鬼子の嫁

白木 犀

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第十話/わからない

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夜の冷気で目が覚める。
時刻は二十三時、まだ起きるには早い。 気温に対して布団の枚数が少なかったか。 それともしばらくこの時間帯に起きていたので体がすっかりそれに慣れ、目を覚ましてしまったのか。 

しかし、再び寝ようにも意識はすっかり目覚めてしまっている。
辺りを見回す、と━━━━隣に絢音がいない。

全く、理解ができない。
ミカが死んだことも。 絢音がまだ街に出ていることも。

いや、もしかしたら絢音はまだヘイルが死んだことはおろか、表に現れてきたことすら知らないで、屍鬼を狩らんと街に出ているのかもしれない。

なんか、もう全てがどうでもよくなってきた。
絢音に尾行していたことがバレようが、彼女が俺に隠し続けてきた闇に触れようが、それによって俺になにか危機が訪れようが構わない。

絢音に会って、伝えてやろう。
ヘイルは俺が殺した、もう屍鬼や吸血鬼の類は探しても出てこないのだと。 今朝の事件の犯人はヘイルじゃないんだと。

俺は寝巻きのままでは寒かったので、寝巻きの上からナイロン生地のパーカーを羽織って家を出ることにした。

今日は、この街に引っ越してきて一番の寒さだ。
まだ十一月に入ったばかりだというのに、手が悴むほどの寒さ。

絢音の通る道は分かっている。
彼女に追いつくべく、いつもミカと一緒に歩いていたルートを駆ける。

たったったっと息を切らさない程度のスピードで駆けていく。
月明かりの下で一つの大きなシルエットとなって聳立(しょうりつ)する建物を越して、徒爾(とじ)に色を変える信号を渡って、初めて屍鬼と接触し襲われた路地裏の前に辿り着く。

ここで、ミカに助けられたんだな。

思い出すと、ダメだった。
まるで、幼児が絶対的な安心の象徴である母親を目の前で亡くしてしまったように、蒔片 巴の世界は音を立てて崩れ去っていく。

地面に膝をつく。
涙は目尻を伝って頬を過ぎ、輪郭をなぞって顎で合流、粒になって地面に落ちる。

俺は、どうすればいいんだ。

その刹那、ずんとなにかがぶつかる音を聞くと、俺は現実に引き戻される。

ごぉとなにかが燃えるような音。
たったっとなにかが駆ける音。

戦場を想起させる音が、路地裏の方からする。

俺は考えもなしに、路地裏の方へと向かう━━━━と、思わず目を剥く。
そこではなんと既に存在しないはずの屍鬼と絢音が交戦しているのだった。

ミカはいつかの尾行の時に教えてくれた、屍鬼は吸血を繰り返し理性を獲得し二次吸血鬼に進化したものを除けば皆、例外なく親元の一次吸血鬼が死んだら消滅するものなのだ、と……。

ミカが嘘をつく意図などないのは分かっている。 だけど、それ以上に目の前で起きている事が信じられなかった。

絢音は屍鬼の緩慢な腕の攻撃を後方に跳躍して避けると、地面に着地。 両手にかけた数珠を鳴らしながら、なにか呪文のようなものをぶつぶつと呟く。

すると、屍鬼と絢音の間に掌に収まるくらいの小さな橙色の球体が現れ、拡大化、人間の頭部くらいの大きさまでになると球体から屍鬼の方へと直径サイズの橙色のレーザービームのようなものが射出され、頭蓋を焼き切る。

頭蓋を焼かれ、失った屍鬼は糸を切られたあやつり人形のように地面に横たわると粉化、風に吹かれて欠片も残さず世界から消えていく。

絢音は肩で息をして、額に浮かんだ汗をハンカチで拭っている。

俺は……。
理解が及ばないことだらけで、当初の絢音に事件のファクターであるヘイルは倒したから、探索は意味はないと告げるという予定は矛盾の元に崩れ去った。

それよりも、なんだか今の絢音にそんなことを伝えるのは、酷く恐ろしいことのように思えて、はばかられる。 俺が戦っている絢音を見るのは初めてなのだった。
普段の優しくて温和な彼女とのギャップも相まって酷く冷徹に見える。

音を殺して、足音が届かないであろうところまで下がると、家に向かって全速力で駆けた。 息が切れるくらいのスピードで走った。

家に着く頃には額に玉の汗をかいていたので、玄関を荒々しく開けると洗面台に向かって、汗を洗い流す。

台所に行ってコップに水を注ぎ、ぐいと一気に飲み干す。
別に忙しいわけでもないのに、動作は忙しげで落ち着きがない。

まるで鞭を打たれたように寝室に戻ると、脱いだ上着を桐箪笥に仕舞って、すっかり冷えた布団に入る。

興奮でばくばく動く心臓と、目まぐるしく変化する情緒によって、しばらくは眠りに就くができなかったが、走ったことで体は疲れていたのか一時間も目を瞑っていると自然と夢の世界に入門した。



俺は、行きつけのスーパーへの道を歩いていた。

ただ、いつもと違うことがいくつかある。

それは、太陽がすっかり沈み、月が天上に浮かんでいること。

一人で歩いていること。

そして、喉が、とても乾いていること。
この乾きによって、酷く苦しめられている。
あまりに喉が乾いて、目眩すらする。

一秒でも早く満たさなくては……。

だというのに━━━━俺が向かっていくのは、家とは正反対の方向。

つかつかと、下卑た笑い声をあげる、大学生くらいのアベックが少し離れたところからやってくる。

貴重な"水分"がやってくる。

ふらふらと、緩慢に歩く体とは対象的に、獲物を狙う意識は張り詰めていく。

つかつか、アベックが俺の存在に気が付いた。

よほど酷い顔をしていたのだろう。
女の方はひっと声をあげるあげると顔を青くして、口元に手をやる。
男は眉をひそめて不快そうな顔色を浮かべた。

男が、邪魔だ━━━━

俺を避けて通ろうとする男の右手首を掴んで、力に任せて何度も大きく振るう。 それを見た女は目を剥いて地面に腰を落とす。

銃弾の如き速度で激しく宙を舞った男は鼻と口から高速で臓器がシェイク、粉々にされたものが零れ落ちて、身体中に血管が張り、両方の目玉ぽろとが取れる。

喉が張り付いて悲鳴も出せない女に近付いていく。
恐怖に歪められて、酷い顔だ。

荷物も男だったモノも忘れて駆ける女に、自分でも恐ろしいと思うスピードで肉薄、停止した際に発生する風圧だけで女を地面に仰向けに倒すと肩に手を回し、首元に歯を突き立てる。

「あ━━━━が……あ」

血を吸われていくと獣の唸り声のような低い悲鳴も、段々と小さくなっていって、ついには悲鳴も、脈も、鼓動もなくなった。 あるのは、生暖かい体温だけ。

女の生気に満ちていたハリのある肌が、次第にシワシワになっていく。
それに比例して、喉が潤っていくのを感じる。

数日ぶりにまともな食事を取ったかのような充足感と幸福感。

つかつかと音がする。

今日は、まだ獲物がいるというのか。

自然、口角が上がる。

なぜなら、そこに現れた獲物は、酷く覚えのある人物だったから。

「は━━━━はは」
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