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毒りんごを、私に
毒りんごを、私に.1
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時間は正確だ、世界中の何もかもが狂ってしまったとしても、きっとこれだけは、いつだって淀みなく役割を果たす。
そうして時の流れる音に耳を傾けながら、ノートパソコンの青白い画面と顔を突き合わせていると、携帯がけたたましく鳴った。
顔には出さなかったが、音の大きさに驚く。ボリュームの設定を見直す必要がありそうだと、時津胡桃は考えた。
ディスプレイには、担当の二文字。
多分、映画の話だろうと、一呼吸おいてから応答のボタンを押す。
「はい、時津です」
そのように設計したみたいに、勝手にキーが高くなった自分の声がどこか不気味だった。
「あ、もしもし、お疲れ様です。雨宮です、今お時間宜しいですか?」
「あぁ、お疲れ様です。大丈夫ですよ、どうされました?」
こんな時間に、という言葉は飲み込む。
私たちのような人種にとって、昼夜の概念はあまり意味を成さない。別に深夜帯でもないので、問題はないのだ。
「『一口分の毒林檎』の映画に関するお話なんですが――」
ほらきた、と内心で呟く。
『一口分の毒林檎』は、私が少し前に書き上げた作品で、運良くちょっとした賞を受賞した。
そのときの審査員のお眼鏡に適ったことや、ちょっとしたツテのおかげで、これまた運よく映画化まで話をこじつけていた。
ただ、ここで断っておきたいのは、自分は別にこの作品を世の中に広く認めてもらおうと思って仕上げたわけではないということだ。
受賞も、映画化も、全て私の意図しない場所で話が進んだ。
もちろん、こちらも了承したうえでの話だが、まさかこんなふうになるとは思っていなかった。
少しばかりの実力と、大きな運、そして、熱心な担当に恵まれたおかげともいえる。
私が、この『一口分の毒林檎』を手に掛けたのは、ひとえに自分自身の過去と、それを引きずってばかりいる自分の影を体内から排出し、叩きのめしてやろうという思いからだった。
そして、ぼろぼろになった過去を見下ろし、「何だ、大したことはなかったな」と笑い、形ばかりの墓標を立てて、供養してあげたかったのだ。
こんな大事になるなんて、想像もしていなかったというのが、自分の正直な感想だ。
トントン、と電話を片耳に当てたまま腕を組み、指先で自分の肘を打つ。そうして、雨宮の言葉の続きを聞いていた。
「ヒロインのりんご役のオーディションの話、覚えてますか?」
「はい、何となく」
原作者とはいえ、映画のことにまで口を出すつもりは時津にはなかった。
確かに、執筆するうえで、ヒロインのイメージの元にした女性はいるが、だからといって、その人に演じてもらおう、などとは微塵も思っていない。
何度も言うが、この作品は自分の過去の清算に近いものなのだ。
趣味同然の記録が、勝手に評価されて、一人歩きを続けているに過ぎない。
時津のそういう淡白さを知っているためか、雨宮は彼女の反応を受けて、安心したように続けた。
「良かった。今日、応募されている方の名前をチェックしてたんですけど…」
不自然に言葉が途切れる。何かを考えているというより、溜めているという感じだ。
「聞いたら、驚きますよ」
とっておき、というふうな言い回しが回りくどくて面倒だった。
「手短にお願いします。今、執筆中なので」
「あ、それはすいません。そうですね、時間的にも時津先生が集中している時間ですもんね」
それが分かるなら、なぜ今かけてきた、と思わないでもなかったが、彼女には世話になっている。多少は我慢するべきだ。
雨宮は、一つ小さな咳払いをすると、一瞬だけ異様な静けさを生み出した。電話が切れたのかと思って、ディスプレイを確認したとき、雨宮がぼそりと呟いた。
「なんと、花月林檎がオーディションを受けるそうなんですよ」
「え?」
「驚きました?わざわざ連絡があったそうで…」
開いた口が塞がらず、時津は気持ちを落ち着かせるためにベッドのそばと扉の間をウロウロとする。
無言のままの時津を不審がってか、雨宮が怪訝な口調で尋ねてきた。
「あれ、もしかして時津先生、花月林檎をご存じないですか?」
「その先生ってのは、やめてください」
混乱して、ついついどうでもいいことに八つ当たりしてしまう。
