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第四章 この感情を人は何と呼ぶのだろう
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翌日、補習が終わるとすぐに俺は病院へと向かった。鞄の中には昨日の夕方、帰り道にあるコンビニでプリントしたクラスメイトの写真が入っていた。クラス全員となると40枚近くになった。途中でプリント用の写真紙がなくなって、店員が凄く迷惑そうな表情で俺を見ながら補充してくれた。
早足で急いだおかげで、病院に着いたのは13時になる5分前だった。
今、行ってしまうとまだ病室にいる杏珠とはち合わせするかもしれない。それは避けたかった。
昨日の帰り際「明日は検査があるからもし来てくれるなら14時ぐらいがいいな」と言われていたことを思い出す。松永さんは1時間と言っていたが、杏珠が14時と指定したことから考えても、10分ぐらい前には貼り終えたいところだ。
こういうときの時計の針は何故かゆっくりと進む。一階のエレベーター前で人気のなくなった待合の皿に向こうにある受付にかかった時計を睨みつけるようにしながら、ようやく13時になったのを確認してからエレベーターに乗り込んだ。ちなみに2分ほど前からエレベーターを一階に止めていたのだが、そこは許してもらおう。
エレベーターのランプが杏珠の病棟の階数で止まると、ドアが開いた。松永さんから聞いていた時間は過ぎていたが、それでも念には念を入れて辺りを確認する。杏珠とはち合わせしてはたまらない。幸い、廊下には誰の姿もないようだ。ほうっと息を吐くと、俺はナースステーションへと向かった。
中には三人ほどの看護師がいて忙しそうにファイルを開いたり、ナースコールの対応をしたりしていた。
「あの」
「…………」
「すみません」
「あ、はい。どうしました? 面会ですか?」
ようやく聞こえたのか、慌てて一人の看護師が俺の元へと駆けつけた。他の二人は一瞬、俺に視線を向けるとまた仕事へと戻っていく。
胸元につけたバッチに『坂口』と書かれたその人は、俺の姿をマジマジと見た後「ああ!」と声を上げた、
「あなた蒼志君ね、松永さんさんの言ってた」
「えっと、はい。朝比奈蒼志です。あの朝比奈さんから一応ここに顔を出すようにと言われたので来ました」
「うん、話聞いてるよ。杏珠ちゃん、今もう検査に行っていないから病室に行ってもらって大丈夫だよ」
「ありがとうございます」
坂口に背を向けると、俺は足早に杏珠の病室へと向かう。その後ろを何故か坂口が着いて来た。
「……なんですか?」
「あ、私も手伝おうと思って」
「結構です」
「そんなこと言わないで。二人でやったほうが早いでしょ」
いつの間にか隣に並び笑顔を浮かべる坂口に苛立ち、俺は足を止めた。坂口は数歩進んだあと、俺が立ち止まったことに気づき「どうしたの?」と振り返った。
「早くしないと杏珠ちゃんが――」
「手伝ってほしいなんて言ってないです。どうぞ坂口さんはご自分のお仕事に戻ってください」
「えー、どうしたの? ふふ、照れてるの? 可愛いよね、彼女が寂しくないために病室にクラスメイトの写真を貼るなんて。私ね、そういうピュアなの大好き。ほら、最近よくあるでしょ。難病ものの泣ける小説。職業柄、それはないないってなることもあるしお涙頂戴だってのはわかってるんだけど、それでも泣いちゃうんだよねー」
何が楽しいのかうっとりした表情を浮かべる坂口さん――坂口に、俺は今まで感じたことのないほどの怒りを覚えた。
