃいそうだったのが私だったらよかったんだ。そうしたら、海里のおばさんも海里もお互いにお互いを心配し合わなくてすんだし、なによりあんなふうにお父さんが事故で死んじゃうこともなかったかもしれないのに……。
「す……れ。菫!」
「え……?」
「カレー、できたぞ」
いつの間にか眠っていたらしい。気が付くと、私の目の前には困ったような表情をした海里が立っていた。
その後ろには班の人たちの姿が見える。どれぐらいの時間が経ったのだろうか……。そういえば、さっきまでは暑いぐらいだったのに気付けば肌寒い。
「具合、悪かったってことにしてるから。班のメンバーにお礼言っといて」
「わかった。ありがとう」
「……おう」
ぶっきらぼうにそう言うと、海里は私の前を歩く。
ああ、ごめんねって言いそびれてしまった。
「海里!」
「ん?」
「ごめん」
「……いいよ、もう」
慌てて背中に向かって伝えた私の方を振り返ることなく、海里は手をひらひらとすると班のメンバーのところへと歩いていく。その後ろを追いかけるようにして私もみんなのもとへと向かった。
みんなの作ってくれたカレーはとても美味しかった。ただ、やっぱりあのスイカを食べることはできなくて「苦手なんだ」と誤魔化した私の分まで海里が綺麗に食べてくれたので助かった。
「ねえ、ここのキャンプ場の言い伝え知ってる?」
同じ班の女の子――美紗ちゃんが話しかけてきたのは、キャンプファイヤーが始まる寸前だった。私より一つ年上の美紗ちゃんは、明るくてよく笑う女の子だった。
「言い伝え?」
「そう。森の中で蛍に出会ったら、その蛍が大切な人のもとに導いてくれるんだって」
「ウソくせー」
「何よ、遊馬!」
先ほど泥だらけのスイカを持って帰ってきた遊馬君は美紗ちゃんと同じ学校の男子らしい。二人で申し合わせて参加したのかと思ったけれど、実はそうではないらしい。偶然、同じ学校の男子と同じキャンプに申し込むなんて、逆に凄い。
「実際に、それで出会って結婚したカップルもいるらしいんだから」
熱弁する美紗ちゃんを遊馬君が呆れたように笑う。もしかしたら……。
「それで、美紗ちゃんはここに来たの?」
遊馬君に聞こえないぐらい小さな声で尋ねた私に、美紗ちゃんは照れくさそうに笑う。そっか、偶然じゃなくて、美紗ちゃんが遊馬君を追いかけてきたんだ。見ていると、遊馬君もまんざらではなさそうだし、上手くいくといいのになぁ。
「菫ちゃんも、そうじゃないの?」
「私は、別に……。どっちかっていうと海里のお世話係っていうか」
「誰が誰のお世話係だよ」
「私が、海里の」
「逆だろ、逆」
口喧嘩をする私たちを、美紗ちゃんは笑いながら見ている。けれど、本当に海里とはそういうのじゃない。小学生の頃もよく言われていたけれど、お互いにそういうふうに思っていないのに言われるのは迷惑というか……。
「じゃあ、さ」
「え?」
黙り込んでしまった私に、美紗ちゃんがもう一度尋ねた。
「海里君じゃなくてもいいんだけど、菫ちゃんが蛍に巡り合わせてほしい人がいるとしたら誰?」
「蛍に、巡り合わせてほしい人……?」
「そう。時空を超えて、世界さえも超えて、巡り合いたい大切な人」
それは、生きていない人でもいいのだろうか。
私のせいで、ううん。私が、殺してしまった人でもいいのだろうか。
「――そんな人、いないよ」
喉元から出かかった答えを飲み込むと、私は曖昧に笑った。
だって、私がそんなこと望んでいいわけがないから。
美紗ちゃんは不服そうだったけれど、キャンプファイヤーが始まると、そちらに視線がくぎ付けになっていた。こちらへの興味がそれたことにホッとして、私もボーっとキャンプファイヤーを見つめる。
もしも蛍が大切な人に出会わせてくれるというのなら、私じゃなくてお母さんと椿に、出会わせてあげてほしいい。
それができないのなら、いつまでも二人を傷付けるだけの存在でしかない私を、違う世界に連れて行って――。
そんなことを思いながら、舞い上がる炎を見つめ続けていた。