雨宮は律儀に謝罪しながら、気まずそうに口をつぐんだ様子だったので、さすがにこれは失礼だったと思い直し、こちらから声を発する。
「…知っています。有名な女優でしょう?」
「はい、そうです。凄いことですよ、あの花月林檎がわざわざ応募してくるなんて…」
「そうですか…?」
素人のような反応続ける時津に、雨宮もわずかにムッとした調子で反応する。
「そうですよ。だって、時津さんは…」
再び、無言。これは嫌な無言だと、鈍感な自分でも肌で感じた。
言いにくそうにしているので、こちらから続きを言ってやろうと、時津が口を開く。
「三流小説家ですからね」
映画の話なんて、奇跡中の奇跡だったのだ。
「あ、いえ、そのぉ、違います。ええっと…」
「いいんです。自分の分は弁えていますから」
「す、すみません」
だから、良いと言っているだろうに。
苛々した気持ちのまま、カチカチなる時計の針を目で追う。だが、頭は今時間のことなんて忘れていた。
胸の辺りが、じゅくじゅくと傷んだように疼いた。
多分、かさぶたが剥げたのだ。
いつまで経っても癒えない、未練と言う名の古傷だ。
沈黙の長さに、居心地の悪さを覚えたのだろう、雨宮が取り繕うような調子で言った。
「それにしても、どうしてなんでしょうね。花月林檎がわざわざ連絡を寄越してくるなんて」
こんな三流小説家の作品にね、と自分の中だけで補足しながら、時津は相手に見えるはずもないのに肩を竦め、首を振った。
「性格が悪いんでしょ」
「え?」
「何でもない」
時津は、詳しい話はまた明日聞くと言い残して、電話を切った。訝しんでいる様子の雨宮だったが、有無を言わさぬ時津の雰囲気に、大人しく引き下がったようだ。
大きなため息と共に、チェアに腰を下ろす。冷や汗が浮かんだ額に手を当ててから、祈るように両手をすり合わせる。
「何のつもりなの…花月」
――…私のことを、覚えていないのか。
いや、どうだろう。
分からない…。
花月とは、七年ほど前に、あの肌寒い夕暮れが忍び込んでいた学校の片隅で話して以降、まともに言葉を交わさずに別れたままだった。
時間という無慈悲で、平等な荒波が、記憶と一緒に飲み込んでくれると思っていた。しかし、それも全て甘い考え方だった。
「…消えないなぁ」
ため息と同居していた言葉は、吐き出されるや否や、宙に霧散し、呆気なく静けさに溶けて消えた。
そうして時の流れる音に耳を傾けながら、ノートパソコンの青白い画面と顔を突き合わせていると、携帯がけたたましく鳴った。
顔には出さなかったが、音の大きさに驚く。ボリュームの設定を見直す必要がありそうだと、時津胡桃は考えた。
ディスプレイには、担当の二文字。
多分、映画の話だろうと、一呼吸おいてから応答のボタンを押す。
「はい、時津です」
そのように設計したみたいに、勝手にキーが高くなった自分の声がどこか不気味だった。
「あ、もしもし、お疲れ様です。雨宮です、今お時間宜しいですか?」
「あぁ、お疲れ様です。大丈夫ですよ、どうされました?」
こんな時間に、という言葉は飲み込む。
私たちのような人種にとって、昼夜の概念はあまり意味を成さない。別に深夜帯でもないので、問題はないのだ。
「『一口分の毒林檎』の映画に関するお話なんですが――」
ほらきた、と内心で呟く。
『一口分の毒林檎』は、私が少し前に書き上げた作品で、運良くちょっとした賞を受賞した。
そのときの審査員のお眼鏡に適ったことや、ちょっとしたツテのおかげで、これまた運よく映画化まで話をこじつけていた。
ただ、ここで断っておきたいのは、自分は別にこの作品を世の中に広く認めてもらおうと思って仕上げたわけではないということだ。
受賞も、映画化も、全て私の意図しない場所で話が進んだ。
もちろん、こちらも了承したうえでの話だが、まさかこんなふうになるとは思っていなかった。
少しばかりの実力と、大きな運、そして、熱心な担当に恵まれたおかげともいえる。
私が、この『一口分の毒林檎』を手に掛けたのは、ひとえに自分自身の過去と、それを引きずってばかりいる自分の影を体内から排出し、叩きのめしてやろうという思いからだった。
そして、ぼろぼろになった過去を見下ろし、「何だ、大したことはなかったな」と笑い、形ばかりの墓標を立てて、供養してあげたかったのだ。
こんな大事になるなんて、想像もしていなかったというのが、自分の正直な感想だ。
