100通目の手紙

100通目の手紙

静かな図書館の片隅で、彼女は毎日同じ時間に現れる。まるでその席だけが自分の居場所だと言わんばかりに、古びた木の椅子に腰を下ろし、ノートを開いてペンを走らせる。

「手紙を書いているのかな？」
その光景を何度も見かけている僕は、ふとそんな疑問を抱いた。彼女の前にはいつも決まって白い封筒が置かれていて、何かを書き終えると、丁寧にそれを封筒の中にしまい込む。その仕草があまりにも美しくて、つい目を奪われる。

僕が彼女を初めて見かけたのは、ここでアルバイトを始めた初日だった。図書館の利用者に過ぎない彼女のことを、なぜこんなにも気にしてしまうのか、自分でもわからない。ただ、毎日来るたびに彼女の手紙が増えていくのを見ていると、なぜか胸がざわつく。

そんなある日、彼女がいつものように席を立とうとしたとき、ふと封筒の一つが彼女の手から滑り落ちた。それは床を滑り、僕の足元まで転がってきた。

「これ……」
僕が拾い上げると、彼女が少し慌てた様子で近づいてきた。

「ごめんなさい！ それ、私のです……」
そう言って手を差し出す彼女の声は、どこか震えていた。僕は一瞬迷ったが、封筒を手渡す前にその宛名を見てしまった。そこには、僕の名前が書かれていた。

封筒に書かれた自分の名前を見た瞬間、僕は言葉を失った。何かの間違いだと思いたかったが、間違えるはずもない。そこには確かに僕の名前が、丁寧な文字で書かれていた。

彼女はそれを見て、さらに顔を赤らめた。まるで秘密を暴かれた子どものように、目を逸らしながら封筒を引き取った。

「えっと……その……」
彼女は何か言おうとしたが、その声は小さすぎて聞き取れない。そして次の瞬間、彼女は急いで図書館の出口に向かって走り出した。

「あっ、待って！」
気づけば僕も後を追っていた。彼女は図書館を出たところで立ち止まり、振り返った。その瞳には戸惑いと、不安、そしてどこか安堵のような感情が入り混じっているように見えた。

「手紙……僕に書いてたの？」
単刀直入に聞くと、彼女は小さく頷いた。その仕草があまりに恥ずかしそうで、僕は胸がぎゅっと締め付けられた。

「でもどうして？ 僕、君とは話したこともないのに……」
「……ずっと、見てたんです。」
彼女が顔を上げ、静かに言った。

「ここで働いてるあなたの姿を見るたびに、いつの間にか目で追っていて……でも、話しかける勇気がなくて。それで、手紙を書き続けてたんです。100通書いたら、渡そうと思って……でも今日、あなたに気づかれてしまって……」

100通目。
僕はその言葉に驚きながらも、彼女の誠実さに胸を打たれた。ずっと僕に思いを寄せてくれていたなんて、夢にも思わなかった。

「それなら……」
僕は深呼吸をしてから言った。

「99通目までの手紙は君が大切に取っておいてくれていい。でも、100通目は僕に渡してくれる？」

彼女の顔が一瞬驚きに変わり、それからふわりと笑顔が広がった。そして、おそるおそる封筒を僕に差し出した。

「読んでください。どうしても伝えたかったんです。」

僕はその場で封筒を開け、中身を取り出した。そこには、ぎゅっと詰まった彼女の思いが綴られていた。そして最後にこう書かれていた。

「もしこの手紙を読んで、私に会ってみたいと思ってくれるなら、明日ここで待っています。」

僕は手紙を読み終わり、彼女を見つめて笑った。

「明日なんて待てないよ。」

そう言って僕は彼女の目の前に座り込むと、静かに尋ねた。

「今日の今から、君のことをもっと知りたい。これから、一緒に歩いてもいい？」

彼女は大きく頷き、頬を赤らめたまま小さく「はい」と答えた。その瞬間、僕たちの物語が静かに動き始めた。