杏珠以外の人間に対してこんなふうに感情が湧いてくるのは、寝室病に罹ってから初めてだった。いや、そもそも杏珠に対して怒りを覚えたことなんてない。そう思うと心失病になってから初めてだった。
「ねえねえ。二人はどんな風に出会ったの? 色々聞かせて――」
「うるさい」
「え……?」
「さっきからうるさい。写真は俺が一人でやりたいんだ。あんたはさっさと仕事に戻ったら?」
一瞬、俺の言葉が理解できなかったのかぽかんと口を開け呆けたまま立ち止まっていた坂口だったが、次第にその頬を紅潮させていく。
杏珠が頬を高揚させている様はあんなにも可愛かったのに、目の前の女のそれは杏珠とは対局の位置にあった。どう見ても怒りを孕んでいる。なのにそれを隠すように微笑むと、坂口は俺に向かって一歩、二歩と近寄った。
数歩先にいたはずの坂口の顔は、今では俺と鼻を突き合わせるほどの距離にあった。
「高校生だからってその口調はどうなのかなー? 私じゃなかったら怒られてたよ? 杏珠ちゃんと同い年ってことはもう高校二年生でしょ? そんなんじゃ、碌なオトナにならないよ?」
わざとらしい笑みを浮かべる坂口だったがその目は笑っていなかった。目は口ほどにものを言うとは上手いこと言ったものだ。俺も口角を上げる。きっとその目は坂口と同じように笑ってはいないだろうなと、見えない自分の表情を想像して笑ってしまう。
「何を笑って……」
「いや、俺だって尊敬できる人にはちゃんと敬語を使うよ」
「は?」
「あんたみたいに他人のことにズケズケと入ってきて、押しつけがましく自分に酔ったみたいに言う奴が嫌いなだけだよ。難病ものが好き? ここでよくそんなことが言えるな。この病棟にはあんたのいうお涙頂戴の難病ものと同じ病気で苦しんでいる人もいるんじゃないのか? その人達にも言えるのか?『私お涙頂戴ものの難病のお話って大好きなの』って」
「なっ……」
坂口が表情を歪めたのがわかったが、俺はそれ以上何も言わず坂口の隣を無言のまま通り過ぎた。
無駄な時間を過ごしてしまった。スマートフォンを確認すると、13時20分だった。あと30分ほどで終わらせなければいけない。
本当は坂口の言葉なんて無視しておけばいいとわかっていた。それよりも杏珠の病室に写真を飾る方が優先すべきことだとわかっていた。けれど、どうしても我慢ならなかった。言わずにはいられなかった。
「くそっ」
病院内で怒られない程度に歩くスピードを速めると、俺は杏珠の病室へと急いだ。
いつもと同じようにノックをして、誰の気配もないことを確認するとドアを開けた。
「失礼します……」
杏珠がいない間に、杏珠の部屋に入る。杏珠がいるときは気にならなかったけれど、誰もいない病室は妙に静かで耳の奥でキンと音が聞こえるようだった。
この部屋に杏珠は一人でいるのだ。音もない、人の気配もない病室で、俺が来るまで一人で……。
「よし、やるか」
床に鞄を置くと、その中から昨日プリントした写真を取り出した。
これを壁に貼っていこう。そう思い視線を動かした俺は、ベッドのそばに置かれた紙袋の中に杏珠の着替えが入っているのを見つけた。急いで視線を逸らすけれど、動揺したせいか手に持った写真を床に落としてしまう。慌ててしゃがむと拾いながら、ふいに気付いてしまう。
今、俺は杏珠の部屋に勝手に入っているのと同じなのだと。正しくは病室であって杏珠の部屋ではないのだけれど、それでも罪悪感に襲われる。本当にこんなことをして杏珠は怒らないのかと不安になる。やめた方がいいのでは――。
「……いや、いいや」
怒られたら謝ればいい。外せと言われたら言われてたから外せばいい。今、俺が杏珠にできることはこれしかないんだ。