全身に鳥肌が立つのを感じた。
どうしよう……。とりあえず何もしないわけにもいかず、みんなが穴を掘っている横に並ぶと借りた小さなシャベルを手に取った。直接触るわけじゃない。だから大丈夫……。そう自分に言い聞かせると、私はそっとシャベルを土に突き刺した。ざくっという音がやけに大きく聞こえる。
気持ち悪い。
やっぱりできないと言おうか……。そう思い立ち上がろうとしたとき、誰かが私のそばに座った。
「海里……」
海里は私に返事をすることなく、小さな穴を掘り、その中に私が植える予定だった木を入れた。上から土を被せ、手早く小さな木の棒で支柱を作る。こうすると、風が吹いても折れにくいのだそうだ。
「あ……」
ありがとう、そう言いたかったのに……私が言い終わる前に、海里は立ち上がって他の男子のところへと行ってしまった。
「私って、最悪……」
結局、海里にお礼を伝えることができないまま、私は集合の笛の音がなるまでその場から動けずにいた。
ピーッと言う笛の音が聞こえて、私は他のみんなと同じように指導員さんの元へと向かう。私が集合場所に着いたときにはもう海里は並んでいて、でもこちらを見ることは一度もなかった。
その態度になぜかイラついて、私も海里から視線をそらした。
夕食はキャンプの定番であるカレーを班ごとに作ることになっていた。私と海里は同じ班で、他に別の学校の男の子と女の子が一人ずついた。
男子たちが薪を割り、女子が野菜を切る。初めて会ったメンバーだったけれど、まあそこはなんとかノルマをこなしていく。
……ときどき、海里が心配そうに私を見ていることに気付いていたけれど、そんな視線を無視して私は野菜を切り続けた。
「おーい、これも洗ってくれー」
「っ……」
ニコニコと笑いながら同じ班の男子が持ってきたのは、泥まみれになったスイカだった。
「何これー!?」
「川で冷やしてたのを持って帰ってきてたんだけど、途中で沼みたいなところに落としちゃってさー」
悪びれなく笑う男子に、同じ班の女子が「最悪だよね」と言って私に笑いかける。でも、私は目の前の泥まみれになったスイカに、悪寒が走るのを感じた。
あれは、まるであのときの私みたい――。
「貸して」
「お、おう?」
「女子が持つには重いだろ。俺が洗うよ。ってか、川で冷やしてたならもう一回戻って洗ってから帰って来いよ」
「いやー戻るより、こっちに帰ってくる方が早いかなと思ってさ」
男子からスイカを受け取ると、海里が水道水で綺麗にしていく。そこにはもう泥まみれになったスイカはなかった。
「……大丈夫か?」
「だい、じょうぶ……」
まだ少し震えている私に、海里は小さな声で尋ねた。必死に頷くけれど、そんな私に海里は「向こうで休んでろ」と言って他の子たちと仲良さそうに話し始めた。
私は少し離れたところにあるベンチに座るとその様子をボーっと見つめる。やっぱり私なんて来る必要なかったんじゃないだろうか。いくらおばさんから頼まれたって言っても、海里が本気で頼めばきっとおばさんだって渋々ではあるけれど了承しただろう。――たとえ子どもの頃、身体が弱くて入退院を繰り返していたとしても、今の海里は健康そのものだ。……でも、やっぱり少し不安なんだろう。だって、私の記憶の中の海里は、細くて小さくて、熱が出ただけで入院してしまう、そんな男の子だった。こんなに細くて壊れてしまわないのかと、何度も思った。私でさえそう思うんだから、お母さんである海里のおばさんからしたらずっとずっと不安なままだと、そう思う。
「やっぱり、謝らなきゃ」
海里のおばさんがどれだけ心配していたかも、そんなおばさんを鬱陶しく思いながらもどれだけ海里がおばさんのことを大事にしているかも知っているのに、あんな言い方しちゃって……。
いっそ、身体が弱くて死んじゃいそうだったのが私だったらよかったんだ。そうしたら、海里のおばさんも海里もお互いにお互いを心配し合わなくてすんだし、なによりあんなふうにお父さんが事故で死んじゃうこともなかったかもしれないのに……。
