つまずいたら異世界へ

藤森馨髏 (ふじもりけいろ)

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第四章 一日目の午後 リンジャンゲルハルト

(4)婢呼女の笑い声&女官の呟き&声螺を殺せ

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黄朱の木の実がポトンと落ちた。足を投げ出し木の根元で微睡んでいる従者の元にコロコロと転がって止まった。

「タコ、なんだ、眠っているのか。木の実を食わなかったらしいな」

「うぅ、婢呼女、遅いよ。僕は飢え死にしていたんだ」

「だろうと思ってな」

婢呼女は白い布を掛けた籠を従者の手に渡す。自身は修道院で母親のスープを味わってきた。腹も胸もいっぱいに満ち満ちて温まった。

「もう少し早く来てくれたら王女様にも食べたさせてやれたのに」

籠のパンを裂きながらのんびりと呟いた従者の声を、婢呼女は聞き逃さなかった。

「誰だって」

「ん……王女様だよ」

「何処の王女だ。誰かと一緒だったか」

「ガリラヤが一緒だった。灰色の長い衣の男」

「何だと、お前、それは確かか。ならば……」

こいつに言っても仕方ないが、リンジャンゲルハルトの王女だ。王女が此処に……間者の情報通りならば、毎朝、昔の賽治部御蔵の辺りを彷徨っているとか……
己の身代わりとなってドラゴルーンに捧げられた斎姫を偲んでか、それとも賽治部女房の出の乳母を偲んでか……
賽治部屋敷跡は最早うっそうと繁った木々や蔦に覆われているのだが、其処に何を求める……
わからん。
若い娘の考えることは……

「婢呼女ぇ……何処に行くのぉ……」

「探索だ。隈無く探す」

「其れならあっちだよ。ソゴドモ村の方向。大きな谷があると教えたら王女様は微笑んでくれたよ。でへへ……」

「他には何か言ってなかったか」

「ううん、あ、ありがとうって……僕はあげたんじゃないよ。奪われたのに」

「要領を得ないな。王女がお前から何を奪うと言うんだ」

従者は足元の木の実を蹴って、ことも無げに言った。

「木の実だよ。このゴキホイ」

婢呼女の顔が痙攣る。

「鬼夜叉のシュタイナーにも奪われたのにさ」

「あ、シュタ……おま、え……」

それは本当かと訊く前に、臓府が震えた。

「ぎゃあはあはあはああはははは……傑作だ。あははははは……こりゃ堪らん。うぎいひひはははあはあはあは……あの若造め。ひゃあっはっはっは……」

「婢呼女ぇ、その笑い方は壊れているよぉ。怖いよぉ」

「ぶああははは……シュタイナーの奴が……ぎゃあはあはあはははは」

蝙蝠の如く黒マントを羽ばたかせて大笑いする婢呼女の声が、既にリンジャンゲルハルトの国境に入った鬼夜叉の馬の耳を掠めた。

馬はブルブルと音をたてて頭を振ったが、笑い声は木霊して続いていた。


     *  *  *


何処かで鳥が喚いているのか……人の笑い声のようだ……

リンジャンゲルハルトの女官は顔を上げた。何か奇妙なものが胸を過る。ふと、横目で御輿を見た。

王女様は何処に行かれた。
ゲヘナだ。調べはついている。
しかし遅すぎる。

この森を横切ってサザンダーレア王国との境界近くから奥に入る、そんなに時間のかかることではない。兵士が狩人に変装して境界を守っているはずだ。

今日は揚々とお出になった。ドラゴルーンの金鱗の欠片を隠し持って、ゲヘナに向かったのだ。
罪人を投げ入れる谷、ゲヘナに……
賽治部女房の乳母を蘇らせるつもりらしいが、その事は、今朝のうちに鳩を飛ばしてガーネット様にお知らせした。
まさかサザンダーレア王国に拉致されたとか……
ガリラヤが付いていながら……
あり得ぬ。
しかし、政治利用できるならば婢呼女は何でもすると聞くが……いや、同盟国だ。心配ない。
王女がスメタナ教皇のお役に立つのであれば、私も負けぬ。ガーネット様の一声で、死をも恐れぬ。

リンジャンゲルハルトの女官は顔を伏せ、目を伏せた。


       *  *  *


教皇執務室の女官に挟まれて魔法術研究員が連れて行かれた所は、ガーネットが気紛れの夜警に加わる日の控え場所に用意した部屋だった。

教皇執務室から近く、デルスパイアンの茶室にも繋がり、温室も見える。

ガーネットは長椅子に斜めに座り、軍靴の片足を座面に投げ出していた。黒眼帯で覆われた横顔は端正なラインを描く。眼帯の横顔のまま一瞥もくれずに人払いをしたあと、投げ出していた足を組んだ。

「来たか、まあ、座れ」

一本の木を曲げて紺の天鵞絨を囲む優雅な造りの長椅子の隣に来るよう勧める。

「あの……」

疲弊した様子で浅く腰掛ける魔法術研究員の肩に、ガーネットの指が伸びた。その指が巫女の肩から乾いた衣装を滑らせる。

「あっ……」

長い髪を肩に寄せる。
赤く腫れた鞭の痕が生々しい。

「傷が目立つな」

心細い面持ちながら抗う素振りを見せないのは、鞭の威力を思い知ったからか、魔法術研究員は微かに震えていた。

「お前は今夜の儀式の前に声螺を殺れ」

「無謀なことを仰います」

「無謀か……私が守る。首尾良く行けばリンジャンゲルハルトに帰してやろう。子供たちに会いたいだろう」

魔法術研究員は震えた。

「本当に、帰していただけるのですね」

「これを……」

青い小瓶を見せる。

「致死量のルモンダレナだ。子供の命と」

引き換えだという言葉を聞く前に答えが溢れた。

「お任せください。必ず……」

震える手が小瓶に伸びて、ガーネットの手に触れた。

「氷のような手だな」

小瓶のコルクを抜いて匂いを嗅ぐ。

「ルモンダレナ……麻薬なんですよね。毒薬だったら良かったのに」

魔法術研究員は小瓶にキスした。

「此処で死ぬことがお前の望みではあるまい」

「辛いのです。声螺様には何の恨みもありません。ひとつお聞きしてもよろしいでしょうか」

「何だ」

「何故、声螺様を……」

魔法術研究員は再び小瓶にキスしてコルクを填めた。

「解せぬか。リンジャンゲルハルトに有利なお告げしか出せぬ声螺は、教皇様の進むべき道を害するものだ。無用の輩だ」

「サザンダーレ王国との同盟の為に……ですか」

「質問はひとつではなかったのか」

魔法術研究員は不意にガーネットに肩を凭れ、うぅと呻いた。

「まだ、痛むのです……しばらく、このままで……」

片目のガーネットの視線が、白いうなじから首筋に移った。


         *  *  *


歌声に引き寄せられて、幾つかの曲がり角を曲がり、明るい光が天から差し込む小さな広場に出た。

その光の中に、少女が独り、立っている。
そして、少女は檻の中にいた。










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