俺はいつも自分が座っている椅子を移動させると、杏珠のベッドから見える位置に次々と写真を貼り始めた。殺風景だった病室が、少しずつ賑やかになっていく。音なんて聞こえないはずなのに、どうしてか教室の喧噪が聞こえてくるようだった。
クラスメイトの写真を全て貼り終え、残すは最後の一枚、俺の写真だけになった。担任に渡された、修学旅行中に杏珠が撮った写真。いったいいつ撮られたのか全く記憶になかったけれど、そこには確かに俺が写っていた。
「……俺、こんな顔してたんだ」
そこには真顔で何かを見つめる俺の姿があった。感情のない、表情もない姿。けれど、どうしてだろう。その顔がほんの少しだけ楽しそうに見えたのは。
結局、全ての作業が終わったのは予定よりも5分遅れた13時55分だった。坂口との一件がなければもっと早く終わったのにと思うと口惜しい限りだ。これで予定よりも早く杏珠が帰ってきていたら、坂口のことを一生恨んだかも知れない。まあ、俺の一生なんてあと十日もないのだから、恨まれたところで大したことはないのかもしれないが。
終わった、と椅子に座ったタイミングで病室のドアが開いた。
「疲れたー。って、え? 蒼志君?」
「お疲れさまー」
「あれ? もう来てたの? え? もうそんな時間? ごめん、待たせちゃっ、た……ね……って、え……」
慌てたように言う杏珠の声が、だんだんと戸惑いを含んだものに変わっていく。そしてやがて口を押さえ、完全に声を失った。杏珠の後ろについていた松永さんが俺を見て優しく微笑むと、そっと病室のドアを閉めた。
二人きりになった病室で、杏珠の頬を涙が流れ落ちる。
「な……ん、で……」
「ビックリした?」
「あ……た、りま……え……だ、よ」
杏珠はしゃがみ込むと両手で顔を覆った。その指の隙間から一筋また一筋と涙があふれ出していく。
杏珠が落ち着くまで、俺はジッと見守り続けた。
ようやく落ち着いたのか、暫くして杏珠は顔を上げた。その目はまだ赤かったけれど口元は綻んでいるように見えた。
「これ、どうしたの?」
「俺が撮った」
「嘘でしょ?」
「ホントだよ。なんで嘘なんて吐くんだよ」
「だって、蒼志君が……? ホントに……?」
クラスメイト達の写真を見ながら、杏珠は何度も何度も俺の顔と見比べ、そのたびに「嘘だぁ」と呟く。せっかく撮ってきたのにそんな態度を取られることは面白くなかったけれど、それでも杏珠が笑顔で写真を見る姿を見ていると、そんな些細なことはどうでもよくなってくる。
「あれ、これって……」
病室に貼った写真を見て回っていた杏珠が、一枚の写真の前で足を止めた。それは俺が写っている写真だった。
「私が撮った写真、だよね?」
「……俺の写真を俺が撮るわけにはいかないだろ。他はそれしかなかったんだよ。他に俺が写ってる写真は、全部杏珠が持ってるだろ」
「確かにね」
涙を拭いながら言うと、杏珠は俺の写真をジッと見つめる。写真を撮ったときのことを思いだしているのだろうか。杏珠の表情が柔らかくなる。
「修学旅行、楽しかったよね」
「……そうだな」
「また行きたいなぁ」
「……ああ」
「……まだ、生きたいなぁ」
ほんの少し変わっただけの言葉に込められた意味の差に、俺は胸が痛む。まだ生きたいと杏珠は思っている。けれど、それと同時にもう自分が長くないこともわかっているようだった。
「杏珠……」
「なんてね。ふふ、ありがとう。すっごく、すっごく嬉しい」
そう言って笑った杏珠の笑顔は、今まで見てきた中で一番輝いて見えた。
その笑顔に、俺は胸の奥が温かくなるのを感じた。鼓動の音がやけにうるさく感じる。まるで全身が心臓になったみたいに、あちこちでドクドクと音を立てている。
「蒼志君?」
