君に渡したかった手紙

君に渡したかった手紙

冬の空気は透き通るようで、肌に刺さる冷たさが心地よかった。駅前の小さなカフェで働き始めて半年、毎日やってくる彼の存在が私の中で少しずつ大きくなっていた。

彼の名前は知っているけれど、声を交わしたことはほとんどない。いつもブラックコーヒーを頼んで窓際の席に座り、ノートを広げて何かを書き続けている。静かに時間が流れるその姿に、いつからか私は目を奪われるようになっていた。

「気になるなら、話しかけてみれば？」
バイト仲間のユカがいつも笑いながらそう言うけれど、私は首を振るばかりだった。どうしても、自分から踏み出す勇気が持てなかった。

そんなある日、彼が来なかった。
翌日も、その次の日も。いつも同じ時間にやってくる彼の姿がなく、私は不安に駆られた。どこかで倒れているのではないか、それとも何かあったのではないかと、心がざわつく。

4日目の夕方、店のドアが開く音がして振り返ると、久しぶりに彼の姿があった。思わず胸が熱くなったが、その顔はどこか疲れていて、いつもの穏やかさがなかった。私は彼が注文する前にカウンターを離れ、無意識に彼の席に近づいていった。

「…あの、大丈夫ですか？」
不安げな私の声に、彼は驚いたように顔を上げた。その瞳には、かすかに寂しさが宿っていた。

「…ちょっとね。でも、ありがとう。君、優しいね。」
初めて直接聞く彼の声は、思ったよりも柔らかくて、心の中にじんわりと広がった。

それから少しずつ、彼と話す機会が増えていった。彼が毎日ノートに書いていたのは小説だったこと、夢を追いかける中で家族や友人との関係に悩んでいたこと、そして自分自身に自信が持てず、立ち止まることが多かったこと。彼の言葉に、私は何度も頷きながら聞いていた。

そんなある日、彼が突然こう言った。
「君に、ひとつお願いがあるんだ。」

そう言って彼が差し出したのは、一通の封筒だった。そこには私の名前が書かれていた。

「これ、僕の気持ちを全部書いた手紙なんだ。読んでくれる？」

震える手で封筒を受け取ると、彼の瞳は真剣で、そこに迷いはなかった。私はただ、静かに頷くことしかできなかった。

その手紙には、彼のまっすぐな想いが綴られていた。私への感謝、そして心の奥にしまい込んでいた恋心。読み終える頃には、頬に温かい涙が伝っていた。

彼に顔を上げると、少し不安そうに私を見つめている。私は震える声で答えた。

「私も…同じ気持ちです。」

その瞬間、彼の顔に浮かんだ笑顔は、今でも忘れられない。冷たい冬の風の中で、私たちは初めて手を繋ぎ、小さな一歩を踏み出した。

あの日、勇気を出して話しかけてよかった。
それが、私たちの恋の始まりだった。