「す……れ。菫!」
「え……?」
「カレー、できたぞ」
いつの間にか眠っていたらしい。気が付くと、私の目の前には困ったような表情をした海里が立っていた。
その後ろには班の人たちの姿が見える。どれぐらいの時間が経ったのだろうか……。そういえば、さっきまでは暑いぐらいだったのに気付けば肌寒い。
「具合、悪かったってことにしてるから。班のメンバーにお礼言っといて」
「わかった。ありがとう」
「……おう」
ぶっきらぼうにそう言うと、海里は私の前を歩く。
ああ、ごめんねって言いそびれてしまった。
「海里!」
「ん?」
「ごめん」
「……いいよ、もう」
慌てて背中に向かって伝えた私の方を振り返ることなく、海里は手をひらひらとすると班のメンバーのところへと歩いていく。その後ろを追いかけるようにして私もみんなのもとへと向かった。
みんなの作ってくれたカレーはとても美味しかった。ただ、やっぱりあのスイカを食べることはできなくて「苦手なんだ」と誤魔化した私の分まで海里が綺麗に食べてくれたので助かった。
「ねえ、ここのキャンプ場の言い伝え知ってる?」
同じ班の女の子――美紗ちゃんが話しかけてきたのは、キャンプファイヤーが始まる寸前だった。私より一つ年上の美紗ちゃんは、明るくてよく笑う女の子だった。
「言い伝え?」
「そう。森の中で蛍に出会ったら、その蛍が大切な人のもとに導いてくれるんだって」
「ウソくせー」
「何よ、遊馬!」
先ほど泥だらけのスイカを持って帰ってきた遊馬君は美紗ちゃんと同じ学校の男子らしい。二人で申し合わせて参加したのかと思ったけれど、実はそうではないらしい。偶然、同じ学校の男子と同じキャンプに申し込むなんて、逆に凄い。
「実際に、それで出会って結婚したカップルもいるらしいんだから」
熱弁する美紗ちゃんを遊馬君が呆れたように笑う。もしかしたら……。
「それで、美紗ちゃんはここに来たの?」
遊馬君に聞こえないぐらい小さな声で尋ねた私に、美紗ちゃんは照れくさそうに笑う。そっか、偶然じゃなくて、美紗ちゃんが遊馬君を追いかけてきたんだ。見ていると、遊馬君もまんざらではなさそうだし、上手くいくといいのになぁ。
「菫ちゃんも、そうじゃないの?」
「私は、別に……。どっちかっていうと海里のお世話係っていうか」
「誰が誰のお世話係だよ」
「私が、海里の」
「逆だろ、逆」
口喧嘩をする私たちを、美紗ちゃんは笑いながら見ている。けれど、本当に海里とはそういうのじゃない。小学生の頃もよく言われていたけれど、お互いにそういうふうに思っていないのに言われるのは迷惑というか……。
「じゃあ、さ」
「え?」
黙り込んでしまった私に、美紗ちゃんがもう一度尋ねた。
「海里君じゃなくてもいいんだけど、菫ちゃんが蛍に巡り合わせてほしい人がいるとしたら誰?」
「蛍に、巡り合わせてほしい人……?」
「そう。時空を超えて、世界さえも超えて、巡り合いたい大切な人」
それは、生きていない人でもいいのだろうか。
私のせいで、ううん。私が、殺してしまった人でもいいのだろうか。
「――そんな人、いないよ」
喉元から出かかった答えを飲み込むと、私は曖昧に笑った。
だって、私がそんなこと望んでいいわけがないから。
美紗ちゃんは不服そうだったけれど、キャンプファイヤーが始まると、そちらに視線がくぎ付けになっていた。こちらへの興味がそれたことにホッとして、私もボーっとキャンプファイヤーを見つめる。
もしも蛍が大切な人に出会わせてくれるというのなら、私じゃなくてお母さんと椿に、出会わせてあげてほしいい。
それができないのなら、いつまでも二人を傷付けるだけの存在でしかない私を、違う世界に連れて行って――。
そんなことを思いながら、舞い上がる炎を見つめ続けていた。
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