「……なんでもない」
杏珠を見ていると嬉しくなる。杏珠を見ていると泣きたくなる。杏珠を見ていると胸の奥が温かくなって、締め付けられるように苦しくて、それで……。
こんな想いを、人は何と呼ぶのだろう。それは、俺にとって生まれて初めて知る、そして知るはずのない、感情だった。
早足で急いだおかげで、病院に着いたのは13時になる5分前だった。
今、行ってしまうとまだ病室にいる杏珠とはち合わせするかもしれない。それは避けたかった。
昨日の帰り際「明日は検査があるからもし来てくれるなら14時ぐらいがいいな」と言われていたことを思い出す。松永さんは1時間と言っていたが、杏珠が14時と指定したことから考えても、10分ぐらい前には貼り終えたいところだ。
こういうときの時計の針は何故かゆっくりと進む。一階のエレベーター前で人気のなくなった待合の皿に向こうにある受付にかかった時計を睨みつけるようにしながら、ようやく13時になったのを確認してからエレベーターに乗り込んだ。ちなみに2分ほど前からエレベーターを一階に止めていたのだが、そこは許してもらおう。
エレベーターのランプが杏珠の病棟の階数で止まると、ドアが開いた。松永さんから聞いていた時間は過ぎていたが、それでも念には念を入れて辺りを確認する。杏珠とはち合わせしてはたまらない。幸い、廊下には誰の姿もないようだ。ほうっと息を吐くと、俺はナースステーションへと向かった。
中には三人ほどの看護師がいて忙しそうにファイルを開いたり、ナースコールの対応をしたりしていた。
「あの」
「…………」
「すみません」
「あ、はい。どうしました? 面会ですか?」
ようやく聞こえたのか、慌てて一人の看護師が俺の元へと駆けつけた。他の二人は一瞬、俺に視線を向けるとまた仕事へと戻っていく。
胸元につけたバッチに『坂口』と書かれたその人は、俺の姿をマジマジと見た後「ああ!」と声を上げた、
「あなた蒼志君ね、松永さんさんの言ってた」
「えっと、はい。朝比奈蒼志です。あの朝比奈さんから一応ここに顔を出すようにと言われたので来ました」
「うん、話聞いてるよ。杏珠ちゃん、今もう検査に行っていないから病室に行ってもらって大丈夫だよ」
「ありがとうございます」
坂口に背を向けると、俺は足早に杏珠の病室へと向かう。その後ろを何故か坂口が着いて来た。
「……なんですか?」
「あ、私も手伝おうと思って」
「結構です」
「そんなこと言わないで。二人でやったほうが早いでしょ」
いつの間にか隣に並び笑顔を浮かべる坂口に苛立ち、俺は足を止めた。坂口は数歩進んだあと、俺が立ち止まったことに気づき「どうしたの?」と振り返った。
「早くしないと杏珠ちゃんが――」
「手伝ってほしいなんて言ってないです。どうぞ坂口さんはご自分のお仕事に戻ってください」
「えー、どうしたの? ふふ、照れてるの? 可愛いよね、彼女が寂しくないために病室にクラスメイトの写真を貼るなんて。私ね、そういうピュアなの大好き。ほら、最近よくあるでしょ。難病ものの泣ける小説。職業柄、それはないないってなることもあるしお涙頂戴だってのはわかってるんだけど、それでも泣いちゃうんだよねー」
何が楽しいのかうっとりした表情を浮かべる坂口さん――坂口に、俺は今まで感じたことのないほどの怒りを覚えた。
杏珠以外の人間に対してこんなふうに感情が湧いてくるのは、寝室病に罹ってから初めてだった。いや、そもそも杏珠に対して怒りを覚えたことなんてない。そう思うと心失病になってから初めてだった。
「ねえねえ。二人はどんな風に出会ったの? 色々聞かせて――」
「うるさい」
「え……?」
