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3)イケメンの身体に

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「い、いけめそ……ウプンマガ、何処か打ったのでは……」



イケメンとは言われるけれど
いけめそ……



璃人は意味不明の言葉に目を瞠目いて、老婆の顔を覗き込む。



「神様ぁぁ……有り難うございます」



うん、若い声……
子供みたいな声だ
ウプンマガの声じゃない
話も噛み合わない……
もしかして……



璃人はかなり整った顔を曇らせて老婆を抱き起こす。前髪がはらりと垂れた。



「あ、あぁ……ま、待って、あなたは……こ、ここは、何処。ときめくぅ……」



頬を染める老婆の高鳴る心音が聞こえる。



「……ウプンマガ……ここは老人ホーム藤森ですよ」



「老人ホーム……え……老人ホーム……私は」



「今、お転びになったのです。僕のせいです、ウプンマガ。これからは、命に代えてもお守りします」



「あぁ、素敵。イケメンの顔が近い。い、命に代えてって……救いを望むことさえも許されないと思ったのに……」



冬菜が呟く。それに応じて老婆が嗤った。



ふひゃひゃ……
救いを望めないなどと
そんな傲り高ぶりはお笑い草だ



誰に救いを求めようとしたのか



罪を犯した者を
許す力のない非力な者に
求めようとしたのかい



ふひゃひゃひゃ……



璃人には、冬菜の呟きに老婆が答えたことが電撃のように理解できた。



空中からいきなり現れた少女が老婆の身体に入ったのは、幻覚ではない。



Web小説の設定がリンクしているような不思議な感覚を抱いて、璃人は老婆をじっと見つめる。



「何処か痛む処はございませんか」



「大丈夫みたい。あの……私は冬菜。引きこもりの15才。て、転生したのかな……」



「転生……ですか……では、ウプンマガは……」



不穏な疑問に璃人は震撼したが、老婆はポッと頬を染めた。



「えっと、同居……」




冬菜は小学五年の頃に『探偵ホームズ』をパクった小説『探偵モームスを書いたが、クラスメイトに探偵乃木坂にしなよと言われた暗い過去がある。五年前のことだ。



あれから死ぬ気で小説に人生を賭け、学校で学ぶことを全て小説の肥やしにした。



中学に上がって、誰でも書けるWeb小説投稿サイトで勝手に投稿デビューしてからと言うもの、現実よりもバーチャルに魅力を感じて引きこもりながら小説を書き続けていた。



恐ろしいことが立て続けに起きたのは、小説が第二章に入ってからだ。世界のあちらこちらで小説と一致する不思議な事件が起き、二ヶ月もしないうちにTwitterのフォロワーからDMで質問が来た。



『第一章のストーリーは神の啓示でもあったのですか』



ボサボサ頭を一本三編みにしてパジャマ姿のまま即席ラーメンを啜っていた眼鏡の女の子は、その一言に呆然となった。



それまでに、第一章の十二話全部がそれぞれ予言のように全て成就していた。そこには、終焉を見ない疫病と直下型地震、津波と、国際的な人物たちの時代の切り替えを告げるような世代交代や急逝が描かれいる。



そして第二章の六話目までにはゲーマーたちも死ぬというストーリーで、そのゲーマーの一人と主人公が絡んでほんのり恋愛感情を匂わせながら、狂った運命と闘う……はずだった。



冬菜は行き詰まった。
元々のプロットがたいした作りではない。殆どが軽い思いつきで、何かが降りてきたという感動もなく書き散らしたものだ。



それが何故現実になるのか……


殺された人々は異星人だったと言うのか……



悪寒と吐き気、眩暈がして、冬菜は書き続けることに困難を極め、三週間更新が途絶え、質問ばかりが増えるTwitterもスマホから削除してスマホ自体も解約した。当然、小説投稿サイトからも離脱したことになる。



エクストラは行方不明という噂が流れた。



『ふひゃひゃ……緑色だ。緑色のあれは何と言ったか、毒を含んだあの色だよ。そもそも、あの色から始まったのではなかったか。阻止しようにも、それを123番が邪魔している』



それは、気分転換にイラストを描こうとした冬菜の頭に飛び込んで来た、魔女のようにしゃがれた声。



緑色……123番緋色が邪魔……
毒を含んだ緑色…… 


もしかしてシェーレグリーンかな……
ナポレオンを殺した
美しい緑色と云われる色……


私の小説の緑色は
シェーレグリーンではないのよね



冬菜はパステルの200本セットを見た。



いやいや
シェーレグリーンなんてないよ
私のパステルに毒物なんて……



200本セットの凹みにひとつだけグレーのスポンジが見える隙間があり、そこに移動しているはずのパステルがない。そして、そこにあるべき色の行方がわからない。何故なら、全ての色があるべき場所から移動していたからだ。



「あの時……」



冬菜はパステルを部屋にばら蒔いた時のことを思い出して、椅子から立ち上がる。部屋の中から飛び出したのなら、ベランダだろう。一本だけ見あたらないパステルの緑色がベランダにあるはずだ。



「私にとってイラストは逃避よね。やっぱり、小説をちゃんと完成させなくてはね」



まさかベランダから転落するとは思わずに、冬菜はガラス戸を開けた。



そして、気がつくと璃人の身体に乗っている。




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