淡く存在する彼らへ (完結)

藤森馨髏 (ふじもりけいろ)

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いかなる闇も

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実家の衣装箪笥の奥から、ハンガーに掛かった高校時代の制服、青緑色のスカートが出てきた。


走馬灯のように巡る幾つものエピソードを振り切り、思いは一気に男子校舎の階段を駆け上がる。


あの日、駆け上がった階段の端で切れた息を整えてから、二年生の教室に入った。


色白で横顔の綺麗な男子先輩が一人で勉強していた。夜学の生徒ではない。痩身にきっちりと黒い詰襟の制服を着ていたから、季節は冬だったのだろう。衣替えしたばかりだったかもしれない。寒かった記憶のないあやふやな季節感は拭えない。


と言うことは、本土復帰を果たした後だ。


私が沖縄本島の親戚宅に下宿して高校生活を始めたのは、今から五十年も前の昭和四十七年。本土復帰の年だ。アメリカ統治から解かれた沖縄は、 色々な面で明暗が分かたれて、混乱が見えた。確かにこのスカートは、その時代の那覇で、私が女子高生として生きていた証だ。


西日が教室の明暗を分けて、私は廊下の明るい面から奥の暗い面に入り、先輩に近づく。


「P先輩の席は何処ですか」


と尋ねたと思う。


「其処」


チラリと一瞥をくれてひとつの席を指差した後も、姿勢を崩さずに机に向かい続け、私に注意を向けない。ノートにペンを走らせる姿は、冷静で端正だ。


ふうん
こんな野蛮ガッコにも
勉強する人いるんだ


私の通っていた沖縄工業高校は、元男子校で、当時は女子が驚くほど少なく、普通校に比べて男臭い雰囲気が充満していた。学ランと作業着も見慣れた風景だった。


朝礼になると、どこそこの学校と乱闘したという男子たちがズラリと朝礼台の前に立たされて、名前を呼び上げられ、一週間停学とか言い渡されたりする。少年バイオレンスマンガの世界がそこにあった。


自動車科や土木建築科、理学部学科の校舎内を女子が歩くと、廊下の両側にズラリとできた男子の列が、珍しい生き物を見るようににやけた顔で不躾な視線を集中させる。


芸能人ではないのだから、そんなに見つめなくても、と思う。良からぬことをされるのではないかという猜疑心を、い並ぶ破顔は微塵も持たせない。映画『十戒』のモーセの、そそり立つ紅海の波壁ように割れた人並みの真ん中を歩くのは、照れ臭さを喚起させられた。


しかし放課後のその時、校内に残っていたのは教師と部活が終わった生徒くらいのもので、私も弓道部を終えてからやってきたのだから、誰かが教室にいるとは思わなかったし、それが端正な姿勢を崩さない先輩だとも知らなかった。


野球部の声が聞こえる。他の運動部の声もしていた。


P先輩の席に借りていた本を置いて踵を返す。半分だけ西日の差し込む教室内部の先輩の顔も、自若じじゃくとしたその佇まいも後ろにして。


廊下から名前を呼ぶ声がして、開いたままのドアから運動部らしい男子学生が日焼けした顔を見せた。


もしかしたら、先輩は一瞬、笑顔になったかもしれない。道具を鞄に入れて素早く席を立つ。


西日の一歩手前で立ち止まった私の横を、風のように素通りして西日の中に出て行った後ろ姿。空気が動いたが、男の汗臭い匂いはしなかった。


ひとり取り残された教室の暗がりから、私もまた明るい西日の中に出たはずだ。


振り返る。


肩を組んで帰る先輩たちの姿から、笑顔の想像できる声が聞こえてきた。


私は廊下の反対側の階段を目指す。西日が眩しくて目を細めながら。


あの先輩は、友人の部活が終わるのをひとり静かに待っていたのだろうか……


私には人を待つ根気も理由もない。だからか、男子学生同士待ち合わせて一緒に帰る姿が、今頃になって焼けぼっくりのような熱っぽい妄想に変わる。


五十年間も記憶のハンガーに掛けたまま奥に奥にと押し込んで忘れていたのだが、年を取ると、そんな古いハンガーまで引きずり出してけしからぬ妄想の材料ネタにする。私だけだろうか。


私自身の不完全さを顕にする妄想が、私の闇だとしても、老いても尚どうにも止められない。



神にはいかなる闇もない。
ヨハネ第一の手紙 1:5


この聖句は私に対する毒舌だ
でも、そうだね
神様に闇がなくて良かった


ジャージ姿の日焼けした顔に、並びの良い白い歯が覗く。


「僕たちはいかなる問題も払拭して、全ての困難を乗り越えていこう。互いを引き離そうとする世間の力をも踏み越えて」


細身の学生服少年も、涼しげに目を細める。


「既に半分は叶えられているよ。君は願ったことを必ず実践するから」


私の妄想の中の彼らは、それから一瞬ひとつの影になる。



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