「さっきからうるさい。写真は俺が一人でやりたいんだ。あんたはさっさと仕事に戻ったら?」
一瞬、俺の言葉が理解できなかったのかぽかんと口を開け呆けたまま立ち止まっていた坂口だったが、次第にその頬を紅潮させていく。
杏珠が頬を高揚させている様はあんなにも可愛かったのに、目の前の女のそれは杏珠とは対局の位置にあった。どう見ても怒りを孕んでいる。なのにそれを隠すように微笑むと、坂口は俺に向かって一歩、二歩と近寄った。
数歩先にいたはずの坂口の顔は、今では俺と鼻を突き合わせるほどの距離にあった。
「高校生だからってその口調はどうなのかなー? 私じゃなかったら怒られてたよ? 杏珠ちゃんと同い年ってことはもう高校二年生でしょ? そんなんじゃ、碌なオトナにならないよ?」
わざとらしい笑みを浮かべる坂口だったがその目は笑っていなかった。目は口ほどにものを言うとは上手いこと言ったものだ。俺も口角を上げる。きっとその目は坂口と同じように笑ってはいないだろうなと、見えない自分の表情を想像して笑ってしまう。
「何を笑って……」
「いや、俺だって尊敬できる人にはちゃんと敬語を使うよ」
「は?」
「あんたみたいに他人のことにズケズケと入ってきて、押しつけがましく自分に酔ったみたいに言う奴が嫌いなだけだよ。難病ものが好き? ここでよくそんなことが言えるな。この病棟にはあんたのいうお涙頂戴の難病ものと同じ病気で苦しんでいる人もいるんじゃないのか? その人達にも言えるのか?『私お涙頂戴ものの難病のお話って大好きなの』って」
「なっ……」
坂口が表情を歪めたのがわかったが、俺はそれ以上何も言わず坂口の隣を無言のまま通り過ぎた。
無駄な時間を過ごしてしまった。スマートフォンを確認すると、13時20分だった。あと30分ほどで終わらせなければいけない。
本当は坂口の言葉なんて無視しておけばいいとわかっていた。それよりも杏珠の病室に写真を飾る方が優先すべきことだとわかっていた。けれど、どうしても我慢ならなかった。言わずにはいられなかった。
「くそっ」
病院内で怒られない程度に歩くスピードを速めると、俺は杏珠の病室へと急いだ。
いつもと同じようにノックをして、誰の気配もないことを確認するとドアを開けた。
「失礼します……」
杏珠がいない間に、杏珠の部屋に入る。杏珠がいるときは気にならなかったけれど、誰もいない病室は妙に静かで耳の奥でキンと音が聞こえるようだった。
この部屋に杏珠は一人でいるのだ。音もない、人の気配もない病室で、俺が来るまで一人で……。
「よし、やるか」
床に鞄を置くと、その中から昨日プリントした写真を取り出した。
これを壁に貼っていこう。そう思い視線を動かした俺は、ベッドのそばに置かれた紙袋の中に杏珠の着替えが入っているのを見つけた。急いで視線を逸らすけれど、動揺したせいか手に持った写真を床に落としてしまう。慌ててしゃがむと拾いながら、ふいに気付いてしまう。
今、俺は杏珠の部屋に勝手に入っているのと同じなのだと。正しくは病室であって杏珠の部屋ではないのだけれど、それでも罪悪感に襲われる。本当にこんなことをして杏珠は怒らないのかと不安になる。やめた方がいいのでは――。
「……いや、いいや」
怒られたら謝ればいい。外せと言われたら言われてたから外せばいい。今、俺が杏珠にできることはこれしかないんだ。
俺はいつも自分が座っている椅子を移動させると、杏珠のベッドから見える位置に次々と写真を貼り始めた。殺風景だった病室が、少しずつ賑やかになっていく。音なんて聞こえないはずなのに、どうしてか教室の喧噪が聞こえてくるようだった。