トントン、と電話を片耳に当てたまま腕を組み、指先で自分の肘を打つ。そうして、雨宮の言葉の続きを聞いていた。
「ヒロインのりんご役のオーディションの話、覚えてますか?」
「はい、何となく」
原作者とはいえ、映画のことにまで口を出すつもりは時津にはなかった。
確かに、執筆するうえで、ヒロインのイメージの元にした女性はいるが、だからといって、その人に演じてもらおう、などとは微塵も思っていない。
何度も言うが、この作品は自分の過去の清算に近いものなのだ。
趣味同然の記録が、勝手に評価されて、一人歩きを続けているに過ぎない。
時津のそういう淡白さを知っているためか、雨宮は彼女の反応を受けて、安心したように続けた。
「良かった。今日、応募されている方の名前をチェックしてたんですけど…」
不自然に言葉が途切れる。何かを考えているというより、溜めているという感じだ。
「聞いたら、驚きますよ」
とっておき、というふうな言い回しが回りくどくて面倒だった。
「手短にお願いします。今、執筆中なので」
「あ、それはすいません。そうですね、時間的にも時津先生が集中している時間ですもんね」
それが分かるなら、なぜ今かけてきた、と思わないでもなかったが、彼女には世話になっている。多少は我慢するべきだ。
雨宮は、一つ小さな咳払いをすると、一瞬だけ異様な静けさを生み出した。電話が切れたのかと思って、ディスプレイを確認したとき、雨宮がぼそりと呟いた。
「なんと、花月林檎がオーディションを受けるそうなんですよ」
「え?」
「驚きました?わざわざ連絡があったそうで…」
開いた口が塞がらず、時津は気持ちを落ち着かせるためにベッドのそばと扉の間をウロウロとする。
無言のままの時津を不審がってか、雨宮が怪訝な口調で尋ねてきた。
「あれ、もしかして時津先生、花月林檎をご存じないですか?」
「その先生ってのは、やめてください」
混乱して、ついついどうでもいいことに八つ当たりしてしまう。
雨宮は律儀に謝罪しながら、気まずそうに口をつぐんだ様子だったので、さすがにこれは失礼だったと思い直し、こちらから声を発する。
「…知っています。有名な女優でしょう?」
「はい、そうです。凄いことですよ、あの花月林檎がわざわざ応募してくるなんて…」
「そうですか…?」
素人のような反応続ける時津に、雨宮もわずかにムッとした調子で反応する。
「そうですよ。だって、時津さんは…」
再び、無言。これは嫌な無言だと、鈍感な自分でも肌で感じた。
言いにくそうにしているので、こちらから続きを言ってやろうと、時津が口を開く。
「三流小説家ですからね」
映画の話なんて、奇跡中の奇跡だったのだ。
「あ、いえ、そのぉ、違います。ええっと…」
「いいんです。自分の分は弁えていますから」
「す、すみません」
だから、良いと言っているだろうに。
苛々した気持ちのまま、カチカチなる時計の針を目で追う。だが、頭は今時間のことなんて忘れていた。
胸の辺りが、じゅくじゅくと傷んだように疼いた。
多分、かさぶたが剥げたのだ。
いつまで経っても癒えない、未練と言う名の古傷だ。
沈黙の長さに、居心地の悪さを覚えたのだろう、雨宮が取り繕うような調子で言った。
「それにしても、どうしてなんでしょうね。花月林檎がわざわざ連絡を寄越してくるなんて」
こんな三流小説家の作品にね、と自分の中だけで補足しながら、時津は相手に見えるはずもないのに肩を竦め、首を振った。
「性格が悪いんでしょ」
「え?」
「何でもない」
時津は、詳しい話はまた明日聞くと言い残して、電話を切った。訝しんでいる様子の雨宮だったが、有無を言わさぬ時津の雰囲気に、大人しく引き下がったようだ。
大きなため息と共に、チェアに腰を下ろす。冷や汗が浮かんだ額に手を当ててから、祈るように両手をすり合わせる。
「何のつもりなの…花月」
――…私のことを、覚えていないのか。
いや、どうだろう。
分からない…。
花月とは、七年ほど前に、あの肌寒い夕暮れが忍び込んでいた学校の片隅で話して以降、まともに言葉を交わさずに別れたままだった。
時間という無慈悲で、平等な荒波が、記憶と一緒に飲み込んでくれると思っていた。しかし、それも全て甘い考え方だった。
「…消えないなぁ」
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