嘘つきの青

マッシー 短編小説家

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嘘つきの青

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駅前のカフェで、私は彼を待っていた。大きな窓越しに降り続く春雨をぼんやりと眺めながら、携帯電話を握りしめる手に、じんわりと汗が滲む。

「もうすぐ着くよ」

彼からのメッセージは、それから20分経っても、30分経っても、彼自身の姿を運んでこない。いつもこんな感じだ。遅れることを悪びれる様子もない彼に対して、私は一度も怒ったことがない。それどころか、遅れてきた彼が「待った?」なんて首を傾げるだけで、嫌な気持ちは霧のように消えてしまう。彼の曖昧な優しさが、私をここまで縛っている。

でも、今日は少し違う。胸の中に引っかかるものがあった。

一昨日、偶然見てしまったのだ。彼の部屋のデスクに置かれていた写真立て。そこには、見知らぬ女性と彼が、まるで恋人のように寄り添って笑っている姿が映っていた。

聞けなかった。誰なのか、どういう関係なのか。聞いてしまえば、私たちの関係が壊れてしまう気がしたから。

でも、彼は私を選ばないんじゃないか。そんな不安が、私の中で大きくなり始めている。

カフェのドアがカラン、と鳴った。顔を上げると、彼が雨に濡れた髪を手ぐしで整えながら、私に微笑んでいる。

「待った?」

その笑顔に、何度だって騙されてしまう。でも、今日は違う。

「ねえ、聞いていい?」私は思い切って口を開いた。

彼は少し驚いた顔をしたが、「何でも聞いてよ」と穏やかに答える。

「部屋にあった写真…あれ、誰?」

彼の顔から、一瞬で笑みが消えた。その沈黙が答えだった。

「…元カノだよ」

そう言った彼の声は、思った以上に冷静だった。

「まだ好きなの?」

「もう終わった関係だよ。でも…まだ整理がついてない部分はある」

心臓がぎゅっと締め付けられる。分かっていたはずなのに、彼の言葉を聞くと胸が苦しい。

「そっか」

それ以上は言えなかった。これ以上聞けば、きっと泣いてしまうから。

「でも、君のことは本気だよ」

その言葉に、私はまた救われそうになる。

でも、彼が「本気」と言うたびに、それはどこか曖昧で、私を傷つける刃にもなりうる。

「…ありがとう」

雨音が静かにカフェを包み込む。私の心の中にも、消えない春雨が降り続けていた。

彼の言葉にすがりつくのか、それとも自分を守るためにこの関係を終わらせるのか。決断はまだつかないまま、私は冷えたコーヒーに口をつけた。

そしてまた、彼の優しい嘘に溺れてしまうのだろうか、と心の中で小さくため息をつく。
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