クラスメイトの写真を全て貼り終え、残すは最後の一枚、俺の写真だけになった。担任に渡された、修学旅行中に杏珠が撮った写真。いったいいつ撮られたのか全く記憶になかったけれど、そこには確かに俺が写っていた。
「……俺、こんな顔してたんだ」
そこには真顔で何かを見つめる俺の姿があった。感情のない、表情もない姿。けれど、どうしてだろう。その顔がほんの少しだけ楽しそうに見えたのは。
結局、全ての作業が終わったのは予定よりも5分遅れた13時55分だった。坂口との一件がなければもっと早く終わったのにと思うと口惜しい限りだ。これで予定よりも早く杏珠が帰ってきていたら、坂口のことを一生恨んだかも知れない。まあ、俺の一生なんてあと十日もないのだから、恨まれたところで大したことはないのかもしれないが。
終わった、と椅子に座ったタイミングで病室のドアが開いた。
「疲れたー。って、え? 蒼志君?」
「お疲れさまー」
「あれ? もう来てたの? え? もうそんな時間? ごめん、待たせちゃっ、た……ね……って、え……」
慌てたように言う杏珠の声が、だんだんと戸惑いを含んだものに変わっていく。そしてやがて口を押さえ、完全に声を失った。杏珠の後ろについていた松永さんが俺を見て優しく微笑むと、そっと病室のドアを閉めた。
二人きりになった病室で、杏珠の頬を涙が流れ落ちる。
「な……ん、で……」
「ビックリした?」
「あ……た、りま……え……だ、よ」
杏珠はしゃがみ込むと両手で顔を覆った。その指の隙間から一筋また一筋と涙があふれ出していく。
杏珠が落ち着くまで、俺はジッと見守り続けた。
ようやく落ち着いたのか、暫くして杏珠は顔を上げた。その目はまだ赤かったけれど口元は綻んでいるように見えた。
「これ、どうしたの?」
「俺が撮った」
「嘘でしょ?」
「ホントだよ。なんで嘘なんて吐くんだよ」
「だって、蒼志君が……? ホントに……?」
クラスメイト達の写真を見ながら、杏珠は何度も何度も俺の顔と見比べ、そのたびに「嘘だぁ」と呟く。せっかく撮ってきたのにそんな態度を取られることは面白くなかったけれど、それでも杏珠が笑顔で写真を見る姿を見ていると、そんな些細なことはどうでもよくなってくる。
「あれ、これって……」
病室に貼った写真を見て回っていた杏珠が、一枚の写真の前で足を止めた。それは俺が写っている写真だった。
「私が撮った写真、だよね?」
「……俺の写真を俺が撮るわけにはいかないだろ。他はそれしかなかったんだよ。他に俺が写ってる写真は、全部杏珠が持ってるだろ」
「確かにね」
涙を拭いながら言うと、杏珠は俺の写真をジッと見つめる。写真を撮ったときのことを思いだしているのだろうか。杏珠の表情が柔らかくなる。
「修学旅行、楽しかったよね」
「……そうだな」
「また行きたいなぁ」
「……ああ」
「……まだ、生きたいなぁ」
ほんの少し変わっただけの言葉に込められた意味の差に、俺は胸が痛む。まだ生きたいと杏珠は思っている。けれど、それと同時にもう自分が長くないこともわかっているようだった。
「杏珠……」
「なんてね。ふふ、ありがとう。すっごく、すっごく嬉しい」
そう言って笑った杏珠の笑顔は、今まで見てきた中で一番輝いて見えた。
その笑顔に、俺は胸の奥が温かくなるのを感じた。鼓動の音がやけにうるさく感じる。まるで全身が心臓になったみたいに、あちこちでドクドクと音を立てている。
「蒼志君?」
「……なんでもない」
杏珠を見ていると嬉しくなる。杏珠を見ていると泣きたくなる。杏珠を見ていると胸の奥が温かくなって、締め付けられるように苦しくて、それで……。
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